僕の好きなひとは



「おかえりなさい、左近ちゃん」

 僕の好きなひとは少し年が上で。

「わあ、とってもいい匂い」

 僕の好きなひとは良く食べる。

「ここに座っていいかな」

 そして、僕の好きなひとは鈍感だ。

「ねえ、左近ちゃん?」

 さっきから僕に話しかけてくるのは近所に住む農家の娘さんだ。近所に子供が少なかった僕にとっては幼なじみのような、姉のような、親戚のような、そんな近しい存在だった。もうひとつ彼女のことを話すならば、僕の好い人であった。
 三つ年が上のそよちゃんに叶いっこない恋心を抱いたのはいつからか。きっとものごころがついたと同時くらいだろう。僕だって覚えちゃいないのだ。そんな僕の気持ちを知りもしないそよちゃんが人差し指で肩を突いてきた。

「ねえ、左近ちゃん?聞いてる?」

「うわあッ」

 振り向けば、あまりに顔が近かったので無意識に体が跳ねてしまう。
 こほん、とひとつ咳払いを打って僕は目だけを彼女のほうに向けた。

「やっとこっちを見た!大根が採れたからおすそ分けに来たの。なのに左近ちゃんったら料理に集中していてわたしの声が聞こえていないみたいだったから……」

 ここは自宅の土間。僕は母の割烹着を借りてかまどの前へ立っていた。右手には匙、左手には鍋の蓋。手は休まることなく動いている。随分説明くさくなってしまったが、僕は自宅の勝手場でひとり雑炊を作っているのだ。

「しっかり聞いてますよ。わざと無視してたんです」

 僕の冷たい物言いに怯んだろうか、そんな心配を余所にそよちゃんは驚いたように目を丸めた。

「ええ! そうだったの? それならそうと言ってちょうだいな」

「無視したことは怒らないんですね。……だってそよちゃん、大根を持ってきたーなん
て言って、本当はこれを食べるために来たんでしょう」

 匙で完成間近の雑炊を掬って見せる。すると彼女は目をきらきらと輝かせた。

「アラやだ。わかっちゃった?」

 わざとらしく口元に手を置いて笑っている。

「顔に書いてありますから」

「ええ? どこどこ?」

 ぺたぺたと両手で顔を触っている彼女を横目に僕はひとつ、鍋の中身の味見をした。
 そよちゃんはいわゆる天然、というやつだ。五年い組の尾浜勘衛門先輩もそんな風に言われているが、思うに彼女は比べ物にならないくらいの天然ボケだ。

「何も顔についてないですよ。言葉のあやというやつです」

「ああ! 成程! そうなのね」

 からかった僕に怒るわけでもなく、ほっとしたように顔に当てていた手をおろした。そしてまた僕の手元を注目し始める。あまりにじいとみてくるものだからむず痒くて、早口に言った。

「そよちゃんの分も用意していますから、先に上がっていてくれます?」

 はあい、間延びした返事をして彼女は草履を脱いで座敷に上がった。上がってすぐに、ああそうだわ!何か手伝うことはあるかしら、というものだから匙を準備するように頼む。
 こんなに抜けていて普段はどんな風に暮らしているのだろう。そよちゃんの日常が心配になりながら薪の火を弱めるべくしゃがんだのだった。
 日も丁度天辺に昇った頃、僕たちは囲炉裏を囲んで昼食をとっていた。今日に限って両親は遠出をしている。夕飯には帰ると言っていたので、川西家には僕とそよちゃんのふたりきりだった。
 そよちゃんが吊り下げられた鍋から僕が作った雑炊を椀によそって渡してくれる。なんだか照れくさいやり取りに、口早にありがとうございます、と言って雑炊を掻きこんだ。
 そよちゃんはと言えば、同じように椀に雑炊を盛って嬉しそうに匙を口に運んでいた。

「ほんとう、左近ちゃんの雑炊はおいしい」

「そうですか?雑炊なんて誰が作っても同じじゃないですか」

「そんなことないよ。左近ちゃんのが一番おいしい」

「そ、そうですか」

 顔に血が上っていく自分を余所にそよちゃんはもう一杯雑炊を掬う。
 本当に良く食べる人だ。同じ年のくのたま、ソウコちゃんも良く食べるがきっとそよちゃんの方が良く食べる。
 普通の男から見ればはしたない、と思うのだろうか。だけど自分が作ったものをとても美味しそうに食べている様を見るのは気持ちが良かった。
 だからだ。いつも多めに雑炊を作ってしまうのだ。
 こんな僕の気持ちなんて知る由もないのだろう。そよちゃんは天然気質だし、もちろん悟られないようにしているつもりだ。
 だけど、無防備に雑炊を口に運ぶ姿を見ていたらちょっとばかりからかいたくなった。

「それじゃあそよちゃんは今幸せですか?」

 らしくもない素直な言葉が口から出ていく。同じ二年生の仲間だったら「いきなり何言いだすんだよ。気持ち悪いなあ」なんて言うのだろうけれどそこはそよちゃんだ。

「うん、しあわせ」

 何も疑わずふっくらした頬を持ち上げてほんとうに幸せそうな顔をした。
 そしてもう一口雑炊を口に運んだのだった。

「でもそよちゃんは案外幸せじゃないかもしれません」

「ええ? なんで?」

「実は今日、新しい忍術を掛けたんです」

 忍術……? 彼女はぽかんと口を開けた。あれほどせわしなく動いていた右手はすっかり止まってしまう。
 僕はすっかり空になった椀を床へ置いてしまうと、いやに神妙な顔を作ってまっすぐに彼女の方を見た。

「生涯、僕の雑炊を定期的に食べないと死んでしまう忍術です」

 さあ、なんて返してくるのだろう。僕は神妙な顔を作ったままそよちゃんを見据えた。
 まあ! どうしましょう、とかわたし死んじゃうの? とかきっと慌てふためくに違いない。もしかしたら今左手に持っている椀をひっくり返してしまうかも。
 年上の女の人をからかうのは良くないことと知ってはいるもののどうにもちょっかいをかけたくなるのだ。
 しかし、そよちゃんの反応は僕が想像したどの返事にも当てはまらなかった。
 静かに椀を置くと、その手を頬に持っていく。そしてふわりと頬を緩めると小さく言うのだった。

「まあ、なんて嬉しい忍術なの」

 目の前がちかちかとした。とても嬉しそうに微笑むから、僕はどうしていいかわからなくなる。

「ご、ごちそうさま!」

 動揺したまま荒っぽい手つきで自分の椀を片づける。そよちゃんはしばらく首を傾けてそれから最後のひと口を腹内に納めた。
 食器や匙を片づけていると、彼女が草履を履く音がする。
 耳まで真っ赤になっているだろう顔をそちらに向けられなくて、ただただ鍋を擦っていた。

「ねえ、左近ちゃん」

 ごしごしと必要以上に鍋を擦る。無視したいわけじゃない。けれど今彼女になんて返事をしたらいいのかわからなかった。

「あのね、左近ちゃん。今度わたしも一緒に雑炊を作っていいかしら?」

 振りかえればそよちゃんは恥ずかしそうに下を向いている。着物をきゅうと握って、目が合えばひとつ後ずさりをした。

「わたし、あまり料理が上手じゃなくて。だから教えてほしいなって」

「別にいいですけど」

 そんなに照れて言うことでもないだろう。もともと僕はそよちゃんが器用じゃないことだって知っているし、料理が苦手なことだってそんな恥ずかしい事じゃない。きっと僕も忍術学園で保健委員会に所属しなかったらこんなに勝手場に立つ機会もなかったはずだ。
 片付け手伝うね、と隣に立ったそよちゃんに僕は椀を渡す。さあ、囲炉裏の火も均して来よう。そう踵を返した時だ。

「わあ、よかった。これなら左近ちゃんのお嫁さんになる前に料理が出来るようになりそう」

「うえ!? ええええ?」

 慌てて振り返ると、そよちゃんはきょとんとした目をこちらに向けていた。
 その顔をしたいのは僕の方だ。一体この人は何を言いだすのかと目を白黒させる。

「生涯、左近ちゃんの雑炊を定期的に食べないと死んでしまう忍術にかかってしまったんでしょう?わたし、まだ死にたくはないし……でも生涯なら左近ちゃんと一緒になるしかないし……ま、まさか左近ちゃんはわたしを殺す気だった……とか!?」

 あらぬ方に話を膨らませるそよちゃんを茫然と眺めていた。ただのからかいを真に受けて本気にしている。
 どこまでも天然な人だ。そしてそれを愛らしいと思ってしまう僕がいる訳で。
 慌てふためいている彼女に近づいていく。しい、と口元に人差し指を立てれば、持っていた皿を置いて両手で口を押さえた。

「いいですか? ひとりで雑炊を作れるようになるまで絶対手元には気を付けてくださいね。保健委員として嫁入り前の手を傷つけさせるわけにいきませんから」

 ずい、と近寄れば彼女は何度も何度も首を縦に振った。
 今思うと、だ。なんで冗談だ、からかっただけだと言わなかったのだろう。そう言えばいつものように冗談なら早く言ってちょうだいな、と笑ったそよちゃんが見られただろう。
 それでも一生、この馬鹿げた忍術をかけたままでいたい。そう思ってしまったのだ。

「はい、頑張ります!」

 元気の良い返事に、心の蔵が燃えるように熱くなって、火照った顔を悟られないように上へあがる。
 全部全部、馬鹿げた話だ。
 僕の気持ちは、彼女の返事は幼き戯れなのかもしれない。
 それでもどうしようもなく弾む気持ちを抑えられなくて、自然と顔に笑みが溢れる。
 僕の好きなひとは少し年が上で、良く食べて、笑顔がきれいで、それからどうしようもなく天然で。
 そして、そして……



僕の好きなひとは


生涯、術に掛けられたままだ

次へ