男はオオカミ

部屋中に鳴り響くようなけたたましいノックの音でびくっと跳ね上がる。続いて部屋の呼び鈴が何度も何度も鳴らされて、びびりながらも扉の前へと足を運んだ。

「た、助けてっ」

か細い声が聞こえてきて心臓がドクンと脈打った。何から助けろと言うのか理解が及ばなかったが、自分が頼られているのは確実であるため急いで扉を開けてみる。そこには泣きそうに目を潤ませ頬を紅潮させている横島がいた。緊急事態のように思えたので訳を聞く前に横島を部屋に率いれた。

「な、何があったんだよ…」
「お願い、かくまって」

横島はそう言って部屋を見回し、ベッドを乗り越えて壁とベッドの隙間に身を隠した。ベッドの下に変なもの隠して無かったよな……なんて考えていたら、またもや呼び鈴が鳴らされた。

「左右田くーん、いる?僕だよ、輝輝」
「何の用だよ」

さっきの流れからすると、横島は花村から逃げていたのだろうか。最大限に警戒しつつ扉を開けると、普段より興奮気味な、ストレートに言うとキメ顔で鼻血を出しているやばめの花村がいた。

「んな顔で俺の部屋に来んなっつーの!」
「いやぁ、ごめんごめん。横島さん来なかった?お話ししてたら逃げられちゃって」
「逃げられてんのに追うのかよ……。見ての通り一人だっての」
「まぁそうだよね。横島さんみたいな人が左右田くんの部屋に居て、左右田くんがこんなに落ち着いていられるわけないもんね」
「うっせぇ!用が終わったなら帰れ!」
「ごめんってばー」

乱暴に扉を閉めて窓から外を確認すると、とぼとぼと立ち去っていく花村の後ろ姿が見えた。どうやら諦めて帰ってくれたらしい。


「……で、何があったか説明しろよ」

ベッドに身を乗り出して壁との隙間を覗いて見ると、横島は小さく縮こまっていた。とりあえず腕を引いてベッドの上に座らせた。

「ご、ごめんね。ありがとうね」
「おー」
「あの……何から話せばいいのかな」
「まぁ、こうなった原因?」

横島は頬を染めたままの気まずそうな顔で俺から目をそらす。花村にそんな言いたくないようなことでもされたって言うのか?

「大まかに言うと……その、花村くんに口説かれまして…。それで逃げたって言うと私が悪いように思えるかも知れないけど、でも、相手はあの花村くんだよ?わ、わかる?」
「何だよ」
「……口説き文句が、直球すぎて、いやらしくて、耐えられなくて…」

それは災難だったなと思いつつ、変なことをされた訳では無いらしく安心した。その口説き文句を思い出しているのか、横島は更に顔を赤くさせる。

「何て言われたんだよ」
「ええっ!?そ、それ私に言わせるの?」
「かくまってやったんだからそのくらいいいだろ?」
「……そ、そう、だよね」

ちょっと強気に出てみれば、横島は戸惑いながらも咳払いをし、俺に顔を近付け顎を掬ってきた。

「横島さん、いつもは晩のオカズだけど、今日はメインディッシュにしてぺろりと食べちゃいたいな」
「……」
「って花村くんが!は、恥ずかしいこと言わせといて無言!?」

そういえばこいつは超高校級の演劇部だったことを思い出す。恥ずかしい台詞でも役になりきってしまえば言えるらしい。花村の最低な台詞でも、可愛らしい横島の口から可愛い声でオカズだとか食べちゃいたいだとかいう言葉が聞けたことに感謝した。

「無言がダメなら感想でも言えっつーのかよ。演技うめーな」
「え…ありがとう」
「おかげで今晩のオカズにできそうだわ」
「……左右田くんまでそういうこと言うの!?!」
「いや、だってよォ…正直、女子とベッドの上で会話してる時点で興奮してワケわかんねーってのに、んな台詞言われたらしょーがなくね?てか横島が俺のとこに逃げ込んできたことがまずこっちとしては混乱するし期待するし、何考えてんだ?」

少し横島に近付いてみれば、横島は戸惑いながらも身を後退させる。逃げるなら今だってのに、横島は赤面したまま困惑した表情で俺を見つめたままだった。

「横島」

呼べば横島は肩を震わせ目に涙を浮かべ始めた。まだ何もしてねーのにそんな顔されても困る。

「逃げなくていいのかよ?」
「…私もう、花村くんから逃げてきた後だよ?これ以上の逃げ場なんて、無いよ」
「俺が迫って、嫌じゃねーの?」
「……嫌だったら、最初からここには来てないよ」

それならやっぱり、俺を頼ってきたってことは、そういうことなのか。
ごくりと生唾を飲み込んで、横島の肩を押せば、簡単にベッドに仰向けに倒れた。白いシーツに広がる黒髪は綺麗だった。

「…顔、近いよ」
「嫌か?」

横島は口はつぐんだまま小さく首を振った。まさかそんな反応を貰えるとは思っていなくて困惑する。俺は横島に、手を出してもいいのだろうか。

「…左右田くんなら、いいよ」

震える声でそう呟いて、横島は目を瞑った。俺はこの状況が信じられなくて自分の頬を軽くつねるが、たしかに痛かったから夢ではない。横島の柔らかそうな唇を見つめていると、頭がおかしくなりそうだった。

「…俺のこと嫌いになんじゃねーぞ」
「ならないよ…好きだもん」

目まで瞑られて好きだとも言われて、ここまでされたら据え膳食わぬは男の恥ってやつだろう。
顔を近づけるために動くとベッドが重みで音を鳴らす。そのせいで緊張は加速するけど、必死の思いで唇を重ねた。柔らかさに驚いて唇を離せば横島の潤んだ瞳と視線が交差する。

「…嬉しい」

恥ずかしそうに微笑む横島が可愛くて、でもこれ以上したら理性が飛んでしまいそうで、仕方なく体を起こして横島から離れた。

「…ごめん」
「なんで謝るの?」
「…なんでだろうな」

ただ可愛かったからイタズラがしただけだった。それに俺の心にはまだソニアさんがいる。そんな中途半端な気持ちで手を出してしまった。

「…左右田くんは悪くないよ、私嬉しかったから」
「でも、」
「でも?」

正直なことをこの純粋そうな横島に告げたら、泣くのだろうか。泣き顔なんか見たくもないし、俺はわがままにも程がある。

「左右田くんならいいよって言ったでしょ。たとえ左右田くんが、私を好きじゃなくても、ね」

横島も起き上がって、俺の耳元で囁いた。いいよって何だよ、誘ってんのかよ。

「でも寂しいから、よかったら私のこと好きになって。そうじゃないと、後から悲しくなっちゃいそうだから」

横島は俺の頬に口付けて、素早くベッドから降りた。

「ごめんね、今日はありがと。また来るね」

照れ臭そうにして扉に向かう横島だったが、外から花村が横島を呼ぶ声が聞こえてきて動きを止めた。

「…左右田くん」
「何だよ…」
「…もうちょっとここにいてもいい?」
「…俺、そんな我慢強くねーぞ」
「…いいよ、我慢なんかしなくて」

あぁもう、横島がいいって言うんだからいいんだよな。自分に言い聞かせ、俺は横島へと歩み寄り、体を抱き寄せて噛みつくようにキスをした。