気が付いていないのは君だけ



「ほうら、よくお食べ」

 中庭で飼っている鶏に餌を撒く。明日もおいしい卵を産んでくれますように、そう願いながら。
 必死についばむ様子はなかなか可愛らしかった。餌を撒いた方へ、撒いた方へと歩を進める。
 この子たちは餌しか見えていないのだなあ……ぼうっとそれを眺めていた時だった。

――かたん

 お向かいさんの窓が控えめに開いた。わたしは素早く餌の付いた手をはらう。
 もしかして……期待が膨らんだのだ。
 がたがた、と戸が引っかかる音がして、それから段々に開けられる。
 そこであ……と男の子と目が合った。

「きり丸くん!お帰りなさい」

「おう、元気そうだな」

 少し派手でつぎのある着物を着たその人は笑顔を見せた。
 きり丸くんとわたしは同じ大家さんが貸している家に住んでいるご近所さんだ。大家さんを通じて知り合って、年が近かったものだから自然と仲が良くなった。
 いや、自然と、というのは少し違うかもしれない。

「そよ、大家さんや近所のおばちゃんになにも言わなかっただろうな」

「うん、誰にも言っていないよ」

 わたしはきり丸くんの言葉にいたずらっぽく返した。
 きり丸くんは忍術学園というところに通っている。わたしはひょんなことからそれを知ってしまったのだ。

「そよちゃん、私もいるよ」

「ぼくも!」

 きり丸くんの後ろから小さな影が二つ顔を出す。

「乱太郎くん、しんべヱくん!」

 わたしは顔を出したふたりに久しぶり、と声を掛けた。
 彼らは忍術学園のお友達、乱太郎くん、しんべヱくんだ。
 そんな秘密を知ってしまったために、こうしてきり丸くんとは仲が良くなった。いわば秘密を共有している仲なのである。

「今回はどのくらいこっちにいるの?」

「んー、三日。乱太郎としんべヱはバイトの手伝い」

 後ろを見れば、乱太郎くんとしんべヱくんは仲がよさそうに長らく留守にしていた家の掃除を始めていた。

「半助さんは?」

 半助さんはきり丸くんと一緒に住んでいる忍術学園の先生なのだ。いつもは一緒に帰ってくるのだが、今日はいないみたいだった。

「俺たちの成績が悪くて帰って来られないって」

 バツが悪そうに目を逸らす。

「じゃあ、わたしもバイトのお手伝いをしようか?」

 わたしの提案にきり丸くんはすぐ首を振った。そしてどこか遠くを見ているように言うのだった。

「いい。駄賃も出せねえし。……父ちゃん母ちゃんの手伝いをしてやんなよ」

 わたしはくしゃりと髪を撫でられる。それがくすぐったくて身を捩った。
 きり丸くんは戦争孤児だった。だから教師である半助さんの家に身を置いている。同じ年なのにアルバイトをして生計を立てているすごい人なのだ。そんな強いところがあるから、乱太郎くんやしんべヱくんのようないいお友達ができるのだろうな、と気が弱いわたしはきり丸くんの強さが羨ましかった。
 親を亡くした子を羨ましいだなんておかしいけれど、わたしはきり丸くんを心の底から尊敬していた。

「じゃあ、行ってくるわ」

「そよちゃん! じゃあね」

「あとで一緒にお団子食べようね〜」

 仲良く出ていく三人を見送る。いってらっしゃい、と小さく呟いて、わたしも家へ戻るのだった。

――次の日

 昼も近づいてわたしは家の勝手口から顔を覗かせる。

「……よし、誰もいない」

 中庭を確認して洗い終わった洗濯物の入った籠を持ち上げると、一歩外へ出た。
 慣れた手つきで竿竹に着物をかけていく。
 父さんの、母さんの、わたしの……静かに洗濯物をかけていく。

「……ぐす……ひくっ」

 ただ洗濯物を干しているだけなのに目から涙が溢れてきた。
 なんてわたしは弱いんだろう。流れた涙を止められない。

――お前、目が小さいのな。

――不細工ってやつだ! やーいやーい

 つい先程の出来事だった。
 近所の川で洗濯をしていたら近くに住む悪がきが寄ってたかってわたしをからかってきたのだ。もともと泣き虫だったからよくからかいの標的にされていた。言い返せればいいのに、余計になにか言われるのが怖くっていつもなにも出来なかった。
 次第に嗚咽が漏れて、わたしは袖口を噛む。
 こんなところを見られたら弱虫だ、泣き虫だとまた言われてしまう。それは悔しいのに、嫌な筈なのに、なかなか涙は止まってくれなかった。

「お前、またなんか言われたのか」

 聞こえてきた声に振り返る。開いていた半助さん家の勝手口からきり丸くんがこちらを見ていた。

「な、なにも……」

 嘘をついて洗濯物を干す。気付かれたくなくて誤魔化すように聞いた。

「きり丸くん、バイトはどうしたの?」

「午前の分は終わり。乱太郎としんべヱは駄賃でうどん食いにいってる。そんで俺は金が勿体ないからパス」

「そっか……」

 いつの間にかきり丸くんは薪割りに使う台に座ってわたしの仕事の様子を見ている。
 しばらく黙っていたけれど彼は浅くため息を吐いて、それから呆れたように言った。

「あのさあ、泣くのはいいけどさ。布は高いんだから噛むなよな。痛んじまうぞ」

「う、きり丸くん……」

 わたしが泣くのを我慢していると彼はいつもこうして声を掛けてくれた。表面上は冷たく聞こえるけれど、その実泣いてもいいと言ってくれるのだ。

「泣いても金は減らねえぜ。まあ、腹は減るかもしんないけどさ」

 それから情けなく泣きだすわたしをじっとその場で見ていた。止めることもなく、でも励ますこともない。ただ一緒の空間にいてくれた。それがわたしにとって何よりも嬉しいことだった。

「……あのね、わたしね……不細工なんだって」

 洗濯物を干し終わって、涙が少し落ち着いた。
 わたしはきり丸くんの隣に座って事の一端を話している。

「はあ?なんじゃそりゃ?」

「目が小さいから不細工なんだって言われたの」

 わたしが言うと、きり丸くんはしげしげとこちらを眺める。
 そう言えばきり丸くんは整った顔をしている。同じ年の割に背も高めで、輪郭も細い。大人になればきっといい男になるのだろうな、と思う。そういえば半助さんも近所ではいい男と評判で、きり丸くんは弟だの息子だの言われていたな、と思い出した。
 そんなことを考えていたら、彼の顔があまりに近くにあるものだから、わたしは恥ずかしくて顔を逸らす。

「そよ、ちょっと来い」

 わたしはきり丸くんに連れられて井戸に立たされる。

「冷たい水で顔を洗え」

「なんで?」

「……いいから!」

 時間が勿体ねえ、と急かされればわたしは井戸の水を汲み上げて何度か顔をゆすぐ。冷たい水に頭が冴えた気がした。

「これでいいかな?」

「次はこっちだ」

 そう言われて連れてこられたのは半助さんの家だった。今は点っていない囲炉裏の前に座らされる。

「きり丸くん?」

「人にやったことねえんだ。絶対目を開けるなよ」

「な、なにが……?」

 わたしの問いかけにきり丸くんは答えない。目をつむれの一点張りだった。少し怖かったけどわたしは従う。
 ふわりと顔に何かが当たる。筆のような感触だった。
 この感触は覚えがある。正月の羽子板で負けた時にされるあれだ。わたしは思わず目を開けてしまう。
 すると、鮮やかな色が乗っている貝殻や大小さまざまな筆が床に置いてあった。あまり馴染のないそれらをじっと見る。

「これって、お化粧道具?」

「ああ、変にはしねーから。絶対動くなよ」

 きり丸くんの鋭い目に、わたしは頷いて再び目を閉じる。
 目元を行ったり来たりくすぐられる。それでもきり丸くんの言うことを聞いてじっとしていた。
 しばらく目をつむっていると戸の方から声が聞こえてくる。

「きりちゃーん。ただいまー!」

 乱太郎くんの声だ。おなかいっぱいだよお、というしんべヱくんの声も聞こえてくる。
 目を開きたかったが瞼を何かが触れているのでそれが出来ない。

「乱太郎、しんべヱ、悪い。先に午後のバイト先行っててくれねえか?すぐ行くから」

 本当は気まずくて乱太郎くんとしんべヱくんも一緒にいてもらいたかった。そう言おうと口を開こうとすると、顎を掴まれて上にあげられる。首が伸びて、喉が突っ張る。口を開けることが出来なかった。

「わかったあ。じゃあ先に行ってるよ。ささ、乱太郎。いこっか」

「う、うん。きりちゃん、すぐに来てよ」

「わかってるって」

 あっさりとふたりの足音が遠ざかっていった。すると顎を強く掴んでいた手が緩む。

「仕上げだから動くな」

 下唇が冷たくなって、何かを塗られているようだった。花のようないい匂いがする。上唇も同じく筆が滑るとやっと顔を這っていた感触が全部取り払われた。

「よっし、完成」

 瞼を持ち上げると、きり丸くんが満足そうに笑んでいる。なにがなんだかわからないという顔をしていれば、彼はさっさと道具を仕舞って草履を履きだした。

「今日さ、土井先生の知り合いの櫛屋でバイトしてるから。……絶対来いよ」

「あの近所の櫛屋さん?……でもわたし、櫛なんて買えないし……」

「見に来るならタダだろ。じゃあ、乱太郎たち待たせてるから」

 そう言うときり丸くんは出て行ってしまった。
 買えないのが分かっているのに見に行くだけなんて営業妨害をしてしまうようで気が引ける。しかしいつもはバイト先にくるなとか、手伝いはいらないとか言う彼が絶対に来いと言ってくれたのだ。
 その誘いが嬉しくて、わたしは迷った末に櫛屋さんに行くことにした。

 きり丸くんは商売上手だ。だからバイト先はすぐにわかる。いつもお客さんで賑わっていて、明るい声が聞こえるのだ。
 わたしはそちらへ歩いて行く。それにしてもさっきから街の人が振り返る。やっぱり、きり丸くんに騙されて悪戯をされたのではないか、と不安になるのだった。
 そうだったら立ち直れないな……と心が痛んだ時だった。

「あ! そよちゃん!」

「こっちこっち!」

 わたしを呼んだのは乱太郎くんとしんべヱくんだった。人が多かったものだから見知った姿に安心してわたしは駆け寄る。

「乱太郎くん、しんべヱくん、お疲れ様」

「ありがとう! ……私、途中経過は見たけれど本当に驚いちゃった」

 乱太郎くんは櫛を並べながら言う。

「本当、本当! すっごくきれいだよ! なんか違う人みたい」

 しんべヱくんがわたしの顔を覗き込んだ。褒められることに慣れていなくて、顔が熱くなるのが分かる。
熱くなった頬に手を当てたその時だった。

「バイトくんたち、そちらのお嬢さんは知り合い?」

 櫛屋の女将さんだろうか。恰幅のいい女の人が声を掛けてくる。

「はい、私たちの友人です」

 乱太郎くんが紹介してくれた。

「丁度良かった。今日は人手が足りていないのよ。櫛屋なのに店頭にいるのが男の子ばかりだし、手伝ってくれないかい?」

「でもわたし、バイトとかしたことがなくって……」

「大丈夫よ。うちの櫛をつけて立っていてくれるだけでいいから」

 そういうとその場にあった綺麗な櫛をわたしの髪につけてくれる。客として来たわけでもないし、もう断ることは出来そうになかった。
 困ったように見れば乱太郎くんとしんべヱくんから、あはははと苦笑いが返ってくる。

「大丈夫、分からないことは教えるから」

「ありがとう……そういえばきり丸くんは?」

「ああ、きりちゃんは勘定が得意だから奥にいるよ」

 指差した先には一生懸命に接客するきり丸くんの姿があった。本職みたいに丁寧に接している姿は本当に格好良くて、同じ十の子とは思えなかった。
 きっときり丸くんは忍者にならなくてもうまく世を渡っていけるのだろうなあ、と想像する。

「ごめんください。お嬢ちゃんがつけている櫛はどれかしら?」

 わたしは女の人に呼びかけられて、夢心地から引き戻されたのだった。

 初めてのバイトは思っていたよりも数倍忙しかった。
 わたしの付けている櫛が売れて、また別のものを付ける……それを繰り返して、夕時には表にある櫛がなくなってしまった。
 女将さんは売り上げに大興奮でわたしたち三人を先に上がらせてくれた。きり丸くんはまだ残ると言うので、わたしたちはお団子屋さんで待つことにしたのだ。
 しんべヱくんはお皿いっぱいのお団子を頬張っている。一本食べなよと言うので、好意に甘えていただいた。

「それにしたって珍しいよね」

 乱太郎君がめがねをあげて言った。

「なにが珍しいの?」

「きり丸だよ。ケチで普段は化粧道具なんて絶対貸さないのに、迷わずそよちゃんに使っちゃってさ」

「ほうほう、ほへにほへほうはんはひへ……」

「しんべヱ、飲み込んでから喋りなさい」

 口いっぱいにお団子を詰めたしんべヱくんに乱太郎くんはお茶を渡す。ごくりと大きな音で飲み込むと、再び喋り出した。

「えへへ、ごめん。……そうそう、それにお化粧なんかしてあげちゃって。技術もタダじゃないってぼくたちには教えてくれないもんって言いたかったの」

 きり丸くんは普段から女装でバイトをする時があって、女装の成績は一番らしい。それでも、絶対にその技術は教えてくれないのだと言う。

「でもきりちゃんがお化粧をしてあげたくなる気持ちわかっちゃったなあ」

「やっぱり、不細工だから……かな?」

 そう言ってお団子をひとつ口に入れる。今朝の事を思い出して胸がぴりっと痛くなった。

「ち、ちがうよ!少し手を加えただけでびっくりするほど綺麗になっちゃうから。こういうのなんて言うんだっけ?えーっと……」

「磨けば光る原石!」

「そう、それ!しんべヱ冴えてるー!」

「ふふふ……乱太郎くん、しんべヱくん。ありがとう」

 わたしは甘いお団子を飲み込んで小さくお礼を言った。なんだか午前中のことが和らいで、元気がでた気がした。

「おい、しんべヱ、食い過ぎだぞ」

 顔をあげると、にんまりと笑ったきり丸くんが仁王立ちしている。

「きりちゃんお帰り、どうだった?」

「超儲かった!」

 目を銭にしてブイサインをしていた。

「よかったねえ。ほらきり丸も一本食べなよ」

「やった! いただきまーす」

 それからみんなでしんべヱくんが追加したお団子を食べるのを見届けて、家へ帰ことにする。
 西日に照らされながら伸びた影を追うように歩いていると、きり丸くんがわたしの前に包みを差し出す。

「これ、どうしたの?」

「女将さんが。今日の礼だって」

 開けると綺麗な梅柄の櫛だった。一輪一輪彫ってあって、買うとかなりの値がしそうだ。売ればお金になったんじゃないか、そう聞こうと思った時に前を歩いていた二人が振り返る。

「さあ、それはどうでしょうかねえ? しんべヱ?」

「そうだねえ、きっと紹介料としてもらったお金で買ったんだよお。前に女将さんが現物支給しないって言ってたし」

「おい! 乱太郎、しんべヱ!」

 きり丸くんが怒ったように前を向いた。顔を赤く染めている。
 夕日がきれいな日、というのを差し引いてもきり丸くんの顔は赤かった。

「だってさ、寝る前にいつもそよちゃんの話ばっかりするじゃない。今回だって土井先生が帰らなくてもいいって言ってたのに無理やり来ちゃってさ」

「そうそう。重いのに化粧道具なんか持って帰るんだもんねえ」

「乱太郎! しんべヱ! お前らなー!」

「うわー! きりちゃんに怒られる! 逃げろー!」

 そのまま三人は走って言ってしまって、わたしはその後ろ姿を眺める。
 手に握られた櫛を見て、やっと乱太郎くんとしんべヱくんの言葉に意味に気が付いた。

「え、ええ……ええっ!」

 鼓動が早くなったときにはもう三人の姿は小さくなっていて、ただ浮いたような気持ちで帰り道を行くしかなかったのだ。
 頬に手を当てれば、きり丸くんがわたしの顔へ触れた感触を思い出してしまってどうしようもなくなってしまう。

「ちょ、ちょっと。三人とも、待ってよ!」

 真っ赤な夕日を背にして走り出す。
 赤い顔を突っ込まれたら夕焼けのせいにしよう、そんなことを思いながら豆粒くらいになった三人を追いかけるのだった。



気が付いていないのは君だけ


近所のお子さまも
お前が可愛いからいじめたくなるって
なんで気が付かないんだろうか


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