すきの表情



 わたしの父さまは街で一番の獣医だ。街の人のペットや弱った野生動物の治療をしている。
 この戦乱の世に動物の医者なんてと言う人もいたけれど、わたしは父さまの仕事が大好きだった。
 生物研究者としての一面を持つ父は、三月程前からご縁があって忍術学園へ生き物の生態調査の為に呼ばれることになった。そこへ手伝いとしてわたしも父さまに着いていくことになったのだ。

 自分と同じくらいの年頃の忍者のたまご、忍たまたちの通う学園へ行くのはとても緊張したのを覚えている。しかし、そんな心配はすぐにいらなくなった。先生方や生徒たち、そしてくのたまのみなさんはみな優しく声を掛けてくれた。
 それがとても安心して、わたしは忍術学園へ行くのが大好きになった。

「そよさん、今日はうさぎの生物小屋を見に来てください!」

「ええ、虎若ずるいよ。ぼくが一緒にたぬきの親子を見るって約束した!」

 今、私の右腕を引いているのは佐竹虎若くんで左腕を引いているのは夢前三治郎くんだ。生物委員会には他の委員会より一年生がたくさんいると聞いている。生物委員会の一年生はかわいい弟のようで、こうやって話す時間が好きだ。

「そよさん来ていたんですね」

「おい! は組! あまりくっつくな!」

 いつしか孫次郎くんや一平くんも加わって、ぎゅうぎゅうおしくらまんじゅうのようになる。

「ごめんなさいね。今から父さまの手伝いがあるから、空いた時間に順番に見せてくれますか?」

 わたしの提案に目を輝かせて頷いてくれる。子犬のような一年生たちを思わず抱きしめたくなった。

「じゃあ僕たちも委員会、がんばります!」

「絶対一緒に見ましょうね!」

 大きく手を振る一年生たちにわたしも負けずに手を振った。
 さて、と踵を返せば目の前には少し高めの瑠璃色の影がある。その人は眉尻を下げて、困ったように頭巾の上から頭をかいている。

「竹谷さん、こんにちは」

「よう、いつも一年坊主どもが悪いな」

「いえ、わたしも楽しいので気になさらないでください」

 その人は五年生で生物委員長代理の竹谷八左ヱ門さんだった。

「そうだ、先生からの伝言で半刻ほどしたら来てほしいと言っていた」

「そうでしたか!わざわざすみません。参りますね」

「あ、ちょっと待て」

 父さまの元へ行こうとしたわたしを竹谷さんは引き留める。

「なんでしょうか?」

「孫兵見なかったか?」

「いえ、本日はお会いしておりません」

 伊賀崎孫兵さん……生物委員会に所属する三年生だ。
 わたしは仕事の合間に伊賀崎孫兵さんがしてくれる生き物の話がなによりも楽しみになっていた。わたしの知らない毒の持っている生き物の話はとても新鮮だったのだ。
 なにより話しているときの伊賀崎さんの顔はとても楽しそうで、それを見るたびにわたしの心も温かくなる。
いわゆるわたしの想い人なのだ。

「そっか。今日もそよのところにいると思ったんだけどな。最近口を開けばすぐお前のことだったし」

 言い終えたあと、竹谷さんはしまったという顔をした。首を横に振って明らかに慌てている。

「い、いや……今のは忘れてくれ。あー! 一年のとこいかなきゃ。そよ、またな!」

「? ……はい、また」

 竹谷さんはぶつぶつと呟きながら歩いて行ってしまった。
 わたしは首を傾げながら父さまの方を目指す。確か学園長先生の庵へ行っているとおっしゃっていたはず、と早めではあるが歩みを進める。
 その時、シャアと小さな息遣いが聞こえた。慌てて視線を下にやれば、綺麗な赤い蛇がこちらを見ていた。

「ジュンコちゃん、こんにちは! 今日はおひとりでお散歩ですか?」

 わたしは彼女の名前を呼ぶ。しゃがんで手を伸ばせば、するすると腕に登ってきた。何度かジュンコちゃんに会ううちに肩に乗ってもらえる程慣れてくれたのだ。
 ひやりとした心地よい感触が首に伝わった。わたしは生物の中でもとりわけ爬虫類が好きなのだ。

「相変わらず美しいですねえ。……伊賀崎さんはどちらにいらっしゃるのですか?お会いしたいのですが本日は姿が見えられないのです」

 ジュンコちゃんは伊賀崎さんのペットだ。それなのに飼い主が見当たらなかった。
 彼女はゆっくり瞬きをする。

「伊賀崎さんのお話を聞きたいのです。お話を聞くたびに胸が弾むんですよ。それからふと見せる笑顔が素敵で……ああ! 今のは伊賀崎さんには秘密ですよ。ジュンコちゃんとわたしの秘密です」

 しい、と人差し指を口に当てればジュンコちゃんも似たような音を出す。
 わたしが少し前に自覚した小さな恋心を知っているのはジュンコちゃんだけだ。それからというもの恋の話し相手はもっぱらジュンコちゃんなのである。
 優しくて、生き物が好きで話が上手で、大人びて綺麗な笑い方をする伊賀崎さんを好きになるにはそう時間はかからなかった。
 秘めた恋心を打ち明けていれば、彼女の牙の間からちろりと舌が覗いた。その方向を見れば息を切らせた伊賀崎さんが立っていた。

「ジュ、ジュンコ!」

 その姿は、出会ったあの日を思い出させる光景だった。


――あの日

 忍術学園へ出発して二刻が経ったところだ。あともう一息、と涼しそうな木陰を選んで休憩することにした。
 父さまはといえば、荷物が多いからと馬借さんの力を借りるらしい。心細かったが、馬借もお金がかかるし悪いからと単独歩きでここまで来たのだ。
 父さまが着く前に行かなければ、と水筒をしまって立ち上がる。その時カサカサと葉が揺れる音がした。
 小さな頃から生き物が大好きで、家の手伝いをしていたら自然と知識がついていた。この這いずるような音はきっとあの生き物だろう。

「わぁ……」

 思わずため息が漏れる。
 目の前に現れたのは蛇だった。
 だが、ただの蛇ではない。赤くとても綺麗な蛇だったのだ。
 蛇は普通人に向かってくることはないが、その子はどうやら人馴れをしているようだった。誰かの飼い蛇なのだろう。どんどんこちらに近づいてくる。
 しゃがんで目をあわせればますます速度を上げた。まるで犬のような振る舞いをする蛇にわたしの心は一瞬で奪われた。

「こ、こんにちは」

 つい癖で生き物に話しかけてしまう。蛇は返事をするようにシュウと鳴いた。わたしは自身の顔が蒸気するのを感じる。こんな可愛らしい蛇見たことがない。

「ずいぶんきれいな色ですねえ。どこから来たんですか?」

 首を傾げるように動かすものだから、思わず手を伸ばしてしまう。見たことのない種の蛇だ。新たな出会いに興奮していた時だった。

「さ、触るな!」

 突然届いた大きな声に身がすくむ。声の方を反射的に向けば少し離れた場所で同じ年くらいの男の子が息を切らしていたのだ。
 この子飼い主さんだと直感する。蛇を好む人は多くないからいじめると思われたのだろう。わたしは考えるよりも先に頭を下げた。

「ごめんなさい。あ、あの!いじめるつもりじゃないんです。その……この子があまりに綺麗だったので。ご、ごめんなさい」

 深く頭を下げれば、ざっざっと草を踏む音がする。間違いなくあの人がこちらに歩いてきている。どうしよう、なんとか許してもらわないと……とわたしは思考を巡らせたが、謝る以外に選択肢が見つからなかった。

「怒ってないよ。この子には毒があるから。噛まれたら危ないんだ」

 わたしの視界に入ったのは白く大きな手だった。
 着物を握りしめていたわたしの右手をその人が握る。いきなり触れられたものだから思わず心臓が高鳴った。

「よかった。噛まれていないみたいだね」

「あ、あの……ごめんなさい」

「謝らないで。僕こそ叫んだりして悪かった。あのまま手を伸ばしたらこの子が噛むかもしれなかったから」

 気が付けば美しい蛇は彼の首に巻きついていて、わたしを見ていた。

「ジュンコっていうんだ。毒蛇だけど普段はおとなしいし滅多に噛むことはないんだ。だけど少し気難しくてね。ジュンコ、触らせてくれるかい?」

 ジュンコと呼ばれた蛇は頷くように目を閉じる。それを確認した男の子は小さくどうぞ、と言った。

「ジュンコちゃん、ありがとう。とってもきれいですね。模様も映えていて美しいです……」

 人差し指で数回撫でる。
 その時、ジュンコちゃんの飼い主さんが萌木色の忍び装束を着ていることに気付いたのである。

「あ、あの……もしかして忍術学園の生徒さんですか?」

「うん、三年の伊賀崎孫兵」

 伊賀崎さんがそちらは? というように首を傾げた。

「如月そよです。父の仕事の手伝いで忍術学園へ向かっていたのです」

「もしかして如月先生の娘さん?」

「ええ、父さまをご存知ですか?」

「ぼくは生物委員会なんだ。それで先生にはお世話になっている。丁度いいから一緒に学園まで行こうか」

 伊賀崎くんとジュンコちゃんは同じようにこちらを見た。どうやら案内をしてくれるようだ。ふたりが同じように振り返る姿があまりにも様になっているものだから、ぼうっと眺めてしまう。

「そよさん、来ないの?」

 伊賀崎さんが不機嫌そうに眉根を寄せた。

「ああ、ごめんなさい。行きます!」

 わたしは慌てて荷物を持ったのだった。
 思えばあの時……右手を触れられた時にはわたしの中に恋心が芽生えていたのかもしれない。



「そよ? どうしたの?」

 近づいてきていた伊賀崎さんがあの時のように眉根を寄せた。この表情は不機嫌だからではないと知ったのはつい最近の事だった。心配している、という表情なのだとこっそり一年生が教えてくれた。

「ああ、いえ! 伊賀崎さんと初めて会った時のことを思い出していました」

「ジュンコを探していたら君がいたんだよね。そして今もそうだ」

 おいで、と伊賀崎さんがこちらに手を伸ばせばジュンコちゃんはそこへ巻きついていく。

「勝手に肩へ乗せてごめんなさい」

「構わないよ。ジュンコも君のことが好きみたいだし」

 綺麗な目がふっと細められる。少し大人びたその表情はいつも胸を高鳴らせた。

「そよ、最近学園の雰囲気に慣れたみたいだね」

「はい、みなさん優しくて。……感謝しています」

「そっか。僕は少しさみしいかな」

 ぽつりと落とされた言葉。その内容が理解できなくて言葉に詰まった。
 呆けているわたしを余所に、伊賀崎さんがジュンコちゃんを降ろしてお散歩に行っておいでと呟いた。彼女はするすると藪に入っていく。

「ああ、ジュンコちゃん行っちゃいますよ」

 迷子になってしまう、と追いかけようとする。しかし、そこから動くことができなかった。

「待って」

 わたしの手首は伊賀崎さんによって掴まれていたのだ。

「えっと、伊賀崎さん……?」

「少し話を聞いてほしいんだ」

「は、はい……」

 突然の言葉にどうしていいのか分からず、伊賀崎さんを見つめた。
 大きな目はわたしを映し続けていて、まるで籠に捕えられた鳥のようだ。ただただ自分の心臓だけがうるさい。

「あの日、君と初めて会った日。ジュンコに笑いかけているのを見て美しいと思った。いつもは人に噛もうと知ったことではないのに、あの時そよが噛まれたらいやだって思ったんだ。……気づいたら叫んでたんだ」

「あの……」

「黙って聞いて」

 わたしの言葉を伊賀崎さんが制止する。あまりに真剣な顔でいうものだから私は口を噤んだまま頷いた。

「すぐにその笑顔はジュンコにだけ向けるわけじゃないってわかった。僕に向けてくれた笑顔が嬉しかった。でも、一年生や、先輩に向ける笑顔を見ていたらたまらなくなったんだ。何故かわかる?」

 わたしは何も言わないまま首を横に振る。
 それを聞いた伊賀崎さんはわたしの目の前に来た。両膝を折って、わたしを見上げる。いつもはわたしが見上げているものだから、なんだか不思議な気分になった。
 わたしの手を、大きな手で包み込む。視界いっぱいに彼がいる。
 整った顔がほんの間近にあるのだ。心臓が高鳴ってどうにかなりそうだった。

「じゃあ、よく聞いて」

 わたしは間髪入れず頷いた。
 手をぎゅうと握りなおされて僅かに開かれた口から、伊賀崎さんの声が空気に乗る。

「きみがすきだから」

 ふと目を瞳が細められてわたしが映らなくなった。
 大好きな表情をしていたのだと分かったのは再びわたしの顔が瞳に映ってからだった。

「もう、喋ってもいいよ」

 顔が上気して、口がぱくぱくと動く。

「あの、わたし……あの……う、うれしいです」

 見上げられて、好きと言われたら何を言っていいか分からなくなる。わたしの口から咄嗟に出た言葉は“嬉しい”と言うあまりに簡素な言葉だった。

「わたしも……」

 それから自分の気持ちを言い直そうとしたとき、立ち上がった伊賀崎さんに制止される。

「そよの気持ちは今は聞かない」

「え……なぜでしょう?」

「学園から出て絶対に誰も聞いていないところで言って」

 細めた瞳、上げられた形のいい眉、きゅうと綻んだ口。
 ああ、あまりにも好きな表情で言うものだから。わたしはまた何も言えずに頷くことしかできないのだった。

「それじゃ、僕行くね。また、ね」

 伊賀崎さんはわたしに背を向けて去っていく。握られていた手を蒸気する頬に当てて、その熱から夢でないことをやっと自覚するのだ。



すきの表情


その顔をするのは君の前だけだってこと
まだ君はしらない


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