ひゅうがあおいが咲くきせつ
春の初旬。
この季節はなにをするにも良い。
筑紫をはじめ、生命の息吹を感じる頃、わたしは籠を背負って山に入り行っていた。
菜の花、蒲公英、春の花
それらを収穫するのが今日の目的である。
父は街で薬師をしている。それの手伝いで、こうして薬草を詰みに来ることが多かった。
わたしは右手に花や薬草、毒草の種類が書かれた書物を握りながら前進する。
本日は陽気がよく、蝶や鳥が踊っている。山を歩くのは心地がよく、大好きだった。
どんどん山道を進んで行くと、その合間に紺色がちらと揺れるのを見かけた。
もしかして、とわたしはそちらへ向かって声を掛ける。
「七松さん!」
声に、それがぴたりと止まった。
「おお、お前か!」
木々の間から顔を出したのは、ひと月ほど前にこの山中で知り合った男の人だった。
「本日も鍛錬ですか?」
「ああ、陽気のいい日は体を動かさないとな」
七松さんは忍者のたまご……忍たまだ。
初めて会った時、彼は忍術の鍛錬の最中で、わたしがその音を獣と勘違いしたのが出会いのきっかけだった。
「もう私を熊だと勘違いして石を投げてこんのだな」
「あの時は……ご、ごめんなさい。もう見間違えませんよ!」
「なはは、そうか。それならよかった」
石を苦無で避けるのはなかなかスリルがあったぞ、なんて言いながらこちらに向かってくる。
彼は器用に草むらを飛び越えて、あっという間に距離を詰めてきた。
「お前は今日も薬草取りか?」
「はい、そうです」
わたしは大きく頷く。
「そうか。今日はなにを探している?」
「ええと、今日はこれだけの薬草を取って帰ろうかと……」
「どれ、見せてみろ」
七松さんは手伝ってやろう、と本を取った。
「鍛錬の最中なのに悪いですよ!」
「何を言う。立派な鍛錬になるではないか」
わたしの制止を聞かず、七松さんはじっと本を眺めていた。
「……いつも申し訳ないです」
実は薬草摘みを手伝ってもらうのは初めての事ではなかった。かれこれ三回くらいは高所や難所にある薬草を取ってもらっている。よく山で鍛錬をしているからか、彼は薬草の群生場所を詳しく知っていた。
何度か手伝いを断ったことがあったが、七松さんは一度手伝うと言ったら頑として聞かなかった。
そんな強引とも言えれる手伝いを嬉しく感じ、甘えてしまっている自分がいるのだ。
「細かいことを気にするな」
七松さんはそう言いながらぱらぱらと本を捲っていく。すると、薬草とは関係のない項で手を止めたのだ。
「そよ、何故ここにしおりをしてあるんだ?」
七松さんは不思議そうに指をさす。手作りの栞をすっと抜きとった。
そこには一輪、力強い大きな花が描かれている。
「え、えっと……これは南蛮の丈菊……向日葵と呼ばれているものらしくて。一度でいいので見てみたい花なのです」
描かれていたのは天に昇るお日様のような花だった。向日葵と言う花で、初めてこの本を読んだ時に心奪われたのだ。
南蛮では食用にされたりもしているらしいのだが、このひのもとでは流通されていないという。
「ふうん、そよはこれが好きなのか」
「好き……そうですね、好きです。本物は見たことはないのですが」
一体これが何色なのか、どのくらいの大きさなのかは書物では窺い知れないが、きっと力強く魅力的な花なのだろうな、と思う。
「そういえば、この差し絵で見ると少し七松さんに似ていますね」
わたしは向日葵の絵と七松さんを見比べながら言った。やっぱりそっくりだ。太陽のような力強さは七松さんに良く似ている。
それを聞いて彼はもう一度書物に目を戻すと、眉を下げてううん、と唸った。
「わ、わたしに? そうかあ? ……花に例えられたのは初めてだなあ」
「ごめんなさい。嬉しくなかったでしょうか?」
「私は男だからなあ。女ならば花に例えられると嬉しいだろうが」
納得がいかないと言うように首を傾げる七松さんを見て、わたしは思わず笑ってしまう。
「ふふ、お天道様みたいなところが七松さんに似ていると思ったのです。ほら、日向に葵と書くでしょう」
「……うーん、そうか。お前が言うのならそうなのかもしれないな。まあ、私は細かいことはきにしないからな。……さあ、探す薬草はどれだ! なるべく取るのが難しいところに生えているやつが良い」
そう言って上から本を覗き込む七松さんはやっぱりお日様のようで、わたしの心が温かくなったのだ。
「ええと、これと……それからこれをお願いしてもいいですか?」
「おう、すぐに取ってくる」
いつも手伝ってもらって申し訳ない、と思うのだがこの明るい笑顔で任せておけと言われると断る方がいけない事だとさえ思うのだ。
「さあ、薬草を摘め摘めドンドーン!」
春の山に彼の大きな声が響く。
木々に止まった鳥たちは、彼の声に飛び出していく。山で会える七松さんをまるで山神さまのようだなあ、なんて思いながらどんどん山へ分け入っていく深緑の着物を見失わないように追うのだった。
晩夏。暑さは極まり、川や冷たい井戸水が恋しくなる。
薬師の仕事は季節を問わず暇がない。それは病人がいなくなることはないからである。
雪が溶けて、桜が咲き、春が終わり、梅雨がきて、それが明けて。そして秋も手前だとなった候でもわたしはこうして山に入るのだった。
背中には籠。右手には本。そして隣には……
「そよ! また薬草摘みか?」
「七松さん、こんにちは。そうですよ」
ひとつの季節が過ぎて蝉が鳴き始めた頃から以前より頻繁に七松さんに会う機会が増えた。聞いた話によるとわたしが薬草を摘む場所と、七松さんが鍛錬をしている場所はほぼ同じであるらしい。
忍者になる勉強をしている忍術学園が夏休みに入った為、こうして遭遇する機会が格段に増えたのだと言う。
「あ、七松さん! 髪に葉がついています」
「なに、細かいことは気にするな」
「すぐ終わるので、とりますね」
「そうか」
いつの間にかこうして髪に触れることが出来るまでに親しくなっていた。恋仲でも、友人でもない奇妙な関係だが、こうして七松さんと会えるのを心待ちにしていた自分がいる。
そっと髪についている葉を取れば、七松さんはくすぐったそうに目を細める。まるで猫のようだった。
「まだ取れないのか?」
「あとひとつです……はい、取れました。あ……」
葉を摘まんだ手を七松さんに掴まれてしまう。
何が起きたのか分からないでいると、ぎゅうと繋がれた手を引かれる。
「七松さん……?」
「今日は薬草摘みの前に見てほしいものがあるのだ」
「ええ、でも……仕事が……終わってからでもいいですか?」
「いや、今すぐ行くぞ! いけいけ、ドンドーン!」
手を引かれ、山の中を駆けていく。草の中でも、道がなくてもお構いなくわたしの手を引いた。こんなところ通れないのではないかと思う場所でさえするすると走っていく。
声にならない悲鳴を上げながら、最後の力を振り絞って七松さんの手を自分のほうに引っ張った。
「ハァ、ハァ……七松さん……もう、走れません……」
息も絶え絶えに言えば、ぴたりと走るのを辞める。振り返った七松さんは手を解き、こちらに近づいた。
「そうか。なら掴まっていろ」
「どういう、こと……ですか?」
わたしは息を整えながら聞く。
すると、あのお日様のような笑顔が見えた。今日も明るい素敵な笑顔だな、とぼんやりと眺める。
その瞬間、足が浮いたのだ。叫ぶ間もなく風を感じる。
「ななななな、七松さん!?」
いつの間にかわたしは七松さんの肩の上にいた。俵担ぎをされたのである。混乱の中、振り返ろうとすると七松さんの声が聞こえてくる。
「頭を打つぞ。身を低くしていろ!」
その声と共に頭に草が触れて、慌てて身を低くするのだった。
切れた息を整えるのがやっとで、離してくれとか降ろしてくれとかを言えないまま、ただ流れていく景色を見ることしかできなかった。
後ろへ過ぎていく緑の景色がしばらく続いた。すると次は灰色一色の岩場になる。
その高低差を物ともせずに七松さんは飛んだのだ。胃が浮く様な感覚に顔が青ざめる。それが何回か続くと、次は青い空が見えるのだった。
「とうちゃーく!」
そう言って降ろされたのは山頂付近のようだった。普段は行くことのない向かいの山の景色や、下へ流れる川が臨める。
随分と見晴らしのいい高台だ。ここがどこなのかもわからないが、それでも目の前の景色は息を飲む程美しかった。
「わあ、すごく景色のよいところですね」
素直な感想を溢すと、隣には七松さんの姿がない。
「そよ!」
「はい!」
後ろから呼ばれて振り返る。そこには、手を招いている彼の姿があった。
「どうしたんです……あ、ああ!」
わたしは彼の元へ走った。
七松さんに隣に立った背丈ほどの茎。大きな葉、そして花は上を見ている。
「七松さん! こ、これ! まさか!」
「お前が見たかった花はこれだろ?」
蒲公英のような、それよりも深い色の花びら。顔くらい大きな直径。
それは間違いなくわたしが持っている本に書いてあった向日葵という花だった。
「す、すごい! すごいです! 向日葵だ! わあ、綺麗……」
興奮で花の周りを何周もしてしまう。花は真上を向いていて見ることはできないが、日光に透けた花弁は強く美しく輝いて見えた。
「気に入ったか?」
わたしはその言葉に何度も細かく頷く。
「そうか。なら上から見せてやろう」
そう言うと七松さんはわたしの脇へ手を入れて上へ持ち上げてくれる。
視線はあっという間に上がり、いつの間にかわたしは七松さんの肩の上へ乗せられていた。
「お、重いですよ……降ろしてください!」
「そよ、私に体力がないと言いたいのか?」
「い、いえ……そうではなく……」
「なら上からこの花をよく見ればいい」
そう言うと腰のあたりで支えてくれる。
上から見る向日葵は想像の何倍も力強かった。
「す、すごいです! 七松さん! とってもきれいな花ですね」
「そうか、よかったな」
「でも何故、七松さんは向日葵の場所をご存じなのですか?」
わたしが聞くと、すぐに足が地面に着いた。向日葵は相変わらずお日様を見ていて、その光を透かせている。
なかなか答えない彼にわたしは振り向こうとする。すると、それを止めるかのように後ろから抱きこまれた。
「な、ななまつさん? なにをなさるのですか?」
動揺して離れようとする。
しかし、抱きしめられる力がいつもより弱くて、逆に振り解けずにいた。いつも力強く少し強引な七松さんの腕が、いつでも振り払うことのできるくらいふわりと締められている。
「……これは私が植えたのだ」
耳元で囁くように言われるので反射的に体が跳ねてしまった。
「ななまつ……さんが?」
「後輩に南蛮相手に商売をしているやつがいてな。種を一粒仕入れてもらった」
春に植えて、咲くまで育てていたのだと彼は言った。鍛錬をかねてこの見晴らしの良いところへ植えたのだと。
「なぜそんなことを……」
聞けば腕の力が少し強くなった。肩に顔を埋められる。ふわりと頬へ触れた紺の髪に、心臓が跳ねた。
「……お前の気を惹きたかったのだ」
その言葉に、途端顔が熱くなる。
「ここへは私しか連れてこられない。こうでもしてお前と会うきっかけが欲しかった」
そう言うと肩を掴まれてくるりと回される。予想よりも近い位置に七松さんの顔があった。
暑い日差しの中で、汗も拭わずにきらきらした笑顔を向けている。
ああ、やっぱり向日葵のようだ……その無邪気な表情にわたしは心の臓が早鐘を打った。
「私はお前が好きだ」
向日葵にならんだ七松さんの笑顔……なんて絵になるのだと思った。見惚れたのちに自分の言われたことを理解する。
「なな、七松さんが……わたしを……?」
「そうだ!」
「う、嬉しいです……」
言えばわたしの足はまた浮いた。七松さんの笑顔が少し下に見える。
「そうか、そうか! 嬉しいか!」
くるくると赤子をあやすように回り始める。
「七松さん、目が回ります……!」
目を回せば、ああ済まない、と降ろしてくれる。
「なあ、そよ」
名を呼ばれたので目を回しながら彼を見る。ぐらりと揺れる視界でもやっぱり七松さんの笑顔は輝いていた。
「向日葵は枯れると二千も種を付けるらしい。だから夏が終わったら種を取ろう」
そして、ここを向日葵でいっぱいにしよう、その言葉にわたしは頷く。
この黄色が群生したらどれだけ綺麗なのだろうか。想像もできないが、きっと素敵な景色な筈だ。
「でもここまでは七松さんとしか来られませんから、七松さんが卒業なさって郷里へ戻られてしまったら来年は見られるかわかりませんね」
七松さんの郷里はここから近くはないと聞いたことがあったのだ。それに七松さんは忍者を目指すお方。かたやわたしは薬師の娘だ。何かの間違いだったと背を向けられる日が来るかもしれない。
「何を言う。幾年経ってもお前をここに連れてきてやる。嫁へ来ても私が婿に行ってもそれは変わらん」
「な、なな……!」
動揺して口をぱくぱくとさせれば七松さんは不思議そうにこちらを眺めた。あまりにそれが決まっているように言うものだから、わたしは呆気にとられて何も言えなくなる。
「私の里も存外悪い場所ではないぞ。だが薬師をしながら忍をするのも楽しいだろうな。穴丑には持って来いだ。しかし、ふたりで新たに家を構えるのもいい。そよ、どれがいい?」
「な、なな……」
あまりに何も言えないでいると、七松さんはぎゅうとわたしを抱き込んだ。
「そよ、私は“な、なな……”じゃないぞ!小平太だ」
「その。あのう……」
「なんだ? 私と共に生きるのは嫌だと言うのか?」
不満そうで、拗ねる子供のような口ぶりに、わたしは初めて彼を向日葵に例えた時のことを思い出したのだ。
――わ、わたしに?そうかあ?……花に例えられたのは初めてだなあ
――……うーん、そうか。お前が言うのならそうなのかもしれないな。
あの後からここでずっと向日葵を育ててくれたのだろう。それは簡単なことではない。すぐに背を向けられるなどただの杞憂なのだ。
「ふふ、あははは!」
「な、なにを笑っている?」
慌てて聞く彼の背にわたしは手を回した。
「また来年も、向日葵を見させてください。……小平太さん」
精一杯の力を込めれば、上から手が降ってきてくしゃくしゃと撫でられる。
ああ、任せておけ、と聞こえれば、蝉が鳴く中に向日葵の傍で恋物語が始まったのだった。
ひゅうがあおいが咲くきせつ
細かいことだと言う割に、朝昼晩の水やりを
欠かさぬ己の細かさよ
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