使いきり長谷部


「主!」
「あ、おかえり長谷部〜」

この本丸の主はとてもお優しい。任務から帰るといつも笑顔で迎えてくれる。戦ではなく遠征に行かされたり畑仕事や馬当番をさせられたりもするのが少し性に合わないのだが、終えたあとの主の笑顔が見られるだけで幸せだった。

「また怪我しちゃったね、大丈夫?」
「このくらい平気です」
「早く強くなってほしいし…手入れ部屋行こう?」

主は俺に期待をしている。俺が強くなることを望んでいる。そう考えるだけで胸の奥が熱くなるように感じた。

「怪我痛くない?いつも頑張ってくれてありがとうね」
「主のためなら何だってしますよ」
「ふふ、嬉しい」

主は自分よりも背の高い俺の頭を優しく撫でる。短刀でもないのにそうされるのは照れ臭いが、やめてと言えるわけもなく、むしろもっとと求めたくなる。

「じゃあ、いつも頑張ってくれる長谷部にご褒美あげたいから……今日の夜、私の部屋まで来てくれる?」
「夜?」
「うん。あ、長谷部にだけ特別だから、みんなが寝た頃にこっそり来てね?ばれちゃったら長谷部だけずるいーってみんなに言われちゃいそうだから」
「かしこまりました」

俺だけ特別ということは、俺が主の一番だということなのだろうか。俺はこの本丸に来てからまだ日が浅いというのに、随分と主に気に入られているようだ。

「それじゃ、待ってるからね」

手入れ部屋に入る前、主は俺の手を握ってから去っていった。なぜか心臓が激しく動いたような気がしたが、気のせいだろうか。
手入れ部屋には重傷の燭台切がいた。俺より前に任務に向かった時の傷だというのにまだ治療中だとは。人間の体とは不便なものだ。

「長谷部くんも怪我したのかい?」
「軽傷だがな。このくらい大丈夫だとは言ったのだが…主は心配性だな」

俺は錬度が低いため、ここを出るまで一時間とかからない。だがたったそれだけの時間でも、主命に関わることができないというのがもどかしい。俺はいつだって主のために動いていたいのに。燭台切のように錬度が上がってしまったら、この部屋に何時間も拘束されることになってしまうのだろうか。

「ねぇ長谷部くん……主にあまり入れ込まない方がいいよ」
「何だと?」
「君はまだ知らないかもしれないけど、主はああ見えて冷たいところがあるから。接する距離を考えないと、後悔するよ」
「…主はとても温かい人だ。貴様がそういう考えを持っているから冷たくされるだけだろう。俺をお前と一緒にするな」

燭台切に、主の何が解ると言うんだ。特別だと言われた俺よりも、主のことを知っているとでも言いたいのか。

「所詮僕らは刀でしかない。人間である主と、人間のように付き合うなんて不可能なんだ」
「貴様、何が言いたい?」
「…主がどんなに優しくても、主がどうして優しいのかなんて、刀の僕らには理解できないってことさ」

主の優しさに理由があるのか?そんなもの、主が優しい人間だからではないのか?

「あんまり主に近付くのは、やめた方がいい」
「…俺が主に何かするとでも思っているのか?」
「そうじゃない、ただ僕は、」
「もういい、黙れ」

主が人間で俺が刀だなんて、そんなことは解っている。たとえ人間の体を与えられたからと言って、俺はこの体を主のために戦に出すだけだ。主をどうにかしようだなんて、そんなおこがましいことは考えてはいないはずだ。


みんなが寝静まった頃、俺は気配をなるべく消してこっそりと主の部屋へと向かった。みんなに怪しまれないように寝間着のままで来たが良かっただろうか。

「主、俺です。長谷部です」
「入っていいよ」
「…失礼します」

普段誰も入ることがないと聞いたこの主の部屋に、今俺は訪れている。俺だけ特別であることが嬉しく、浮かれてしまう。

「ここ座って」
「……よいのですか?」
「早くー」

主に指示された通り、布団の上に座らされた。座布団でもないのにこんなところに俺が座るのは気が引けた。

「ご褒美あげるから、目閉じて?」
「…はい」

言われるがままに目を閉じると、唇に生暖かいものが触れた。何かと思い目を開ければ、主の顔が目の前にあった。

「ちゅーしてるときに目開けないでよ…恥ずかしいよ」
「あ、あの、主?これは、」
「言ったでしょ、ご褒美。もしかして……嬉しくなかったかな…ごめん」
「そ、そのようなことは!ただ、驚いただけで…。俺と、このようなこと、なさってよろしいのですか?」

昼間と同じだ。心臓がどくどくと激しく脈打っている。

「…長谷部だけ、特別だよ?長谷部以外の人に、こんなことしないよ」

そう言って主はまた顔を近付けてくる。俺は特別という言葉に弱いらしい。主とは主従関係でいなければならないと頭では解っていても、主からの愛情を受け入れてしまった。
主は何度も俺の唇を愛しそうに食み、俺の体に腕を絡めてきた。人間のように付き合うことは不可能だと燭台切は言ったが、今この状況を見ても同じことが言えるだろうか。きっとそれは燭台切の主との付き合い方が悪かったからだろう。俺は違う。俺は主の特別なのだから。

「長谷部…夜伽の相手、してくれる?」
「お……俺で、よろしいのですか?」
「もう、何回言わせるの?長谷部がいいの。長谷部としかしないよ」

主は俺と唇を重ねながら体を撫でてきて、ついには帯に手をかけられた。

「主…」
「…ふふ、長谷部のその余裕の無い顔、大好き」

余裕が無いのがばれてしまって恥ずかしい。だが今から主と一つになれると思えば、そんなことどうでもよくなった。

「長谷部、好きだよ…」
「俺も、主のことが……」







翌朝、隣で眠る主の姿を見て、昨夜のことが夢では無かったと実感する。俺のこの体で主と繋がったのだ。人間の真似事だと言ってしまえばそれまでだが、主にとって俺は人間と同等であるから、体を許してくれたのだろう。

「おはよう長谷部くん、今日は一緒に出陣だってさ」
「あぁ、おはよう。足手まといにならないよう努力する」

悔しいが、燭台切は俺よりも強く育っている。だからこそ俺の強化のために一緒に編成を組むことにさせられているのだろう。

「長谷部くん昨日の夜出歩いてたみたいだけど……どこ行ってたの?」
「…厠だ。それが何だ?」
「…主のところじゃなくて?」

燭台切は複雑そうな、心配するような声でそう聞いてきた。なぜこいつがこんな顔をする必要がある。

「だったら何だ?貴様に関係ないだろう」
「昨日忠告したのに、聞かなかったのかい?」
「何が忠告だ。まるで主が危険なモノだとでも言いたいような口振りだな」
「理解したなら本当に、主との付き合い方を考え直した方がいい。そのままだと、大事になんてしてもらえない」

俺と主の関係など理解していないくせに。主に対する考えを変えた方がいいのは俺でなく燭台切の方だろう。

「大事にしてもらえないというのは今のお前のことか?言葉を交わすところもあまり見ないし、そうなんだろう?」
「…僕はこれでも大事にされてる」

嫉妬するだなんて、醜い感情だとは解っている。だが燭台切が大事にされてると自称できるくらいにはかわいがられているということが、悔しかった。俺だってもっと早くからこの本丸に来れていたら、もっと強くてもっと大事にされていただろうに。

「長谷部くん…僕も君も、ただの刀なんだ。それを忘れないで」

何度もうるさい奴だと思い、それ以上話をするのをやめた。

それから俺は、今まで以上に主のために尽くすようになった。出陣させてもらえば誰よりも成果をあげられるように頑張ったし、嫌な畑仕事も馬の世話も、主のためと思い文句も溢さないようにした。
だがどれだけ頑張っても、主からのご褒美を貰えることは無かった。褒美を期待して、見返りを求めて頑張っていたわけではない。俺はただ主のために働いていただけだった。主のお役に立てるのなら、それだけでいいはずだった。それなのに、俺の心は満たされなかった。刀のくせに心などとぬかしていたらまた燭台切に小言を言われてしまいそうだ。


「主、」
「ん?どうしたの?」

俺の心は、主にしか満たせない。それだけははっきり解っていた。振り向く主の顔が、発する声が、俺の乾いた心を潤してくれる。

「…恐れ多いのですが、二人きりで話ができる時間を貰えないでしょうか」
「何かあった?今暇だから部屋来る?」
「いえ、あの……邪魔が入ると嫌なので、夜ではいけないですか?」
「…いいよ、待ってる」

主は俺の下心に気付いたのだろうか。ふっと笑って去っていった。
きっと今夜も主の肌に触れられる。そう考えるだけで、主のために戦い続けられるような気さえした。



身支度を済ませ、主の部屋へと向かった。燭台切にも誰にも気付かれないように、足音を殺して。

「主」
「どーぞ」

主は何か日記のようなものを書いていたが、俺が部屋に入ると閉じてしまった。気になったが、俺ごときがそこまで踏み入って良いとも思えず、聞くのはやめた。

「話って?」
「……」
「…長谷部、最近頑張ってくれてるよね。私の見えないところでもちゃんとやってるって、他の子たちから聞いてるよ」

俺が言い出せず口ごもっていたら、主から話し出してくれた。やはり主はお優しい方だ。

「それって……もしかして、またご褒美が欲しかったから?」

その通りなのだが、認めてしまえば己の卑しさも認めることになりそうで、肯定できなかった。

「しょーがないなぁ」

主は立ち上がり俺の前まで来ると、目を瞑った。触れていい、ということだろうか。久しぶりだから緊張したが、恐る恐る近付いて唇を重ねた。このまま食べてしまいたいとも思ったが、それでは本当に化け物だ。理性の働くうちに、主を離した。

「…あのね、長谷部。見て欲しいものがあるの」

主の小さな手に引かれ、押し入れの前まで連れてこられた。

「開けてみて」
「…はい」

そんなことよりさっきの続きがしたいのに。なんて欲望を抑えながら、俺は押し入れを開けた。部屋が薄暗いせいでそこには瓦礫の山があるという認識しかできなかった。だがよく見てみると、とてもよく見慣れているモノの残骸が山になっている無惨な姿だと気が付いた。

「これは…?」
「言わなきゃ解らない?へし切長谷部だよ。今までうちの本丸にいた、長谷部たちだよ」

この押し入れに、いったい何振りの刀が納められているのだろう。全て折れてバラバラになっているため、見当もつかなかった。これだけの刀が、へし切長谷部が折れるだけの何がこの本丸で起こっていたというのだ。

「ねぇ長谷部、私について、誰かに何か言われなかった?」
「…主に、ついて?」
「些細なことでもいいの、何か言われなかった?」
「…主に、あまり近付かない方がいい、と」
「他には?」
「主との…付き合い方を、考えろ、と」

嫌な汗が背中を伝い、寒気がした。

「それ、誰に聞いたの?」
「…燭台切」

俺はもしかしたら、あいつの忠告を聞き入れるべきだったのかもしれない。くだらないと聞き捨てたから、俺はこんな悪夢のような残骸を見せ付けられているのかもしれない。

「光忠ってばこりないなぁ……毎回長谷部にそういうこと言うんだよね。口止めした方がいいかなぁ。でも毎回、長谷部って光忠の言うこと聞かないんだよね。同じ長谷部だから、やることみーんな一緒で面白いね」

くすくすと笑う主の声が、俺の恐怖を駆り立てる。

「私ね、長谷部のこと大好きだし、特別だと思ってるんだよ。だから夜伽までしたんだよ?他の子と寝たりしてないからね?」
「…そう、ですか」
「そうなの。だから、大好きだから、愛してるから、本当は長谷部と毎日でもちゅーもえっちもしたいって思ってるの」

主は後ろから、俺の体に細い腕を回して抱き付いてきた。女の腕力ごとき振りほどけない訳がないのに、俺は動けなかった。

「初めての長谷部とは、何回も寝たの。そしたら長谷部、どんどん優位にたって攻めてきて、怖かった。だからやり直したくて、刀解して、二振りめの長谷部とまた寝たの。そしたらやっぱり初めての不慣れな抱き方が可愛くて、また好きになったの。でも回数を重ねればまた可愛くなくなって、だめだったの。だから三振りめは1回だけにしようって思ったのに、つい2回しちゃったらそれから長谷部が止まらなくなっちゃって。四振りめは最初からしないって決めてたのにどうしても我慢できなくて、しちゃったの」

主の口から出た刀解という言葉が更に俺を震い上がらせた。

「そうやって何回も繰り返してね、気付いたの。初めてえっちするときの余裕の無い顔が大好きだなぁって」
「だから……そのためだけに、俺を、長谷部を、何回も…」
「長谷部のことが大好きだから、我慢できなくて…。それにいつも、長谷部から夜に部屋に来ようとするから、私もやめられなくて…ごめんね、長谷部、愛してるよ」

大好きな主に愛してるとまで言われているのに、胸が苦しくなるだけだった。

「それに、壊される瞬間の追い込まれた顔が、堪らなく好きだって、気付いちゃったの」

俺はもうここで終わる。そうしたら次はまた新たなへし切長谷部がこの本丸で、今までの長谷部の通りに扱われ、同じことを延々と繰り返すのだろう。主はこれを繰り返す期間ずっと俺を愛しているのかもしれないが、俺はこのほんの短い時間しか主を愛することができていない。それが、心残りだった。

「長谷部、顔見せて」

主は俺を解放し、顔を覗きこんできた。

「また光忠に作ってもらうからね、バイバイ長谷部。刀解」

主は俺の胸に手をあて、笑顔で刀解と唱えた。途端に体に力が入らなくなり、自分の体にヒビが入るのが見えた。

「…次こそは、長年かけて…寄り添って、主を…愛したい、です」

主は驚いた顔で俺の手をとったのだが、ボロボロと崩れて立っていることもできなくなり、床に体が崩れ落ちた。俺は最期までうまく笑えていただろうか。
さようなら主。次のへし切長谷部こそは、大事に扱っていただきたいです。