始まれ!あの子の奪還作戦

 部屋の真ん中で荷物を纏める。
 同室である伝七は昨日の朝早くに実家へ戻って行ってしまった。い組の他の連中も、というより生徒のほとんどが家へ帰って行ってしまって学園の中はがらんとしていた。
 残っているのは教師陣数名と、あとは実習の後片付けがある上級生だけだ。そう言えば潮江文次郎会計委員長は仕事があると言っていたなあと思い出す。

「よ、左吉」

 きゅっと荷袋を締めた時、上から声が降ってきた。反射的に顔を上げる。
 にい、と白い歯を見せて笑っていたのは同じ委員会に所属する加藤団蔵だった。
 紫色の普段着で仁王立ちをすると腰に手を当てている。

「なんだよ。は組は補習で居残りか?」

 この明るい笑顔を見ていると何故か無性に嫌味のひとつも言いたくなる。すると団蔵は口を尖らせるのだった。

「違うよ。今日は馬借の仕事」

 そうか、だから私服なのか。そんなことをぼんやり思っていると団蔵は右手に持った包みを見せてきた。

「しかも左吉へのお届けものでーす」

「おお、ありがとな」

 これを待っていたのだ。団蔵から小さな包みを受け取って懐へ入れる。
 片手間にサインをしていれば何か聞きたげにうずうずしているのが目に入った。

「……な、なんだよ」

「いやあ、最近定期的に左吉に届け物があるからなんだろうと思って」

「なんだっていいだろう」

「ええ、教えてくれないの?」

 残念そうな声が返ってきた。
 教えてやるものか。は組の連中に知れたらロクなことがない。
 頑なに口を閉ざしていれば仕方ないなあ、と諦めたようだった。

「ま、なにかいいものなんでしょ」

「なんでそう思う?」

「だって、それを受け取るときの左吉の顔、いつも嬉しそうから」

 さて、ぼくは潮江先輩に挨拶してこよう、そう言ながら返事も待たずにさっさと部屋を出て行ってしまう。
 サインをした筆を忘れて行ったので待てよ、と呼び止めようとした時だった。懐からかさり、と包みの音が聞こえた。
 その音で団蔵を追おうとする足が止まったのだ。
 早く帰らなくちゃ。
 筆は休み明けに返そう、そう思ってそれを戸棚にしまってしまう。
 団蔵が開け放して出て行った戸からさんさんと日が差している。太陽を見ればもう昼時になってしまうようだった。
 ぼくは急いで準備をして、家路につくために草履の紐を結ぶのだ。
 一年い組は実戦に弱い。いつも担任の安藤夏之丞先生がお嘆きになっていることだ。
 確かにぼくもそう思う。それでもどこかへ忍び入ることに関してだけは自信があった。
 帰る途中、ぼくはあるお屋敷に寄る。そこの裏口から入って、縁側から廊下へ、廊下から部屋へ移っていく。
 奥から三番目の部屋の前には隠し扉がある。それをくぐれば、少し広い場所に出るのだ。

「ただいま」

 息だけで声を飛ばす。すると目の前に座っていた子が振り返った。

「左吉くん!」

 明るい笑顔にぼくは人差し指を立てる。ここで誰かに気が付かれたらせっかくの努力が台無しだ。

「今日の予定は?」

「夕刻から琴のお稽古、帰ったら歌のお稽古だよ」

 ぼくに合せて小さく話す彼女はふふ、と嬉しそうに笑っている。
 目の前で笑っている少女……そよは昨年まで近所に住んでいた幼なじみだ。
 朝から晩まで泥だらけになりながら遊んだ彼女が今はこうして綺麗な着物に身を包んでいる。
 そよの父は戦でまだ彼女が幼い頃に亡くなった。それから二人で生きていたが、母がある金持ちの商人に見初められたのだった。
 そして今はこうして裕福な家の娘として生活しているのだ。

「どうだ?ここの生活はなれたか?」

「自由にお外へは行けないけれど新しいお父様も優しいよ。なにより母さんが幸せそう」

 困ったように笑っている彼女はでもね、と続けた。

「習い事が多くてそれが窮屈かなあ。あまり上手じゃないから」

 明らかに落ち込んでいるそよがいつもより小さく見えた。

「すぐうまくなるって。ほら、これ食べて元気出せよ」

「わあ、氷砂糖だ!」

 そよはぼくの懐から出てきた包みに目を輝かせる。馬借に定期的に頼んでいたものは氷砂糖だったのだ。
 昔から甘いものが好きだった。ふたりで小遣いを出し合って行商人に売ってもらって分けて食べたのだ。だからここへ来るときはこうして氷砂糖を買って来る。墨や、日用品を節約してなんとか買えても少しの量だが、そよの笑顔が見られるなら構わなかった。

「左吉くん、ありがとう」

 喜んでいるそよをまじまじと見ているとあることに気が付いた。
 こいつの手ってこんなにきれいだったかな。
 包みを握るその手がやけにきれいに見えたのだ。前は水仕事をしているからすりむけたり、赤くなったりしていた。それなのに今は白く、傷一つ見当たらない。

「左吉くん、見て見て」

 そんなことを考えていることなどつゆ知らず、そよは機嫌よくぼくの前に箱を置いた。どうやらそれは小物入れのようで、木でできたそれを開けて見せる。
 中には以前買っていった氷砂糖の包みがそのまま入っていた。

「な、食べなかったのかよ」

「もったいなくて食べれなかったんだ。それに悪くなる物じゃないから」

 数えれば買っていった物すべてに手を付けていないようだった。綺麗に整頓されたそれらを見て胸が熱くなる。
そして、猛烈に悲しくなった。
 気が付いてしまったのだ。そよは思ったより遠い場所にいる。きっと氷砂糖なんかより高価で上質なものが周りに溢れているだろう。
 彼女の笑顔は綺麗だった。でもそれは本当に笑っている顔なのか?口の両端を上げて品よく微笑むなんてしなかったじゃないか。
 その笑顔を引き立たせるのは綺麗な着物、帯。それから高価そうな簪。
 麻の着物を着た自分がえらく貧相に感じた。

「もう氷砂糖じゃ、気に入らないか?」

 聞けば彼女は慌てたように首を振る。
 泣きそうな顔になったそよに、泣きだしたいのは自分のほうだと思った。

「違うの……あのね、」

 手を合わせて彼女は言う。それを口元へ持って行って小さな唇を隠してしまう。

「これを食べたら左吉くんと遊んでいたときのこと思い出しちゃうから」

 ひく、と喉が鳴った。目から涙が流れる。
 ぼくはひどく自分勝手な人間だ。
 そよが急にこんな良いお屋敷に入って苦労しないはずがない。
 友達もいないところで、勉強や習い事を詰め込まれて、慣れない格好をして。礼儀作法を叩きこまれて……その努力の証が涙を拭く彼女の所作に出ていた。

「ほんとは前みたいに左吉くんと虫取りに行ったり追いかけっこしたい」

「ご、ごめん」

 わあと泣き出してしまうものだから誰か来やしないかと神経をとがらせる。
 それでも足音がするわけでもなかったので、そよの背中に手を伸ばした。
 ぽん、ぽん、とあやすように叩いてやる。元々そよは泣き虫だった。転んだり、怒られたりすればすぐに泣いていた。でもここへ来てからはぼくの前で泣くことはなかった。
 ずっと我慢していたのだ。

「お稽古いくのに目が腫れるぞ」

「うん、ごめんね」

 そよが悪い訳ではない。泣かせたのはぼくなのに、彼女は何回も謝った。何度か背をさすれば落ち着いてきたようで、ぐずぐずとしていた鼻の音もやむ。
 ぼくは背中を回した手を頭に移動させて顔をあげさせた。
 よかった、もう泣いていないみたいだ。そっと離して座り直す。それから気分転換にと学園であった話をした。

 同じ組の友人の話とか、は組の連中の話とか。この間あった予算会議はそれはそれは大変だったこととか。
 あまり話がうまくないのにそよは興味深そうに聞いてくれる。
 控えめな笑い声が部屋に響いていた。
 ふと、話が途切れた時に少しだけ寂しそうな顔が見られた。それが耐え難くてぼくはまたひとつ、話し始める。

「……あのさ、そよ」

 切りだしたはいいものの、この先の話をするのは恥ずかしかった。あっという間に鼓動は速くなって、自信のない試験の直前のような心細さを覚えた。

「なあに?」

「待っているのは得意か?」

 要領の得ない質問が口をついた。そよは戸惑うようにうなずく。
 まあ、そうだ。待つのは苦手ではないはずだ。一緒に遊ぶときはいつもぼくが集合場所で待たせていたのだから。

「それなら待っていてくれ」

 彼女は唇を薄く開いた。きっと何か返そうとしているのだろう。
 なんで?と尋ねたいのかもしれない。しかし、それが出てくる前にぼくは言葉を続けた。

「もっと勉強して、いい成績とって必ず学園を卒業してみせる。その日までここで待っててくれ」

 ほとんど真っ白な頭で言う。
 もう泣いてほしくない。出来ることなら悲しい思いもしないでほしい。悔しいけれど、今のぼくには何もできない。せめてもの約束くらいしかできないのだ。

「ああ、でも……きっとここよりいい暮らしはさせてやれないかもしれない。苦労もするかも……」

 急に言ったことの自信がなくなって目をそらす。
 ここから出ることなんてこの子は望んじゃいないのかもしれない。この家にいれば裕福な暮らしが出来る。ぼくが一生かかっても手に入らないものでもすぐに手に入れてしまうだろう。
 それでも、そよの返事は早かった。

「ううん、わたし左吉くんのこと待っています」

 手を握られれば、足先からだんだんに頬へ血が上ってくる。
 思わずだらしなく頬が緩めば彼女もつられたようににこりと笑うのだった。
 どうしようもなく恥ずかしくなって、ぼくは立ち上がる。

「じゃあ、また来る」

「もう行っちゃうの?」

 そうやって寂しそうに眉を下げる。ぼくは何回もこの顔を見ることになるのだろう。そう思えば少しだけ胸が痛んだ。

「そろそろ琴の復習にって女中のおばさんが見に来るだろう?」

 琴の稽古がある日は早めに女中がひとり見に来るのだ。そろそろ来てもおかしくない頃合いで、出来れば居合わせて面倒が起きる前に帰りたいものだ。

「すごいね、わたしよりわたしのこと知ってるの」

 感心したように呟いたそよに、当然だと言ってやりたくなった。
 この家へ来る前に何度も下調べをした。使用人はどの時間帯で動いているのか、行商人はどの頻度で来るのか、そよの両親はどのくらい彼女と顔を合わせるのか。
 恥を忍んで委員会の先輩方にも手伝っていただいたのだ。彼女よりもこの家には詳しいつもりでいる。

「これでも忍者のたまごなんだぞ」

 全て話してしまうのは恥ずかしいから、それだけ言う。君に会いたくて先輩に頭を下げてまで調べたなんて口が裂けても言えっこなかった。
 そっかあ、と嬉しそうな笑顔が見られる。今日一番の笑顔に胸が高鳴った。
 きっと自分は顔を真っ赤にしている。急いで障子の方へ向き、その顔を見られないようにした。

「そうやって歯を見せて笑った方がかわいい」

「え……?」

 逃げるように廊下を出てしまう。草履をすぐに履ける準備をして、部屋から部屋へ、廊下から縁側へ移っていく。
 下に降りれば一目散に裏口へ回った。
 また来るから。そう心に呟いて最後にそよが見せた笑顔を思い出す。
 白い歯を見せて、目をくしゃりと寄せた笑顔だった。ぼくはあの表情が好きなんだ。
 思い出して早くなる心臓誤魔化すように、懸命に走る。
 裏口からでてしばらく行った後でも破裂しそうな心臓は止まらなくて、あの厳重な屋敷からどう出してやろうかとばかり考える。
 いっそのこと夜に忍んで連れ去ってしまおう。今は到底できないことを考えては、前に一緒に食べた氷砂糖の甘さを思い出すのだった。



始まれ!あの子の奪還作戦
正攻法をするつもりなんて
万が一にも有りはしない


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