ひと目見て、ふた口食べて
ひと目惚れというのは物語の中の話だけではないのだな。
街道を歩きながらひとりそう思う。
ついひと月前のことを追憶しながらぼんやりと足を進めた。
よく晴れた日だった。
作法委員会の首実検に使う筆を買ってきてほしいと立花仙蔵作法委員長に頼まれたのだ。その日は特に用事もないし、先輩に頼っていただけたのが嬉しくて二つ返事でそれを受けた。
しかしながらそういった買い物をあまりしない自分はどこへ行ったらいいかわからなかった。そこで用具や道具の店に詳しい作兵衛に同伴を頼んだのだ。
快く引き受けてくれた彼に連れられてきたの一件の店だった。
どうやらそこは元フリーの忍が開いた店で、一見さんはお断りといった普通では少々入りにくい店のようだった。学園の中でも先生や用具委員会しか行くことないという場所だと言う。
「他の連中にこの店のこと言うんじゃねえぞ。そこの看板娘が気立てよくて可愛いからあまり野郎を連れてこさせないよう親父さんに言われてんだ」
作兵衛は信頼してくれているのか俺にだけだと教えてくれた。
彼が誰かを、女の子を可愛いと褒めることは珍しい。そう思った。もしかしたら初めて聞いたんじゃないかと思った。
俺は作兵衛にそこまで言わせる子はどんな子なのだろうと、興味津々に自分より広い背中を追った。
「こんにちは」
笑顔で頭を垂れたその子を見た時にこう思った。無機質で人形のようだ、と。
彼女は、道具屋にしてはかなり狭い店の中で静かに座っていた。
黒い髪と紅い着物が白い顔を引き立たせていて、動かなければ商品のように見えた。道具の詰みあがる雑然とした場所に佇む花……俺は一瞬で目を奪われたのだ。
これは作兵衛だって可愛いと言わざるをえないな、と思った。
「はじめまして。浦風藤内です」
奪われた心を前にいる作兵衛に気取られないように自己紹介をする。
「如月屋のそよです」
そよちゃん、姿に違わぬ美しい名前だと思った。
聞けば同じ年で十の頃からこうして店に立っているのだと言う。道具を揃えるのが両親の仕事、それを売るのが自分の仕事なのだと言った。
確かに仕事ぶりは良く、結構な数を頼まれていた筆の種類を的確に揃えてしまう。
狭い店だからすぐ手に届くのですよ、と笑って見せる彼女は本当にこの仕事を愛しているのだと思った。
「この店では購入額が一定に達したらお金を請求するようになっているんです」
筆を揃えたそよちゃんはそれを包みながらそう言った。
「ここは常連しかこないからそう言うやり方が出来るんだってさ」
「へえ、そうなんだ」
「……なのでここにサインをいただけませんか?品物はわたしが記しておきますので」
要はつけ払いというやつだろう。初めての経験は今後の良い予習になる。そう思って台帳を手にした。
まるで外出届のようだ、そんなことを思いながら名前を記したのを覚えている。
すると彼女はじいと俺の手元を見ていた。なにか不備でもあったのかと首を傾げる。
「な、なにか間違ったかな?」
「い、いえ……とても美しい字ですね」
しっかりと目が合う。小ぶりな口を縁取る厚めの唇が上がった。
それを見ればかあ、と顔が熱くなったのだ。
「あ、ありがとう」
「お前昔から字、綺麗だもんな」
作兵衛はいつの間にか後ろに来ていて、買うつもりなのだろう木槌や釘を持っていた。この狭い空間では身が持ちそうにない。
それからは記憶があやふやなまま、多分作兵衛に連れられ店を出た。
その日はぼんやりとして、ふとした拍子にあの笑顔を思い出して胸が騒ぐ。病気にでもなってしまったんじゃないかと思ったくらいだった。
そして現在、俺は街への道を歩いている。
もしかしたら、だ。彼女に会えるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いてこの道を通るのは三回目になっていた。
店に行けば会えるのは確実だが、生憎作法委員会の俺は道具屋へ行く用がない。
食満留三郎先輩率いる用具委員会について行くのは気が引けて結局、確実でない道を選ぶしかなかった。
街の入り口に来ると、昼過ぎであるからかいつもより賑やかだった。ちょっと気を抜けば行き違う人たちとぶつかってしまいそうだ。
さあ、ふらりと歩いた後、団子屋へ寄って帰ろう。委員会の先輩や後輩に買っていくのもいいな。
そんなことを考えながら歩きだそうとした時だ。
からん、ころん
軽やかな桐下駄の音がする。この人混みであれば下駄の音ぐらいするだろう。なのにそれがどうも気になった。
目を配らせれば、少し先にこちらへ歩いてくる姿がある。
黒髪を揺らしてゆったりと歩く姿。紅い着物、白い肌……まさしく会いたかった人だった。
「そよちゃん!」
この機会を逃してなるか、と声をあげる。気が付いた彼女は驚いた顔をして、前へ抱えていた包みを後ろに持ち替えた。
俺が近寄れば小さくお辞儀をする。
「こ、こんにちは」
「こんにちは、今日は休みなのかい?」
彼女は頷いた。父が大切な客人との商談があるからと暇を出されたらしい。
あの店の大きさでは大人二人が入るのが限界だ。こういったことはよくあるのだと言う。
「ああ!もしかして誰かと出掛ける約束でもしてたかな?ごめん、引き留めちゃって」
「い、いえ……ひとりで廃寺へ行こうと思ってただけなんです」
「ひとりで廃寺に……?」
見れば彼女は顔を赤く染めていた。かさり、と紅い着物の後ろから音がする。
よく見れば美味しいと評判の団子屋の包みだった。ちょうど今から行こうとしていた店だ。
どうやらそよちゃんはひとりでお団子を食べようとしていたみたいだった。
人形のような印象だった彼女の実に人間味ある行動がどうしようもなく愛らしく感じた。
「休みの時ってひとりになりたいことあるよね。俺も今日休みなんだ。……しかし女の子ひとりで廃寺へ行くのは危険だよ」
最近この辺で賊が出ると先輩方から聞いていた。廃寺で教師陣が忍者と戦ったなんて話も聞いたのだ。
何かあってからでは遅いよ、そう言うと彼女は困ったような顔でおずおずとこちらを見上げる。
「あ、あの……ではもしよければ、一緒に行ってはくださいませんか……?」
願ってもみない誘いだった。
お団子を買ったのです、と照れたように包みを前へ出して見せる。
「いいのかい? じゃあご一緒しようかな」
随分と余裕ぶって答える。こういう時の予習だな、なんて思いながらそよちゃんの横へ並んだ。
からんころん、心地よい下駄の音に合わせて自分も歩みを進める。
つたなく会話を繋げながら廃寺まで来た。今は使われていない境内への階段へ腰かけると、彼女は大事そうに団子の包みを開いた。一本取るとこちらへ差し出す。
「よろしければ、どうぞ」
「えっ、でもこれは君が好きで買った物だろう?」
「ひとりで食べるのも味気ないですし、お嫌いでなければ」
「嫌いじゃないよ。ありがとう」
彼女の細い指から団子を受け取ってひと口食む。
そういえばここのお団子は安くないんだよな、あとでお礼がしたいと誘ったらどうだろうか、と思案していた時だった。
「藤内さま」
そよちゃんの声が聞こえてきてそちらを向く。口の中には甘い団子があり答えることが出来なかった。
「あ、あの……前回お渡ししたものを届けることができたでしょうか?」
その言葉で反射的に肩が震える。口から出て行きそうになった団子を抑えて素早く噛んだ。
ああ、どうしよう。
頭の中が混乱する。
俺はそよちゃんにある頼まれごとをしていたことを思い出した。
遡れば初めて会った時の事だ。
「作兵衛さま、藤内さまお待ちください」
彼女は帰ろうとした俺たちを慌てたように引き留めた。
振り向けば一本の筆を持っている。漆黒に塗られたそれを机に置いたのだ。
「これを届けてくださいませんか?」
「誰にだ?」
筆なら買ったばかりじゃないか、と作兵衛は首を傾げた。
「ええと、潮江……文次郎さまへ」
「潮江先輩に!?」
二人同時に声を荒げてしまう。彼女の口から潮江文次郎先輩の名前が出てくるとは思わなかったのだ。
「実は一年生のきり丸さんに筆結いの仕事を頼んだ時に……」
「きり丸はここでもアルバイトしてたのか」
作兵衛は呆れたように息を吐いく。
「はい。きり丸さんに頼んだものを届けてもらった時聞いたんですが……」
そよちゃんは事の顛末を話し始めた。
きり丸が如月屋から筆結いの仕事を頼まれたときだった。
そのアルバイトを六年生の七松小平太先輩、中在家長次先輩、そして潮江文次郎先輩が手伝ったらしい。その中で潮江先輩が筆を暗器にしたらどうだと言い出した。
きり丸は先輩方を止めるのが大変だったと愚痴交じりに溢したらしいが、前から物づくりに興味のあった彼女は試しにとそれを形にしたらしかった。
「これをそよちゃんが作ったの?」
訪ねると嬉しそうに大きく頷いた。
「筆の真ん中に鋼を仕込む、と伺ったので少し改良してみたのです」
筆の先を割ってみせてくれる。そこからは鋭利な針先が覗いていた。どうやら棒手裏剣に似た形の鋼を仕込んで攻撃も可能にしたらしい。
「せっかく作ったので是非お渡ししたくて。でも潮江さまとは面識がありませんし……お願いできませんか?」
そう彼女は作兵衛に差し出す。面識のある分頼みやすかったのだろう。
しかし当の作兵衛は困ったように目を逸らした。
「悪いな。渡してやりてえんだけど、うちの委員長は潮江先輩とは犬猿の仲でなあ。俺が忍器を渡しに行くところを見られでもしたらちょいと厄介なことになる」
「そうですか……ならば食満さまにお願いすることも出来ませんねえ」
確かに食満先輩と潮江先輩は仲が悪い。
作兵衛の手からこれを渡すところを見られようものなら敵に塩を送る気か、なんて大喧嘩になりそうだ。
それはなんだか気の毒で俺は代わりに、と手を挙げた。
「俺の所属している作法委員会の委員長、立花仙蔵先輩は潮江先輩と同室だし、良ければ届けようか?」
「本当ですか?ではお願いします」
それから彼女は一筆添えて筆を包んでいた。
先日の礼でも綴ったのだろう。その心遣いも強く惹かれたのだった。
そう、俺はあの筆、試作した忍器を潮江先輩に渡さなきゃいけなかった。
あの日からひと月は経っている。どう長く見積もっても、渡していなきゃいけない日数が経っていた。
「あ、あー……忍器にした筆、だよね」
確認の為、と聞くとやはり彼女はすぐ頷いた。
まずいな、と思いながらも正直に話すことにした。
「ごめんね。あれ、渡せてないんだ」
「……なにか不具合でもありましたか?」
心配そうに眉を寄せる彼女になんて返せばいいのかと考える。実習で六年生がいない、とか行き会う暇がなくて、とか嘘を並べてもいつか知られてしまうだろう。
ならば、と正直に話すことにした。
「潮江先輩に渡すのが惜しくなって」
「気に入っていただけたのですか?」
「う、うん。あの筆はよくできてる……勿論そうなんだけど」
にこにこと嬉しそうに笑うそよちゃん。それを見ていたら心の蔵のある胸の真ん中あたりがきゅうと締め付けられる。
言わなくちゃ。次は会えるかもわからない。
こんなことなら用具委員会に入るのだった、なんて思ってもみなかったことが頭に浮かんだ。
「君が作った筆を渡したくないと思ってしまったんだ」
ごめんね、と付け足す。誤魔化すようにひとくち団子を口へ入れた。
ちらと隣を見れば白い頬を赤く染めている彼女がいる。
渡さないことで傷つけてしまっただろうか。それとも怒っているだろうか。俯いた彼女の黒い髪の隙間から見える表情だけじゃそれは分からなかった。
「……きたい、してしまいます」
そよちゃんの小さな声が聞こえる。
きたい……期待。確かにそう聞こえた。
俺は最後の団子を口に放る。よく味が分からないことを申し訳なく思いながら飲み込んだ。
「あのね、そよちゃん」
こういうことって予習するものじゃない。何度も予習したってうまくできないのだ。
それを証拠に俺の声が情けなく震えている。
手を取って格好いい言葉をひとつふたつ落として……そうするべきだ。しかしそういう風に出来るのは先日予習のために借りた恋物語の中だけで、実際同じなのは一目惚れをしたまでだった。
こうして自分の口から想いを告げるだけで精一杯だ。
「すきなんだ」
きれいな笑顔がとか、優しい言葉づかいがとか、もっという言葉はあった筈なのに口から出た言葉はたった五文字だった。
顔を上げた彼女は真っ赤で、綺麗な唇が震えていた。
「嬉しくて、言葉がありません……」
「……ひと目見た時から」
言葉が重なる。
「ふ、ふふふ」
「あははははは」
同じだった。そう実感したら自然と笑ってしまった。
寂しい廃寺の風景にはただただ俺たちの笑い声が響いた。
「俺は店に入って美しい笑顔をひと目見た時から」
「わたしはきれいなお顔とは裏腹な力強い文字をひと目見た時からです」
互いの気持ちが分かればするすると言葉が出て行った。
心地よい胸の苦しさと熱に浮かされながら、彼女を見つめる。
「君をもっと知ってもいいかな?」
聞けば彼女は小さく頷いた。
「わたしも藤内さまのことを知りたいと……あ」
そよちゃんの白い手に自分のを重ねれば、飛び上がるように肩を震わせるものだからたまらなくなる。
細く白い手は意外にも温かい。それが知れただけでもこんなに胸が騒ぐのに、この先俺はどうなってしまうのだろう。
「じゃあ、なにから知ってもらおうかな」
胸は騒いでいるのに、それを隠して予習通りの笑顔を向ける。
「ああ、藤内さま。その前に……」
彼女は膝に乗せた包みから一本団子を差し出した。
「固くなってしまう前に食べましょう」
はい、一口と差し出されれば途端顔が赤くなるのが分かる。
ああ、恋というのは予習通りにいかないものだ。
つくづくそう感じて彼女の手に顔を近づけた。
「ふふ、美味しいですか」
笑顔で聞く彼女に頷くしか出来なくて。先輩方だったらもっと格好よくできるのだろうか、と自分の所属している委員会の先輩を思い浮かべた。
いつか君を深みまで落としてみたいな、なんて綾部先輩のような物騒なことを考える。だけど俺はそんな術など持っていなくて今は甘い団子を味わうのだった。
ひと目見て、ふた口食べて
此れが恋の味だと云うのなら
其れは随分甘過ぎる
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