狂気

「すまん、頼んだ!」

日向くんに頭を下げられお願いされ、なぜか私が狛枝くんに食事を持っていくことになってしまった。
拘束され監禁されている狛枝くんのために。

「入るよ」

わざわざ声をかける必要もないと思ったが、一応扉を開ける前に一声かけた。
そこには手足を縛られて横たわっている狛枝くんがいた。

「横島さん…もしかして、僕なんかのために食事を持ってきてくれたの?」
「そうだよ」

私は複雑だった。
昨日のパーティーまで私はずっと狛枝くんと行動を共にしていた。
話した限り、狛枝くんは良い人だとしか思えなかったのに、実際はそうでもなかった。
何か曲がった思考回路をしていて、不気味だった。

「…食べなよ」
「食べさせてくれないの?僕はこの通り手も足も使えないから、食べさせてくれないと食べられないよ」
「じゃあ食べなきゃいいよ」
「食べないと用意してくれた人に悪いじゃない」
「…そうだね」

食事の乗った盆を床に置き狛枝くんの横に座った。
寝ている狛枝くんを見下ろす素敵なシチュエーション。
きゅんきゅんした。

「座って」
「起こしてよ」
「腹筋使いなよ」
「…しょうがないなぁ」

手足を縛られているだけあって、起き上がるのは大変そうだった。
仕方がないから手を貸して、手伝ってあげた。

「ははっ、やっぱり横島さんは優しいね。こんな僕にまで手を差し伸べてくれるなんて」
「黙って食べて」

パンを狛枝くんの口に捩じ込んだ。
もぐもぐと口を動かしてパンを食べる狛枝くん。
可愛らしくてペットでも飼っている気分になる。

「狛枝くんはもっと優しくて良い人なのかと思ってた」
「それは勝手な思い込みでしょ?理想を人に押し付けるのは良くないな」
「コロシアイの話が出てからも一緒に居てくれたし優しくしてくれたのに、最初に変な事態にするなんて思わなかった」
「味方が居た方が疑われないし、結果的に未遂で終わったじゃないか」

利用されてただけか。
コロシアイなんて始まらなければまだ普通の狛枝くんと仲良くできただろうに。
こんなに疎まれた存在になられてしまっては仲良さげに話すことすらできないだろう。

「不幸だよ…」
「そう?僕は幸運だな。女の子にご飯食べさせて貰うなんて、今までしてもらったこと無かったしね」

狛枝くんは美味しそうに私の手からパンを頬張る。
これが普通の高校生活での出来事だったらどれだけ楽しく幸せだっただろうか。
物を食べさせてあげるなんてこと彼氏じゃなきゃできなかっただろう。

「でも惜しいことはしちゃったな…。横島さんがここまで優しいなら、あんなことせず普通に暮らしてても食べさせてもらうイベントは起こせそうだったし…」
「狛枝くんが狂ってるからしょうがないね」
「ん、くっ…」

何も聞かずに牛乳ビンの飲み口を狛枝くんの口に押し付ける。
突然過ぎてむせたのか、苦しそうにして隙間から牛乳を溢していたが無事に飲めたみたいだ。

「ひどいなぁ…けほっ」
「牛乳垂れてるよ、溢すなんてお子様のつもり?」
「拭いてくれると嬉しいな。…まぁ、牛乳なんて拭いたら臭くなるだけだからほっといてくれていいけどね」

口の端から顎を伝い首まで垂れていく白い筋。
「綺麗にしてあげるよ」なんて言いながら私はその牛乳を首筋から舐めあげた。
驚いたのか狛枝くんは変な声を漏らした。
私は気にせず首筋から顎、顎から口の端まで舐めとった。

「こんな狂ってる僕のためにそんなことまでするなんて、横島さんも狂ってるんじゃない?」
「そんな狂ってる私に舐められて恍惚の表情になる狛枝くんの方が狂ってるよ」
「あはっ…そうだね。ゾクゾクするよ」

狛枝くんは舌なめずりをした。
ゾクッとしたがあまり構っていられない。
長い間ここに留まっていても他の人に変に思われる。

「あと少しなんだから早く食べちゃって」
「食べたら行っちゃうんでしょ?」
「食べなくても飽きたら行っちゃうよ」
「寂しいなぁ。でも、お昼ご飯の時にはまた来てくれるんだよね」
「どうだろうね」

狛枝くんはパンを食べ進めていき、最後の一口と共に私の指を甘噛みした。
どうやら私の指に付いているパンのクズをきれいに舐め取っているようだった。

「美味しかったよ、御馳走様」
「寒気がするよ」
「ぞくぞくでもしてるの?それって興奮してるんじゃなくて?」
「馬鹿なの?」
「頬を紅潮させながらそんなこと言われてもねぇ」
「…うるさい」

狛枝くんの唾液で濡れた指をどうしようかと考えて余所見していたら、不意に肩を押されて床に倒された。
よく見ると私の肩を押さえているのは拘束されていたはずの狛枝くんの両腕だった。

「…縄は?」
「やっぱり僕は幸運みたいでね、少し緩くなってたから取れちゃった」
「だったら自分でパン食べれたでしょ」
「女の子が僕に食べさせてくれる幸せなシチュエーションを自分から壊す訳無いじゃない」

私を見下ろす狛枝くんはとても楽しそうで、私もすごく楽しかった。

「僕の運ならきっと誰もここに来ないし、何しちゃっても問題無いよね」
「叫ぶよ」
「へぇ、それで助けを求めるの?」
「求めないよ。だって狛枝くんの運ならどうせ呼んでも誰も来ない」
「じゃあ叫んでも意味無いじゃないか」

狛枝くんは会話なんてどうでも良さそうに、私を眺めながら頬を撫でてきた。
私ばかり触られるのは気に入らないので、私も狛枝くんの顔に手を伸ばし両頬に触れた。

「私が叫ぶのは狛枝くんへの愛だよ」

狛枝くんを引き寄せて、強引に唇を奪ってみた。
いけないのは私を押し倒した狛枝くんだ。
私をその気にさせた狛枝くんが悪いんだ。
いい人ぶって私を騙した狛枝くんは、嫌なことされても文句言っちゃいけないんだ。
悪いのは全部狛枝くんなんだから、何されても拒否権は無いよね。

「奪っちゃった」
「さっき舐めてきたくせに今さら何を」
「嫌がらないの?」
「嫌がる理由がどこにあるの?何のために僕が今君を押し倒してると思ってるの?というか、何のために、僕が君を選んでずっと一緒に行動してたと思ってるの?」
「待って、一緒に行動してた理由はさっき、」

さっき言った通り、味方にして利用するためじゃなかったの。
そう言おうとしたところで口を口で塞がれて喋れなくなった。
少女漫画の読みすぎかと錯覚してしまうほどに、狛枝くんの柔らかい唇はマシュマロのようだとしか例えられなかった。
もっと相応しい表現があったとしても、今の混乱した思考回路では何も思いつかなかった。

「コロシアイが始まる前から一緒に行動してたんだから、利用以外の理由があるとは思わなかったの?」
「…ナンパ?」
「ただの一目惚れだよ」

爽やかな笑顔でそんなことを言ってきた。
狛枝くんに惚れられていた?
しかも、会った直後に。

「ほんとに僕はついてるよ。こんなとこに連れて来られたと思ったら運命的な出会いがあるし。縛られて閉じ込められてみれば、惚れた女の子に舐められてキスまでされちゃうんだから」
「さっすが…超高校級の幸運…」
「自分の幸運を信じて告白するけど、ていうかもう解ってることだろうけど、僕は横島さんが好きだよ」
「…そう、ありがとう」
「それだけ?」

狛枝くんは不満そうな顔で首を傾げる。
黙っていたら、狛枝くんは私の肩に顔を埋めてきた。
色素の薄いくせっ毛が顔に触ってくすぐったかった。

「僕と付き合ってよ」
「そんなことしても無駄でしょ、この状況下で。いつ死ぬか解らないし、狛枝くんなんて自ら人の踏み台になろうとしてるんだし、死んだ時のこと考えたら、嫌だ」
「…どうせ生き残れる人は限られてるんだから、限られた時間を最期まで一緒に楽しもうよ」
「私が殺すまで生きててくれるなら良いよ」
「脱出の手伝いして欲しいの?そうだなぁ、いつにしよっか?花村くんみたいな失敗にならないように綿密に計画たてないとね!」

狛枝くんは子供みたいに楽しそうに話した。
私が狛枝くんを殺す訳がないのに。

「…私以外に殺されたら、狛枝くんの希望をぶち壊すためにクロを殺すから」
「僕が手伝って殺されたとしたら、誰にもクロは解らないよ」
「だったら、残った人全員殺すからいいや」
「横島さんがそこまで狂うなら見てみたいなぁ」
「死んだら見れないけど、死ななきゃ起こらないね」
「ジレンマだなぁ」

はぁぁ、とため息をつく狛枝くん。
耳元でため息をつかれて落ち着いていられる訳もない。

「だから、狛枝くんは生き続けてくれればいいんだよ。生きてるだけで一目惚れした女の子に愛してもらえるなんて幸せじゃない?」
「…愛してくれるの?」
「生きてる限りはね」
「…そっか。だったら二人で見届けようよ、みんなの希望が絶望に打ち克つ瞬間をね!」

楽しそうに話す狛枝くんが可愛くて、きつく抱き締めた。
狛枝くんと仲良くなれたのにコロシアイ修学旅行だなんて、不幸すぎる。
手の届くところに狛枝くんという幸せがあるのに、いつ消えてしまうか解らないだなんて。

「不幸だ…」
「そう?僕はとっっっっても幸せだよ」

私がこんなにももどかしい気持ちでいっぱいなのに、目の前の超高校級の幸運が幸せだなんてほざくから、殺意が芽生えてしまった。