嘘つきの本音

「よい…しょっ」

不幸にも、僕に日直の仕事が回ってきた。
平均身長なんか全然無くて、女の子たちよりも背が低いのに黒板を綺麗に消さなくてはならない。
恥ずかしいけど背伸びをしたり跳び跳ねたりして上の方の文字を消す。
粉が降ってきてすごく嫌だった。

「手伝うよ」

声のした方を見てみれば、クラス委員の横島さんがもう一つの黒板消しを持っていて、僕の届かなかった上の方を綺麗に消してくれた。
横島さんは女子なのに背が高くて、優しくて綺麗でかっこいい。
つい自分が女子のふりをしていることを忘れて横島さんのことをまじまじと見てしまう。
見つめていたら、横島さんがこっちを見て目が合った。

「粉ついてる」

そう言って、黒板消しを持たなかった方の綺麗な手で僕の髪についたチョークの粉を払ってくれた。
ただそれだけの動作なのに、頭を撫でられたように錯覚してどきどきしてしまう。
このままでは、女子のふりをしていることなんてできなくなりそうで、どきどきしていることなんて気付いていないことにした。

「えへっ…ありがと」
「どういたしまして」

お礼を言ったら、今度は本当に頭を撫でられた。
子供扱いというか、女の子扱いをされたのに、全然嫌ではなく、むしろ嬉しくてまたどきどきした。

「手、粉ついてるでしょ。洗いに行こうか」
「うんっ」

横島さんの隣に並んで歩く。
それだけなのに緊張するのは、僕が男で横島さんが女だから。
ただそれだけの理由であって、好意とかそういうのじゃないはずだ。
横島さんを見上げると、すぐに気付かれて目が合ってしまう。
慌てて目をそらすけど、恥ずかしくて顔が熱くなる。

「不二咲さん」
「ひゃいっ」
「…、さっきみたいに困った時は、言ってくれれば手伝うからね?気付いたら私も動くけど、何でも一人でやろうとしなくていいんだよ」

優しい言葉をかけてくれて、噛んだことも見逃してくれるなんて。
表向きは女子同士なのに、あんまり優しいと勘違いしてしまいそうになる。
だけど僕は、横島さんが皆に優しいことは知っている。
いつだって誰にでも優しいからかっこよくてみんなに好かれているんだ。
横島さんのことを好きなのは僕だけじゃなく、きっとクラスの皆もだ。
僕の好きの気持ちなんて、大衆の一つでしかなくて、特別な意味なんて無いんだ。

「あー…水冷たい」

チョークの粉を水で洗い流して、それから気がついた。

「どうしたの?」

ハンカチを忘れただなんて言えるわけがない。
本物の女子ならハンカチくらい持ってなきゃいけないのに。
こんな時に忘れてしまうなんて。

「これ使いなよ」

横島さんはポケットからハンカチを取り出して、僕の濡れた手に無理やり持たせた。
そのせいでハンカチは濡れてしまい、そのまま返すにも手遅れで、しかたなく手を拭かせてもらった。

「ごめんなさい、ありがとう。これ…洗って返すね」
「そんなの待ってたら私が手拭けないでしょ」

横島さんは僕の手からハンカチを取って、自分の手を拭いた。
僕なんかが手を拭いた後なのに、気にならないのかな。

「…横島さんは、優しいね」
「そう?ありがとう」
「あの、いつも、助けてくれてありがとう。僕、弱くて、困っても何も言えないから…横島さんがいてくれて、本当に助かってるよ」
「…改まって言われると、照れるんだけど」

こんなこと、二人きりになった今くらいしか言える時がない。
横島さんと二人きりになれることなんてそうそうないんだから。

「甘えるみたいですごく申し訳ないんだけど、でも、これからも、頼ってもいいかな…?」
「困ったら手伝うって、さっきも言ったでしょ。好きなだけ頼ってくれて構わないよ。だから、そんな不安そうな顔しないで?不二咲さんは笑顔の方が可愛いんだから」

横島さんは微笑みながら僕の頬を撫でる。
笑顔が可愛いのは横島さんの方だ。
恥ずかしくなって、また顔が熱くなるのを感じた。

「不二咲さんは…照れ屋なんだね?」
「…横島さんのせいだよぉ」
「そうなの?ごめんね、不二咲さんが可愛いからつい」

可愛いと言われたことにへこむけど、僕が男だなんて知らないからしかたがない。
頬を撫でる横島さんの手は、軽く僕の唇に触れてから離れていった。

「教室戻ろうか?」
「…ま、待って」

呼び止めたはいいが、そのあとの言葉が出てこない。
僕は何を言うつもりだったんだ。
この学校で女子のふりをしている間は余計なことは言えないのに。

「どうかしたの?」
「その…えっと…」

もっと触れていたい、触って欲しい。
率直に言えれば楽なのに。
隠し事一つしているだけでこんなにも苦しいなんて。

「言えないなら、無理に言わなくていいから。落ち着いて」

横島さんはまた僕の頭を撫でて、それから頬を撫でてくる。
どう考えても男子に対する行動じゃないのに、それでもいいかと思えてしまう。
頬だけでも、触れられているということで嬉しくなった。

「はっきりとは言えないんだけど…横島さんといると、横島さんに触られてると、どきどきするんだけど、安心する…」

横島さんは僕を女子だと思っているはずだ。
同性にこんなことを言われても、気持ち悪いと思うかもしれない。
こんな僕に好意を持たれても、気持ち悪いだけかもしれない。
それでも僕は、横島さんと二人きりの状況で、言わずにはいられなかった。

「そっか」

横島さんは真面目な顔でしばらく僕の頬を撫でていた。
そんなに真剣に何を考えているんだろう。
気持ち悪く思っても横島さんは優しいから、僕を傷付けずにすむ方法を探しているのかもしれない。

「私も、不二咲さん見るだけでどきどきするよ」
「…え?」
「…もし、不二咲さんの感じてるどきどきがそういうことなら、目瞑ってくれないかな」

そういうことってどういうこと?
そんなのは、紅く染められた横島さんの顔を見ればすぐに理解することができた。
身構えつつ、僕は目を瞑った。
少しすると、唇に押し付けられる柔らかい感触。
いつもの立ち居振舞いからは想像できない不器用さで、そんな一面に僕の胸は高鳴った。

「千尋ちゃん…」

横島さんの潤んだ瞳と視線が交わり掠れた声で名前を呼ばれて、胸が苦しくなる。
性別を偽ったままこんなことをして、後からバレたらどう怒られるんだろう。

「…優ちゃん」

騙していることは悪いと思う。
それでも今は、そんなこと忘れてしまうくらい興奮していて、僕は背伸びをして横島さんを求めた。
嬉しさと罪悪感が一気に押し寄せてきて、涙として溢れ出た。

「どうしたの…泣かないで。悪いことしてるみたいじゃん…笑ってよ…」
「…ごめんなさい。でも、我慢できないよぉ…」

好きな人を騙すなんて悪いことだ。
でもこの偽りの僕にこんなことをしてくれるんだから、本当のことを言ったら嫌われるかもしれない。
だから僕は自分を偽ったまま、自分の気持ちにだけは素直になって横島さんに貪りついた。