恋は朱色と気付かず笑え



 瞼を降ろせば赤、赤、赤……
 ぱちぱち、めらめら。ぱちぱち、めらめら。

「……そよ、そよ」

 どこからか低い声がわたしの名を呼んでいる。
 それに応えるように目を開けば、白い顔が目前にある。その表情は心配そうに覗いていた。

「しょうせい、さま……?」

「随分うなされていた様だ。悪い夢でも見たか?」

 そういうとその人は顔と同じく白い手をわたしの額へ置いた。

――ああ、この手が

 わたしを救ってくださったのだ。
 ひんやりと冷たいその手を感じながら、“あの日”のことを思い出す。

 あれは卯月、さくらの咲く季節だった。
 もういいかい、まぁだだよ。
 村の外れで遊んでいたわたしは、かくれんぼの鬼だった。
 もういいかい……もういいかい……
 なにかとても嫌な予感がして、もういいよと友達の声が聞こえる前にはたと目を開けた。
 聞こえてきたのは悲鳴だった。

――かじだ
――やかれる
――ころせ
――おたすけを

 それが何を意味しているのか当時のわたしにはわからなかった。
 気がついたらすべてが無くなっていたのだ。黒く焼け焦げた家々の間にわたしは立ち尽くしていた。
 日が暮れる前の真っ赤な茜空の下だった。

――おや、こんなところにこどもがひとり

 聞こえた声に慌てて振り返る。後ろに立っていたのが今、目の前にいる照星さまだ。

「……少し前の夢を見ておりました」

「そうか。……お早う」

「おはようございます」

 今は神無月、少し寒く感じる朝方の空気の中、照星さまは深く聞かずにそっとわたしの頭を撫でた。
 後で聞いたのだが、その時照星さまは護衛の仕事の帰り道に戦に巻き込まれた村を偵察に来たらしい。そこにひとりだけいたわたしを佐武村に連れ帰ってくれたのだと言う。
 よくわからないが、あのまま誰も来なかったら死んでいたのだろう。
 なにも考えずについてきてしまったが、今はこの大きな手に護られて安全なところで暮らしている。
 もともとここ、佐武村は戦争孤児を引き取ることが珍しくないらしい。
 佐武村のひとびとや、鉄砲隊の中にも何人か同じ境遇のひとがいた。誰もかれも、何も持っていないわたしをあたたかく迎えてくれたのだ。

「そよ、今日は若太夫がお帰りになるそうだよ」

「虎若さまが? 本当ですか?」

 わたしは急いで布団とまとめあげる。慌てると転ぶぞ、なんて照星さまは仰るけれどそんな場合ではない。

――佐武虎若さま

 わたしのもうひとつの安心できる場所だ。

「朝一番で学園を出ると便りには書いてあったそうだ」

「……あの、照星さま……」

「なんだい」

 すっかり練習場に行く仕度を終えた照星さまが、悪夢を取り払うように撫でてくださっていた手を退ける。

「本日、村の裏へでてもよろしいですか?絶対に遠くへはゆきませんので」

「ほう、外に出たがるとは珍しい」

 何故だ? どこに行く? ……照星さまはそう言いたげに視線を流した。理由を言いだし難くしばらく黙っていれば諦めたように笑うのだった。

「……まあいいだろう。昼には必ず戻ってきなさい」

「はい、ありがとうございます」

 わたしは練習場に向かう照星さまを見届けて、自分も急いで着替えて家をでる。
 向かったのは村の裏手にある山の前だった。
 村の裏手には柿の木が数本植わっている。家の裏からいつもこっそり見ては成り時を見計らっていたのだ。

「そよ、知ってる? 村の裏には柿の木があってね、それを秋にみんなで食べるのが楽しみなんだ。だから今年は一緒に食べようね」

 村へ来て数日経った時に、虎若さまから教えてもらったことだ。半年経ってもこの約束のようなものをずっと忘れることはなかった。
 わたしの命の恩人は照星さまだ。そしてもうひとり、こころを救ってくださったのは佐武衆の頭領、昌義さまの子息である虎若さまだった。
 恐怖で眠れない日々も、目を閉じると常に立ち昇っていた赤も、すべて虎若さまが取り払ってくださった。

「紀伊の国は緑がきれいなんだ。空はこんなに青くて……ほら、川の水は透明だ。火なんてありゃしないよ」

 そう言って手を握ってくれた虎若さまは何よりも力強かった。
 いつか何かをお返しできないかと思っていたのだ。

 しかし困ったことに、柿の木に近づいてみると思ったよりも高かった。柿の実を取るには何か工夫せねばならないようだ。
 わたしじゃ木に登れそうもないし、石をぶつけたら実が潰れてしまうだろう。照星さまや昌義さまに……いや、今は朝の訓練中、邪魔をするわけにはいかない。
 どうにかして取らなければ、そう柿の実を仰いでいた時だ。

「そよ! そよー!」

 後ろから足音がする。振り返れば虎若さまが大きく手を振ってこちらへ走ってきていた。
 この間お会いした時よりもだいぶ日に焼けられたようだった。

「虎若さま、おかえりなさい」

「いやだな、虎若“さま”だなんて呼ばないでよ」

「そんなわけにいきません!」

 わたしはすぐに首を振った。
 神仏に対してさほど信仰のないわたしにとって、虎若さま、そして照星さまはその対象である。対等に接するなどもっての外だ。

「何をしていたんだい?」

「ああ、あれを……虎若さまが帰っていらっしゃると言っていたので」

「すごい、立派な柿だ! 覚えていてくれたんだね」

 虎若さまは目を輝かせて上を仰いだ。

「でも、わたしの手では取れずに困っていたのです」

「そんなことならぼくに任せて」

 そういうと虎若様は荷をおろし、柿の木に手を掛けた。

「だめです、危ないですよ!」

「だいじょうぶ。は組のみんなと木登りしてるから」

 そう言うと草履のまま木に足をかけて、するすると登っていく。
 木のくぼみを足場にして、あっという間に実の成るところまで着いてしまった。

「ほらね、だいじょうぶだろ?」

 少し大きく張られた声がわたしの元へ届く。柿をひとつ取ってこちらに見せた。

「そよ、行くぞ!」

 そうすると、放物線を描くようにふわりと投げられる。慌ててそちらへ追いかけると両手の中に柿が降ってきた。

「お、落としてしまいますよ!」

 肝を冷やしながらそれを懐にしまう。虎若さまは白い歯を覗かせて笑っていた。

「銃も柿も一緒だよ。うまく狙いを定めればいい。そよはそこに着物の裾を広げて立っていて」

 わたしは言われるとおりに着物の裾を持ち上げる。真ん中をたるませれば、そこへ一つ柿が降ってくる。
 上を向けば、虎若さまは違う場所に移動していて右手で柿を取っていた。

「ははは、うまいうまい。次はもっと大きいのが行くぞ!」

 ぽん、ぽんと次から次へ柿が着物の裾へ落ちてくる。
 着物がいっぱいになったところで、慣れたように木から降りてきた。

「すごい、大量ですね!」

「みんなで食べよう! そよも食べるだろ?」

 大きく頷くと、虎若さまは荷から風呂敷をだす。わたしはそれを広げて採った柿を詰めて包んでいった。

「そうだ! 忘れてた」

「……なんでしょう?」

 すべて包んで、風呂敷をきゅうと結んだ時だった。思い出したように声をあげた虎若さまの手がわたしを包む。

「そよ、ただいま」

 視界がちかちかと瞬く。
 なんて眩しいひとなのだろうか、と一瞬で目を奪われる。恐れや、怯えのない、純粋な目の光はわたしには眩しすぎた。
 束の間だが、あの残酷な光景を忘れさせてくれるような気がする。

「……おかえりなさい」

「今日は照星さんと、それから父ちゃんと昼飯を食べよう!」

「で、ですが……」

「一緒に柿を取ったんだから、そよも一緒に食べるの」

 半ば強引な誘いにわたしは頷くことしかできなかった。それからたくさんの柿を持って村へ戻って行く。
 家の前には訓練を終えた昌義さまや照星さまがいらっしゃった。取ってきたそれを見て嬉しそうに笑ったのだ。

 そして、昼食後。わたしは包丁で柿を剥いていた。
 佐武村へ来て、包丁の使い方を教わった。文字の書き方、読み方なんかも教えてもらっているがそちらは滅法うまくならない。こうして家事炊事をしているのが性に合っているようだった。
 剥いた柿が次から次へ無くなっていく。それに微笑ましさを覚えながら、わたしはまた次の柿に手を伸ばす。

「父ちゃん、聞きたいことがあるんだけどさ」

 虎若さまが柿を手に昌義さまに尋ねた。

「なんだね?」

「……ぼくって、許嫁とかいるの?」

 その言葉に昌義さまが手に持っていたお茶を溢す。すかさず照星さまが手拭を渡した。

「なんでまたそんな話になる?」

「いや、なんか武家の子なんかはそう言う子がいたりするって聞いたからさ」

 先輩や友人に聞いたのだと虎若さまは仰った。

「お前にそんな子はいない。いたらとうに言っておるわい」

 昌義さまは熱いお茶のかかった手を拭いながら言う。わたしは剥き終った柿を皿に置きながら黙って聞いていた。
 許婚、馴染のない話だ。まだこどもの自分には縁遠い話である。お姫様や良いところの御嬢さんならそう言う話があるのかもしれないが、まったく遠くの話に聞こえる。
 思えば虎若さまもわたしと同じ年頃だ。そういうのがお分かりになるのだろうか。
 虎若さまはわたしとはまるで立場が違う。佐武衆次期頭領になる方だ。許婚とかそういったひとが数年のうちに現れても不思議じゃないと思っていたところだった。

「じゃあさ、ぼくそよを嫁にしたい!いいでしょ?」

 いきなりの言葉に、手から包丁が滑り落ちる。

「……そよ! 怪我はないか?」

「お前は何を言っているんだね!」

 わたしの手を心配そうに眺める照星さま、その奥で怒鳴る昌義さま。
 幸い怪我はなかったが、心の蔵は無事ではなかった。

「だって、そよと一緒にいたいと思ったんだもん。だめなの?」

「駄目だとか、そういう話ではない。お前はまだ十で、学生なんだぞ。全く何を考えているんだ」

 怒る昌義さまに、虎若さまは先輩にそういう方がいるとか、友人にもいるのにどうして駄目なのだとか駄々をこね始める。
 半ば親子喧嘩に発展した言い争いの中で、わたしは情けなく固まって柿を剥くこともままならない状態だ。

「……そうだ! 照星殿に聞きなさい。そよにとって照星殿は親代わりでもあるんだから」

「え、私ですか」

 昌義さまから言われた照星さまはひどく困った顔をなさった。
 頭領である昌義さまが欲しい答えは“非”であるが、自分を慕ってくれている虎若さまの求めている答えは“是”である。
 どちらかに答えを出せば自らも言い争いに巻き込まれるだろう。

「照星さん!」

「照星殿!」

 ふたりに真剣な顔で詰め寄られれば、さすがの照星さまもたじろいだ。
 わたしと言えば相変わらずどうしていいかわからずぼうっとその様子を見ているだけだった。

「昌義殿……若太夫……」

 珍しく焦りを含んだ声で照星さまがふたりを見比べる。それから考えるように目を伏せて、低い声で告げるのだった。

「若太夫の銃の腕が……私に勝った時、この子が頷くのなら良いでしょう」

「しょ、しょうせいさま!?」

 やったあ、と叫ぶ虎若さまとまだまだひよっ子よ、と安心したように呟く昌義さまを余所に、わたしの心臓は痛いくらいに鳴っている。

「そよ、ぼく忍術学園で頑張るから。待ってて」

 初めてあったあの日のように強く手を握られて、笑顔を向けられれば胸には心地よい温かさを感じる。
 さあ、特訓だと出て行かれる虎若さまとそれについて行く昌義さまの後姿を見送ったのだった。
 虎若さまのお嫁になる……全く想像のできないことを頭に浮かべる。あと数年後、成長したらそんな未来を描けるようになるのだろうか。
 考えているととなりからすっと手が伸びてくる。照星さまが困られたように笑いながらわたしの剥いた柿を差し出していた。

「参った……あの子ならすぐにやって退けてしまいそうだ」

「困りごと、ですか?」

「いいや、なんでもないよ」

 独り言のように言う照星さまから柿を受け取る。よく熟したそれを口に入れる。

「あ、甘い……甘いですね、照星さま」

「そうかい。……良かったな」

 口の中に広がる、みずみずしい甘さ。そして感じる胸の温かさ。
 虎若さまと一緒に柿を取っていた時、先程手を握られたときに感じたそれと一緒だった。
これに名前を付けるならなんというのだろう。
 その答えに気が付かないまま、わたしはもう一口柿をかじるのだった。



恋は朱色と気付かず笑え


ずっと君をまもりたい
きれいな世をみせてやりたい
しあわせです、と笑わせたい


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