今度はぼくにだけ会いにきてね。
生物委員会にはときどき外からお客さんがくる。
厳密に言うと生物委員会のお客さんとは言えないかもしれない。
だけど月に一度か二度、委員会活動中にその子は現れる。天気がいい日の放課後に来るのだった。
「こんにちは!」
黒く、つやのある髪の毛を揺らして、嬉しそうに荷を抱えて。その子はやってくる。
「おお!そよちゃんか。久しぶり。元気だったか?」
生物委員会委員長である竹谷八左ヱ門先輩は、生物小屋を直している手を止めてゆっくり立ち上がった。
「お久しぶりです。変わりなく元気ですよ」
「そっか、待ってなあ。今呼んでくる」
その声にぼくはかんながけをする手を止めた。それでも竹谷先輩はぼくの隣をするりと抜けてそのまた奥に歩いて行ってしまう。
「おーい、虎若ー! お客さんだぞ」
この声を聞く度に、ぼくの名前を呼んでくれたらいいのにって思う。それでもいつも呼ばれるのは一年は組の佐武虎若だった。
「だれですかー? ってああ! そよ!」
のこぎりを置いて虎若が走った。
嬉しそうににこにこ顔を綻ばせて、同じい組の伝七と左吉が見たらだらしない顔だなって笑うんだろうな。
「て、手紙、持ってきてくれたの?」
「はい、これです」
わあ、やったあ! と虎若の大きな声が聞こえる。見れば拳を握りしめて天高く掲げていた。反対の手には丁寧に畳まれた紙があった。
ぼくはなにも見ないふりをしてかんなを手前に引くのだった。
そよちゃんは佐武村に住む同じ年の女の子だ。
彼女はたまに手紙を持って忍術学園を訪れる。きっとあれは、恋文というやつなんだろう。
なんの手紙? と聞いたことはないけれどそれを読んでいる虎若の顔でなんとなくわかるのだ。
今だってすぐに手紙を広げてしまっている。先輩方の前でもお構いなしだ。読み終わったんだろうか。虎若は顔を、いや耳まで真っ赤にして、唇を震わせた。
「あーあ、虎若ったらまったく」
となりから明るい声が聞こえてきた。虎若と同じは組の夢前三治郎の声だった。言葉では呆れているのにその声色はどこか優しかった。
「顔、真っ赤だねえ」
「仕方ないよ。嬉しいんだから」
三治郎と孫次郎が顔を合せてくすくすと笑っていた。周りを見れば竹谷先輩も、それから伊賀崎先輩も苦笑いを溢している。だけど、虎若に向けられる視線はどこかあたたかかった。
「せ、せんぱい!」
「どうした、虎若」
「あ、あのう……!」
妙にしゃっきりと背筋を伸ばした虎若が先輩に声をかけた。
竹谷先輩は一回空を見上げて、それから困ったように笑った。
「ああ、いいよ。返事を書いてきな」
「あ、ありがとうございます!」
目を輝かせて、虎若は忍たま長屋の方へ走って行ってしまった。
「よし、じゃあ虎若が返ってくるまで休憩な」
合図をするとみんな気の抜けたような返事をした。それぞれが道具を置いて、日陰に入っていく。
「孫次郎! 今作っているからくりの設計図見る?」
「うん、見る! 一平は?」
三治郎と孫次郎が振り向く。どうしようか迷ったけれどぼくは横に首を振った。
「ううん、明日の予習しようかなと思って」
三治郎と孫次郎はやっぱりい組は真面目だねえ、とかせっかくおもしろいからくりなのになあとか口々に言いながら行ってしまった。
ぼくだって本当は三治郎のからくりの設計図を見たいって思っている。だけど、今はそんな気分になれないのだ。
ぼくは木陰に座って懐に入れておいた忍たまの友を広げる。内容なんかこれっぽっちも入ってこなくて、ぼんやりと字を目に入れていた。
「一平さん」
はっと顔をあげる。ぼくの名前を呼んだのは紛れもなくそよちゃんだった。虎若を待っている時間が退屈したのだろうか。
「なあに?」
「若太夫を待っている間、隣に座ってもいいですか?」
「うん、どうぞ」
半分だけおしりをずらして、そよちゃんが座れる場所を作ってあげる。木陰は広いからそんな必要もないんだけれどここに座ればちょうど木が背もたれになるのだ。
そよちゃんはぼくの隣にちょこんと座った。
「ああ、もしかしてお勉強中でしたか?」
「ううん、そんなことないよ」
慌てて忍たまの友を懐に隠してしまう。それを見てそよちゃんは愉快そうに笑った。
ぼくは何気なく、声を落とす。
「佐竹村遠いでしょう? 疲れてない?」
「い、いいえ。確かに距離はありますが、お会いできると思えばなんてことありません!」
隣を見ればそよちゃんが顔を真っ赤にして俯いている。
ああ言うんじゃなかった、なんて思いながらそっかあと相槌を打つ。
虎若に会うのがそんなに嬉しいのかなあ。たしかに力持ちで火縄銃を持たせたら一年生で一等かもしれないけれどさ。
それでもこの百面相のように変わっていく表情にぼくは惹きつけられたんだ。
佐武村の若太夫、虎若が恋敵だなんてなんという負け戦だろう。胸の中心辺りがつきつきと痛くなってくる。
「一平さんも今日は大工仕事で大変ですね。小屋を直すだなんてすごいです」
「本当はこういうの用具委員会の仕事なんだけれどね。用具委員会は手が足りないんだって。直すと言ってもほとんどは竹谷先輩がおやりになるからぼくはお手伝いするくらいなんだ」
「そうなんですね! ……そう言えば! 生物委員会に用具委員会にあとはどんな委員会があるのですか?」
興味津々に聞いてくるそよちゃんにぼくはそうだなあ、と一つずつ上げて行った。
「体育、図書、火薬でしょう。あとは保健に会計、学級委員長委員会、それから作法委員会かな」
「お作法の委員会もあるんですか?」
作法、きっとそよちゃんが想像しているものと違うんだろうな、と思った。
彼女が頭に浮かんだのはお花やお茶のほうの作法だろう。実際のところそう言った管轄は学級委員長委員会で、作法委員会は戦の作法を学ぶ委員会だ。
いくら佐武村に住む女の子でも首実検の話をしたら怖がるかもしれない。ぼくは前に同じい組の黒門伝七が話していることを思い出した。
「そう言えば、同じ組の伝七が作法委員会なんだけど手紙の作法も学んだって言ってたよ」
「へえ、お手紙にも作法があるのですね」
実際は戦の書状を書く作法なのだが、手紙には変わりない。そよちゃんは感心したように頷き、それからぼくに話の続きを求めているようだった。
「きっと恋文も作法が分かれば書くのが楽しくなるんじゃない?」
「こここここ、こいぶみですか?」
そよちゃんの顔が一気に赤くなって手をわたわたと動かしている。
今更照れる必要ないじゃないか。馬借も使わず直接虎若に文を届けているくせに、そう口から出て行きそうになったがまた胸の中心が痛くなってやめてしまった。
「恋文なんて……わたし、字もうまく書けないのに」
そよちゃんは、ぽつりと恥ずかしげに言った。
「え?」
「はずかしいのですが、読み書きが……あの、かなもまだ難しくって」
「じゃあ、虎若にはどうやって手紙を書いたの?」
「わたしが、若太夫に……?」
口を半分だけ開けて小首を傾げている。きっとぼくも全く同じ表情をしていると思う。
手紙はいつも少なくとも二枚はあった。かなもままならない子が書く量ではない。
「虎若に手紙を書いて届けに来ていたんじゃないの?」
思い切って聞けばそよちゃんはすぐに頭をぶんぶん振った。
「あれは照星さまからの使いです!」
「ああ、照星さんの……そっかあ」
顔が綻ぶのが自分でもよく分かった。あれはそよちゃんから虎若に当てた恋文じゃない。それが分かって安心したのだ。
良く考えればわかることだった。私用じゃないから竹谷先輩が返事を書くことを許したのだ。
「一平さん、なんか嬉しそう?ですね?」
にこにこ顔のぼくをそよちゃんが不安そうに覗き込む。
くるくると変わる表情が目に飛び込んできたときだ。
「うん。虎若への恋文じゃないってわかったから嬉しかったの」
「そう、なんですか?」
そよちゃんはさらに首をひねった。
「ぼくはそよちゃんが好きだから」
「え、ええ?」
ぴくり、と跳ねた肩がまるで野うさぎのようだった。
驚いた表情が見えた時、自分の言ってしまった言葉を思い出す。
「え、ええ? ああ、ぼく、なんて言った?」
「わたしも……!」
「っ!はい!」
ぎゅうとぼくの右手が握られたものだから、さっきのそよちゃんと同じく体が跳ねてしまう。
「照星さまに無理を言って、忍術学園に来させていただいていたのです。……一平さんに会いに!」
「う、うん。……あ、りがとう?」
ぎこちなく動く口に合わせて震えた声が出ていく。
何が起きているのだろうか。頭が真っ白なまま指先にだけ熱を感じた。
ぽくぱくと口が動いているのに言葉が出て行かない。
「おまたせ〜!」
遠くから虎若の声と走る足音が聞こえてくる。それから竹谷先輩のそろそろ始めるか、という呟きも耳に入ってきている。それなのに目の前に起っていることを少しも頭の中で処理できなかった。
「……なので、今度は文字とそれから……文の作法を教えてくださいませんか?」
覗きこまれる瞳に、顔にかあと血が上がってくるのを感じる。
息を吸うこともままならなくて、ぼくはいつしかエラ呼吸になってしまったんじゃないかと錯覚した。
「わ、わかった。じゃあ今度学園に来た時に教えてあげるね」
「わあ、嬉しいっ」
目の前の眩しい笑顔に気絶してしまうんじゃないかと思う。
い組は他の組より学科の成績が良い。だから文字はうまく教えることが出来るだろう。でも、文の作法なんてぼくだって知りやしない。
段々とみんなの声や足音が近づいてきた。
どうやって伝七に文の、しかも恋文の作法を聞きだそうか。もしかしたら伝七もそんなもの知らないかもしれないな。
ぼくはあれこれ考えながら、随分余裕ぶってこう言うのだった。
「じゃあ、さ……」
今度はぼくだけに会いにきてね。
あとでみんながこう言ったんだ
「気が付いてなかったの一平だけだよ」
ああ、なんだか悔しいな
次へ