夢うつつ

寝る前に温かいココアでも飲もうかな。そう思って自室を出て寮の共有スペースに足を運んだ。もう時間も遅いせいか、そこには誰も居なかった。ように見えた。
静かすぎて気付かないところだったが、ソファに誰か座っていた。髪の色で解ってはいたが、近付いてみれば間違いなく爆豪くんだった。机には飲みかけの紅茶が置いてあり、湯気も無いところを見ると、爆豪くんはここに来てからしばらく時間が経っているのだろう。爆豪くんは目を瞑り、座ったまま静かに眠っていた。
寝ている無防備な爆豪くんなんて初めて見たけど、怖い目付きが解らないおかげで、その顔はただただ綺麗だった。普段まじまじと見れない分つい眺めてしまうが、黙っていれば本当に綺麗で、整っていて、見惚れてしまう。

「……爆豪くん」

声をかけても返事は無い。このまま朝まで眺めていたいけど、その姿を誰かに見られたら恥ずかしいし、爆豪くんが風邪を引いても困る。

「ね、爆豪くん。おーい……爆豪くん?」

好きなだけ好きな人の名前を呼べるのが楽しくて、つい起こす気もない小声で呼んでしまう。このまま起きないなら少しだけ、と爆豪くんの頬に触れた。男子のくせに綺麗な肌で、頬はさすがに柔らかかった。あの爆豪くんに勝手に触れてしまった背徳感で変に楽しくなってくる。このままこっそりキスしても、ばれないんじゃないか。

「爆豪くん…起きなくて大丈夫?」

起きないとキスしちゃうぞ。心の中でそう語りかけ、爆豪くんの横に座った。私の重みでソファが揺れ、爆豪くんも身動ぎした。もう起きるかな。どうせ度胸も無いしキスなんてしないでおこう。

「……勝己くん」

せっかくだから名前で呼んでみたら、照れ臭くなってしまう。このタイミングで実は起きてて今の聞かれてないだろうかと不安になり、爆豪くんの顔を覗きこんだ。目が開いていないことにほっとしたら、ゆっくりと開かれた瞼の奥の赤い瞳と視線が交わった。その瞬間冷や汗が出てきて、動けなくなった。

「……おはよ」

やましいことなどしていない。そう自分に言い聞かせ、なるべく笑顔で挨拶をした。今怒鳴られて近付くなとでも言われたら、明日から生きていけなくなってしまう。

「……はよ」

消え入りそうな掠れた声で、挨拶が返ってきた。うわ、可愛い、と感想が漏れそうになるのを必死に堪えた。すると爆豪くんは私の肩を力なく掴んできた。

「ん?」

退けということかな。怒られる前に身を引こうと思ったら、逆に爆豪くんが身を寄せてきて、唇と唇がぶつかった。うわ、柔らかい、ってそうじゃないだろ。爆豪くんどうしたの、そういうことするような人だっけ。
すぐに離れた爆豪くんだが、瞳が揺れている。もしかして、寝惚けているとでもいうのか。

「あの……ば、爆豪くん?」

口から出そうになる心臓を抑え、必死で爆豪くんを呼んだ。数秒の間を空けてから、爆豪くんは眉間にシワを寄せ始め、周りをキョロキョロと見渡した。

「…何しとんだお前」

いつもの調子に戻った爆豪くんの口から出たのは、とんでもなく理不尽な言葉だった。しかも手の甲で口許を拭いやがった。

「それは、こっちの台詞なんだけど…」
「あぁ?」
「ば、爆豪くんが、勝手に……」
「俺のせいにすんな。お前が近すぎるから間違えたんだわ」
「……それ、って、」
「あぁ?」

間違えたって、誰と。爆豪くん、こういうことするような相手居たの?そうなんだ、そんなの、知りたくなかった。だったら、かなわない相手とキスなんてしたくなかった。

「忘れろ」

爆豪くんは罰の悪そうな顔をして、もう冷めてしまっていそうな紅茶を飲み干した。
私が、大好きな爆豪くんとの初めてのキスを、忘れられるわけが無いじゃないか。

「……うぜぇ、何泣きそうな顔しとんだ」
「だって……忘れろとか、言うから……」
「あ?」
「……忘れたくない」

ごめんね、好きになったりしてごめんね。付き合ってもいないのにめんどくさいこと言ってごめんね。それでも、めんどくさいって解っていても、爆豪くんとの出来事を忘れたくなんかない。

「泣くな」

頬を伝う涙を、優しい手つきで拭われる。ずっとそうしてくれるなら、私は泣き止みたくなんかない。頬に触れる爆豪くんの手の温もりを忘れたくなくて、そこに精神を集中させようと目を瞑った。すると両頬を包まれて、唇にも、先ほど感じたばかりの柔らかさが降ってきた。寝ぼけてもいないのにそんな馬鹿な、と目を開けてみれば間近で赤い瞳がこちらを見つめていた。

「……なんで」
「俺は、今俺の意思で手ェ出した。だから忘れんな、覚えとけ」

嘘だ。爆豪くんの意思?キス、したいからしたの?
問い掛ける前に、爆豪くんは空になったティーカップを持ってキッチンの方へと行ってしまった。
取り残された私は、爆豪くんに触れられた肩が、頬が、唇が、熱くて仕方がなかった。寝惚けて誰と間違えてキスしたのかなんてどうでもいいから、私も、私の想いを伝えたい。

「爆豪くん!」
「あぁ!?」

返事はあるものの、爆豪くんはすぐにはこっちに来てくれない。水の音がしているから、使った食器を洗っているのだろう。そわそわしながら待ち続けたら、水音が止んで、爆豪くんが戻ってきた。

「うるせーわ、夜に大声出すな」
「私、爆豪くんのことが好き。だから、今日のことずっと忘れない。爆豪くんが誰を好きだとしても、私は、ずっと爆豪くんのこと好きでいたい」

声が震えた。でも、これで私の想いは伝わったはずだ。少しだけでも、爆豪くんの気を引けたなら、それでいい。少しでいいから、気にしてほしい。

「…横島」

爆豪くんは少しだけ頬を染め、また、身を屈めて私に顔を近付けてきた。さすがにこれ以上は、と手でそれを遮った。

「……おい、何しとんだ」
「だって、爆豪くん、好きな子いるんでしょ?これ以上したら、寝ぼけたとか、そんな言い訳通じないよ…」
「……何の話か知らねぇが、どう見ても俺起きとるだろ。好きな奴と普通にキスして何が悪い」
「へ?……な、なに?私?す、好き?」
「はぁ?俺が好きでもねぇ奴に手ェ出すと思うんか」

訳がわからなくて首を横に振る。爆豪くん、何言ってるの?それってどう聞いても、私の頭だと、爆豪くんは私のことが好きって言ってるようにしか思えないんだけど。

「ば、爆豪くん、じゃあさっき、寝惚けて誰と間違えたの」
「……夢」

へぇ、夢と間違えて私とキスしたんだ。夢だから、手を出してもいいと思ったんだ。

「…勝己って、呼ばれた気がして、起きてすぐお前が居て、だから、夢だと思った」
「……ごめん、こっそり勝己って呼んだ」
「…紛らわしいことすんな」

ため息をつかれるけど、爆豪くんは怒っている様子は無い。

「か……勝己くん」
「あぁ!?」
「…ん」

恥ずかしかったけど、勝己くんと名前を呼んで、逃げないように服の裾を掴んで目を瞑った。今日はあともう一回だけ、キスしたくて。

「……優」

仕返しなのか、名前を呼ばれて一気に顔が熱くなった。すぐさま唇を塞がれて、今度はちゅう、と音を立てられた。

「ばばば、爆豪く……」
「優」
「……勝己くん」

いつも怒鳴ってばかりの爆豪くん、いや勝己くんが、こんなにも優しい声で、私を呼んでくれるなんて。

「さっき自分で宣言した通り、今日のこと忘れんな。そんで、俺のことだけずっと好いてろ」
「も、もちろんだよ!忘れるわけないし、ずっと、ずっと勝己くんのこと好きだよ」

そう言うと、勝己くんは私を力強く抱き締めて、「俺も」と呟いて、額にキスをして体を離した。頬を染めてそんなことをする爆豪くんがありえないほどに可愛くて、明日はどうやって照れさせようかと胸が踊った。