酔う酒などありはせぬ



 白い息が天に昇る。
 街も騒ぐ師走の午後、わたしは痛いくらいに凍える手をさすった。
 我家は顔も知らないご先祖さまの代から冬の間は甘酒屋をしている。夏季は心太なんかも売っているが神無月にもなればもっぱら売れるのは甘酒である。

「甘酒、あたたかい甘酒でございます」

 自分の声が白い息と共に空へ飛んでいく。
 こんな寒くとも街は賑わっていてどこか忙しそうだ。
 こういう日は夕方にもなればよく売れるだろうが、今は昼が過ぎたあたり。客足は全然増えなかった。

「こんなに暇ならわたしが飲みたいんだけれどなあ」

 大きい声で言うと店の裏で仕込みをしている父さんに怒られそうなので本当に小さく溢した。鍋からはおいしそうな甘酒の香りがするのに、わたしはそれを売るだけだ。こんな寒い日はこれを飲んで温まりたい。

「そよちゃん」

 再び凍えそうな手を擦っていると、優しい声が聞こえてきた。顔を上げると男のひとが店先の台に肘をついてこちらを眺めている。

「タカ丸さん!すいません。いらっしゃいまし」

「ふふ、そよちゃん全然こっちに気が付かないんだもん。……今日も寒いね」

 穏やかな笑顔でひらひらと手を振っていたのは斉藤タカ丸さんだった。近所で有名な髪結い処の息子さんだ。

「タカ丸さんは休憩ですか?」

「うん、まあね。宿題もしないといけないし」

「学校ですか?」

 タカ丸さんは頷く。
 彼は今年からどこかの学校に通うようになったらしい。全寮制だから毎日帰ってくるわけにはいかず店が忙しくなる、と以前幸隆さんが仰っていた。

「甘酒、召し上がります?」

「うん、父さんのもお願い」

 そう言うとタカ丸さんは台に小銭を置いた。それからずっとこちらを見ていることに気が付く。
 わたしはお玉で甘酒をすくいながら首を傾げる。するとタカ丸さんは綺麗に口端を上げるのだった。

「そよちゃん。いつものように注いでくれる?」

「は、はい!」

 わたしは頷いて一杯、竹筒で出来た器に甘酒を注ぐ。彼の目の前に一杯の甘酒を置くとひと口、口へ含んだ。おいしいね、と優しい声が聞こえてわたしの顔もほころぶ。
 タカ丸さんは台にもたれかかるように頬杖をついてこちらを見上げた。

「今、お客さんいないみたいだし少しだけお話してもいいかな?」

「はい、良いですよ」

 タカ丸さんは店に客がいないときはこうして世間話に付き合ってくれと言った。こうしてお話を聞くのも両手で数えられないくらいになる。
 彼は器を傾け指で縁をなぞりながらぽつり、と話始めた。
 今日来た常連さんが今度結婚するだとか、剃刀の練習をしていたらまた膝を切ってしまったとか、来る途中に新しい甘味屋が出来ていただとか、日常の何気ない話をしていく。
 大きな背、金糸雀の髪、この街では男前だと評判のお客さま。この商売をやっていて、普通の生活をしていたら聞けないお話する機会があって、随分わたしは幸せ者だと思った。

「その時父さんったらね……」

 タカ丸さんはお客さんに囲まれて育ったからか、話をするのが上手だった。
 あんなに凍えるように寒かったにも関わらず、いつの間にか心が華やいで温かくなる。

「美味しかったよ、ごちそうさま」

 彼の話は決まって一杯の甘酒が無くなるまでだった。
 いつも椀が空になるとタカ丸さんの話は終わらせる。わたしはそれを見計らってもう一杯の甘酒を用意するのだ。

「幸隆さんの分です」

「……ありがとう。そよちゃん、お仕事頑張ってね」

「ありがとうございます!」

 タカ丸さんは器を受取ると機嫌よさそうに踵を返した。派手な色の着物が人混みへ紛れてゆく。金糸雀の髪がゆらりゆらりと揺れていくのをぼんやりと眺めながめた。

「おい、仕込み終わったぞ! そっちはどうだ?」

 後ろから父の声が聞こえてきて、わたしははっと我に返る。二言三言返事をするとまた街行く人々へ呼びかけをするのだった。
 街を見渡せば既にタカ丸さんの姿はすっかり見えなくなっていた。


 商売をやっていて一番暇になる時間はと言えば昼前だった。今日も今日とて昼前は時間を持て余すのである。
 相も変わらず街は忙しそうで、わたしはその中へ取り残されてしまったようだった。
 甘酒の酔ってしまいそうな匂いの中でわたしは空を見つめる。すると色鮮やかな着物が目に留まるのだった。

「そよちゃーん!」

 天へ向けて伸ばした手を大きく振ったのはタカ丸さんだった。こんな時間にいらっしゃるのは珍しいな、と思いながらわたしも小さく手を振りかえす。

「今日も寒いね」

「今年一番の寒さだそうですよ」

 店先に来たタカ丸さんはいつもと同じように台へもたれかかった。

「甘酒、召し上がりますか?」

 いつもと同じように聞けばタカ丸さんは首を振ったのだった。

「今日は予約したいんだけど」

「予約、ですか?」

 聞き返せばタカ丸さんはうんうんと頷いていた。空気はとびきり冷え込んでいて、彼の鼻は赤くなっていた。

「そよちゃんってお休みとかあるの?」

「ええと、はい。本日は午後から休んでいいと言われております」

「じゃあ、今日の最後の仕事は髪結い処斉藤への配達にしてくれない?」

 そういうとタカ丸さんは小ぶりの鍋を台へ置いた。これに甘酒を、と言うことなのだろう。わたしは頷いて受け取る。

「裏に勝手口があるからそこへ運んでほしいんだけどいいかな?」

「わかりました。お昼過ぎには参りますね」

 お願いね、と言ってタカ丸さんは足早に去っていった。きっと仕事途中で使いに出されたのだろう。いつもよりも細かく揺れる髪に顔が綻んでしまう。
 そう言えば髪結い処へ行くのは初めてだ。近所なので前を通ることはあるのだが、店内へ足を踏み入れたことはなかった。いつもお客さまでいっぱいだし、わたしのように洒落っ気のない女がいくには少し気が引ける場所なのだ。
 いつも店の前にいる綺麗なお嬢さんたちを思い出しながら急に心臓が早くなる。
 わたしは仕事なのだから、と自身に喝を入れて渡された鍋を手に取るのだった。

 そしてお昼も過ぎて、わたしは前掛けを解くと鍋を片手に家を出た。
 タカ丸さんのいる髪結い処は、店から一町五十間ほどの近い距離にあった。わたしは緊張しながら賑わっている店の裏口へ回る。

「ごめんくださいまし」

 とんとん、と木戸を叩けば重い音がして開けられる。ふにゃりと優しい笑顔で迎えてくれたのはタカ丸さんだった。
 わたしは鍋を差し出す。受け取ったタカ丸さんは、どうぞと家の中へ促してくれる。

「ありがとう。寒かったでしょう? さ、入って」

「そんな、わたしはお代をいただいてお暇します」

「午後からお休みなんでしょう? いいからいいから」

 強引に家へ引き込まれてしまう。
 床には櫛や簪、剃刀、鋏まで髪結いに必要な道具が置いてあった。どうやら髪結いの練習中だったようだ。タカ丸さんは囲炉裏に鍋をかけるとこちらへおいで、と手を招いた。

「少し練習に付き合ってくれない?」

「練習、ですか?」

「新しい簪と櫛の結い方をね。鋏は通さないから安心して」

 わたしはこの後の用事もないので頷く。カリスマ髪結いの息子さんに髪を結ってもらえることなんてなかなかある話ではない。わたしはどんなふうに髪を結うのか興味が沸いて草履を脱いだ。座敷へ上がればタカ丸さんの前に座る。

「よろしくお願いします」

「任せて」

 タカ丸さんの指がわたしの髪紐を取っていく。背にさらりとかかる前にくるりと捻られた。何度か梳かれ、捩じったり結ったりを繰り返す。
 タカ丸さんは時々前へ来て首を捻りながら唸っていた。

「ううん、もっと上の方かなあ」

 どうやらなかなか決まらないようだった。梳いては捻られ結われては梳いてを五回ほど繰り返した時だった。

「ごめんね。疲れてない? もう少し付き合える?」

「大丈夫ですよ」

 わたしよりもよっぽど疲れを顔ににじませたタカ丸さんが申し訳なさそうにこちらを覗き込んだ。
 それがなんだか可哀想でわたしは考えるよりも先に言葉が出る。

「今日は仕事がありませんから納得いくまで付き合いますね」

「ありがとう。……ああ! そうだ」

 タカ丸さんは立ち上がって囲炉裏の方へ行ってしまう。戻って来た彼の手には二つ椀があった。
 立ち昇る白い湯気、わたしが持ってきた甘酒のようだ。

「部屋の中でも冷えるから一緒に飲もうよ」

「良いのですか?」

「もちろん」

 わたしはタカ丸さんから器を受け取る。ひと口飲むと甘い香りが口の中に広がった。

「わたし、あまり甘酒を飲まなくて……久しぶりに飲みました」

「毎日売っているのに?」

「はい。お店のものを飲んではいけないし仕事が終わる頃には香りに酔ってしまって」

 恥ずかしながらわたしは酒に滅法弱い。甘酒の香りでさえも酔ったようになってしまうのだ。

「ふふふ、面白いね」

 タカ丸さんもひと口甘酒を啜った。
 今日はお店でない場所で話しているからか、色々話してみたくなる。
 わたしはもうひとつ、言葉を落とす。

「そういえばよくうちの店に髪結い処へ行った帰りのお嬢さん方が来るんですよ」

「へえ、何か言ってた?」

 わたしは甘酒を買いに来るお嬢さん方を思い出した。みんなきれいに髪結いをされて、どこか浮かれたように頬を染めていた。素敵なまじないにかけられたようで輝いて見えたのだ。

「ええ、幸隆さんも勿論、タカ丸さんもかっこいいカリスマ髪結いになるって言ってましたよ。そんなタカ丸さんにこうして髪結いしてもらえるの、嬉しいです」

「なんだか照れるなあ」

 タカ丸さんは頬を掻いて、それから一気に甘酒を飲み干した。立ち上がってわたしの後ろへ来る。

「甘酒のお陰で手が温まったからきっとうまくできると思うんだ」

 そう言って髪を手に取ったのだ。くるくると巻いて行って、二、三回簪が頭に当たる。
前髪に櫛をいれた彼の顔があまりに真剣な顔付きだったものだから心臓が高鳴った。

「よし、できた」

「ど、どうでしょうか?」

「後ろに櫛を一本差したら完璧だよ」

 タカ丸さんは綺麗な透かし彫りの櫛を見せてくれる。それから静かに背後へ回った。
 わたしは椀を置いて姿勢を正してそれを付けてくれるのを待った。

「タ……タカ丸さん?」

 わたしは後ろに言葉を投げる。
 いつまで経っても頭に何の感触がないのだ。
 はっきりとした声で聞いたはずなのにそれでもタカ丸さんは何も言わなかった。ただそこにいる気配だけがある。

「タカ丸さん? 櫛は……させましたか?」

「あ、ああ……」

 とても短い返事が聞こえた。心配になり振り向こうとする。
 その前に背中へ何かがのしかかってきた。
 布の中に、固く暖かな感触。それはタカ丸さんの体だと気づいたのはわたしが体制を崩して前へ手をついた時だった。

「たかまる、さん」

「そよちゃん」

 首のあたりからタカ丸さんの声がしてわたしはぴくりと肩を震わす。
 どうして、とかなんで、とか考える前に心臓が破裂しそうになった。彼の長い腕が肩を包んでいる。ぎゅうと力を入れられて逃げられそうになかった。

「よっぱらっちゃったみたい」

「だ、大丈夫ですか?」

 具合でも悪くなったのではないかと振り返ろうとしてもその力で叶うことはなかった。

「甘酒に、じゃなくて」

 くるりと肩を掴まれてタカ丸さんの方へ向けられる。その顔は酔っぱらったように赤くしていた。

「そよちゃんがね、かわいいから。こんなことをしたくなる」

 次の瞬間、肩口に顔を埋められたのだ。何があったのか分からなく混乱する。
 やっぱり具合が悪くなったのではないかと声をかけた。

「た、タカ丸さん? 大丈夫ですか」

「本当に君ってば鈍いよ、そよちゃん」

 溜息を吐かれて体を離される。タカ丸さんは透かし彫りの入った櫛を両手に持ち前からさした。

「あのね。君が好きなの」

「た、タカ丸さんがですか?」

 まさか、というように驚けば彼は困ったように頷いた。

「僕の話を笑って聞いてくれる君に惹かれてね。休憩の度に理由を付けて会いに行っていたんだけど、気が付かなかった?」

 寝耳に水、晴天の霹靂、まったく考えたことのない事だった。あんなに街で評判のひとがわたしを好いてくれているなんてこれっぽっちも考えていなかったのだ。

「ご、ごめんなさい。わたし全然気が付かなくって」

「そっかあ……傷ついたなあ」

「本当にごめんなさい……!」

 がっくりとうなだれるタカ丸さんにどうしていいのか分からず慌ててしまう。傷つけてしまっただろうかと顔を覗くとその手を取られる。
 次の瞬間、わたしがいたのは彼の腕の中だった。

「でも諦めないからね。もう遠回りなことはしないから覚悟していて」

 優しい声に似合わず強気な言葉が降ってくる。
 じゃあ、髪を解くから、とそのまま髪へ手を伸ばした。わたしは彼の腕の中で小さくなっていることしかできなかった。
 いやだ、と言えるはずがない。
 あの派手な着物と金糸雀の髪が街行く人々の間から現れるのを心待ちにしていたのだから。
 これは夢か幻か、そんなことを考えながら彼の心臓の音を聞く。
 どくどくと早く鳴っている中で酒に酔ったような心地になる。

――よっぱらっちゃったみたい

 タカ丸さんの言った言葉の意味に気が付いてわたしはもっと体を小さくするのだった。

「そよちゃん、僕の気持ちをわかってくれた?」

 そんなタカ丸さんの声が聞こえて、どうしようもない熱に浮かされた。
 もうどうにかなってしまう。くらくらしてしまいそうだ。そんな頭の警鐘を聞きながらわたしは静かに頷くのだった。



酔う酒などありはせぬ


きみへようようあまいさけ

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