平子隊長とぶつかる


最近全くと言っていいほどに、良いことがない。いまだに始解もできないせいで同期には馬鹿にされ始めるし、任務に行っても役に立たないし、頑張ってみれば失敗するし。夜な夜な枕を濡らす日々が続いていた。
だから今日もやる気が出なくて、さぼってしまおうと思ってとぼとぼと歩いていた。みんなの幸せそうな声が悪魔の笑い声にしか聞こえなくて憂鬱になる。死神なんかやめてしまおうか、とか考えていたら、物凄い勢いで誰かにぶつかられた。前を見ていなかった私も悪いが、廊下を全速力で走る方もなかなか悪い。

「鬱すぎる……」

悲しいことに、床にぶっ倒れた。日常でこんな痛みを受けるとは思わなかった。

「げっ、すまん!平気か!?」

ぶつかってきたのはうちの平子隊長だった。最近会えていなかったから嬉しかった。体は痛いけど、たまには良いことあるんだなぁ。

「こちらこそすみません…大丈夫です」

平子隊長は焦りながら私に手を差し伸べてくれた。私なんかがその手に触れていいものかと戸惑ったが、せっかくだから握らせていただいた。あの平子隊長に触れられるなんて、と感動した。

「あかん、逃げるで」
「え?痛っ…」

立たされるべく手をぐいっと引っ張られたのだが、転び方が下手くそだったせいか、足を痛めてしまったようだった。

「しゃーないなぁ…これも俺のせいか」

ろくに立てない私を見かねて、平子隊長は私を抱き上げた。憧れの、お姫さま抱っこだ。私なんかがあの平子隊長にそんなことをして頂けるなんて。ていうか、そこまでしてもらわなくても大丈夫なのに。
私の混乱など気にせず、平子隊長はそのまま駆けて資料室に入った。私をそんなところに連れ込んでどうする気なの。

「あああっ…あの、ひ、平子隊長、」
「しーっ。静かに」

本棚の影にまでわざわざ隠れ、やっと私のことを降ろしてくれた。解放されて安心感は得られたが、こんな人気の無い密室で二人きりになる状況のせいで、また新たな緊張感が生まれてしまった。

「……なぜ、私まで隠れなきゃいけないんです」
「俺のせいで足挫いとる女の子そのまま放置できるかいな」
「…四番隊に行くわけでもなく、こんなとこ連れ込まれるなら放置されるのと大差無いとも思えるのですが」
「放置して恨まれて俺の居場所吐かれたら困るんや」
「…誰から逃げ隠れてるんです?」
「…惣右介や」

平子隊長は嫌そうな顔でそう答えた。
平子隊長と藍染副隊長は、仲良さげにも見えるのだが、平子隊長はなんだか藍染副隊長を嫌っているようにも見える。

「何か、悪いことしたんですか?」
「昨日、惣右介に頼まれた仕事全部そのままにしてローズたちと呑みに行っただけや」
「…それは、平子隊長が悪いのでは」
「何や、惣右介の味方するんか?」

不満そうにそう言って、私の頬をつねってきた。痛いけど、平子隊長に頬を触られていると思うと、辛くはなかった。ただちょっと恥ずかしくて、平子隊長の顔を直視できない。

「そういやお前、俺のこと避ける割りに、惣右介にはにこにこしながら挨拶しとるよなぁ?惣右介に気でもあるんか?」
「そっ、そんなの無いです!」
「しーっ、でかい声出すな言うたやろアホ」

私が気があるのは藍染副隊長じゃなくて平子隊長なのに!と、言えない私は弱虫だ。平子隊長は隊長ってだけでも遠い存在なのに、好意を持って改めて遠い存在だと思わされる。手の届かない人だから気持ちなんか圧し殺したかったのに。

「…平子隊長なんか、嫌いです」
「そないな小声で言われても聞こえへんわ」
「大声出すなとか小声じゃ聞こえないとか、わがまますぎじゃないですか」
「文句あるんか?」
「文句しかないです」

好きだなんて言えないし、嫌いと言っても聞き流される。きっと自分に都合の良いことしか聞こえないんだ。どうせ好きだと言ってみたって、聞き流される。

「文句あんなら言うてみ」
「…平子隊長、無神経です。それに、鈍感だし、ぶつかってくるし、足痛いし、注文が多いし、私が動けないのをいいことにこんなところに連れ込むし…」
「しゃーないやろ、惣右介に見つかりたないねん。それにほっといたら仕事片付けてくれそうやしな」

藍染副隊長も平子隊長に振り回されて可哀想だ。

「…平子隊長も、振り回される人の気持ちを知ってください」

私ばっかり、平子隊長の何気無い行動に振り回される。それなのに平子隊長は好き勝手生きてるし、ずるい。

「そんなん嫌やわ」
「じゃあ、嫌がらせします」

少しくらい、振り回される気持ちを知ってほしくて、平子隊長の体に手を回してきつく抱き付いた。
着込んでいるから解らなかったけど、平子隊長はかなり細身だった。

「あほ!誰か来たらどうするつもりや」
「どうしてくれるんですか?」

やけになって強気に出てみたら、平子隊長は黙ってしまった。怒らせてしまったのかと思って急激に不安に駆られたが、ぴったりくっついている胸から、はやい鼓動が聞こえてきた。

「あの…平子隊長?」
「…何や」
「これって、藍染副隊長に見つかったら困るからドキドキしてるわけじゃなくて、私のせいでドキドキしてるんですよね?」
「やかましいわボケ」
「…あんまり動揺すると、藍染副隊長に見つかっちゃいますよ」

私みたいなただの死神でドキドキしてくれているんだと思うと、浮かれてしまいそうだ。

「…誘っとんのか?」

本気のトーンでそう聞かれ、肩がはねた。そんな、やましい気持ちで抱き付いたわけじゃない。そりゃ、下心が無い訳じゃないけど。

「そっっ、そ、そういう、つもりではなくて、」
「じゃあ何や?からかっとんのか?ただの死神が、隊長を?」
「ごご、ごめんなさい、あの、つい出来心で…」

怖じ気づいて腕の力を抜けば、今度は平子隊長が私を抱き締めてきた。

「隊長からかった罪は重いで?」
「や、あの、ごめんなさいっ、もうしないので、あの…」
「そないなこと言いなや。静かにしとき、惣右介が来たら困るやろ?」

平子隊長は私の顎に手を添えて、いやらしい笑みを浮かべたまま顔を近付けてきた。
大好きな隊長から逃げ出す理由も無いし、このまま流されることにしよう。逃げない理由は全部、さっき平子隊長のせいでくじいた足のせいにしよう。