ありがとう

「オメーももっと飲めよ」

檜佐木副隊長はおぼつかない手つきで私のグラスに酒を注ぎながらそう言った。
珍しく飲まないかと誘われたから副隊長と二人で居酒屋に行ったものの、副隊長は他愛のない話をするばかりで少しずつ酔っていき、数件梯子しながら潰れかけていた。副隊長が酔っていくのがわかるのに、私まで飲んで酔ってしまったら隊舎に帰れなくなると思って飲みすぎないように気を付けていた。

「副隊長……飲み過ぎだからそろそろやめた方が……」

最終的に副隊長の足取りが危うくなってきたので、隊舎に戻ってきたわけだが。副隊長の部屋まで送り届けてさよならのはずだったのに、なぜか私は自室ではなく副隊長の部屋の中にいた。

「オメーが飲まないから代わりに飲んでんだよ」
「明日もお仕事って解ってます?」
「アラームあるから平気」

副隊長は私を隣に座らせて、なぜかずっと腕を掴んでいた。そんなことしていなくても、勝手に帰ったりしないのに。

「結局、今日は何の用で私のこと誘ってくれたんです?」
「…何だと思う?」
「解らないから聞いてるんです」
「つまんねーの」

副隊長はまだ飲もうとしていたから、グラスを取り上げた。不満げな顔で睨まれてしまって少し怖くなる。

「用があるなら話してください」
「……用なんかねーよ」
「はい?じゃあなんで、」
「勤務時間外の横島を知りたかった」

素直に答えてくれたのは良いのだか、それを知りたがる理由が解らなかった。

「けど全然飲まねーから酔わねーし、俺が酔ったかっこわりぃ姿見せてるだけになっちまったし、面白くねぇ」
「たまにはかっこ悪くてもいいんじゃないですか?」
「普段かっこよけりゃ良いんだけどな、俺そんなことねーからダメなんだよ」
「…普段の副隊長かっこいいですよ?隊長がいなくても九番隊のこと支えてますし、瀞霊廷通信の編集だって頑張ってますし、立派でかっこいいですよ」

素直な意見を述べてみれば、副隊長はぽかんと口を開けて呆けていた。
大丈夫ですか?と声をかけたら、腕をひかれて副隊長に抱き締められた。突然のことに動揺して離れようとするも、副隊長の力は強くて動けなかった。

「嬉しい」
「え?そう、ですか」
「けど悪い、俺そんな立派じゃねーし、嘘つきだから」
「嘘?」

副隊長が何か嘘をついたことがあっただろうか。考えても解らないのは、すでに私がその嘘に騙されているからこそなのだろうか。

「本当は今日、誘ったの、目的があった」
「……だったら、わざわざ嘘ついて隠すことないのに」
「横島と話したかった。二人で」

なんだか恥ずかしいことを言われてしまい、胸が高鳴った。顔が熱い気がするが、見られてなくてよかった。

「別に仕事中でも二人になることよくあるじゃないですか」
「シラフでまともに喋れるわけねーだろ」
「…普段から私たちまともに喋ってますよね?」
「…オメーはそうかもしれねーが、俺はまともじゃねーし気が気じゃねーんだよ」

副隊長はぬいぐるみでも扱うかのように私をきつく抱き締めてきて、胸板に押し付けられて息が苦しくなる。

「ふ、副隊長、苦しい」
「あぁ?誰が副隊長だ」
「いや、貴方のことですよ…?そんなに酔ってるんですか?」
「俺は檜佐木修兵だ…」

眠そうな声で自己紹介をされたのだが、このまま寝られては部屋に帰れなくて困る。

「じゃあ、あの、、ひ、檜佐木さん。離してもらえませんか」
「名字じゃなくて名前がいい」
「なっ……、ちょっと、酔っぱらいもいい加減に、」
「優」

不意に名前を呼ばれて言葉に詰まる。いつも名字で呼ばれているから、どう反応していいのか解らなくて、しばらく沈黙が続いてしまった。

「優、呼ばれたら返事くらいしろ」
「は、はいっ」
「よし、いいこいいこ」

機嫌良く頭を撫で回されるのだが、普段の硬派な副隊長はどこに消えたんだ。酔っぱらいに振り回される私の気持ちにもなってほしい。

「あの、そろそろ、帰りたいのですが」
「どこに?」
「私の部屋に……」
「なんで?」
「明日も早いので、寝たいからです」

もうしばらくこのままで居ても良いとかよこしまな気持ちも多少はあるけど。でももし明日になって、副隊長の記憶に今晩のことが残っていたら最高に恥ずかしいから、帰りたいふりくらいしなければ。

「早く寝たいなら今すぐ寝て良いぞ。明日起こしてやるから」
「…ここで?」
「うん」

今すぐってそんな、副隊長の腕の中で眠れるわけがない。
体温もテンションも上がってしまっているのに、寝付けるわけがない。

「それはだめです」
「なんで」
「だって……もし、明日の朝、私がこの部屋から出るとこを誰かに見られたら、どんな勘違いをされるか」
「どんな勘違いだよ」
「……つ、付き合ってるのか、とか。朝帰りかよ、みたいな」

朝帰りとか、なんていやらしい響き。朝チュン?いや、もっとだめだ。
何にせよだめだ、私たちは付き合ってもないし好きあってもないんだから、絶対だめだ。

「嫌か?」
「え?」
「勘違いされるの」

嫌じゃないけど、嫌じゃないなんて言ったら副隊長に勘違いされるじゃないか。
だからって嫌だなんて言ったら副隊長傷付きそうだし、実際本当に嫌じゃないし、いや噂されること自体はちょっと嫌なんだけど。

「俺はいいけど、優が嫌ならしゃーないよな…」

寂しそうに呟いて、副隊長は私を解放してしまった。
もう少しあのままでよかったのに、惜しいことをしてしまった。

「あの、副隊長……」
「……」
「……檜佐木さん」
「……違う」
「うぅ……、し……修兵、さん」
「おう、なんだ」

この罰ゲームみたいな呼び方は何なんだ。でも楽しい。私もいっそのこともっとアルコール摂取しておけばよかった。

「一緒に……寝てあげても、いいですよ」
「……無理すんなよ」
「いや、無理とかじゃなくて、」
「もういいから。お前が俺のこと好きじゃないことくらい解ってて言っただけだから、気にするな」

副隊長は鬱モードに入ってしまったのか、寂しそうに私を拒絶してくる。さっきまであんなに構ってちゃんだったくせに。

「修兵さん」
「なんだ」
「……私眠いので今すぐ寝ます。さっき今すぐ寝ていいって言いましたもんね」
「朝帰りするのか?」
「そっ……そうですよ」
「見られたらどうするんだ?」

さっきまで何も考えずに抱き締めたり寝ようとか誘ったりしてきたくせに、何を今さら。

「責任、とってください」
「……責任?」
「そうです」
「……わかった」

副隊長はふらふらと立ち上がって、何をするかと思えば押し入れから布団を引き出して敷き始めた。押し入れの中はどう見ても布団なんて一組しかなくて、妙な焦りを感じてしまう。

「ほら、こいよ」

腕を引かれて布団の中へと引きずりこまれた。布団の中は副隊長の匂いでいっぱいだった。

「あの、あの、、ね、寝る前に、風呂……」
「めんどい、朝でいい」
「でも、」
「うるせ」

私を抱き枕か何かだとでも思っているのか、加減をせずに抱き締めてくる。足まで絡んできてもう全く身動きなんてとれやしない。

「何かあったら、俺が責任とって結婚してやるよ……」
「……結婚!?」
「嫌か?」
「そそそそ、そんな素振り今まで見せなかったくせに、い、いきなり結婚って、そんな、」
「……嫌か。だとしても…人妻の優も悪くないかもな…」
「私誰かと結婚するつもりなんて……」
「無いなら俺が予約しとくから、俺と結婚するまで誰とも結婚するな」

あ、はい。と答えてしまいそうになるが、理性を失うわけにはいかない。付き合ってもいない上司と部下が突然結婚だなんて、そんな、は、破廉恥な。

「明日になったら何も言えないだろうから、今のうちに言っとくけど……」
「……な、何ですか」
「いつも、ありがとう。優がいてくれたから…俺は……」

副隊長はそのまま眠りについてしまった。続きを聞きたかったけど、聞かなくてもなんとなくわかった。
それと、今日私を誘った理由も、ただありがとうと伝えたかっただけだろう。でも副隊長のことだから、照れ臭くて今まで言えなかったに違いない。

「私だって、感謝してるんですからね……修兵さん」

こんなに遠回りしてでも嬉しいことを言ってくれるんだから、私も明日、直接ありがとうと伝えよう。
それと、プロポーズの返事も考えておこう。酔った勢いで言ったことだろうと関係ない。
私をその気にさせた貴方がいけないんですからね。