恋ではない。されどそれは
19期、指名厳禁の段後のお話
マツタケ城で働く女中、そよは忍術学園の道のりを急いでいた。大きな包みを背負って、ずいぶん長い道のりを来た。十一歳の少女には途方もない距離だったが、もうすぐで学園の門が見える。
彼女はひとつ汗を拭って、歩みを進めるためによいせと包みを背負い直した。
その時だった。
「説明しよう」
「ヒッ!」
そよの口から小さな悲鳴が漏れる。後ろからばりばりと何かが裂ける音がしていて、低い男の声が聞こえてきたのだ。
彼女が驚いて振り返れば、なにやら空間の裂け目が出来ている。
なんとも奇妙な光景だ。
そこからは髪の長い見知った顔と、不機嫌そうに腕を組んだまったく知らぬ顔がふたつこちらを覗いていた。
「彼女、如月そよはマツタケ城に務める女中だ。以前、マツタケ城の若様を学園で匿ったときのお礼を一年は組、福富しんべヱにするため忍術学園へ向かっている」
「なんでも若様は一年は組の福富しんべヱにそっくりで影武者として囮になったらしい。学園長へは礼をしたが、しんべヱ自身にはなにもしてないと言うことで今回遣いに出されたそうだ」
「あ、あのう……」
声を掛けるとふたりはこちらを向く。その鋭い視線にそよは何も言うことができなかった。
「以上、説明は用心棒としてマツタケ城に出向いた六年い組、立花仙蔵と」
「今回も全く出番はないが付き添いで来た同じく六年い組、潮江文次郎だ」
「ありがとう……ございます?」
どこからか現れ、今の状況をすべて説明した立花仙蔵、潮江文次郎にそよはお礼を言った。
「如月さん、久しぶりだな」
以前マツタケ城の若様の暗殺計画が持ち上がっていた時に世話になった用心棒、立花仙蔵がこちらに手をあげた。
「お久しぶりでございます」
「ほら、忍術学園はもうすぐだ。早く行け」
仙蔵はほれほれと、手を払った。
「この裂け目は文次郎が貼っておくから気にするな」
「おい、仙蔵!なんで俺が貼らにゃならんのだ!」
より不機嫌そうに眉を吊り上げた文次郎にどうしようかと慌てていれば、仙蔵はいいから早く行けと言った。
そよは渋々前を向いて歩き始めた。うしろから何かを引っ張るような音とぶつぶつと呟いている文次郎の声が聞こえる。しかし彼女は仙蔵の言いつけどおりまっすぐ見て歩いた。
なんであんなところから人が……と考えているうちに忍術学園へ着いてしまう。
立派な看板が掲げられた門を数度叩く。
中から出てきた事務員の差し出す入門表にサインをして、目的のひとを探し始めた。
「そよちゃーん」
そのひとは事務の小松田に連れられてすぐにやってきた。
「しんべヱさま!」
「お城で会った時以来だねえ。元気だった?」
「はい。わたしは元気でございます。しんべヱさまは如何ですか?」
「もちろん、元気!」
ふくよかな頬を上げて、溶けるように笑った。
よく若様に似ていらっしゃる、しかし全く違うのだ、とそよはうっとりとしんべヱのことを眺めた。
数日間、マツタケ城で若様として過ごしたしんべヱのことを他の女中は全く気が付かなかったが、彼女はすぐに彼が若様ではないと言うことに気が付いた。
顔の造作はよく似ている。でも、表情はまるで違かったのだ。
不思議に思ったそよはそのことを家老に伝えれば、暗殺者の存在を教えてくれた。そして、事情を知っているからとしんべヱ、そして小姓役をしていた山村喜三太の世話はずっと彼女がしていたのだ。若様直々に遣いを任されたのもその為である。
「本日はしんべヱさまに用があって参りました」
「そうなの? じゃあ縁側に行こうよ。日があたって気持ちがいいよ」
しんべヱに手を引かれて、庭の見える縁側へ向かう。そこは本当に日差しが柔らかくさして気持ちのいい場所だった。
「わあ、お饅頭だ!」
包みを開けて、しんべヱの口からはよだれが垂れそうになっている。
なんてかわいいお顔なのだろうかと見つめればそれをひとつそよのほうに差し出すのだ。
「そよちゃんも一緒に食べよう」
「しかし、わたしの仕事はお渡しするだけなので……」
「でも食べちゃいけないって言われてないでしょう?」
ずいと差し出すものだから、彼女は断れなくなってひとつ饅頭を受け取った。
しんべヱと若様の決定的な違いはここだった。
若様はいつも凛としていて、武芸の稽古や勉強に真剣に取り組んでいる。すでに殿としての威厳が頭角を現している。すこし近づき難い雰囲気を持っているのだ。
しかし、しんべヱは親しみやすく、誰にでも朗らかな笑顔を向ける。今のように誰に対してでも平等に接しているのだ。マツタケ城でお会いした時も、女中であるそよの夕食を気遣った。
彼女はその優しさに惹かれたのだ。
「ありがとう……ございます」
「おいしいから早く食べてみて!」
そう言いながらしんべヱは饅頭をいっぺんにふたつも口へ放り込んだ。
それを見てから一口、饅頭を口に入れる。
「アッ、おいしい」
「でしょー! おいしいよねえ」
品のいい甘さが口の中に広がった時だった。
「しんべヱしゃま〜!」
生垣の向こうで誰かがこちらに手を振っている。
「あ! おシゲちゃーん!」
その姿を捉えたしんべヱも大きく手を振りかえした。桃色の愛らしい制服に身を包んだ女の子だ。
見た瞬間、ふっくらとした頬がどこかしんべヱに似ていると感じる。ぱっちりとした目を輝かせながら彼女は懐から手拭を取り出した。
「しんべヱしゃま、お鼻拭いてあげましゅ」
「ありがとうおシゲちゃん!」
躊躇なく、綺麗な手拭でしんべヱの鼻をかんであげる。
その時にそよは、ああ、と気付かされるのだった。しんべヱは目の前にいるシゲと呼ばれたお嬢さまの事が大好きなのだと。
「しんべヱしゃま、こちらの方はどちらさまでしゅか?」
不思議そうにこちらを見つめる彼女に、そよは慌てて饅頭を飲み込んで立ち上がった。
「はじめまして、マツタケ城で女中をしておりますそよでございます」
「あたしはくのいち教室のシゲでしゅ」
「おシゲちゃんは学園長先生のお孫さんなんだよ」
春の花のように愛らしく笑わうシゲは品よくお辞儀をした。
たったこの仕草でお互いの想いが通じ合っているのが分かる。仲睦まじそうに笑い合っているふたりを眺めながらそよは胸を痛めていた。
そんな彼女を余所にしんべヱはシゲに彼女が何故ここにいるのかという経緯を話している。
「……そうだったのでしゅか。マツタケ城といえば確かしんべヱしゃまに良く似た若様がいらしゃるのですよねえ?」
「え、ええ。よく似ております」
「ふふふ、そんなに似ているならあたしもお会いしてみたいでしゅ」
可愛らしく笑うおシゲにそよもつられる。
「そうだ、おシゲちゃん。そよちゃんにお饅頭貰ったの。食べる?」
はい、としんべヱはひとつお饅頭を取り出す。シゲは驚いたように目を丸めて、それから眉を下げて俯いた。
「あたしは受け取れません」
「お饅頭、苦手なのですか?」
心配になってそよが聞けばシゲはふるふると首を振った。それから顔を上げてしんべヱに言うのだ。
「しんべヱしゃま。これは気持ちというものでしゅ。簡単に他の人にあげてはいけないのでしゅよ」
「おシゲちゃん、どういうこと?」
「いつかしんべヱしゃまにもわかる日がきましゅ」
シゲはそよの前に来て、膝に置いていた手を包んだ。
ふくよかなあたたかい手が水仕事で荒れた手を優しく握っている。同じ女であるのにその感触はまるで別のものだった。
「そよちゃん、また忍術学園に遊びに来てくださいね。そしてたくさんお話をしましょう」
「……? は、はい」
「おシゲちゃん、なんの話をするの?」
「もちろん恋のお話に決まっています」
シゲはそう言って、実習の準備があるからとあっという間に生垣の向こうに戻って行ってしまった。
「なんか今日のおシゲちゃん、変なの」
しんべヱは呟いてまたひとつ饅頭を手に取る。
そよが若様に言われて、しんべヱのために選んだ饅頭だ。マツタケ城下の街外れにある、朝一番に行かないと買えない饅頭屋の商品である。そこへ夜明けとともに並んで買いに行ったのだ。
シゲはこれを気持ち、と言っていた。
まさか、自分の気持ちに気が付いていらっしゃって……そよは顔を上げたのだが既にシゲの姿はどこにも見当たらなかった。
「しんべヱさま」
「なあに?」
「わたし、しんべヱさまをお慕い申しております」
思わず口をついた言葉は口端に餡をつけたしんべヱの耳に届いているようだった。
口に入っていたそれをゆっくり咀嚼して飲み込めば困ったように眉を下げる。
「そよちゃん、それはぼくに言う言葉じゃないよ」
いつもは一口で食べてしまう半分になったお饅頭を、箱に戻した。
そよはしんべヱのゆったりとした所作を眺めていることしかできない。
彼女自身驚いたのだ。こんなに簡単に気持ちを告げたことに。無垢なシゲを見て悔しくなったのかもしれない。
あの子には敵わない、と自棄になった結果だろう。
ゆっくりとしんべヱはそよを見た。そしてさっきよりも小さな声で言うのだった。
「……それは若様に言わなきゃだめだよ」
ぱちりと開かれたつぶらな瞳には、顔を歪めるそよが映っていた。
それを見てはじめて自分が泣いているのだと気が付いたのだった。
「そよちゃんはぼくを通して若様を見てる」
「そんなこと……!」
「ううん、ぼくにはわかるの」
「そんな……こと……」
しんべヱはにっこりとしたいつもの笑顔を見せた。それが若様に似ていて、そよの目頭がまた熱くなる。
――なんて失礼なことをしていたのだろう
彼女は自分を責めるように俯いた。
そよはマツタケ城内で産まれた。彼女の母は若様の乳母だった。幼い頃は共に過ごし遊んだが、互いが七つになれば若様とはめっきり疎遠になったのだ。
若様は次期マツタケ城の城主の道を、そよは女中の道を。けっして交わることはない人生を歩き出していた。
「そよちゃん、ぼくはねお城に少ししかいなかったけどそよちゃんのことをたくさん見てたよ」
「ご……ごめんなさい……」
「謝らないで。ぼくこそ泣かせちゃってごめんねえ」
しんべヱは自分の袖を伸ばして涙を拭いてやった。
そよの涙は止まることはなく、それどころか堰を切ったようにどんどん流れ出している。
失恋めいたものをしたからなのか、本当の気持ちに気が付いたからなのか、彼女自身はその涙の意味を探し出すことができなかった。
ただただ泣いて、それをずっとしんべヱは見ていた。
そうしているうちに半刻が過ぎてしまった。ぐずぐずと鼻を鳴らしているそよにしんべヱはぽつりと言う。
「まだね、遅くないと思うんだ」
「……はい?」
「ほら、お饅頭!時間が経ったらかぴかぴになっちゃうよ!おいしいうちに早く食べようね」
そう言ってしんべヱは饅頭をまたひとつ差し出した。その顔を見れば反対の手で既に饅頭を食べ始めている。
そよは礼を言って饅頭を受け取った。そして先程よりもしょっぱいそれをゆっくりと咀嚼するのだった。
「珍しいこともあるもんだ」
「ほんとね」
物陰からは小さな影がふたつ、ふたりの様子を伺っていた。
摂津のきり丸と猪名寺乱太郎である。
同室で友人であるしんべヱに客人が来たと聞いて野次馬に来たのだ。
今までずっと黙って見ていた乱太郎ときり丸は、顔を見合わせてから眉を下げ笑った。
「しんべヱが饅頭を食べかけで女の子の話を聞いてたぜ」
「案外しんべヱも彼女のこと好きになりかけてたりして」
「ないない。おシゲちゃんはどうするんだよ」
きり丸がいやいや手を振っているのを見て乱太郎はそうかなあ、と呟く。
「まあ恋心でなくとも特別な感情を抱いていたってのは言えるかもなあ」
「これでそよちゃんが若様とうまく言ったら、しんべヱはあれだよね」
ししし、といたずらめいて笑う乱太郎にきり丸は首を傾げた。
「あれってなんだよ?」
「なんだっけ? チューペット? カーペット?」
ぽんぽんと名前を上げていても全く答えは出てこない。
あれやこれやと名前をあげてもどれもしっくりと来ない時だった。
「キューピット、というやつだな」
「た、立花仙蔵せんぱい!?」
突然うしろから聞こえた声にふたりは肩を震わせる。
木の上から颯爽と最上級生の立花仙蔵が降りてきた。
長い髪をさらりと揺らして人差し指を口元に当てる。ふたりは慌てて口を噤んだ。
「友人のことを盗み見るとは趣味が悪いぞ」
「だって気になったんです」
「立花せんぱいだって盗み聞きしてたんじゃないっすか〜?」
小声ながら、じとりとした視線をきり丸は送る。
仙蔵はバツの悪そうにお前たちと一緒にするな、と返した。そしてふたりの肩に手を添えた。
「さあ、もう邪魔をしないでやろう」
仙蔵の視線の先には笑顔で饅頭を頬張るふたりの姿があった。
これ以上眺めるのも趣味が悪い、と乱太郎ときり丸は先輩に従う。
陽だまりの届く縁側で小さな笑い声が聞こえている。本日の忍術学園は戦の世とは程遠い、穏やかな空気が流れていたのだった。
恋ではない。されどそれは
まことに特別な関係である
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