ツミホロボシとシタゴコロ
家から少し歩いたところの一本杉にて。そわそわと土を草履で蹴りながらその時を待った。
待ち合わせは太陽が空の天辺に昇った時。
少し背伸びをした髪紐。
わたしはそっと前髪を整える。
「待たせてしまったみたいだ。ごめんね」
「ひえっ!」
後ろを振り返るとあまりにも近くにいたものだから思わず杉の木の裏に隠れてしまう。
「ごめん。驚かせた?」
困った様に眉根を寄せて笑ったのはわたしの待っていたそのひとだった。
「い、いえ!ごめんなさい。ぼんやりとしていたもので」
「その割には辺りを見渡していたけど?」
「い、いつからいらっしゃっていたのですか?」
「ええと……あなたが前髪を整える少し前、かな」
そんなに前にいらっしゃったのなら声をかけてくだされば……そう言おうとする前に彼の口から再び言葉が紡がれた。
「僕って影が薄いから気が付かなくても仕方ないよ」
「そんなことありません!」
「ふふ、ありがとう」
わたしの前で微笑む彼は三反田数馬さんという同じ年の男の子だ。
ふた月程前に、両親の使いで山道を歩いていた時、不注意で転び怪我をしたところを助けてくださった恩人である。
「今日は何処へ行くんだい?」
「ええと、行ってみたいお団子屋さんがあって……」
わたしが歩を進めると、数馬さんは少し後ろを着いてきた。
「足の具合はどう?」
後ろから彼の気遣わしげな声が聞こえる。
「もうすっかり良くなりました」
「そっか。良かった」
心の底から安心した、という声が聞こえてきてわたしの頬は緩んでしまう。
三反田数馬さんはわたしが一目ぼれをした方だった。
お礼がしたいからと初めて茶屋に誘ったのは怪我をした日。それからなにかと理由をつけて彼と待ち合わせを重ねた。
第一印象と変わらず優しい彼は疑わず、わたしとの待ち合わせにいつも来てくださった。
勿論わたしたちは恋仲でもなければ友人でもない。だから歩く時も隣に並ぶことはなかった。
有限のある関係に少し切なくなりながらも、わたしは今この時を幸せに感じている。
到着したお団子屋さんは混雑していて、わたしたちは列に並ぶことになった。
「すいません、こんなに混んでるとは思わなくて」
「大丈夫だよ。それだけ美味しいと言うことだろう?」
ふわり、と柔らかく笑んだ数馬さんにわたしは何度も頷いた。
そこからは言葉少なに並ぶ。彼の藤色より少し明るい髪が時折風になびいて、それに見惚れていれば順番なんてすぐに来てしまう。
外の日当たりのよい長椅子に通されればすぐに注文したお団子とお茶が運ばれてきた。
「並んでよかった。美味しいね」
ひとつ頬張った数馬さんが嬉しそうに言った。柔らかくて甘さが控えめなそれを口に入れて大きく頷く。
やっぱり会話は少なく、恥ずかしくなって下を向く。こんなんじゃ次は会ってくれなくなってしまう。なにか言わねばと顔をあげる。
「あの……!」
「そういえば」
わたしのと数馬さんの声がぴたりと重なった。なんて間が悪いのだろう。
どうぞ、と手を差し出せば彼はまた困った様に笑って口を開いた。
「こうしてあなたと出掛けるのは何度目かなって」
ぎくり、と肩を震わせる。わたしは団子の串を置いて右手で勘定をした。
「ええと、四度目でしょうか」
「そっか、四度目か。それじゃあ足の具合も良くなるはずだ。随分とお礼をさせてしまったね」
確かに怪我を助けてくれたお礼にしては回数を重ねすぎている。
「で、でも!数馬さんには塗り薬もいただいてしまっていますしお礼してもしたりません」
ああ、強引過ぎただろうか。恥ずかしくなってもう一本お団子を取る。
数馬さんはきょとんとしたお顔をなさってそれからわたしの好きな笑顔を見せた。
「僕の名前、おぼえてたんだね」
「え?ええ!……もちろんおぼえていますよ」
忘れるはずがない。
三反田数馬さん……山道で泣きべそをかいていたわたしを岩へ座らせてくれて、赤く腫れあがるほどに捻ってしまった足を治療してくれた。そして荷物と一緒に家まで連れて行ってくれたその方の名前を忘れることなんてなかった。
「いや、同級生や先輩にも名前を忘れられちゃうからさ」
数馬さんなりの冗談なのだろうか、わたしは首を傾げる。すると、気にしないで、と優しい声が返ってきた。
名前と言えばわたしは数馬さんに名前を呼ばれたことがない。“あなた”とか“きみ”とか言われるが、一度として名を呼ばれたことがなかった。たしか助けていただいたその日に互いの名を名乗ったはずだ。それでも呼ばないのはまさか数馬さん自身がわたしの名を忘れているのではないか……ぐるぐると考えていたときだった。
「あーっ!」
大きな声が道の方から聞こえてくる。何事かと声の方に目をやれば、男の子がふたりこちらへ歩いてきていた。
隣を見れば数馬さんは手を振っている。どうやら知り合いらしかった。
「藤内、作兵衛、こんなところで奇遇だね」
藤内、作兵衛と呼ばれたその人たちはにこにこと手をあげているが途端に首を傾げた。
「えーっと……声をかけたはいいけれど、誰だっけ?」
「三反田数馬だってば!」
「ごめん、冗談だって」
藍色の髪を揺らしながら笑ったそのひとはちらとわたしを見た。
「数馬が女の子と一緒だなんて珍しいこともあったものだ」
「本当だな」
赤茶の髪のひとも興味深げにこちらを見ている。
「ちょっと、そんなにじろじろと見たら失礼だろう。……ごめんね。僕の同級生の浦風藤内と富松作兵衛だよ」
「はじめまして」
緊張で乾いた声であいさつをすればふたりは愛想の良い笑顔を見せてくれた。
「数馬に妹いたのか?」
作兵衛さんは不思議そうに数馬さんにたずねた。確かにわたしの方が幾分背も低いし、そう見えるかもしれない。
助けてもらったお礼をしているだけなんです、そう事情を説明する前に数馬さんの優しい声が聞こえてきた。
「妹じゃないよ。僕の好きな人」
「そうか、好きな人か……ってええ?」
藤内さんが驚いた様子で聞き返す。わたしはぽかんと放心してしまった。
今数馬さんはなんと言ったのだろう。すきなひと? 好きな人?
あまりに突拍子もない言葉に反応することが出来ず、ただ顔に昇ってくる熱を感じながら彼と驚いている友人を見ていることしか出来なかった。
「だから邪魔しないでくれると嬉しいな」
顔色ひとつ変えずに言う彼を前に、対照的に友人たちは顔を赤く染めた。
「そ、そっか……悪かったな」
「じゃあ俺たち、行くから」
気まずそうに去っていくお二人をわたしは放心状態のまま見つめていることしかできなかった。相変わらずにこにこと笑っている数馬さんはお団子の最後の一本を取る。静かに食んで飲み込めば、言葉を落とすのだった。
「驚かせて、ごめんね」
「……は、はい」
返事をすることで精一杯だ。
「最初は罪滅ぼしのつもりだったんだ」
「罪滅ぼし、ですか?」
「君があの山道で転んだのは僕のせいだから」
数馬さんが言うに、わたしが転んだ原因の石は彼が置いたものだという。道しるべにと置いたものにわたしが盛大に躓き、場所が悪く大怪我をしたらしかった。
「十二才の働き盛り前の女の子の足に傷を作ってしまった。だから傷が治るまでどんなことでもしようと思ってたの」
だから少々強引なお礼の誘いにも来てくれたのだ。今になって彼の行動の意味を知る。
そして知ってしまったからこそ自分の卑怯さをひしひしと感じた。わたしは数馬さんの優しさに付け込んでいたのだ。
「でも、あなたの足は治った。お礼は今日で最後になってしまう」
「そう……ですね……」
罪滅ぼしのためにわたしに会ってくださった数馬さん、それに無意識とはいえ付け込んでいた私。こんな関係は長く続くはずがない。
「だから伝えさせて。罪滅ぼしで始めたのに君から向けられる好意が嬉しくって。僕、浮かれてたんだ」
「き、気が付いていらっしゃったのですか?」
途端、自分の声が震えた。わたしの想いを気が付いていたと言ったのだ。
そりゃあ、君のことを見ていたもの。そう言われれば恥ずかしくなって自分の爪先に目をやった。
「そよちゃん」
どきりと心臓が鳴る。彼がわたしの名前を呼んだ。顔をあげれば、数馬さんがまっすぐにわたしを見ている。
「な、なまえを……」
「やっぱり気にしてたよね?ごめんね。怪我をさせた僕が名前を呼ぶ資格がないと思っていたから」
「そんな、そんなことありません」
嬉しいのか、悲しいのか、切ないのか……色々な感情が一気に押し寄せる。
「罪滅ぼしでこうして会うことを始めたけれど、僕のために前髪を直したり、こうして美味しいお店を調べてきてくれたり。そう言うのがどうしようもなくなったんだ」
なんて言ったらいいかわからないけれど、と数馬さんは付け足す。
「だから、こんな僕を嫌にならなかったらまたそよちゃんと会う約束をさせてほしい」
嫌になることなんてある筈がない。わたしは優しい声に、手に、表情に初めて会ったその日から心を奪われてしまったのだ。
「今度は隣を歩いてくださいますか?」
勇気を出して言ってみる。
返ってきたのは困ったような優しい笑顔だった。
「もちろん、そよちゃんがそれを望むのなら」
勘定をしてわたしたちは初めて肩を並べて歩いた。
これほどに幸せなことが他にあるのだろうか。わたしには想像がつかない。
「……ちゃん?そよちゃん」
「はい!すいません、ぼうっとしちゃって」
声をかけられたことに気が付かないくらいぼんやりとしてしまっていた。呆れられただろうか、慌てて背筋を伸ばす。
「次会うときは連れて行きたい場所があるんだけど、待ち合わせはどうしようか」
こんなにも簡単に。感じる幸せが増えていく。
「数馬さんのお休みに合せます」
「じゃあ、六日後の今日と同じ頃に同じ場所でいいかい」
数馬さんの言葉に小さく頷く。
初めてお礼以外で数馬さんに会える日だ。今はまだ彼が隣にいるのにどうしようかとあれこれ考えてしまうのだった。
ツミホロボシとシタゴコロ
行きついた先は恋心
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