ねえ、笑った顔をみせて



 寒い冬の中、一日だけぽっと暖かい春のような日和だった。忍術学園の忍たま長屋、その縁側には小さな影がふたつあった。
 ぼくと同じ委員会のしんべヱだ。
 しんべヱはお饅頭を頬張りながら、ぼくは壺を抱えながら青い空を見てぼんやりしていた。

「ねえ、しんべヱ」

「なあに、喜三太」

 おぼろげに会話を始める。思わずモンシロチョウが早起きをして飛び立ちそうな、あたたかな空間が縁側を包んでいる。

「カメ子ちゃんはいつ来るの?」

「ええと、今日の午後かなあ」

「じゃあもうすぐだねえ」

 カメ子ちゃんとは福富カメ子。今度は団子に手を伸ばしたしんべヱの妹だ。
 現在は昼前。カメ子ちゃんが忍術学園を訪れるにはあと一刻程だと言う。

「今日はそよちゃんも来るんだよねえ」

 そよとはしんべヱの実家、福富屋に奉公に出ている娘さんだ。年の頃は彼らよりひとつ上で、しんべヱの大好きなのおシゲちゃんと同じ年である。

「手紙には一緒に来るって書いてあったよ。それにしても喜三太は本当にそよちゃんのことが好きなんだねえ」

 何気ないひと言にぼくは一瞬目を丸めた。それからおもわず笑みがこぼれる。ふにゃりと緩んだほっぺに手を当てながら言った。

「うん、だーいすき」

 初めて会ったのは転校してすぐのことだ。カメ子ちゃんの代わりにしんべヱの荷物を届けに来たそよちゃんにばったりと出会った。
 それから月に一度くらいやってくるそよちゃんと話す機会は増えて行った。は組のみんなとも随分仲良くなったけど、彼女のことをは組の生徒に聞けばこう返ってくるだろう。「とてもおとなしくて優しい子だけど、ちょーっと変わってるよね」と。
 ぼくはそよちゃんが変わっているところも含めて心の底から大好きなのだ。
 時刻はあれから一刻。ぼくは正門の前でそわそわと足踏みをしていた。
 そうすれば控えめな音が木戸から聞こえてくる。錠を外して開けてやれば小さな女の子が二人、笠を深く被って現れた。

「こんにちは」

「カメ子ちゃん、そよちゃん、いらっしゃい!」

 溢れてしまう笑顔で二人を出迎えれば、ぼくは慣れたように入門表にサインを求めた。

「お兄様はいらっしゃいますか?」

「うん、乱太郎ときり丸と一緒に校庭で昼寝してる」

「そうですか。では私はそちらに向かいます」

 カメ子ちゃんは一度深くお辞儀をして、それから校庭の方へ歩いて行った。出入り口ではまだまごまごとサインをしているそよちゃんがいる。田舎から堺に奉公へ出たそよちゃんは福富屋へ来るまで文字を知らなかった。だから自分の名をサインをするにも時間を要するのだ。ぼくはそれを知っていて待っていた。

「すいません。書くのが遅くって」

「ううん、大丈夫。今日は学園に用事?」

「いえ、本日はカメ子さまのお供です」

「そっかあ、じゃあぼくに付き合ってよ! みんな委員会に行っていたりして暇なんだ」

 逸る気持ちを抑えきれずにそよちゃんの手首を引いた。それから木陰の方へと入っていく。
 彼女は手を引かれるままに歩いて行って、けして嫌だとか待ってだとか言うことはなかった。
 木陰に座り込んだ二人は壺を囲む。ぼくが飼っているなめくじの壺である。
 蓋を外すと中からたくさんのなめくじが顔を出す。普通の人では思わず顔をしかめる光景もそよは違っていた。口の端を上げて、にっこり頬笑んだのである。

「ほーらなめくじさんたち。そよちゃんに挨拶をして」

「こんにちは。ナメ次郎、ナメエ門、ナメ助……」

 そよちゃんは手になめくじたちを乗せて挨拶をした。一匹一匹しっかり目をあわせて、丁寧にお辞儀をする。これが彼女が変わっていると言われる所以である。普通ならば嫌がるだろうなめくじを自分のペットのように可愛がるのだ。
 以前ぼくの同室、皆本金吾が「嫌じゃないの?」と聞いた時に「私にはとっても可愛く見えます」と言ったのだ。そよちゃんは飼ったこともないのになめくじのことを誰よりも理解していた。名前も、種類もそれから特徴なんかも教えてあげればすぐに覚えちゃうのだ。ぼくはそれがたまらなく嬉しかった。
 それから二人はなめくじたちを散歩させ、餌をあげ、芸を見ながら笑い合った。半刻もそうしただろうか。
 ぼくはなめくじたちを壺に戻し、ふたりで井戸へ手を洗いに行った後再び木陰へ戻って来た。

「楽しかったね」

「ええ、楽しかったですね」

 不思議な小春日和はまだ続いていて、冬なのに木陰であってもどこかあたたかい。
 座っていたそよちゃんは膝を抱えてぎゅうと丸くなった。

「そよちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」

「いえ。……帰りたくないなあって」

 小さくため息を吐いて、更に丸くなる。

「お仕事、たいへん?」

 覗きこめば表情は見えなかった。腕に顔を押し付けたまま彼女は小さく首を振った。

「最近は色々任せていただいて、やりがいを感じています。旦那様もカメ子様もお優しいですし……ただ……」

「ただ?」

「さみしいのです。今頃田舎の家族はなにをやっているのかとか、そういうことを考える時間が増えてしまって。こうして喜三太さんと遊んでいればそんなこともないのですが……」

 顔を上げたそよちゃんの目には涙が溜まっているようだった。

「じゃ、じゃあさ! もっと遊ぼうよ! そうしたらさみしいのなんて忘れちゃうよ!」

 立ち上がろうとするぼくをそよちゃんは止めた。振り返ればいやいやと首を振っている。

「わたしは帰らなければなりません。帰ってお仕事があります。家族恋しさにそれをないがしろにするなど許されません」

 もうすぐカメ子ちゃんが用事を済ませて正門に戻ってくるだろう。そうしたらそよちゃんは彼女と一緒に堺に戻らなければならない。これはいつものことである。それなのに、この時はとても悲しく感じた。

「う、うわーん!」

 泣き声を上げたのは先程目に涙を溜めていたそよちゃんではなかった。ぼくだ。顔をくしゃくしゃにして、頬を大粒の涙で濡らしながら泣いていた。
 そんなぼくを見たそよちゃんはただおろおろとしていた。こんなんじゃ困らせてしまう。なのにこの涙を止めることは出来なかった。

「悲しい! そよちゃんがさみしい想いをするなんていやだよぉ。つらいよね、さみしいよね」

 わんわんと泣きながら言う。ぼくは遠く相模の風魔流忍術教室からの転校生だ。前の学校のともだちや先輩と離れてさみしい想いをしている。そよちゃんの気持ちが自分のそれと重なって悲しくなったのだ。

「き、きさんたさん、泣かないでください……う、グス……」

 泣いている姿を見てそよちゃんもつられてしまったようだ。そこから二人は涙が枯れるまで泣いた。最後はなんで泣いているのかも忘れてしまうほどに夢中で泣いた。
 どのくらいそうしていただろうか。

「そよちゃん」

 やっと涙が止まったぼくはその場で姿勢を正した。

「はい。……っあ!」

 返事をしたそよちゃんに向けてまっすぐに手を伸ばすと、涙を拭くために出した手拭ごと彼女の尾手を掴まえた。その手は小さく、そしてあたたかかった。

「ぼくはあと五年、ここにいる。そよちゃんがさみしくなってもぼくはここにいるよ」

「は、はい……」

「だから会いにきてね。ぼくならそよちゃんのさみしいの取ってあげられるから」

 泣きはらして赤くなった目がきょとんと前を見ている。ぼくがはっきりと言うのに驚いたのだろうか。でもぼくは今、ここで伝えたかった。
 故郷を想ってさみしい気持ちになるのは間違いじゃないよ。でも、さみしくなったらどうかぼくを思い出してほしい。だって、だって。

「ぼくは大好きなそよちゃんには笑ってほしいんだ」

 なめくじを見て微笑むように。控えめで落ち着いた笑顔をぼくに見せてほしい。

「喜三太さん」

 そよちゃんは僕の手をきゅうと握り返した。ほっぺには涙が一筋流れて、そこが赤色になる。目を細めて、口をあげて。ぼくの大好きな控えめな笑顔だった。

「ありがとう、ありがとうございます。とても励まされました」

 あーあ。ぼくは励ましたいからって大好きって言ったわけじゃないんだけどな。ちょっとがっかりしたけれど、今目の前で笑っているのを見られたらそんなのはどうでも良くなった。
 今はそよちゃんが笑っている、それだけでいいんだ。
 今度会った時もたくさん遊ぼう。疲れて、へとへとになって寂しいのを忘れてしまうくらいたくさん遊ぼう。



ねえ、笑った顔をみせて


そのあときみに好きって言うから

次へ