本命チョコ


アイドルたちのバレンタイン企画を練って、イベント会場を押さえたり、衣装の手配やら何やらばっかり考えてすっかり忘れていた。バレンタインデーは人にチョコを渡す日だということを。
P機関の部署内で、男の人たちにチョコ配った方がいいかな?なんて女の子たちから話を持ちかけられて改めて気付いたのだ。安すぎない程度のチョコを買って渡すだけ渡しておこうか、なんてゆるく話も決まり、私はデパートのバレンタイン特設会場へと足を運んでいた。

たくさんのチョコや恋する女の子たちに囲まれてあてられてしまったせいか、部署の人たちに渡す用の義理チョコ以外にも、美味しそうでお高めの店の商品まで一つ買ってしまっていた。

「渡していいのだろうか……」

レジの人からプレゼント用ですか?と聞かれて
はいと答えてしまったせいで、人に渡すための紙袋までつけてもらってしまった。
自分で食べてしまいたい気持ちにもなったけど、自宅の冷蔵庫に一端保管したそれを、なかなか取り出せずにいた。もしバレンタインにこれを渡せなかったら、15日に開封して食べてしまおうとは決めていた。


バレンタイン前日の朝、急に思い立って冷蔵庫からとっておきのチョコを取り出し、出勤バッグに忍び込ませた。
当日はバレンタインイベントのせいで誰もが忙しいだろうし、数多くのチョコが渡されまくってこれも埋もれてしまうだろうと思ったから。せめて前日なら、当日よりは時間に余裕も有りそうだし、他の人からのチョコに埋もれて見えなくなってしまったりはしないんじゃないかと思って。
普段なるべく意識しないようにしていた想いが、チョコとして形になってしまい、それを持って出勤するせいでかなり緊張した。部署用のチョコは普通に何も考えずにまだ冷蔵庫で眠っているし、これが誰かに見られでもしたら、本命だとばれてしまいかねない。

「おはようございます…」
「おはよ〜」

今日の何時でも良い。朝でも昼でも業後でも、いつでも良いから会いたかった。ここまで緊張して寿命を縮めながら持ってきた想いを、渡すことすらできずに自分で食べることになるのは、少しさみしい。渡すのは来年だってできるし、むしろバレンタインじゃなくたっていいけど、こういう機会が無いと、一生言えずに終わってしまいそうだから。

いつ渡そう、どう渡そう、何を言おう、言っていいの?なんてぐるぐる考えながら過ごしていたせいで、同僚から体調の心配をされてしまった。明日のイベントが成功するか不安で…とか適当にごまかして事なきを得たが、夕方になってもチョコは渡せぬまま私のバッグに入ったままロッカーに潜んでいた。

このままでは定時を迎えて帰るだけになってしまいそうで、自棄になってホールハンズでメッセージを送った。5分くらいでいいから会えないか、と。そしたらものの1分程で電話がかかってきて、飛び出そうになる心臓を抑え込みながら電話に出て、席を立った。

「お疲れ様です、横島です」
『お疲れ様であります!何か緊急の打ち合わせでしたか?』

耳元にあてたスピーカーからでかめの声が聞こえてびびってしまう。勤務時間内に言うほど緊急の用事でもないし、電話越しに聞こえてくるキーボードを叩く音から、チョコを渡すためなんかに時間を割いてもらうのが申し訳なく思えてしまう。

「あの、ごめん、忙しそうだね?急ぎじゃないからまた今度にするよ」
『そうですか?貴方から個人宛に連絡が来ることなんて珍しいですが、本当に今度でよろしいですか?』
「…」
『迷うくらいなら会いましょうよ。自分は少々忙しいので副所長室から出られませんが…来て下さるのなら会えますよ。無論、貴方がここまで来る時間があるようでしたらですが』

会いましょうなんて言われたら余計に会いたくなってしまう。だって会いに言ったら、このチョコを渡すことができてしまうのだから。

「…行きます。忙しいなら何か飲み物買って行こうか?」
『差し入れですね?何か温かいものがいいですね。今日はコーヒーばかり飲んでいたので、紅茶とか』
「差し入れと言う名のパシりですね〜、持っていきます」
『適当に自販機ので良いですからね』
「はーい。もう少ししたら行くね」

電話を切って、ロッカーからバッグを持ってきて急いで席に戻り、編集中のファイルを全部保存して閉じ、退勤した。帰ってからも仕事のことを考えますよアピールとしてノートパソコンをバッグに詰め、颯爽とP機関を後にした。

自販機を見かけたから紅茶を買おうと思ったが、せっかく美味しいであろうチョコを持っているのにペットボトルの紅茶では物足りない気がして、シナモンまで行ってこの季節限定のしののんブレンドを2つテイクアウトしてコズプロの副所長室へと向かった。


副所長室の扉の前で、私は自分の愚かさに少し泣きそうになった。扉をノックをして中から返事が聞こえてきたのはいいものの、両手に1つずつ紅茶を持っているせいで、回すタイプのドアノブを開けることができなかった。片手で紅茶を二杯持てるほど手も大きくないし、手が滑って落としてしまうのが怖かった。どうしようかと考えていたら、中から扉が開かれた。

「何してるんですか。自動ドアじゃないんで扉くらい自分で開けてくださいよ?」
「ご、ごめん。お手数お掛けしました」
「わざわざシナモンで買ってきてくれたんですか?こちらこそお手数お掛けして申し訳ない」

茨くんは私の両手から紅茶を取って、来客用のローテーブルに置いた。仕事の話じゃないのになぁなんて罪悪感に苛まれながらも、茨くんとローテーブルを挟んだ向かい側のソファに腰かけた。

「それで、5分で済む用件とは?自分に断られることを前提としたダメもとの仕事の提案とかですかね?」
「まぁそれに近いものですね…」
「Edenらしくない仕事なら他に回すだけなので大丈夫ですよ」

茨くんが紅茶を飲むのをチラ見しつつ、私はバッグから綺麗に包装されたチョコの箱を取り出した。

「…これは?」
「…お菓子ですね」

いざ本人を目の前にすると、チョコだ、と言うことさえできなかった。緊急しすぎてもう茨くんの顔は見れないし、ただチョコを見つめることしかできなかった。

「紅茶に合うお菓子を用意したにしてはES内では買えないような物に見えますが。意図を聞いてもよろしいですか?」
「…お気持ち表明、的な」
「ふぅん…。現段階では差し入れでしかなく、お疲れ様の気持ちしか自分に伝わってきていないですが、合ってますか?」

うん、とは言えなかった。差し入れでもないし、お疲れ様の気持ちで渡しているわけでもない。

「…ほんとは、明日渡そうと思ったの。でも私も茨くんも明日は大忙しだろうし、明日渡せなかったら、他のチョコ食べるのに忙しくて私のやつなんて食べる暇無いかもって思ったから、早めに持ってきちゃった…」
「それはそれは、こちらの都合まで組んでいただきありがとうございます。せっかくなので開けていいですか?」
「どうぞ…」

包装紙がびりびりと開けられていく中で、私はどうにも落ち着かなくて、帰りたくて、つい立ち上がってしまった。

「どうかしました?」
「…個人宛に用意したの、これ1個だけ。茨くんにしか、用意してない」
「…俺だけ?」

もうこれだけ言えば私の気持ちは表明できただろう。賢い茨くんが、私の言葉の意図を読み取れないわけがない。あとは私の気持ちに何かしらの返事をするのも、しないのも、茨くんの自由だ。

「じゃ、帰るから…」
「待ってくださいよ、一緒に食べませんか?それとも何か急ぎの用事でもあるんです?」
「…無いです」
「ならゆっくりしていってくださいよ。ね?」

私の気持ちをわかっていながらここに呼び止めるなんて。茨くんのお願いを断れもせず、またソファに座り直した。

「貴方もチョコは好きでしたよね。ご自身が美味しそうだと思ったものを選んでくれたんですよね。だから、食べていいですよ」
「…ありがとう」

可愛らしい箱に6粒しか入っていないそれを私も食べていいのだろうか。すぐに食べ終わってしまいそうだ。

「美味しいですね、甘すぎなくて食べやすいですし」
「美味しい…」
「…ちゃんと味わって食べてます?心ここにあらず、という感じですが」

その通り、気が気でないのであまり味わえてはいない。めちゃめちゃもったいない。

「…返事、しましょうか?貴方が望むならすぐに回答できますし、望まないのならホワイトデーにお菓子を返すだけに留めますが」
「…考えなくても、答え出るんだね。もうそれが答えみたいなものでしょ」

貴方の気持ちには答えられません、と言われるのが落ちだろう。私が勝手に恋心のようなものを抱いてしまっているだけで、茨くんから何か特別なアクションを起こされたことも別に無いし、ただのプロデューサーとしか思っていないんだろうな、というのも感じていたことだ。

「決め付けられるのは納得いきませんね?自分、これでも貴方とは親しい方だと思っていたのですが…そう言うのなら率直に述べましょうか」
「え」

もう返事くれるの?待ってよ、まだ心の準備なんかできてないのに。

「貴方の気持ち、嫌じゃなかったです」
「…ん?」
「今まで割りと数多くの女性から色目を使われたり本命チョコというものをそこそこの数貰ったりしたのですが、どれも大して嬉しくもなく、余計なカロリー消費が必要になるので食べたくないし、まぁ実際食べずに終わったチョコもありました」

モテる男のまぁまぁひどい話を聞いてしまった。体型とか健康のことを考えればチョコばかり食べてられないというのも理解はできるが。

「好きだ何だという感情は貴方が黙っているのと同じく、自分の中でもはっきりしていないので何とも言えませんが。嬉しかったですよ、純粋に。貴方に特別扱いして貰えて」

なんだか照れているようにも見えなくないところがどうにも可愛く思えてしまって、嬉しくなってしまった。

「…貴方次第で、俺は貴方を今後そういう目で見るようになるかもしれませんが、どうして欲しいですか?」
「そ…そ、そんなの、私が決めれるの?」
「決めれるのは今だけですよ。お気持ち表明をしたいだけだったのなら、自分は深く考えずに今まで通りのお付き合いをさせて頂きます。貴方に恋心やら下心があり、この七種茨とどうにかなりたい、と思っているのなら、その想いの内を聞かせて頂きたいです」

率直に言えば付き合いたいし結婚したいんですけど。なんて、偉大な茨くんに向かって簡単に言えることじゃないんですけど。

「…す、す、好きです」
「はい、ありがとうございます」
「…い、茨くんも…その、あの、私なんかが烏滸がましいですが……私のこと、好きに、なってくれたりしたら、嬉しいです…」

顔が熱くなりすぎて、もう茨くんを直視なんてできなかった。どんな顔されているのか、見ることすら怖かった。

「…本当にいいんですか?俺が、優さんを好きになってしまっても」

真面目なトーンで問いかけられ、真意を知りたくて恐る恐る茨くんへと目を向けた。いつもは自信満々なのに、不安そうな、恐れるような揺らぎを感じた。

「好きになってもらえるなら、喜んで。茨くん好みの女になれるよう頑張ります…」
「…変わらなくていいですよ。貴方が貴方らしく生きている姿に、好きなところを見つけていくので」

それって、私を好きになれるか検討して、ありのままの私のことをそういう目で見てくれるということじゃないか。茨くんと付き合える大チャンス過ぎて逆に怖い。

「いつか…ほんとに好きになってくれたら、教えて欲しい。私は待つし、きっとこれからも茨くんのこと好きなままだから…」
「ありがとうございます。せっかくなのでプライベートの連絡先でも交換しますか?ホールハンズでやり取りするのは仕事感がありますので」
「え、いいの…?」
「もちろん」

あんなに遠く感じていた茨くんの名前が、私の個人携帯の連絡先に登録されてしまうなんて。夢みたいで、バレンタインという行事に感謝しかない。

「嬉しすぎて明日死ぬかも…」
「まだ生きてくださいよ、俺のために。こう見えて結構浮かれてますからね?」

なんて軽く言いながらまた1つチョコを頬張っていた。まだ好きでもないし付き合ってもいないくせに、俺のために生きろとかよく言うよ。大好きな茨くんからそんなこと言われたら、生きるしかない。

「このまま一緒にお食事でも行きますか?お仕事もう終わってるんですよね」
「私は終わってるけど…茨くん忙しいでしょ?さっきもすごい勢いでキーボード叩いてたし…」
「急ぎの仕事ではありませんし、貴方のお陰で優先順位が少しばかり入れ替わったので退勤できますよ。それとも行きたくないですか?俺とご飯」
「行きたい…」
「じゃあ決まりですね。チョコの最後の1つ食べていいですよ。半分こしたら貴方の分ですし」
「えっ、でも」

茨くんに食べて欲しくて持ってきたんだけどなぁとか、こんなにいらなかったのかなぁなんてネガティブな発言をしてしまいそうになった。そんなこと構わないとでも言いたげに、茨くんは最後の1つをつまんで私の口元へと運んできた。

「あーん」
「えっ!?」
「特別ですよ」

夢ノ咲の可愛らしい子達とは平気でできたけど、茨くんからのそれは威力がありすぎて心臓が壊れるかと怖くなった。特別って何!?なんて混乱しながらも恐る恐る口を開ければ、本当にチョコを食べさせてくれた。美味しいはずのチョコは緊張で味わえないし、ばくばくとうるさい心臓を静めることに必死だった。

「パソコン落とすまでしばしお待ちを」
「ひゃい…」

今まで抑え込んできた恋心をさらけ出して、付き合えていないにしろまさかこんなに茨くんとの距離が縮まってしまうだなんて。もし付き合えてしまったら、もっともっとファンサどころではないことまでできてしまうのだろうか。
浮かれてしまいそうになるが、私の第一目標はまず茨くんに好きになって貰って、好きだと言って貰うことだ。粗相をしないように気を付けたいけど、ありのままの私を見て貰わないと意味はないし、考えることがありすぎる。

「心臓持たないかも……」
「心肺蘇生法なら会得しているのでご安心くださいね」
「それは…ちゅーできちゃうね…」
「おやおや、命を救ってあげるというのに邪な考えですねぇ」
「…今のは無かったことにしてください」

いかん、一端落ち着かなければ。
深く深呼吸してからしののんブレンドを流し込んだら少しだけ心臓が大人しくなったような気はする。

「さて、行きますか。動けそうですか?」
「だ、大丈夫、かなり緊張してるけど…」
「高級レストランに連れ込んだりしないので緊張しなくて大丈夫ですよ」
「うん、大丈夫、きっと…」

大丈夫だと言い合って、2人で打ち合わせの振りしてレストランに向かったわけだが、どう見てもそこは私からしたら高級レストランでしかなくて、茨くんとの経済力の差を感じてしまった。そのせいでまた緊張して、美味しいはずの料理の味もよく分からぬまま、向かいに座る茨くんのかっこよさしか記憶に残せなかった。