裏庭の逃避行



 良く晴れた午後には着物にたすきをかけてこっそり勝手口から出ていく。
 そこには中庭が広がっている。そこの一番端にある柿の木の下がわたしの領域だ。
 もう柿の実はすっかり落ちてしまっていて、天を仰げば寒空が広がる。晴れているにもかかわらず、冬独特のしらっちゃけた空の下で、わたしは小さく息を吐くのだった。
 これは憂鬱の溜息ではない。気合の息なのだ。
 守備は万全。準備良し。
 さあ、と背伸びをしたときに家の中から鋭い声が飛んできた。

「そよ! あんた、またそんなことして!」

「ひゃっ!」

 まるで伏兵だ。わたしは声の方を見る。それは母さんのものだった。

「午後のお稽古に差支えたらどうするのさ!」

「い、いいじゃない! 復習はしたんだから」

「いい加減に父さんの真似事は止しなさい。まだ嫁入り前の身なんだから」

 なにかを言い返す前に勝手口から覗いていた母の顔はすぐに見えなくなっていた。
 わたしは悲しい気持ちになりながら、こっそり持ち出していた木材と大工道具を地面に並べた。
 二本の角材と、のこぎり、ノミ、かんな。これらを使うことがわたしの趣味だった。
 大工の父に憧れて、いつか自分も家や、橋、果ては城の建築に携わることが出来るものだとずっと信じていた。
 だけどわたしは女の身、そういう訳にもいかないらしい。現在はいわゆる花嫁修業を積まされている。
 父の背を追って大工になった兄は、来春にお嫁さまを迎える。
 跡継ぎが決まった今、一刻も早くわたしには嫁いでもらいたいのだろう。なるべく良い武家か商家に、だ。

「おおう、またやってら」

 膝を抱えて座っていたわたしに誰かが声をかけてきた。
 顔をあげれば目の前で赤茶色の髪がさらりと揺れた。

「作兵衛くん、帰って来ていたの?」

「おう、ついさっき家に着いたらおばさんの声が聞こえてきてな」

 にかり、と笑う彼は富松作兵衛くん。お向かいの家に住んでいる幼なじみで、わたしの最大の理解者だった。

「ほんと、母さんったらひどいの。お稽古まであと一刻半もあるのに準備しろって言うのよ」

「まあ、俺ぁおばさんの気持ちもわかるけどなあ」

「作兵衛くんまで……」

 ぎゅっと強く膝を抱える。
 世は戦国時代。良い家に嫁に行ってほしいと言う母さんの気持ちもわかる。
 それでもわたしはまだ十二歳で、家に入るだとか、嫁へ行くだとか、果ては世継ぎを産むだとか、そういったものがまるっきり理解が出来ないのだ。

「そんなしょげんなよ。今日は何をやるつもりだったんだ?」

 作兵衛くんはわたしの置いた角材を興味深そうに手を取った。

「この二本の角材を削って、組み合わせて一本の長い角材にしようかなって。父さんが前にやっていたの。柱とか作るときにね……ええと、なんて言ったかな……」

 二本の角材をあっという間に一本にしてしまうあの技術を見た時にとても感動したのだ。

「継手のことか?」

「そう、それ!」

「作兵衛くん、詳しいね」

「こう見えて用具委員会だからな。……そよが作業するところ、見ていてもいいか?」

 わたしが頷くのを見て、作兵衛くんはその場で胡坐をかいた。
 作兵衛くんは忍術学園というところに通っていて、普段は家にはいない。けれど、たまに帰省して来て裏庭で大工の真似事をしているわたしの様子を見に来るのだ。
 お昼過ぎのわたしたち以外誰もいない裏庭。
 わたしが木材へのみをあてがって、木槌で打ち付ける音が響く。この静かな時間が大好きだった。

「そういえば」

 わたしは手を止めて、作兵衛くんに話しかける。手元を凝視していた彼の視線がちらりと上へあがった。

「最近よく帰ってくるね」

 つい十日ほど前にも作兵衛くんはこうしてわたしの前にやってきた。二年生になったくらいからめっきり帰省の回数が減っていたのに、このところ授業がない日はこうして帰郷しているようだった。

「あ、ああ。用具委員会に新しい人が入ったんだ。だから作業も捗って、休日返上しなくて済んでんだ」

「へえ、どんな人が入ったの?」

 わたしが聞くと作兵衛くんはしばらく迷いながら話しはじめる。

「ひとつ年が上なんだが、しっかりしていて豪快な方……かな」

「へえ、じゃあ作兵衛くんは年上の後輩が出来たんだね!」

「後輩だなんて! 恐れ多い! そんなんじゃあねえよ。……ほら、手が止まってんぞ」

「あ、ああ! ごめん」

 わたしは休めていた手を再び動かし始めた。
 徐々に木材が削れていく。思い描いていた通りの形になっていく。それが何よりうれしくて没頭していった。
 その間、作兵衛くんはわたしの手元を飽きもせずにじいと見ている。口も手も出さずにただただ見ているだけだった。
 これを見ていてなにが楽しいのだろうと思うときもあるけれど、わたしも父さんや兄さんの仕事は朝から晩まで見ていられる。きっと作兵衛くんも大工仕事が好きなのだ。
 そんな無言の中で、唯一作兵衛くんが口を開く時があった。

「そよ、……そよ!」

「っはい!」

「時間だぞ」

 はっと顔をあげる。見上げれば先程より太陽の位置が少し傾いていた。作兵衛くんはいつもわたしの習い事の時間になるときに口を開くのだ。

「今日は何の稽古なんだ?」

「踊りのお稽古。昼前はお華のお稽古もあったのに、もう嫌になっちゃう」

「へえ、じゃあすぐに着替えねえと間に合わねえな」

 作兵衛くんは立ち上がって、わたしの広げた道具をまとめてくれる。
 わたしはお礼を言いつつ、着替えが間に合わないと髪紐とたすきを解いた。

「作兵衛くん、次はいつ帰ってくるの?」

「次の休みは七日後だなあ。まあ、委員会がなかったらな」

「そっかあ、じゃあその時はたくさんお話を聞かせてね。……あ、ありがとう」

 まとめてもらった荷物を受け取って怒っているだろう母さんのいる母屋に戻って行く。作兵衛くんは最後まで手をひらひらと振っていた。
 今日はだいぶ作業が進んだ。きっと次に作兵衛くんに会えるときは完成したものが見せられる。
 そう思えば俄然やる気が沸いてきて、わたしは似合いもしない派手な着物に袖を通すのだった。

――次の休みは七日後だなあ

 そう作兵衛くんが言ってから実にひと月が経っていた。
 わたしたちは幼なじみで文を交わす関係でもない。富松のおばさまは何も言っていないし、便りがこないから元気だと言うことは想像が出来る。しかし、以前は休みの度に帰省していたものだからどこか寂しく感じた。
 用具委員会というのは急に忙しくなる組織なのだろうか。そう言えばわたしは作兵衛くんと幼なじみであるのに彼のことをほとんど聞いていなかった。
 会っている時も会話らしい会話はない。わたしが大工道具を使ってものづくりをしているところを作兵衛くんは眺めているだけなのだ。たまにここはああじゃないか、と話すことはあっても、お互いの生活のことはあまり話すことはない。
 わたしは今日も母さんの小言を流して、裏庭に逃げるように出ていた。かんなを手に握って木材に宛がう。
 角材の継手はとうの前に終わってしまった。

「よう、おばさんと喧嘩でもしたか?」

 ひょこり、と顔を出す。今思い浮かべた顔が覗いたものだから肩が跳ねた。

「さ、さくべえくん! 喧嘩はしてないよ」

「なんだ、かんながけしてる時は大抵考えごとしてるときじゃねえか」

 わたしは首を横に振りながら気持ちを落ち着けた。
 作兵衛くんのことを考えていました、なんて言えるはずがない。
 彼は寄ってきていつもの通りに胡坐をかく。わたしはかんなを置いて隣に座った。

「継手、できたのか?」

「う、うん。出来たよ」

 庭の端に寄せておいた角材を掴む。彼に渡せばおお! と声をあげた。

「すげえ! ちゃんとがっちり継いであるなあ」

「……ありがとう」

なんだか照れくさくなって視線をそらしてしまう。

「そ、そうだ! 作兵衛くん、最近帰ってこなかったね。委員会、忙しかったの?」

「え……いや、まあ。委員会は忙しくはなかったけど……」

 わたしの緊張がうつった様に作兵衛くんは目を泳がせた。

「……それより。まだかんながけ、途中だろ? やらなくていいのかよ」

 指差す先には先程まで使っていたかんなと、父さんに頼んで貰った柱材が置いてある。

「今日は作兵衛くんと話をしようかなあ、なんて」

「ははっ、なんだそれ。どういう風の吹き回しだ?」

「そ、その! あと少しでお琴の稽古なの。だから……仕上げる時間ないし」

「そっか」

 からかうように細められた目を見て、何も言えなくなる。
 こんな風になるなんて思ってもいなかった。作兵衛くんはそれこそ言葉を発する前から一緒にいる幼なじみなのだ。
 どうしてこんなに心臓が熱くなって、何も言えなくなるのだろうか。

「話をしようとか言ってだんまりじゃねえか」

「ご、ごめん……なさい」

「怒ってるわけじゃあねえよ。謝んな」

 恥ずかしくなって膝を抱えるわたしに作兵衛くんは何かを取り出した。
 鮮やかな藍色の布に何かが包まれている。
 わたしに両手を広げるよう言うと、それを手のひらの中心に置いたのだ。

「作兵衛くん、これは?」

「開けてみな」

 わたしは恐る恐る包みを開いた。藍色の真ん中には木彫りの櫛があったのだ。

「く、櫛……?」

 細かく小菊の花が掘られている繊細な櫛だった。

「やっぱりそよは木槌とか、かんなとかそういう方が嬉しかったか?」

 ぽかんと櫛を見つめるわたしに、作兵衛くんは悲しげに眉を寄せていた。

「本当は絵付けをするつもりだったんだが、俺ぁ絵心がないみてえでなあ。華やかなものじゃなくて悪いんだが」

「こ、これ……作兵衛くんが作ったの?」

 こんな細かいものを彼が作ったと言うのか。仰天して作兵衛くんを見ると、まあな、と頭を掻いた。

「あまりに習い事に行くのがいやそうだから、着飾ればちったあ楽しくなると思って……いや、そういうのが好きじゃなかったらいいんだ。女子の趣味はわからねえし……気に入らなかったら返してくれ」

 鼻の頭まで真っ赤にしながら早口で言う作兵衛くんと櫛を見比べる。
 確かにわたしのために、作ってくれたと言った。
 櫛を切り出すのにも、小菊を彫るのにも時間がかかることだろう。忍術の勉強は大変だと聞いたことがある。その合間を縫って作ってくれたのだ。
 それを思えば心の蔵がきゅうと痛くなった。

「さくべえ、くん」

 震えそうな声で名前を呼ぶ。

「な、なんだよ」

「もうすぐ、お稽古だから……櫛、さしてくれますか?」

 頭を垂れると、作兵衛くんの小さな返事が聞こえてきた。わたしの手から櫛をとって、それが頭に当たる。

「ありがとう。大切に、するね」

 顔を上げた先に見たのは赤く染まった作兵衛くんだった。
 ああ、と返事が聞こえた時だ。

「そよ、いつまで遊んでいるんだい。準備をなさい」

 家の中から母さんの声が飛んでくる。
 行かなくちゃ、そう立ち上がろうとした時、地面に着いた手をぎゅうと掴まれた。

「そよは、良い家に嫁ぐために習い事をしているんだよな?」

「え、ええ。まあ、そういうことになる……かな」

 作兵衛くんにそんな話をしただろうか……なんて考えたが、家は目と鼻の先。きっと母さんを通しておばさまに聞いたのだろう。

「そうか。あのさ……もし……」

 さらに手を強く握られる。強い眼差しに呼吸が止まってしまいそうになる。

「そよ! 聞いているのかい?」

「はあい! ただいま参ります」

 なんてことだろうか。作兵衛くんの声は母さんの声にかき消されてしまった。
 頭を傾けてもう一度、と言葉を待てば、彼の困った笑顔が見えた。首を横に振りながら、強く握られた手が離されてしまう。

「行って来いよ。次は七日後に絶対帰ってくるから」

「うん、ごめんね!また、ね」

「ああ。またな」

 作兵衛くんに見送られてわたしはかんなを片手に家に戻ってゆく。
 頭に当たった櫛の感触と跳ねるようになる心臓がむず痒い。
 作兵衛くんは確かに言った。次は七日後に帰ると。
 七日後に会えると分かっているのなら、好きになれない習い事もへっちゃらになる気がしてくるのだ。
 ふと、戸の前で振り向いてみる。作兵衛くんはまだ柿の木の下で胡坐をかいていた。
 その横顔が急に大人びて見えたものだから、わたしはつい叫んでしまう。

「作兵衛くん! 七日後、絶対帰って来てね!」

 こちらを見た彼は驚いたように目を見開いた。
 それからくしゃりと笑って、いいから早く行けよ、とひらひら手を振ったのだった。



裏庭の逃避行


小さな背中を見届けて
飲み込んでしまった言葉を落とす
“習い事がいやならば俺んところに嫁げばいいのに”


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