鈍感少年と熟考少女



 我が家は下級武士の家柄。忍術学園とは前のそのまた前の代から仲が良い。
 長女であるわたしは忍術学園から課題の手伝いを頼まれた。

――同じ年の子だから気兼ねなく行ってきなさい

 そう父に命じられたのが三日前。
 本日はその実習最終日である。

「本日もよろしく」

 赤い着物、風変わりな模様。
 伸ばされた手には迷いなどなかった。

「ええ、よろしくお願い致します」

 わたしは差し出された手を握る。この方がわたしとペアの次屋三之助さんだ。
 次屋さんは腰に刀を携えていた。

「さあ、行こうか」

 風に髪をなびかせて次屋さんはわたしの斜め前を歩いた。
 それからは黙々と歩き始める。
 良い天気ですね、とか何の実習なんですか、とか聞いたら良いのだろうけれど、天気がいいのなんて明白だ。それに実習の内容は聞いてはいけないと父に強く言われていた。
 元々、あまり明るい性格でないわたしは物静かな彼になんと声をかけていいのかわからない。
 この三日間、次屋さんとの会話は指の数で足りるほどだった。

 赤い着物を必死に追っていく。彼はしっかりとした足取りで街へ入っていった。
 人通りが多い道で振り返らずに歩いて行く次屋さんをはらはらと目で追った。
 この三日間で会話は少ないものの、次屋さんの事をいくつか知ることができた。
 その中で一番印象に残っているのは彼が無自覚な方向音痴ということだ。
 実習一日目ははぐれてしまったまま実習が終わってしまった。
 二日目は忍刀の下緒をつかんではぐれずに済んだはいいがふたりで迷子になってしまった。結局帰れずに、次屋さんの友人が迎えに来て下さったのだ。
 今日こそははぐれてはいけない。きっと彼の成績にも関わるのだろう。わたしは足を速めてその背中を追った。

「さあ、ここだよ」

 ある一件の店の前で次屋さんが止まった。暖簾を上げてくれるとどうぞ、と通してくれる。わたしは小さくお礼を言って店へ入った。
 そこは町で人気の小間物屋だった。
 店内には色とりどりの愛らしい小物たちが並んでいる。

「わあ、きれい……」

「好きなだけ見てきていいよ」

 次屋さんはそういうと一歩下がって小間物を眺めるわたしを見ている。
 ここの小間物屋さんは敷居が高く、なかなかひとりでは入りにくい。
 かんざしや、櫛、巾着袋に髪紐……どれを見てもきれいだった。
 あれもこれも素敵な品々ばかりで、時間を忘れて夢中になる。
 そのとき、本来の目的をはたと気が付いた。

「次屋さん……! あの……」

 実習の方は大丈夫なのですか、と言いかけた時シィ、と細く息の吐く音が聞こえる。
 そうだ、実習の事は聞いてはならないのだ。
 慌てて口を噤む。それを見て次屋さんは安堵したようにひとつ頷いた。

「そよさん。行こうか」

 再び暖簾を上げてくれて、わたしは外へ出る。
 すぐに次屋さんの背中が見えてその後ろを追った。先程のように見失わないように足を速める。
 あの小間物屋で何か忍術の実習をしていたのだろうか。わたしの目にはまったくそんな風には見えなかった。
 忍術学園の実習の手伝いは何度かしていたが、忍術の事に関しての知識はさっぱりだ。
 きっとわたしにはわからないように実習を行っていたのだろう……そんなことを考えながら人通りの多い道を行った。

「次はここ」

「ええ……ここ、ですか?」

「うん、そうだよ」

 ぱたりと立ち止まって指をさしたのは、最近評判を上げているお汁粉屋さんだった。
 驚いていれば次屋さんはすいすいとそちらへ歩いて行く。

「お汁粉ふたつくださーい」

 ぼんやり顔のわたしを余所に次屋さんは外の長椅子に座って注文をしていた。
 これも何かの実習なのか、それとも道草なのかと思案する。しかしいつまでもぼうっと立っている訳にもいかないので隣に座ることにした。
 すぐにお店のひとがお汁粉を届けてくれて、あたたかい椀を手に取った。

「いただきまーす」

 小間物屋にお汁粉屋、一体なんの実習なのだろうか。わたしは必死に考える。

「あれ、食べないの? お汁粉嫌いだった?」

 はっと顔をあげれば次屋さんが不安そうにこちらを見ている。

「いいえ! た、食べます! いただきます」

 わたしは手を合わせて、お汁粉をいただくことにした。
 餅を箸で挟んで、口へ持っていく。ひと口食めば評判のお店なだけあってとても美味しい。
 あたたかく上品な餡子に、柔らかくなめらかな餅。良く噛んで飲み込む。
 すると隣から声が聞こえてきた。

「ねえそよさん、とっても美味しいねえ」

 ふわり、目の前で笑んでいるのは紛れもなく次屋さんだ。

「え、ええ……おいしいです」

 こんな顔もなさるのか、まじまじとその笑顔を見る。
 溶けてしまいそうなその表情は三日間で見たどんなものよりも柔らかかった。
 高鳴る心臓を悟られないようにもう一口お汁粉を啜る。
 それからわたしたちは言葉少なにお汁粉を食べた。
 寒かったのもあり、椀はあっという間に空になる。次屋さんが箸を置き立ち上がろうとした時にわたしはそれを引き留めた。

「あっ! 次屋さん。お代を……」

 懐から巾着をだそうとした。
 するとにゅっと手が伸びてきてそれが止められてしまう。見れば次屋さんが首を横に振っていた。

「出さなくていいよ」

「でも……」

 確かに実習の手伝いを命じられた。しかし、どう考えてもお汁粉を食べるのは実習内容じゃないだろう。
 ご馳走になるのは気が引けたのだ。
 戸惑うわたしに次屋さんは声をひそめる。

「ほら、曲りなりとも男女が一緒に汁粉を食べてるんだ。女の子に金を出させるのはかっこう悪いじゃあないか。気が済まないんだったら後で払ってくれればいいから。ここは僕を立ててくれない?」

「そう、そうですよね……! すいません!」

 次屋さんから言われた意味を理解して顔が熱くなる。
 道行く人から見たらわたしたちはどういう関係に見えるのだろうか。兄妹、友人、恋仲……きっと一番見えるのは最後の関係だろう。
 心臓が早鐘のように鳴り始めた。そのうちに次屋さんは勘定を済ませてしまう。
 さあ、行こう、と声が聞こえてきてわたしは慌てて立ち上がるのだった。

 それから一日はあっという間だった。次屋さんの背中を追いかけて行ったのは様々な店だった。
 かんざし屋、櫛屋、道具屋、甘酒屋……色々な場所へ行って夢中で背中を追っていたらもう日は西に傾いていた。
 今日は迷わないでよかった、と安堵しながら見慣れた道を歩いている。まっすぐ行けばすぐに家へ着くと言うところで彼は止まった。
 振り返った次屋さんは逆光に照らされていた。わたしも足を止めると向い合せになる。
 眩しい夕日が次屋さんの体に遮られて少しだけ暗く感じた。

「三日間、ありがとう」

「い、いえ……! こちらこそ、お疲れ様でした。実習はうまくいきましたか?」

「うん。……まあ、ね」

 彼は少し含んだような言い方をした。
 わたしはその様子を見た時に、お汁粉屋やその後に行った甘酒屋の勘定のことを思い出したのだ。

「そうでした! お汁粉にそして甘酒に……おいくらでしたか?」

「ふふ、あははははは!」

 わたしの問いかけに次屋さんはふきだして笑い始めた。
 何かおかしい事でも言ってしまったかと思わず顔を引きつらせれば、彼はごめんごめん、と言いながらも尚笑い続けている。

「あのね。僕さあ、ずっと不思議に思っていたことがあってね」

「なんでしょうか?」

「ちょっとあの木の下で話していかない?」

 次屋さんの指差す方には高い一本松があった。
 話をしようと言われたのが初めてだったので戸惑ったが、次屋さんの実習手伝いは今日が最後だ。わたしは頷いて木へ向かった。
 木の下に腰かけると夕日が照って暖かかった。
 時期に日が沈み暗くなってしまうと寒くなるだろうか、そんなことを考える。

「そよさん、僕の前にも実習の手伝いをしていただろう?」

「はい、たしか四年生の……」

 それはひと月ほど前だ。
 四年生の警護実習の手伝いを父に命じられた。その時は姫に扮して四年生の生徒さん方と峠を歩いたのである。それを言えばやっぱりね、と次屋さんは言った。

「あの中に僕の委員会の先輩がいてさ」

「そうだったんですね」

 どの方だろうか、と頭の隅から記憶を引っ張り出してみる。
 確か五人の方がいて、どの方も個性が強かった気がする。
 落とし穴を掘りたがったり、千輪のお話をしだしたり、火器の話、髪結いの話をしていたり。ひとりの方はずうっと笑っていたっけ。

「まあ、先輩たちの話は関係ないね。この話は終わり」

 次屋さんの先輩がどの方かわからないまま話を終わってしまった。
 言葉が出るのが遅く、どんくさい自分に悲しくなる。
 せっかくお話をと誘ってくれたのにもかかわらず、わたしの口から出ていく言葉はあまりにも少ない。

「それで、僕の不思議に思っていることの話なんだけどさ」

「は、はい」

「そよさんは、小間物屋へ行ったりお汁粉を食べたりするのが実習だって言ったら信じる?」

 ぽんぽんと飛んでいく話題に戸惑いながらわたしは聞かれた答えを探す。

「は、はい……忍者の事は分かりませんがそういう実習もあるのかなあって」

「ふふ、やっぱり実習だと思ってたんだね」

「違うのですか?」

 思わず大きく出てしまった声に口を押える。
 次屋さんは朗らかな顔をしてわたしを見つめた。

「ごめん、実習って昨日で終わりだったんだ」

「え、ええ!?」

 じゃあなんで、と聞く前に再び次屋さんは話しはじめた。

「実習中止って聞いたのが今朝だったんだ。それでそよさんにも伝えなきゃって、きみの家に向かったんだ。でもそよさんの前に立ったら口が勝手に“本日もよろしく”なんて言っちゃってさ。今更嘘です、なんて言えないで歩き始めたら小間物屋に着いて、その後お汁粉屋へ行って……」

 不思議だよねえ、と次屋さんは言う。
 突拍子もない話にわたしはただぽっかりと口を開いて話を聞くことしかできなかった。

「なんでこうなったのかなあ、ってずっと考えたの。そしたらね、謎が解けたんだ」

「なんでしょうか?」

 おずおずと聞く。すると彼の口が半分だけ開いて、何かを言いかけた。
 そこで瞬きを二回すると、開いていたそれが閉じてしまう。

「その前に、そよさんに聞いてもいい?」

「なんでしょう?」

「僕の事、どんな人に見える?」

 いきなり飛んでしまった話題に目を白黒させる。
 ざっくりとした質問にどう答えていいのかわからなかった。
 今日の次屋さんの言動を思い出してみる。
 店に入るときは暖簾を上げて通してくれて、歩き疲れると少し休もうと座れる場所に進めてくれた。
 わたしは一句一句慎重に言葉を選ぶ。

「えっと……最初は凄く寡黙な方だなあと思いました。突然いなくなってしまうからすごく驚いて。でも今日、色々町を見て回ってとても優しい方だと思いました」

 伝えれば、面と向かって言われると照れるね、と笑っている。

「僕はね。きみの事初めて見た時、高飛車なお嬢さんなのかなって思ったんだ」

「え、ええ?」

 驚いていると、誤解しないでと続けた。

「四年生の実習、三年生全員で見学していたんだよ」

 わたしが警護実習の手伝いをした日、三年生は四年生の実習を気が付かれずに見学する課題が出されていたらしい。先輩たちに囲まれながら何も話さないわたしがすごく高飛車に見えたのだと言う。
 あの日は姫の護衛、という想定で実習が行われていた。だからいつもより着飾っていて化粧も濃く施されていたのだ。それにわたしは緊張していて一言も話さなかった。お高く止まっているように見えたかもしれない。

「でもね、初日にはぐれた後再会した時に、君が涙を溜めてよかったと迎えてくれたでしょう。それを見て誤解をしていたんだなあって反省しちゃった」

 ごめんね、と次屋さんが言う。わたしは首を左右に振った。

「い、いえ……確かにあの実習を見ていればそう思うかもしれません!わたし、ぜんぜん気にしてませんから!」

「ありがとう。……それで、話は戻るんだけど」

「はい」

「今日さ、目的地を決めないでそよさんと歩いてたの。でもね、行った場所はどれも女の子の好きな場所でさ。なんで小間物屋さんとかお汁粉屋さんに着いちゃうんだろうって考えて。それで、わかったんだ」

 ずっと夕日を眺めていた顔の向きを、ふと右にずらす。すると次屋さんがまっすぐにこちらを見ていた。
夕日に瞳がきらと反射している。

「きみがすきなんだ」

「へ、へ……?」

 なんとも情けない声が口から出て行った。今、なんと言ったのだろうか。もしかしたら聞き間違いかもしれない。

「そよさんのことが好きになっちゃったんだ。だから笑ってほしかった。美味しいですね、楽しいですね、って笑った顔が見たかったんだよ」

 いつの間にか震えていた手に次屋さんのが重なった。
 意外と大きなその手に驚き、震えが止まってしまう。
 どうしたらいいだろうか。働かない頭で思案を巡らせた。
 次屋さんがわたしを好いてくれている。嘘のような本当の話だ。
 それを自覚して目の前がちかちかとした。それでもそれが案外良い心地なことに気が付いてしまう。
 わたしは口をぱくぱくと動かして、熱くなる頬を抑えることも出来ずにただただ次屋さんを見ていた。

「いきなりごめんね。返事が欲しいだなんて思っていないよ。でももし今日が楽しかったと思ってくれたら、また一緒に出掛けてほしいんだけれど……どうかな?」

 目の前の殿方が、頬を赤くしてわたしの手を握っている。それは夕日のせいじゃないこともわかっている。
 わたしの手を包むように握っているそれほんの少しだけ震えていて、でも見つめる瞳はまっすぐだった。
 なにか、気の利いたことを言わなくちゃ。そう思っているのになかなかそれが浮かんでくれない。

「あの……また、次屋さんと一緒にお汁粉が食べたいです」

 唯一出た小さな言葉を、次屋さんの耳に届いたみたいだ。
 瞬間、瞳がきらと光を集めた。
 驚いたような、泣き出しそうなそんな顔をする。
 それはほんの一瞬で、それからふわりと頬が緩んだのだった。

「うん、絶対行こうね」

 夕日の中で見た表情はあの溶けてしまいそうな笑顔だった。



鈍感少年と熟考少女


きみが恋の道しるべ

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