ありがとうのれんしゅう
竹かごを背負ってよいせ、よいせと山道を登る。月に一度か二度、父さん、母さんから頼まれるこの仕事は生活の中で一等楽しみにしているものだった。
わたしの背負う竹かごには色とりどりの花たちがいっぱいに入っている。
父は忍者をしながら花屋をやっている。縁あって、両親が愛情込めて育てた季節の花たちを忍術学園のくのいち教室というところに届けるのがわたしの仕事だった。
人通りの少ない山道のちょうど折り返し、頂上に来た。これを下ってまっすぐ行けばすぐ忍術学園に着く。
さあ、行こう。そう足を一歩進めた時だった。
「ねえ、ちょっと!」
誰かに呼び止められて浮かせた右足を戻す。振り返ればひとり、男の子が立っていた。
水色の着物を着た彼は深い紺の髪を揺らして、山道を行くには随分と軽装だ。
「はい、なんでしょう?」
「お花、落としたよ」
はい、と差し出された男の子の手には一輪の花が握られていた。
「あ、ああ!ごめんなさい」
「気を付けて。大切なお花なんでしょう?」
「すいません」
「待って、籠を降ろすの大変でしょう。ぼくが後ろに差してあげる」
そう言うと彼はわたしの後ろに回った。かさり、と花弁が擦れる音がする。
しばらくすると男の子は再びわたしの前に戻って来た。
「はい、これで大丈夫」
「本当にすいませんでした」
花が零れないように小さくお礼を言う。すると水色の着物から伸びる細い手がこちらにすっと出された。そのままわたしの手を握ってしまう。
「ねえ、こういう時はありがとうって言って?」
にこり、ときれいな笑顔が視界いっぱいに広がっている。
つきつきと胸のあたりが痛くなって、頬が熱くなった。
「あ、あり……がとう、ございます……」
途切れ途切れにお礼を言うと彼は満足そうに笑んでわたしの手を離してくれた。
「くだりは急だから気を付けてねー!」
ぶんぶんと大きく手を振るその子に見送られながらわたしは山を下るのだった。
「……以前、なんてことがあったんですけど…………」
「まあ、素敵!」
「なんてロマンチックなのかしら」
「そよちゃん、もっと聞かせてください〜!」
あれからふた月後、わたしは縁側で三つの華やかな桃色に囲まれていた。
ぽかぽかとあたたかい日の差す場所で目を輝かせているのは、ユキちゃん、トモミちゃん、おシゲちゃんだった。
本日も忍術学園にお花の配達に来ていた。授業が終わり、使わなかった花や花器を回収するのもわたしの仕事のひとつだ。その合間にわたしはよく彼女たちとおしゃべりをしたり、お茶を飲んだりする。これが忍術学園へくる最大の楽しみなのだ。
わたしはふた月前程にであった男の子の話をしていた。
「それから忍術学園に来る途中にその方と会うことがあって、いつもわたしが落としてしまったお花を拾ってくださるんです」
あれから忍術学園に来る途中の山頂であの子に会う。いつの間にか落としてしまった花を拾ってくれるのだ。
「ロマンチックな話なんだけれどそよちゃん、大丈夫なの?お花をそんな頻繁に落としちゃって」
ユキちゃんが心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「はい! 忍術学園に入る前にお花の本数を確認するのですが、ちゃんとひとつも欠けずに揃ってます」
「じゃあ、お花がそよちゃんと彼を引き合わせてくれているってこと?良いわねえ!うらやましい」
トモミちゃんはうっとりと頬を抑えてそれから湯呑に口付けた。
「でも好きだとかそんなんじゃなくて、ただ本当にお花を拾ってもらっているだけなんです……」
「それでそれで、その方はなんというお名前の方なんですの?」
おシゲちゃんが目を輝かせて聞いてくる。
わたしの口からはあ! と情けない声が漏れた。
「……そう言えばまだお名前を伺っていませんでした」
「ええー!」
三人の高い声が中庭に響く。
それから同時にこちらへ詰め寄った。
「何度もお花を拾ってもらってるのよね?」
「どうしてお名前を聞いておかないの?」
「次いつ会えるかもわからないんでしゅよ!」
あまりの気迫にわたしはしどろもどろとしてしまう。
「その……会うと言ってもほんのわずかな時間ですし、お花を拾っていただいてるだけです。もしかしたらどんくさいやつだって思われてるかも……」
わたしの言葉に三人はふう、と浅くため息を吐いた。
「本当に、そよちゃんは自分に自信がないんだから。ねえ、トモミちゃん」
「ええ、こんなに可愛らしいのに勿体ないわ」
「そうだ! そよちゃんに自信を持たせるために髪をかわいく結うのはどうでしゅか?」
突然のおシゲちゃんの提案に、ユキちゃんとトモミちゃんはそれだわ!と立ち上がる。テキパキと湯呑を片づけて、わたしはあれよあれよと座り直させられてしまった。
それからはなすがままでわたしはじっとしているしかない。
後ろからは簪がいいかしら、余ったお花を挿すのはどう?と楽しそうな声が聞こえてくる。
元々近所に女の子が少なく、友達も多くないわたしにとって少々強引で、だけど華やかな彼女たちと過ごすこの時間は楽しい。
「ねえ、トモミちゃん、おシゲちゃん。そよちゃんのお花を拾ってくれる方、どんな方かしらね」
「笑顔が素敵で、一輪の花を拾って籠に差してくれる優しい方でしょう? 利吉さんみたいな方じゃないかしら」
「いやーん、素敵ねえ」
リキチサン……? 聞いたことがない名前だった。首をひねっているとああ、だめよ、と正面に戻されてしまう。
「優しいならしんべヱしゃまも優しいですよお」
「おシゲちゃん、しんべヱが朝早く山の頂上にいる訳ないでしょう」
「確かにそうでしゅ。どんな方ですかねえ」
こんな人だ、あんな人だと意見が飛び交っていると正門の方からがやがやと賑やかな声が聞こえてきた。
何事かと首を動かそうとすれば、少し機嫌の悪そうなユキちゃんの声が聞こえてくる。
「ああ、一年は組の連中が帰って来たんだわ」
「今日は山田先生のマラソンの授業だって言ってたものね」
一年は組、その言葉を三人からは幾度も聞いていた。忍術学園一の問題児が集まる組だと、愚痴交じりの話を聞いていたのだ。
「そう言えば、一年は組にはおシゲちゃんが好きな子がいるんですよね?」
「ええ、しんべヱしゃまです!」
後ろにいたおシゲちゃんがぴょこりと顔を覗かせた。頬を赤くして、喧騒の方向を見ている。
「帰ってくるのがあの生垣からみえましゅよ。あ! でもしんべヱしゃまに惚れちゃだめですからね」
人差し指を立てるおシゲちゃんに後ろから、それはないと思いけれど……と二人の声が聞こえてくる。
髪がゆるい力で引っ張られるのを感じながらわたしは生垣の向こうを見た。
めがねをかけた男の子が後ろにいるふくよかな男の子を引っ張る。その子を後ろからもう一人、襟巻をしている子が押していた。
「しんべヱしゃま〜!」
おシゲちゃんが手を振ると、真ん中のふくよかな男の子がとろけそうな笑顔になって手を振りかえす。
あれが噂の“しんべヱしゃま”のようだ。
「おシゲちゃーん!」
「井戸までもうちょっとですよ! 頑張ってください! お昼は一緒に食べましょうねー!」
しんべヱくんははあい、と手を振りかえして、それから途端に元気よくなって行ってしまった。
その後ろを生徒たちが続々と歩いて行っている。マラソン終わりだからか、みんな疲れた顔をしていた。
「アッ!」
わたしは思わず大きな声を出してしまった。
お疲れ顔の生徒たちの中にひとりだけ笑顔で歩いている男の子を見付けたのだ。
「どうしたの? そよちゃん」
髪を梳く手を止めてトモミちゃんが訊ねる。
「あ、あの方です……!」
「あの方って?」
「山頂でお花を拾ってくれる方です! 後ろから二番目の、髪が長い……」
少し背の高い男の子の隣には笑顔で歩いている彼の姿があった。名前も知らない、あの人だ。
「え、えー! もしかして三治郎の事!?」
「ユキちゃん、声が大きい!」
ユキちゃんの声にサンジロウと呼ばれた彼はふと立ち止まった。
こちらを見ると一瞬だけ目を見開く。それからすぐ笑顔になってこちらにひらひらと手を振った。
「あ、え、ああ……」
振りかえそうかどうしようか手を持て余しているうちに彼は生垣の向こうに消えて行ってしまった。
振りかえればユキちゃん、トモミちゃんがどこかがっかりした表情をしていた。おシゲちゃんは未だにしんべヱさんの行った方向を見つめている。
「まさか……」
「一年は組の夢前三治郎だったとはね……」
「あのう……まさかユキちゃんかトモミちゃんがあの方のことを好いている、とか?」
聞けば二人は揃ってそれはないわ、と手を払った。
「ま、忍術学園に花拾いの君がいると分かれば話は早いじゃない」
「ユキちゃん、花拾いの君って……」
「なんか格好悪いでしゅ」
トモミちゃんとおシゲちゃんに突っ込まれたユキちゃんは良いじゃない! と少しだけ怒って、それからわたしの髪を手に取った。
「ユキちゃん……?」
「うんと可愛くして会いに行ってらっしゃい!」
「そうね! それがいいわ! おシゲちゃんも手伝って」
しんべヱくんの方を見ていた彼女ははあい、と笑って、三人はばたばたと準備を始めた。
わたしはやっぱりどうしていいかわからず、そこに座しているしかなかったのだ。
あっという間に髪を結われて、どんな姿になっているかわからないままに肩を押されていく。
さあ、行ってらっしゃい、と強く肩を押された先には井戸があった。
がやがやと、忍たまたちが大勢いた。水を頭からかぶっていたり、足を洗っていたり、水を飲んでいたり。
それが一斉にこちらを向いて、緊張で足がすくんでしまう。
「女の子だ。誰だろう」
「誰かのお客さん?」
「あれえ、どこかで見た気がする」
こそこそと話しはじめる彼らにわたしは何も言えないでいる。するとこつんと桶を床に置く音がした。
「ぼくのお客さんだよ」
水を飲んでいたのだろうか、口を拭いながら彼が前に出て来た。
にこにこと笑顔を崩さないままこちらに向かってくる。
「ちょっと行ってくるから先に昼ごはん食べていて」
「え、ええ!」
彼は、手首を掴むとすたすたと反対方向に歩いて行く。
後ろからはその子誰だよとか、どこに行くんだよとか、先に行ってるよとか色々な声が聞こえてきている。それなのに彼は一切振り向かずにずいずいと歩いて行ってしまった。
井戸から離れて着いたのは正門の横に生えている木の真下だった。忍ぶように木の陰に座った時にやっと掴まれていた手首が離される。
「引っ張ってきちゃってごめんね。もしかして他の子に用事だった?」
「い、いいえ!」
慌てて首を振ると彼は頭巾を取った。さらり、と長い髪が揺れる。
「ぼくは夢前三治郎」
「如月そよ、です」
「そよちゃん。……あ、これ!」
三治郎くんはわたしの右側を覗き込んだ。
「今日ぼくが拾ったお花だね」
ふふ、と笑う彼に顔が熱くなる。ぐつぐつと胸の中が沸騰してしまいそうだった。
「あの、いつもお花拾ってくれてありがとうございます。いつもどんくさくて、そのすいません……」
お陰で、毎度ひとつも欠けずに配達できています、そう伝える。すると三治郎くんは少し困った顔をした。
笑ってはいるのだけれど、眉がハの字に下がっている。
「謝らなきゃいけないのはぼくだ。そよちゃん、ごめんね」
出てきた言葉があまりに意外なものだった。
「え、ええ! なんで三治郎くんが謝るんですか?」
「だって、あれ。わざとだったんだもん」
ぽかんと口が開いてしまうわたしに三治郎くんは続けた。
「すれ違った時にわざと花を引き抜いてそよちゃんを呼び止めていたの」
だから、花を落としたわけじゃないんだよ、と彼は言った。
「なんでそんなことを……!」
「んー、内緒!」
「な、ないしょ、ですか……」
シイ、といたずらっぽく人差し指を立てる彼を見る。
なんでだろうかと考えていれば三治郎くんは慌ててこちらを覗き込んだ。
「うそうそ、ちゃんと教えるよ。ぼく、あの山頂でいっつも走る特訓をしていたの。は組でどうしても勝ちたいやつがいるんだけどぼくはいつも一等になれなくて……特訓も身に入らなくってさあ。そんなとき花を担ぐそよちゃんを見かけたの」
あまりにもまっすぐに前を向いて、楽しそうに歩いて行くものだからちょっかいをかけたくなっちゃったんだ、そう照れたように言った三治郎くんは眉根を寄せていた。
「そう、だったんですか」
「ずっと前から何度も隣を走り抜けていたのに、そよちゃんってばいつ呼び止めてもはじめまして、みたいな顔するんだもん」
「ごめんなさい、あの! 道を急いでいて、それに恥ずかしくて! あの本当にごめんなさい!」
慌てて謝ればすうと手を取られる。初めて呼び止められた時みたいに掴まえられてしまった。
「思っていたんだけど、そよちゃんってありがとうって言うの苦手だよね」
「そうでしょうか?」
わたしの問いかけに三治郎くんは力強く頷いた。
「いまからごめんなさいとすいません禁止ね。ありがとうって言って」
わたしが言葉の意味を飲み込む前に、じゃあ試すよ、と三治郎くんがわたしの髪を指差した。
「この髪型、かわいいね」
「す……あ、ありがとうございます」
「いつも重い籠を背負って山をひとつ越えてくるのえらいね」
「あ、ありがとうございます」
そのあともいくつか言葉を試される。
わたしがありがとう、と口にするたびに三治郎くんの笑顔が輝いていっているように見えた。
お花を渡されたときも思ったけれど本当にきれいに笑うなあ、とぼんやりとしてしまう。口からは次々とありがとうが出て行った。
「……ぼく、そよちゃんのこと好きみたいなんだけど、これからもっと仲良くしてくれる?」
「ありがとうございます。……え!」
三治郎くんは今なんと言ったのだろうか。ぼんやりとしていてうまく理解が出来なかった。
「ふふ、やったあ! 嬉しいな。そよちゃんありがとう!」
「え、ええ? あの……!」
戸惑うわたしに三治郎くんはにこにこと笑顔を見せるばかりだ。少し意地悪なその笑顔を不思議にいやだと思わなかった。
「今度山頂で会ったら忍術学園へ一緒に行こうね」
強引に指切りをされて、わたしの顔が火照っていくのが分かる。
この感覚に、痛くなる胸の理由に名前を付けられないままにわたしは震える声ではいと返事をするのだった。
ありがとうのれんしゅう
ありがとうが出来るようになったなら
今度はすきのれんしゅうしてね
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