教科書にだって載っていない


 本日は快晴。俺の心もまた、快晴である。
 放課後、中在家長次図書委員長のお供で街に出ていた。行き先は馴染みの古本屋で、そこで忍術学園の図書室に置く本を仕入れるのだ。普段、中在家先輩は仕入れの仕事を商売上手のきり丸に頼む。だが、この古書店の仕入れだけは俺を連れてくるのだった。
 理由は単純で、本の価値が見られるか否かであった。普通、こう言った仕事は五年ろ組の図書委員、不破雷蔵先輩が行くのが望ましいのだが、ご存じの通りの迷い癖で俺が指名されている。
 繰り下がりの指名であっても仕事は仕事だ。きちんとやり通すのみである。
 小さな作りの本屋の前で先輩は立ち止まった。ここが目的地である。

「中在家図書委員長。今回はどのような本を探しましょうか?」

「……これを」

「わかりました。探しておきます」

 中在家先輩はこちらに紙切れを寄越した。それはどのような本が必要か書かれたメモだった。

――ええと、生物学の本と遁術の本……これはこの本屋には難しいから、薬草学の巻物と……あ、あった

 棚の一番上にそれらしき巻物を見つける。少し背伸びをして手を伸ばすとそれに触れることが出来た。

「あ」

 ふに、と何か柔らかいものに触れたものだから驚いて手を引っ込める。隣を見れば俺と同じくらいの背丈の女の子がこちらを見ていた。
 どうやら俺の手は彼女の手に触れたみたいだった。それに気が付いたと同時に小さな声が聞こえた。

「……ご、ごめんなさい」

「い、いや。……君もこの巻物が欲しいの?」

「え、あの……は、はい」

 頬を赤く染めて彼女は下を向く。まさか僕が真剣な表情でメモと睨めっこをしていたものだから怖がらせてしまったのだろうか。委員会中の顔が怖いと以前きり丸にも言われたことがあったから、きっとそうに違いない。

「……久作」

「は、はい。中在家先輩」

 隣の棚から中在家先輩の小さな声が聞こえてきた。僕はもう一度背伸びをしてその巻物を取った。

「書物は見つかったか?」

「いいえ、見つかっておりません。きっとまだ入ってきていないのでしょう」

「そうか。私は奥の棚を見てくる」

「私もすぐ手伝いに行きます」

 中在家先輩は頼んだ、と言って奥の棚の方へ足を向けたようだった。ほっと一息つくと、俯いたままの女の子に取った巻物を差し出す。
 彼女はぱちくりと瞼を上下させた。

「これ、必要なんだろう?」

「で、でも……!これはあなたも必要なものなのですよね。さっきの方とお探しに……」

「うん。だけどこの巻物はここに無いことにしちゃったし、持って行って。ほら、後からありました!なんて言ったら怒られちゃいそうだし……」

 本当は手に持っている巻物を絶対に持ちかえらなければならなかった。校医の新野先生がひと月も前から探すことを依頼していたものなのだ。中在家先輩にこのことが知れたらきっとこっぴどく怒られるだろう。
 それなのに僕は不思議と巻物を彼女に譲りたいと思ったのだ。
 はい、と手渡せばその子はおずおずと巻物を受け取った。僕は頬に手を当てて絶対にここに巻き物があった事を先輩に悟らせないぞ、と気合を入れる。

「じゃあ、このことは内緒で」

 そう言って踵を返そうとした時だった。
 つん、と袖口を引かれたのだ。

「あ、あの……」

「なにか?」

 尋ねるともごもごと口篭っている。巻物にまずいことでもあったのか、それとも体調でも悪くなったのか。覗き込めば彼女の小さな声が聞こえてきた。

「お名前を教えてください。お、お礼がしたくって……」

「お礼、そんなのいいのに」

「この書は一点しかないものです。そんな貴重なものをお譲りいただけるのですからお礼の機会を設けさせてください」

 彼女は頑として聞かなかった。幾度かお礼はいいと言ったのだが袖口の手を離してくれない。奥の棚では中在家先輩がお待ちだろう。
 どうしようかと悩んだ挙句僕は自分の名前と、それから一番近くの休みの日。そしてこの本屋の前に待ち合わせすることを伝えた。
 その時、彼女の名前も教えてもらった。そよさん、というらしい。

「それでは、また」

「ありがとうございました」

 ぺこん、と大きなお辞儀をして彼女は去っていった。揺れる髪を見送った後僕はしゃがみこむ。
 今彼女はあの巻物はこの世に一点しかないと言っていた。
 中在家先輩は必死に探していらっしゃる。こうして週に一度、古書店に来るほどにだ。その一か月の苦労を見ている僕がやすやすと同じ年頃の女の子に渡してしまった。こんなことが知れたら怒られるだけでは済まない気がする。もしかしたら委員会を抜けろなんておっしゃられるかもしれない。
 しかし、棚にはもうあの巻物はない。恐らく戻ってくることもないだろう。僕は恐々としながらも顔を引き締め、中在家先輩の待つ奥の棚へと向かうのだった。



***



 忍たまたちが待ちに待った休みの日がやって来た。天気は快晴。昼寝するにも、外に遊びに行くにも最高の日和だ。それなのにもかかわらず、僕の心にはどんより雲がかかっていた。
 これから向かうのは件の本屋の前だった。そよさんにお礼をされに行くのである。そのお礼が嫌だとか、煩わしい訳ではなかった。僕は生涯初めて吐いてしまった嘘を思い出したのである。

――書物は見つかったか?

――いいえ、見つかっておりません。きっとまだ入ってきていないのでしょう

 中在家先輩が必死に探していた巻物を手に持っていながらあんなことを言ってしまったのだ。あれから四日後。現段階でうまくごまかせてはいるが、きっとそれも時間の問題だろう。中在家先輩が店主に訊ねればあの日に巻き物が入荷していたことがわかってしまうのだから。
 ああ、僕が図書委員としていられるのはあと幾許か。そんなことを考えていたら気持ちは沈むものだ。
 複雑な想いを抱えながら待ち合わせの本屋へとたどり着いた。そこにはすでにそよさんが来ていて僕を見かけるなり小さく会釈した。

「こんにちは。待たせたかな?」

「いいえ、私も来たばかりです」

 そよさんは美味しい団子屋があるというので僕はそれについて行った。馴染の店なのかなれたように注文をするとすぐに商品が運ばれてくる。話通りそれはとても美味だった。
 もちもちと楽しい触感と、甘すぎない風味が絶品だったのだ。甘すぎないからかもう一本食べたいと思える。そんな後をひく優しい団子だった。何故こんなに良く味わえたのかといえばそよさんが終始なにも話さなかったからだ。顔を赤く染めて下を向きただ黙々と団子を口に運んでいる。
 僕はもともと話上手ではないし、下手なことを口にして忍術学園に通っていることがばれないように、ただただお礼である団子を食していたのだった。
 彼女が口を開いたのは皿に最後の串が乗った時だった。

「あの、お渡ししたいものがありまして……」

 お礼してもらったのに、更に何があるのだろう。考えていると手に何かが乗った。それは手放した物を後悔していたものだった。

「こ、これって……」

「薬草学の書です」

 巻物をまじまじと見る。確かにそれには薬草学の書と記されていた。だが、何か違和感を覚えた。はたして紙の手触りはこんなだったろうか。それに紙の傷み具合も違う気がする。首を捻っていれば彼女の気ままで聞いたことのない大きな声が聞こえた。

「ご、ごめんなさい」

「え、な、なんだろう?」

 急に謝られたものだからひっくり返った声が出た。そよさんは目をぎゅうとつむって頭を下げている。怒られているときの一年生の表情に似ていた。

「私、実はあの本屋の娘なんです。だから巻物は必要じゃなかったんです。でも、この巻物、所々誤字があって……それをお売りするのが申し訳なくって……」

 そよさんによると、薬草学の書はどこかの国の薬師が書いたもので、その人の字がまあ読みにくいものだったのだそうだ。だから本屋の娘でそよさんが写本して古くなった紙も新しいものに貼り換えたらしい。

「そんな! 謝ることないじゃないか。言ってくれればよかったのに。そうしたら先輩にも説明が出来たし……」

「あの、それは……久作さんに私を知ってほしくて」

「え……?」

「いつも中在家様といらっしゃるのを奥で見ておりました。お名前も随分前から知っていたのです。久作さんが真剣に本に向き合う姿がなんと誠実なのでしょうと思っていました。でも、私は、その……幼い頃から本ばかり読んでいたものですから、口下手でして。どのようにお声かけしていいかも分からず、ただ本に向き合う久作さんを見ていただけでした」

 そよさんはふう、と息を吐く。一気に話したから疲れてしまったのだろうか。呼吸を整えるとまた口を開いた。

「お二人が探していらっしゃった巻物が入荷して最後の機会だと思ったのです。これを買ってしまったらいつお会いできるかもわかりませんでしたから」

 彼女の言葉に自分の顔に熱が集まっていくのを感じる。これが驕りじゃないのなら、彼女は僕と話がしたい一心であの時巻物へ手を伸ばしたということになる。女の子にこんなことを言われて嬉しくない筈がない。

「ごめんなさい。私はたった一度、こうして久作さんとお話がしてみたかったのです。……といっても何も気の利いたお話が出来なかったのですが……」

 彼女は顔をこちらに向けた。
 両の手が着物をきつく握って、頬を赤く染めている。目からは涙が溢れそうでとても儚い、消え入りそうな笑顔だった。

「ありがとう」

 ぐるぐると混乱する頭でようやっと言葉が出た。
 あの日からずっと考えていた。何故大切な書物を簡単に譲ってしまったのだろうと。実に僕らしくない選択肢だったからだ。きっと、そよさんの困った顔が見たくなかったからだ。そうだ、そうに違いない。
 きっと話をしないと彼女は困ってまた俯いてしまう。僕は迷ってひとつ言葉を落とした。

「そよさんの字はとても綺麗だ。力強くて読みやすい」

「……ありがとうございます」

「他にも写本をしているの?」

「はい。たまに父に本の修繕を頼まれるのです。なので何冊かは写本をしています」

 なんだ。そよさん、全然口下手じゃないじゃないか。僕が質問したことを的確に返してくれる。きっとあれだ。恥ずかしがり屋さんなのだろう。すぐに頬が赤く染まるのも、恥ずかしいからだ。まるで顧問の松千代先生のように。

「僕で良かったら話し相手になるよ。本の話とか少しは付き合えると思うんだ」

 そう伝えれば彼女はぽぽぽ、とまた頬を赤く染める。耳までも真っ赤だ。

「は、はい。嬉しいです」

 くしゃり。見たこともない笑顔が見えた時、体の真ん中あたりがどくり、と揺れた。いったいどうしてしまったのだろう。
 心臓が高鳴って、周りの音が良く聞こえない。

「久作さん、好きなご本はありますか?」

 緊張が解けたのか無邪気に聞くそよさんの方を見るのが急に苦しくなった。本当にどうしたって言うのだ。こんなの僕じゃない。ただ、これだけははっきりと分かる。今、僕の顔は彼女のように真っ赤だと。



教科書にだって載っていない


誰か教えてください
彼女に伝わってしまう前に高鳴る心臓をおさえる方法を


次へ