本日よりあなたを知ります


 見上げれば鉛色の空だ。そしてわたしの足にも鉛がついている。
 鉛がついている、というのは勿論物の例えである。しかし、この両足を前へ前へと動かしたくないのは本当だった。
 わたしは今からある人に会いに行く。その為に一刻以上、休まず歩き続けているのだ。
 そのひとの名は平滝夜叉丸さま。
 わたしの将来の嫁ぎ先である平家のご子息である。
 つまるところ、将来の旦那さまであった。
 将来を約束された方がいることは随分前から知っていた。それはもう、物心ついた時から聞かされていたのだ。
だけどわたしは彼がどんな人かもしらない。
 もしも、将来の旦那さまが変なひとだったら。もしも、嫁ぎたくなくなるほど受け付けないひとだったら。
 怖いのだ。結婚をすること自体はわたし運命である。婚約者に会う、それは今後の人生を垣間見ると言うことになる。
 顔合わせの話が度々出ていたが、わたしはそれらをすべて突っぱねていた。嫁ぐその時まで会わなくてもいいとさえ思ってる。
 しかし、わたしも十三に成った。いい加減に、と両親に言われれば、こうしてはるばる彼の学び舎に行かざるを得なくなった。
 不安でいても、足に鉛がついていると錯覚するほど気が進まなくても、時間が経てばその建屋が見えてくる。
 忍術学園の門が見えたのはお昼も過ぎ、授業が終わっただろう鐘楼の音が聞こえて来た時だった。
門を叩けば、愛想の良さそうな事務員さんが迎えてくれる。
 彼の父が手紙でも出したのだろうか。名乗ればああ、滝夜叉丸くんのね、と呟いて入門表を渡してきたのだった。
 そこに記帳をしていれば、事務員さんの向こうからひょこりと小さな影が三つ覗いた。

「女のひとがひとりで尋ねてくるなんて珍しいね」

「笠を深く被っているから芸者さんかなあ?」

「なんで、忍術学園にひとりで芸者さんがくるんだよ。あれだろ、旅のひとだろ」

 三人は噂話にしては大きな声で、わたしの方を見て話していた。

「乱太郎くん、しんべヱくん、きり丸くん、あまりお客さまを不躾に見たらだめだよ」

 事務員さんが困ったように注意する。

「ごめんなさい! ぼく、一年は組の乱太郎です」

「きり丸です」

「しんべヱでーす」

 にこにことあまり悪びれる様子もなく、自己紹介をする。なんだかそれが可愛らしくて緊張していた頬が緩んだ。

「こんにちは。如月そよと言います」

「きみたち。そよさんは許婚に会いに来たんだからちょっとあっち行っていて」

 事務員さんがわたしに握手を求めている一年生たちを制止する。

「だ、だれが許婚なんですか!」

「先輩ですか? それとも同級生?」

「おい、しんべヱ。一年生はねえだろう」

 事務員さんの言葉は逆効果だったようだ。瞳がきらきらと輝いて質問が飛んでくる。
 ここまできてもう隠す必要もないだろう。わたしはこの子たちに自分の許婚がどんなひとなのか聞くことにした。

「平滝夜叉丸さまってご存知ですか?」

 身を屈めて聞けば、三人の顔はあからさまに眉をさげて残念そうな、いやそうな顔をした。

「た、たきやしゃまるせんぱいですか」

「あ、あの滝夜叉丸先輩に許嫁のひとがいたなんて……」

 驚愕、ともとれる乱太郎くんときり丸くんの反応に不安になる。

「どんな方なのですか?」

「そよさんは滝夜叉丸先輩に会ったことないんですか?」

 わたしは頷いて、これまでの経緯を話した。
 すると乱太郎くんがそうだ、と声をあげる。

「じゃあ、滝夜叉丸先輩がどんな方かいろんな人に聞いて回りましょう!」

「おお! 面白そう!」

「ちょ、ちょっと三人とも! ぼく、案内するように言われているんだけれど」

「小松田さん! 大丈夫です! ぼくと乱太郎ときり丸で責任を持って滝夜叉丸先輩のところにお連れしますから!」

 いつの間にか両腕を乱太郎くん、きり丸くんに引かれて園内に連れて行かれてしまう。
 後ろから困ったような事務員さんの声が聞こえた。しかし三人は構うことなく歩いて行ってしまう。
 愉快な三人組を止めようかと迷ったが、会う前にほんの少しでも滝夜叉丸さまのことを知りたいという思いが勝ってしまった。これで心の準備が出来ると僅かに期待して小さな手に引かれていくのだった。
 しかし、その道のりは期待を大きく裏切った。
 乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんに連れられて方々を歩いたはいいものの、聞ける話は決していいものばかりではなかった。
 一番に会ったのは、彼と同じ学年である赤い目が印象的な方だった。

――あいつは自惚れ屋だし、自分のことを学年一だなんだ言ってまったく話にならん。こんな綺麗なひとが許婚だなんて勿体ない話だ……

 その後も、委員会の先輩にあたる方や、後輩のみなさん、それからくのたまと呼ばれる女の子たちにも話を聞いたが、やはりどれも良い話ではなかった。
 自信家で、自惚れ屋で、理屈っぽくて……そんな話ばかり聞けた。
 ひとり、ひとりと話を聞いていくたびに不安は増していく。

「そよさん、大丈夫ですか?」

 わたしの顔色に気が付いたのか、乱太郎くんはこちらを心配そうに見上げている。

「は、はい……ほんの少し彼に会うのが怖くなっちゃいました」

 本音を溢すと、三人は悲しそうに眉根を寄せる。
 こんな不安そうな顔をさせたかった訳じゃない。しかし、わたしも毅然としていられる余裕がなかったのだ。

「あの、そよさん……!」

「しんべヱくん、なんでしょうか?」

「あのね、滝夜叉丸先輩は………………」

「おー! いたいた。おーい!」

 少し間の抜けたような、明るい声が飛んできた。
 そちらを見ると、深い灰色の髪を揺らしながらひとりの殿方が走ってくる。

「あ! 綾部喜八郎先輩!」

 綾部先輩、と三人に呼ばれたそのひとはこちらに近寄ってきた。
 まったく探したよ、と肩に担いでいた踏鍬を降ろす。

「学園にはいる筈なのにあまりに姿が見えないから滝夜叉丸に探して来てくれと頼まれたんだ」

「うわ! そういえばもう半刻も学園内を歩いてた!」

 乱太郎くんがやばい、と身を小さくした。

「きり丸、ちょっとこれ持ってて」

「は、はい」

 綾部さんはきり丸くんに担いでいた踏鍬を渡した。いったい踏鍬を担いで何をしていたのだろうか、興味はあったがとても聞ける雰囲気ではない。

「初めまして、ぼくは滝夜叉丸と同じ組の綾部喜八郎です。忍たま長屋まで案内します」

「如月そよと申します」

「キミたち。ぼくがここに戻ってくるまで踏子ちゃんを持ってここから動かないでね」

 踏子ちゃんとは今きり丸くんが持たされいる踏鍬のことのようだ。綾部さんの言葉に三人は残念そうな声をあげた。

「え〜! わたしたちもご一緒したいです!」

「せっかくそよさんと仲良くなれたのにい」

「綾部先輩ずるいっすよ!」

 きゃいきゃいと騒ぐ後輩たちに綾部さんは背を向けてしまった。

「これは先輩命令ですぅ。さ、そよさん。行きましょう〜」

 わたしは三人にお礼を言って、スタスタと歩いて行ってしまう綾部さんのあとを追った。
 第一印象とは打って変わって、綾部さんは無口で静かな方だった。歩幅は合わせてくれているものの黙々と隣を歩いている。いままで三人組に連れられて賑やかに学園内を歩いていたものだから、少し不安になった。
 頭の中では今から会う滝夜叉丸さまのことを想像してしまう。どれもこれもあまり良い想像でなくてわたしは頭を振って考えるのをやめた。
 建物を抜けて忍たま長屋に入る、といった時に初めて綾部さんが口を開いた。

「滝夜叉丸の話、聞きたい?」

「え?」

「あんまり良い話を聞いていないじゃないかと思ってね」

「……は、はい。いろんな話を聞いてきたのですが」

 わたしはここ半刻程で聞いた話を綾部さんにする。それが終わると彼はふき出して笑い始めた。

「ふふ、ははは! そうだね、確かにそうだ」

「あ、綾部さん……!」

「ごめんごめん。きっと三木ヱ門とか、七松先輩とか、あと一年は組の皆本金吾とかに聞いたんだろうね」

 確かに、今日話を聞いた数人はそんな名前だった気がする。
頷けば綾部さんの笑いは止まって、それから静かに話しはじめた。

「確かに滝夜叉丸は自信家で、自惚れ屋だけどね…………」

 突然、彼の足がぴたりと止まった。戸の脇には綾部、それから平と書かれた札が掛かっている。
 ついに来たのだ、とわたしは姿勢を正した。

「ここがぼくと滝夜叉丸の部屋。じゃ、一年坊主が待ってるから」

 お礼を言う前に綾部さんは踵を返してさっさと行ってしまった。
 軽い足音はすぐに消えてしまう。廊下がしんと静まって、ひとりの世界に取り残されてしまったと感じた。
 この戸の先には許婚のひとがいる。
 名前しか知らない、そのひとだ。
 この戸の先へ行かなければ。彼に会わなければ。
 意を決して、その場に正座をする。深く息を吸うと、戸へ声をかけた。

「ごめん下さいまし。如月家のそよと申します」

 頭を深く垂れて返事を待つ。
 スッと、静かに戸が開く音がして、黒い足袋が目に入った。

「待っていたよ。よく来てくれた」

 紫色の着物に包まれた膝が見えた時、顔をあげる。
 膝をついてわたしを見ていたのは、随分ときれいな顔立ちをした殿方だった。
 小豆色の髪をさらりと垂らして、大きな瞳はまっすぐにこちらを見ている。
 挨拶の練習をしていたはずなのにわたしは彼の顔をみつめたまま頭が真っ白になり固まってしまった。

「さあ、中へ」

 生活感のない、整然とした部屋に招かれる。あまり不躾に見ないようにまっすぐと彼の紫色の制服を見た。
 滝夜叉丸さまは部屋の隅にある文机の前に腰を降ろした。
 どうやら書き物の途中だったらしい。文机には墨と筆、それから数枚の紙が乗っていた。
 わたしは緊張で何も言えず、ただそこに正座をした。
 想像していた彼と、目の前にいる殿方はあまりにもかけ離れている。
 もっと野蛮で、荒っぽいひとだと想像していた。しかし、目の前にいる滝夜叉丸さまは楚々としてこちらの様子を見ていた。

「改めて。……わたしは平滝夜叉丸だ」

「お初にお目にかかります。そよと申します」

「そんなにかしこまらなくても年は同じじゃないか。崩してくれよ」

「いえ、そういう訳にはまいりません」

 首を振ると、そうか、と残念そうな声が返ってきた。

「少しだけ、待っていてはくれないだろうか」

「は、はい。大丈夫です」

 滝夜叉丸さまは文机にある筆を取ると、紙に滑らせる。よし、と声が聞こえると書き物道具を端に寄せてしまった。

「すまないね」

「いいえ、なにか大切な書き物でしょうか?」

「いやあ課題があと一問だったから気がかりでね。終わらせてしまえばゆっくり君と話が出来るだろう」

 それを聞いてあ、と声をあげてしまった。

「どうかしたかい?」

「すいません……ここに来る途中、しんべヱくんと綾部さんに言われたことを思い出して」

「ほう、しんべヱと喜八郎か……なんと?」

 わたしは綾部さんが戸の前で立ち止まる前に言ったことと、その綾部さんがわたしたちの前に現れる前にしんべヱくんが言ったことを思い出す。

――確かに滝夜叉丸は自信家で、自惚れ屋だけどね。でもあいつが言ってることが納得できちゃうくらい何事も真面目に取り組んでいるよ

――あのね、滝夜叉丸先輩は……自慢したりするけど、いつも後輩を助けてくれるんです。みんなああいう風に言うけど、それは先輩を信頼してるからなんです!

「……という風におっしゃっていて」

「またあいつらは余計なことを……」

 滝夜叉丸さまは、ため息を吐いた。

「わたくし、勝手に滝夜叉丸さまのことを想像してしまって。お会いするのがとても怖かったんです。でも綾部さんたちがいうとおりの真面目な方で……その、あの、安心しました」

 思っていることを早口で行ってしまう。言い終えた後に顔をあげれば、微かに彼の頬が赤く染まっていた。

「そよさん、いや、そよ……聞いてもらえないだろうか」

 わたしは頷く。滝夜叉丸さまは姿勢を正してからゆっくり瞳を伏せた。

「あの三人組がきみを案内していると事務員の小松田さんから聞いて、わたしは焦ったんだよ。これでも学園での自分の評価が二分していることくらいわかっているんだ。自惚れ屋で、自信家で話が長いとか言われているんじゃないかってね」

 そうだっただろう? と聞かれる。わたしは嘘を吐くわけにもいかず、戸惑いながらも頷いた。

「きっと君は私の嫌なところばかり知ってしまったのだろうなあ」

「あ、あの……でもわたくしは……」

 そうでないことをたった今理解しました。そう言おうとしたのだが、無理をせずともいいんだよと滝夜叉丸さまに制止される。
 伏せられた瞳が開いて、それを縁取る長いまつ毛が幾度か揺れた。

「私はね、昔から思っていた。この滝夜叉丸に嫁いでくる女子に恥ずかしい想いをさせない様な立派な男になろうと。だから忍術学園へ入っても成績優秀でいようと努力をしてきたつもりだ。これからも、勿論そうする」

 わたしは彼の言葉に返事も出来ず、ただ頷いていた。

「私のことを好いてくれなくてもいい。ただ、わたしという男の生きざまを隣で見ていてはくれないだろうか」

 鋭い視線は逸らせずに、わたしはその目に捕らえられた。
 なんてまっすぐなんだろうか。たゆまぬ努力が、そこから来る自信が眼から伺えた。
 わたしが会うのを散々嫌がっていたのも知っていることだろう。
 それなのに、この方は会ったばかりのわたしにこれほどまでの言葉をかけてくれる。
 長年自分を縛りつけていた不安がはらり、はらりと解けていった。

「わたくしでよろしければ、どうぞよろしくお願い致します」

 深く頭を下げれば、そんなにうやうやしくしないでくれと笑い声が聞こえる。
 頭を上げた時に目に飛び込んできたくしゃりとした笑顔はどこか幼くも見えた。
 この方は涼しい顔だけでなく、こんな表情もなさるのか。
 早速新たな一面を見付ける。この先いくつもの新たな発見があるのかと思うと、憂鬱だったわたしの心にぽっと朗らかな花が咲くのだった。



本日よりあなたを知ります


私が君を知ったのは遠い遠い昔なんて告げたなら
驚いてくれるだろうか


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