また、きます



「ねえちゃん、勘定ここ置いとくよ」

「はあい、毎度」

 わたしは急いで声の方へ駆けてゆきます。
 ここは峠の入り口の小さなうどん屋。ここの娘として生まれたわたしは物心ついた時から手伝いをしていました。
 素早く膳を下げて、机を拭いてゆきます。今日は涼しくなったから温かいのが良く売れる……先程のお客さまの満足そうなお顔を思い出しました。うどんを召し上がった後のお客さまの顔がわたしは大好きなのです。
ざ、と土を踏む音が聞こえてわたしは振り返りました。

「いらっしゃいませ」

 声を掛ければ、お客さまはこくりと会釈をして奥の席へと入られてゆきます。

――お昼から少しずれた時間、きっちり七日に一度、同じ席

 最近お店にはそんな常連のお客さまがいらっしゃいます。

「ご注文は……あ、温かいものでよかったでしょうか?」

 わたしが聞けばその方はまたこくり、と小さく頷かれます。此方のお客さまは必ず同じものを召し上がりになるのでした。

「温かいのをひとつお願いします」

「はいよ!」

 父さまの声を聞いたわたしはひと段落して店内を眺めます。いつもはぱらぱらいるお客さまも今日は誰もいませんでした。

「そよ、あがったよ」

「はい、ただいま」

 出来立てのうどんを持ってお客さまの元へ運びました。

「お待たせしました」

「……ありがとう」

 本当に小さな声が届きます。わたしはそれを聞き、笑顔になって勝手場に戻って行くのでした。お客さまはいつも一言お礼を言ってくださいます。
 同じ時間に来て、同じ席に座って、同じものを召し上がって……しかし、不思議なのはそれだけではありませんでした。食べた後は音もなく帰られてしまうのです。

「ご苦労さま。昼も食べさせないで悪いねえ。休憩するかい?」

 勝手場で洗い物をしていた母さまが心配そうに聞いてきました。

「いいえ、もう少し経ってからにします」

 そう言いながらわたしはちらり、と客席を見ました。手伝いをしているうちにやはり忽然とあのお客さまがいなくなったのです。
 わたしはすぐにお客さまが座っていた席へゆきました。
 綺麗に残さず食べられた椀に、そろえられた箸。そして

――また、きます

 置かれていたのは仮名で書かれた短冊のようなかたちの和紙でした。
 わたしはそれをふたつに折って、帯にしまいました。

「父さま、母さま、一度家へ戻ります」

「はいよ」

 わたしは浮いた足取りで店のすぐ裏にある家へ入るのでした。すぐに草履を脱いで壁に掛けてある小物入れを開けます。そこには同じ和紙がたくさん入っておりました。

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……とおあまりご! 十五!」

 わたしは思わず小物入れをぎゅうと抱きしめました。あの方がうちの店に来るようになって半年、初めてこの和紙を置いて行かれたのが約四月ほど前です。
 ただ律儀な性格の方なのだと思いますが、わたしには恋文のように見えて捨てることなどできませんでした。
 とても寡黙な名も知らぬあの方……それを聞く勇気など到底ありません。声ですらありがとう、以外聞いたことがないのですから。初めての感情にどう接してよいかもわからないのです。

「またお手伝い頑張りますね」

 わたしは祈るように呟いて草履を履きました。

「おう、そよよ」

「父さま、なんでしょう?」

 夕時前、お客さまが入る前に父さまが声を掛けてきました。

「だれか良い人はいるのかい?」

 わたしは母さまが淹れてくれたお茶を吹き出しそうになりました。

「なななな、何故そんなことを! 全然!まったく! 縁がございません」

「そうかい。もうお前さんも十四だ。そろそろ結婚相手でもと思ったのだけどなあ」

「そんな! まだ早いです!」

 わたしは首を大きく振りました。
 恋をしているわけないと両親が一番よく知っている筈なのですから。
 ずっとお店を手伝っていて、休みをいただいてもろくに出かけずにいました。店を手伝う自分がなんとなく好きだったからかもしれません。
 一瞬ふとあのお客さまの顔が浮かびましたが、あまりに一方的で雲の上の存在です。

「早くなんてないのよ!わたしは父さまと十五で結婚したのだから」

「店に来たお前さんがえらく別嬪だったからさ」

「あら、あなたさまってば」

「もう! お店にお客さまが来た時はやめてくださいね」

 仲の睦まじい……いえ、睦まじ過ぎる両親を見ながら少し羨ましいと思う自分がいたのでした。
 わたしもいつか……なんて夢物語を描いても、ずっと手伝いばかりしていた自分を好いてくれる人が現れるなんて想像ができません。
 そう言えばあの方は誰か想い人がいらっしゃるのかしら。随分大人びていらっしゃったから妻子がいるのかもしれない。そんなことを考えては苦い気持ちを噛み殺すのでした。
 それからきっちり七日が経ちました。
 空からはサア、と音がして雨が降ってきました。秋の長雨でございます。

「これじゃあお客さまが減っちゃうじゃないか」

 父さまが暖簾を分けて溜息をつかれていました。

「お天道様の機嫌はどうにも出来ませんからねえ」

 そう返せば、店先で父さまは誰かと話している様子でした。

「ああ、いらっしゃいまし。ええ、空いておりますとも。……雨宿りにどうぞ。はい、笠と蓑はお預かりします」

 わたしはすぐに勝手場から出ました。暖簾をくぐったのはやはりあの常連さんだったのです。少し髪が濡れていて、それでもいつも通りの席に静かに座られました。
 こんな日も来て下さった。わたしの気分は一気に高揚します。

「いらっしゃいませ。寒かったでしょう。温かいの、出しますね」

 わたしは急いで淹れたお茶を置いて、注文を言いにゆきます。
 目をやると、いつもはじっと待っているお客さまが今日は荷を解いて何かを出しました。それは書物のようです。
 お恥ずかしながら仮名は少し読めますが難しい漢字を読むことはできません。題名をちらと覗いてもそれが何かを理解することはできませんでした。

「お待たせしました」

「……ありがとう」

 わたしは隣に置かれた本をじっと見てしまいました。
 その様子をお客さまに見られていたようで、わたしは慌てて頭を下げます。

「不躾に、申し訳ありません」

 奥に下がろうとした時でした。

「……読む、か?」

 低い声が耳に伝わります。

「い、いいえ! お恥ずかしながら仮名くらいしか読むことが出来ないのです。お気持ちありがとうございます」

 その人は頷くと手を合わせてうどんを啜り始めました。そのきっちりとした所作がまさにお客さまの律義さを表しているようで思わず頬が緩むのでした。
 本を出したということは雨がやむまで居てくださるのでしょう。わたしは長く同じ空間に入れる幸せを噛みしめて、手ぬぐいを洗いに戻りました。自分が昼を食べる前にもう一度机をきれいにしておこうと思ったのです。ついでに積んであった洗い物を終えて戻った時でした。

「……あれ?」

 そこにお客さまはいらっしゃりませんでした。椀のところへ行けばお代と、少しにじんだ和紙が置いてあります。そしてその横には……

「父さま、母さま! わたし、ちょっと出てきます」

「どこ行くんだい?」

「すぐ戻ります!」

 わたしはそれを掴んで雨の中へ飛び出しました。
 机に置かれていたのは本だったのです。
 あの方が忘れて行かれてしまった。きっと峠から街の方へ歩いて行かれる。確かではないのに足は自然と動いていました。
 本を濡れないように懐に入れ、前かがみで走ってゆきます。

――ああ、いらっしゃった!

 お客さまは足早に歩いていらっしゃいました。
 どうしてもわたしの足では追いつけそうになく、無我夢中で呼びます。

「おきゃくさまっ! ……お客さま!」

 立ち止まってこちらを振り返ります。わたしの姿が分かったのかすごい勢いで駆けていらっしゃいました。途中で蓑と笠を外されて息を切らしながら走ってきてくださいました。

「はぁ、はぁ……お客さま……あの……」

「風邪に罹るぞ……」

 そう仰ってわたしに笠をかぶせてくれました。同じく蓑も被せていただくと私の肩を引いてゆきます。
 申し訳ないとか、大丈夫ですとか、そんなことを言う暇などありません。あれよあれよと連れてこられたのは、廃 寺にある鐘つき小屋の下でした。ずいぶんと寂れてしまった場所は雨を避けるには申し分ない場所でした。

「申し訳ありません……足を止めさせてしまって」

「……問題ない」

 改めて申し訳ない気持ちになって正座をしました。お客さまは蓑や笠をわたしに被せたままで降りゆく雨を眺めています。なんとなくですが、怒っていないことはわかりました。ですが、申し訳なさばかり募ってゆきます。

「本を……お忘れになっていたので、お届けに参りました」

 わたしは懐から本を取り出します。運よく一滴も雫が垂れていなかったようでした。

「ああ……」

 そういうと本を手にしたまま黙ってしまわれました。

「いつもいらしてくれてありがとうございます。あの、これ……いつも元気をもらっております」

 帯に入れていた和紙を取り出します。お客さまはすこしむっとした顔をなされてそれからわたしを見ます。

「会えるきっかけになればいいと思っていた」

「はい……?」

「まさか追いかけてくるとは思わなかった」

「ごめんなさい、ご迷惑でしたでしょうか?」

 わたしの問いかけにお客さまは首を横に振られました。

「わざと、忘れて来たんだ」

 ……後日、会うきっかけになればと。ぼそりとそう付け加えたのでした。
 急に顔が熱くなってきました。それは、まさかわたしに会う為にわざと……期待ばかりが膨らんでゆきます。

「あ、あ、あの!」

 わたしは勇気を振り絞って声を出しました。

「お名前を教えていただけないでしょうか!」

 震える声に恥ずかしくなりながら、その方を見ました。

「ちょうじ」

「ちょ、うじ、さま?」

「中在家、長次だ」

 わたしは手のひらに仮名を書きます。ちょうじ、なんてきれいな文字の並びでしょう。

「流れるような素敵なお名前ですね」

「そよ、……お前の名も良い」

 短くてもしっかりした一言一言にわたしは顔を赤くさせてしまいます。

「私はお前に惚れている」

 雨に消されてしまうような声で長次さまは言いました。耳を疑うような言葉に何度も瞬きをしてしまいます。

「それは、恋文のつもりだった……」

 指をさしたのはわたしが握っている和紙でした。
 そのひと文字ひと文字に想いを乗せて書いてくださっていた……わたしは思わず目の奥が熱くなりました。
 あまり字を読むのが得意でないことを察してくださって、少ない文字で伝えてくださっていたのです。

「わたし……嬉しくて、すべて取ってあるのです! これで十六枚、全部です。わたし、読むのも書くのも得意でなくて……でも、大切にしております」

「……泣かないでくれ」

「ごめんなさい……嬉しくて」

 長次さまの指がわたしの涙を掬ってくださいました。すべてがどきどきとして、心の蔵がおかしくなってしまいそうでした。
 そこから口数も少なく雨を眺めていました。
 長次さまは元より喋るのが得意ではないとおっしゃいました。だから黙っていても気にしないでくれ、と。わたしは読み書きが苦手で、長次さまはお話しするのが苦手で……なんて不釣り合いなのだろうと笑ってしまいます。

「長次さま」

「……なんだ?」

「後日、本の読み方を教えてくださいますか?」

 長次さまは無言で頷かれます。また沈黙が続くと思った時でした。

「雨が上がって、そよを店へ送っていく」

「……はい」

「そして七日が経ったらまた同じ時間に同じ席に座る」

「嬉しいです」

「……そのあと、本を買いに行こう。……いいだろうか?」

 問いかけと同時に長次さまがわたしの頭の笠を外しました。乱れた髪をそっと直してくださいます。

「もちろんです! ……あの……笠、ありがとうございました」

「止んだ」

 外に目を向ければ、雨はすっかり上がっていました。

「……少し惜しい」

 長次さまはぼそりと呟いて、鐘つき小屋から出ていかれました。

「ああ、お待ちください!」

「……焦るな。待っている」

 少ない言葉で、優しく言って下さる長次さま。わたしは緩みっぱなしの頬を押さえるのです。
 あと七日、あと七日でまた長次さまにお会いできる。
 無言で重ねられた手に身を委ねて、すっかり湿った土の上を歩いてゆくのでした。

「そよ……」

 長次さまが指差した先には大きな虹がかかっていました。

「わあ、きれいですねえ」

 その時、ふ、と息が漏れる音がしたので急いで見上げると、やはりむっと顔を顰めた長次さまがいらっしゃるだけでした。
 いつかあなたさまのいろいろなお顔が見られますように……そう願ってわたしはそっと長次さまに身を寄せたのでした。






惚れた人への恋文は
想いを込めた五つの字


だいすきなおともだちからのReq(thankiss)

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