遠回り
ざくり、ざくり。
土を掘る音がする。この音が特別好きな訳ではないけれど、これを聞かねば安心できない。たまにこつんと小石に当たってそれもまた趣がある。
随分と掘ったなあ……と一度、空を見上げた。まあ、そこには無感動な空が在るだけなのでまたすぐに下を見下ろすのだ。
埋めることを考えれば気持ちは萎えるが、やめられないのが性分だ。あまり湿り気のないここの土は僅かな力をかければすぐ削れる。
「……さん。……喜八郎さん……!」
誰かが名前を呼んだ気がして、僕はもう一度を首を上げた。日の差す場所からその人はこちらを見おろしている。
彼女は掘った穴のぎりぎりまで身を寄せて、少しでも押したら落ちて来きてしまいそうだった。
――ああ、似ている。
僕は数年前のことを追憶しながら、その人に声を返した。
「そよ、どうしたの?」
「朝からお見えにならないと、喜八郎さんのお母さまが探していらしましたよ」
まあ、そんなことか……と僕は溜息を吐いた。
「もう少ししたら戻るから心配をするなと伝えてくれるかい?」
自分史上最大の声で言うと、彼女は元気よく返事をして姿を消した。
それを見届けて僕はもう少し、と踏鋤の踏子を握り直したのだ。
そよ……彼女は僕の幼馴染というやつだ。もともと忍の多い里に生まれた僕の幼馴染はやはり忍の子だった。
忍術学園では穴掘り小僧だとか天才的トラパーだとか渾名が付けられているが、やはり昔から穴を掘るのが好きだった。
そんな僕は郷里では変わり者だとか、生意気だとか言われて近所の子に馴染めなかったのだ。それは今でも変わっていないが、そんな僕を彼女はずっと庇ってくれていた。
忍術学園に入ってからは、この個性を認めてもらっているが、それまでは生き辛い生活を送っていた。その暮らしの中でそよは初めてできた友達と言っても良かった。
そんなありがたい存在なのだが、それでも現在僕の頭の中に浮かんでいたのは全く別の人だった。
――喜八郎ちゃん。あらあら、またすごいのを掘ったのね
穴の縁でいつも声を掛けてくれた人だった。
――これはすごい特技ね。よい忍になるわ。里の子はまだお子様だからこのすごさが分からないのよ
初めて認めてくれた人だった。
――喜八郎ちゃん。あたしね、お嫁に行くの
初めて別れを泣いた人だった。
今思えば淡い初恋のような物だったのだろうか。
その人は里を出て五年経つが、いまだに一度も会っていない。それでも死んだとも、出戻ったとも聞かないので元気にやっているのだろう。
――喜八郎ちゃん
「喜八郎さん……!」
追憶の声が重なる。反射的に上を見ればそよがまたこちらを覗いていた。
「今度はなに?」
「縄梯子を! 忘れていたので! かけておきますね」
はらりと梯子が降りてくる。
そんなのがなくてももう自力で登れるのだけれど。せっかく用意してくれたからには無下にすることもない。僕は礼を言うと落とし穴掘りを切り上げて地上へ登った。
学園は夏休み入っていた。それでいつものように郷里に帰省したのだ。宿題は何故か簡単なものばかりで、自由な時間が多かった。家へ戻っても特にやることがなかったものだからずっと穴を掘っている。
落とし穴から出た僕は家の裏の井戸で水をかぶった。穴の中にいれば少しは涼しいけれど夏は夏だ。
汗を流して適当に握り飯を食べて、また別の場所に穴を掘りに行く。
そういえば……と初恋の人を思い出したついでに、あの人とそよの共通点を考えてみた。
まず、穴の覗き方。うんと身を低くして、たまに手を伸ばしたりする。それでも絶対に穴の中へは入ってこない。上から優しく名前を呼ぶだけなのだ。
名前は……確か似ていなかった気もする。
思い出そうとしたのだが、出てこなかった。初恋と言っても、恋い焦がれるような物じゃない。
だって僕は当時九つだった。憧れに近いものだったのだろう。思えばあのとき彼女は十八くらいだったと思う。倍ほども年齢が違ったのかと今更認識させられた。
そんなことを考えていれば、あっという間にふたりがやっと入れるくらいの大きさの塹壕が出来る。深さはちょうど僕の身長くらいだった。
そこに座って、後ろに寄りかかる。
腹も満たされているし、天気もいい。丁度いいや、とうつらうつらとした。
「お風邪を召しますよ」
「……そよ…………」
寝ぼけ眼で顔を上げる。あまり深く掘っていなかったからか、いつもよ彼女の存在を近く感じた。
やっぱり似ている。でも違う……でも似ている。
なぜか僕はそれが苛々とした。
「昼寝なら上でなさったらどうです?」
彼女は手を伸ばしてくる。か細い手だ。僕は手を伸ばして、それを思い切り引っ張った。
きゃあ、と可愛らしい悲鳴が聞こえる。僕の足の間に彼女が降ってきた。狭い塹壕の中でぎゅうぎゅうに向い合せになる。
そよが居づらくないように、僕は少し足を広げた。
「き、喜八郎さん……!」
顔を真っ赤にした彼女がいる。愛らしいともいえる表情の彼女を目の前にして何故か僕の苛々は治まらなかった。
理不尽だ。
自分でもそう思う。そよは僕を心配して、家の手伝いの合間にこうして来てくれている。それなのに、僕ときたら……
「ねえ、聞いていい?」
八つ当たりをするみたいに彼女に言ってしまうのだ。
「なんでしょうか?」
「どうしてそんなよそよそしい話し方をするの?」
昔、というより忍術学園に入るまで僕たちはもっと近い場所にいた。
喜八郎くん、今日はなにを掘っているの? なんて明るい笑顔で話しかけてきていた。
僕も、君も掘るかい? とか言って誘い、日が暮れるまで土まみれになったものだ。
ずっと後ろを着いてくるから何度かうっとうしいなと感じることはあったけど、やめてほしいと思ったことはなかったのだ。
それが変わったのは二年生になる前の春休みだった。
――喜八郎さん、お久しぶりですね
随分面食らったのを覚えている。
「ええと、やはりいつまでも子供ではないので……殿方にはきちんとした言葉づかいをと思いまして」
彼女は髪をいじりながら言った。よく知っている。これは何かを誤魔化すときにする彼女の癖だ。
「……ふうん」
「あ、あの……もう行ってもいいでしょうか?」
「駄目」
僕は引っ張った手首を握りなおす。
まだだ。四年間、聞けなかったことなんて掘った落とし穴の数ほどあるのだ。この機会を逃してたまるかと彼女を押さえた。
困惑した様子のそよは少し怯えているように見える。それでも構わない。夏休みが終われば僕は学園へ戻ってしまうのだから。
「どうして僕が帰ってくると一日に一度は探しに来てくれるの?それなのに学園へ戻る日は一度も顔を見せないの?くのいち教室へ入学の話があったのに何故取りやめたの?」
責めるように質問を畳みかける。
「ちょ、ちょ……ちょっと待ってください!」
そよは混乱したように僕を止めた。
まだ聞きたいことはあったのに……と思ったが一番聞きたいことを最後に言った。いや、もしかしたらこれだけが聞きたかったのかもしれない。
「じゃあ、なんで」
彼女が絶対に逃げられないように強く手首を握り込む。間近でそよが息を飲む音が聞こえる。
「そんなに僕を想ってくれているのに、好きだと言ってくれないの?」
彼女は口をあいて、数秒呆けたようになった。その後泣きそうな顔になって、そして本当に涙を流し始めたのだ。
塹壕の中ではらはらと静かに泣き出してしまう。こんな顔をさせたかった訳じゃないのに、自分の会話下手さにはとんと嫌気がさした。
「あ、あの人が……」
彼女は本当に小さな震える声で言う。
「喜八郎さんの中にはあの人がいらっしゃるから……」
ああ、彼女は知っていたんだ。名前も忘れてしまったあの人を好きだったこと。
それもそうかもしれない。そよから好意が向いていると気が付いたのは、九つの頃だった。その時、僕は夢中であの人を見ていた。
忍術学園へ入学したのもあの人が嫁いでからすぐだった。大方、彼女の嫁入りが原因でこの里を出たと思っていることだろう。もちろんそれは真実ではない。そんなに落ち込んでいたらあの人の名前を忘れる筈がないのだ。
僕は苛々としていた原因に気が付いてしまって、思わず自嘲した。
「……そよ、僕はね」
彼女の涙を指で拭ってあげる。それでも次々に溢れてくるものだから、ずいと引き寄せてそよの顔を僕の胸元へ押しつけた。
「あの人が嫁いでいったときより、そよに言葉づかいを変えられたときのほうが傷ついたよ。それに、君があの人の真似事を始めたのも嫌だった」
「……ごめん、なさい」
布でくぐもった彼女の声が聞こえる。僕はあやすように背をぽん、ぽんと叩いた。
「だって、まるで僕がそよのことを見ていないみたいじゃない。確かにあの人の事は憧れていたよ。でもね、もう名前も思い出せないんだ」
そよはずっと僕を想っていてくれた。だから僕が好きだったあの人に近づこうとした。でも僕があの人の真似をしたそよを好きになっても、それは結局のところ身代わりだ。それはそれで悔しくて彼女はずっと僕への気持ちを押し殺していた。
なんともあべこべなそよの行動。だけど全部、僕が好きだからしてくれたことだ。四年というのは短くない時間だ。それを思ったら彼女がとてもいじらしく見えた。
――喜八郎さん、お久しぶりですね
あの時……あの一瞬で、僕は何かに気付かされた。
自分の中に持っていた本当に大切なものを思い知ったのだ。
それから二年間、随分遠回りをしてしまった。ぼくも、そしてそよもだ。
「わたし、ずっと喜八郎くんが好きだった」
「うん」
「九つの時からずっと好きだった」
「……うん」
「くのいち教室に入らなかったのは喜八郎くんのことを近くで見ているのが辛かったからよ。これ以上好きになるのが嫌だったから。それに色を使いたくなかったの。学園へ行く日に会いにいかなかったのは、行かないでと言ってしまいそうだったから」
僕は彼女の話に頷いた。四年振りに戻ってきてくれたみたいで嬉しかった。着物は涙で濡れているけれど全然気にならない。夏だし、すぐに渇くだろう。
それより、今まで我慢していた分たくさん泣いてほしいと思った。
「すまなかったね」
言葉を落とすと、彼女は首を横に振った。
「今はもう、いいの」
「そっか」
僕は目の間にあった小さな額に口づけた。ほんの一瞬だったから彼女は気付いていないみたいだった。強く握ってしまった手首を解放してあげる。
顔を上げた彼女は真っ赤で、それがまた愛らしく見える。
そよのほうが想ってくれていた時間は長いけど、きっと今は同じくらい……いや負けないくらい想っているよ。
その言葉は口から出ることはなくて、かわりにそっと頬を撫でたのだった。
「ここからでようか」
僕の提案に彼女は頷いて立ち上がる。
「自分から出るって言うの、珍しいね」
彼女が器用に飛び上がって這い出るのを僕は下から眺めていた。無事に上に出たことを確認してから自分も登る。
「そよとだったらお日様の当たるところでも過ごしてみたいと思ったの」
そんなことを言ったら、目を真っ赤にしたそよが耳まで同じ色になってもじもじと俯いた。
「嫌だったら戻るかい?」
先程まで居た場所を指差すと、彼女は慌てて首を横に何度も振った。
「喜八郎くんとならどこで過ごしてもいいけれど、せっかく出たから」
「そうかい。それじゃあ、街にでも行くかい?」
僕の誘いにそよは、でも着物が土だらけだとか、化粧をしていないだとか、髪が乱れているだとかごにょごにょと言いだした。
僕は強引に彼女の手を取って、街の方へ歩いていく。
四年間の溝は思っていたより大きかった。
君が化粧をするなんて知らなかったよ。ああまったく、誰に見せたのだろうか……なんてつまらない嫉妬心を抱いてしまう。
「そよはそのままでも可愛いんだからいいでしょ」
少し足早になれば、彼女は恥ずかし気にはい、と小さく返事をして着いてくる。
里を出て街へ続く一本道に来た時、僕は足を止めて振り返る。手を引かれながら数歩後ろを歩いていたそよが目の前でぽかんとした顔をしていた。
「着飾るのは綾部に嫁ぐときくらいでいいの」
「……え。で、でも」
「あまり僕のいないところで愛らしく振る舞わないで」
この独占欲の塊のような言葉をそよはどう受け取るのだろうか。もしかしたら今ので冷められてしまったかも知れない。
そう思ったのだけれど、彼女を見れば予想とは反してふにゃりと溶けたように笑っている。
「そ、それじゃあ、次に喜八郎くんと出かけるときは着飾ってもいい……ですか?」
もじもじと聞く彼女を見たら、胸の真ん中から体中が熱くなってずきずきと痛みだしたのだ。
まったく、嫌になっちゃうよ。
夏休みはとても長い。
その間に熱で溶かされてしまうのではないか。僕は自分の身体を心配して街への道を歩き出すのだった。
遠回り
今になって暗に嫁いでくれと言ったことに気が付いた
ああ、もう
どうしてくれようか
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