飛び火
山々は紅や橙、黄色に色づき、美しい季節となった今。
「ほら、嬢ちゃん。もう逃げられないぞ」
わたしは人生の危機に直面していた。
後ろには廃寺の塀、前には顔を隠した強そうな男。そしてその人の右手には大ぶりの太刀。
後ずさりようにも背は塀にぴったりとくっついていて下がりようがない。
「金目のものは持っていません。どうかご勘弁を」
わたしは震える声で言う。命だけはお助けを、思いを込めたが男の口は怪しく歪むだけだった。
「俺が欲しいのは嬢ちゃん自身だ!」
両手で振り上げられた太刀に太陽が反射する。その眩しさと恐怖から思わず目を閉じた。
――ああ、父さん母さん、お元気で
せめてゆく先は地獄でありませんように……そう祈ったその時だ。
耳が痛くなるような金属音が響いた。
体に痛みはない。わたしは恐る恐る目を開く。
「なんだお前は!」
太刀を持った男の怒気を含んだ声が響いた。
声が届いたのだが、不思議なことに先程まで目の前にいた男の姿は目に入らない。
目の前は薄い若葉のような緑一色だった。
「こんな廃寺で女を襲うたぁどういう要件だァ?」
若い男の声で、それが誰かの背中であると認識できた。
次に目に入ったのは短い髷で、それがはらりと揺れた時、わたしはそれが誰であるかをやっと理解したのだった。
「と、留三郎さん……」
自然とその名が口から出ていった。
その人は振り返ると整った眉を吊り上げた。
「そよ! またお前か!」
「す、すいません!」
立ち昇っている殺気が恐ろしくて頭を下げた。その殺気がこちらに向けられていないとわかっていてもぴりぴりと痛く感じた。
「何故お前が謝る?」
「えっと、何故でしょう?」
「質問を質問で返すんじゃない。……怪我はしてないか?」
「ええ、なんともありません。それより留三郎さん……あの、苦しいです」
わたしは塀と留三郎さんの背中に押しつぶされそうになっていた。今まで黙ってはいたのだが、帯が押されて呼吸がし辛い。
それもそうだろう。後ろは塀、前には留三郎さん、その奥には屈強そうな男。それら僅か一畳ほどの面積に納まっていた。
「なんだ。ああ……仕方がないだろ? 塀の際まで追い込まれたのはお前だ。すぐに退くから待ってろ」
「お前ら! 黙っていればいつまで無駄話をしている!」
わたしたちの会話に痺れを切らしたのか男は声を荒らげた。それを留三郎さんは睨み付ける。
「ああ? てめえこそなんなんだよ。こんな人気のないところでこいつを攫おうってか?」
先程より殺気が増す。一歩、前へ出た背中がいつもより大きく見えた。
「俺を倒してから奪っていきやがれ!」
「くそう、ガキが!」
男は虚勢をはるものの、ものすごい殺気を感じたのだろう。みるみるうちに萎縮して行くのがわかる。
「覚えていやがれ!」
「ああ! 待て! 俺と戦え!」
小さくなっていく陰に怒鳴りつける。それが消えた時に立ち昇っていた背中の殺気が解け、留三郎さんはこちらを見た。
そして、さきほどまで吊り上っていた眉を残念そうに下げて溜息を吐いたのだ。
それを見てわたしは慌てて訊ねる。
「留三郎さん、お怪我はなさいませんか?」
この方は食満留三郎さん。
ふた月ほど前、今のようによく分からない人たちに追い回されている時に助けていただいたわたしの命の恩人だ。
忍術学園という場所に通われている学生さんなのだと初めて会った時に教えていただいた。
「ああ、平気だ。というか今回は戦っていない。それより、何故いつも人に追われているのだ?これで何度目だ?」
「ええと、七度目、でしょうか……」
「七度、か……なんだかおなじみの展開になって来たなあ。お約束ってやつか?」
実のところ留三郎さんに助けていただくのはこれで述べ七回目になっていた。
わたしの家は大きな茶畑を持っている百姓で、それらを城や茶屋へ売っている。仕事の手伝いで遣いに出されるの だが、最近その道中で人に追われることが増えたのだ。
増えた……というにはあまりに呑気な数になって来てしまっている。
初めは浪人がひとり。次第にその数が増えていって、最近では腕の良い剣客のような出で立ちの人がわたしを追っている。
「追われる理由はわかったのか?」
「それが、皆目見当がつきません」
「ありゃあ、どうみても命を狙ってるって出で立ちだ……お前、本当に茶葉を売っている百姓の娘なのか?」
彼の問いかけにわたしは首を縦に何度も振る。それを見て、じゃあなんで村の娘をこんなに追っているのだ、と怒ったように呟いた。
「幾度も助けていただいてありがとございます。あの、この近くにうちで茶葉を卸している団子屋さんがありますから。お礼をさせてくださいませんか?」
「ま、俺は実習を兼ねた鍛錬になるからいいんだけどな。でもそよの気がすまねえだろ。行くよ」
留三郎さんは持っていた武器、鉄双節棍というらしい……それを仕舞って笑顔を見せた。
助けていただいたときはいつもこうして少しばかりのお礼をさせてもらっていた。それだけじゃ済まないくらいの 恩はあるのだが、礼をされるために助けたんじゃないと、初めの時に言われたのだった。それでも何もしないわけにはいかず、折衷案で知り合いの店に行くことになった。
わたしたちは客先の茶屋に入って、温かい茶と限定の月見団子を頼んだ。
「しかし、七度目ともなると気味が悪いな。お前の家は抜け忍かなんかなんじゃないか?」
「いいえ。うちは先祖代々、百姓です。他の職は一切していないと父が言っていました」
わたしは首を横に振った。それから一口お茶を啜って、続ける。
「でも、いつも留三郎さんにご迷惑をかけてばかりで申し訳ないです。なんとか理由さえわかればいいのですが……」
「い、いや! 俺のことは気にするな。今日だってお前の身に何かあってからでは遅い! ……ご家族も心配するだろうしな」
そういってひとつ団子を薦めてくれる。優しい言動に泣きそうになってしまった。
何故こんなことになってしまったのだろうか。理由を思い浮かべる。今まで何十、何百と考えてきたが、その答えは一向に出てこなかった。
わたしが黙って考え込んでいれば、落ち込んでいると思ったのか留三郎さんがこちらを覗き込んだ。
「あ、あー……こういうの慣れてるんだ。だからお前は心配するな」
大きな手が頭に乗る。頭を撫でられたのだ。
「他にも追われていて助けた女性がたくさんいらっしゃるのですか?」
「ち、ちがう! 友人が不運体質なんだ。……そうだ! 友人たちの話をしよう」
彼は団子の串を片手に話し始める。陽気な声と可笑しな話を聞いているうちに、考えごとが吹き飛んでわたしはいつの間にか笑顔になっていた。
この方といれば不思議と不安も悩みも消し飛んでしまう。力強い笑顔がわたしに安らぎをくれるようだった。
「じゃあ、家まで送ってく」
「いいえ、そんなお手間をとらせるわけには」
「団子を食わせてもらったんだ。それにまた誰かに追われるかもしれないだろ?」
ひょいと荷物を担いで歩いて行ってしまう。そう、家へ送られるのも初めての事ではなかった。
申し訳ないと思いながらも、また誰かに追われるのが怖くて甘えてしまっている。
こうして送っていただくのも七度目か、とわたしは急いで勘定を済ませて立ち上がるのだった。
道中は何事もなく、畑を抜けて無事に家の前まで来ることが出来た。
「留三郎さん、ありがとうございました」
「おう、気を付けるんだぞ」
家の前でお礼を言って頭を下げる。
しゃっきりとした後姿を見えなくなるまで見送った。これが最後になるかもしれない……助けられるという意味ではその方がいいのかもしれないが、なんだか少し寂しくも感じるのだった。
数日が立って、この日は街へ出て色々な店を見て回ろうと歩いていた。小間物屋さんや、櫛屋さんは見ているだけで楽しかった。
ちょうど安売りをしていたので一つだけ櫛を買う。嬉しい気持ちを胸にいっぱいにしているときだった。
「よっ!」
右からこちらに声がかかる。そちらへ向けば、茶屋の長椅子に座っている人がこちらに手を振っていた。
「留三郎さん! こんにちは」
わたしは下駄を鳴らして駆け寄る。
「ひとりで街へ出て大丈夫か?」
「今日は街に入るまで父が送ってきてくれました」
「そうか、そうか。よかった」
留三郎さんはいつも剣客に向ける厳しい顔つきではなく、年相応の笑顔をこちらに向けた。
それからぽんぽんと長椅子を軽く叩く。どうやら隣に座れ、という意味らしかった。わたしは迷うことなくそこへ座った。
――助けていただく以外でお会いするのって初めてですね
そう言おうとした時だ。
「アラ、そよちゃん。良い殿方を連れてるじゃない」
後ろから届いた大きな声がわたしの心臓を跳ねさせる。
ここは客先の茶屋さんだ。声の主はよくしてもらっている女将さんの声だった。
「あ、ああああの! この方はそういう方ではなく……!」
「いいのよ、いいのよ。父さんには内緒にしてあげる!ホラホラ、奥を使って」
何を勘違いしたのか、女将さんは愛想の良い笑顔でわたしたちを立たせる。そして訂正する暇もなくあれよあれよと店の奥へと押されていった。
「ちょ、ちょっと、女将さま!」
「ふふふ、ごゆっくり〜」
すっと襖を締められる。そこは小さな個室だった。
やっぱり女将さんは勘違いをしたようだった。こんな、恋仲同士が使う個室に長くいられるはずがない。焦って後ろを見れば留三郎さんはきょろきょろと部屋を見回していた。
「留三郎さん、ごめんなさい。ここの女将さま、勘違いなさってしまったみたいです。先に出てください。わたしも時間を置いて帰りますので」
身を低くして謝る。しかし、留三郎さんがとった行動は予想とかけ離れていた。どっかり腰を落ち着けたのだった。
てっきり出て行かれると思っていたので、驚きぽかりと口を開けた。
「いや、そよに話したいことがあった。人の目もないし、丁度いいだろう」
どきり、と胸が鳴る。留三郎さんが話したいこととはなんだろうか。わたしは正座をして留三郎さんの前で言葉を待った。
端正な顔がわたしの顔をじいと見つめた。それは穴が開いてしまうんじゃないかと錯覚するくらいだ。
黙りこくったままこちらを見続ける彼にわたしの心の臓が早鐘を打つ。沈黙に耐え切れず口を開こうとした時だった。
「……化粧をしたことはあるか?」
「へ……? 化粧でございますか?」
わたしは悩むこともなく静かに首を振った。
十五になってもめっきり化粧をする機会がない。普段は畑仕事を手伝っているから邪魔になるし、休日もあまり出掛けない。客先に行くときほんの少し紅を引くくらいだった。
「あまり自信はないのだが、化粧をさせてくれないか?」
「えっと……」
いきなりの申し出に戸惑う。
なにかからかっていらっしゃるのか。いや、留三郎さんはひとをからかうような方ではないことはわかっていた。
「わたしの顔でよろしければ」
あまりに真剣な顔つきで言われたので、意図は分からなかったが頷いた。
それから留三郎さんはてきぱきと準備を始めた。事前に持っていた包みからは見たことない数の化粧道具が出てくる。
一旦部屋を出て、女将さまに水をはった桶を借りに行くとまたわたしの前に座った。
「まあ。たくさん道具を持っていらっしゃるのですね」
「ああ、実習の帰りでな。ほら、粉をはたくぞ」
ずい、と留三郎さんのお顔が近づいた。鼻がすうっと通っていらっしゃって、形の良く整った眉。そして刃物のような鋭い瞳。伏せられたまつ毛は意外に長かった。
そんな整ったお顔が近づけばおのずと自分の顔には熱が集まる。鼓動が早くなるのも分かった。
「くすぐったいか?」
「い、いいえ……大丈夫です」
ひっくり返りそうな声で返事をする。
「ん……じゃあ、目を瞑って」
少し掠れた声がやけに色っぽく聞こえた。
わたしは耐えられずに目を閉じる。瞼を筆が滑っていく。固定するためとはいえ、掴まれた顎が熱い。緊張でどうにかなりそうだった。
指や筆が触れては離れてを繰り返していく。唇にふわりと筆が当たる。その感触に思わず震えてしまった。
「おっと悪いな。もう少し我慢だ」
囁かれるのは心臓に悪かった。
緊張の限界が近づいたその時、ぱっと手が離される。解放されたと、自然と止めていた息を細く吐いた。
「おお、やっぱり!」
目が合った瞬間、留三郎さんは嬉しそうに声をあげた。
「あの……」
「そよ! もう誰かに追われることはないぞ!」
留三郎さんは満足気に、水を張った桶をこちらに差し出す。
恐る恐るそれを覗き込んだ。
「え……? だ、誰……ですか」
そこにはまるで別人のような自分が映し出されていた。
瞳は横長にはっきりととしていて、血色よく頬が色付いている。濃い紅椿のような口紅が普段より大人びて見せていた。
「お前、家出した姫様に間違えられていたんだよ」
「また突拍子もないお話を……!」
「まあ、聞けって」
留三郎さんが言うにはこうだった。
ある城のお姫様が見合いを嫌がり家出した。その姫様はとてもお転婆で変装が好きだったらしい。商人や街娘に姿を変えては家臣の目を欺いてきた。幾日経っても姫は見つからない。ついに殿は痺れを切らし、誰でもいいから姫を連れて来たものにはたくさんの褒美をやると言いだしたのだという。
「俺はその城の女中として潜入実習をしていたんだ。その最中姫様が帰ってきた。それが村娘の格好で戻って来たんだが、お前そっくりだったんだよ。それで普段の化粧もしてみたってわけだ。これは間違えられるのも無理はない」
「女中で潜入実習ということは……」
わたしは思わず化粧道具を見てしまう。
「それについては触れるな」
留三郎さんは顔を赤く染めて顔を背けた。
「それで、お姫様はどうなったんですか?」
「結局、逃げても待っていてくれた見合い相手に逆に惚れたらしい。人騒がせな姫だよまったく」
「ふふふ、素敵なお話ですね」
留三郎さんはそうか? と眉根を寄せながら返す。
どんなに逃げても辛抱強く待ってくれる方なんて素敵だとわたしは思ったのだ。
「ああ、でも少し寂しくなりますね」
「何故だ?」
「もう、留三郎さんにお会いする機会がなくなってしまいます」
わたしはぽつりとこぼす。それを聞いて留三郎さんは更に顔を赤くした気がした。
「留三郎さん?」
「……あ、会えないなんてことはないだろう? お前の家も知っているし、また誰かに追われるかもしれない。あ、あーそれは困るな。……俺が会いに来るのは嫌だろうか?」
「いいえ……! そんなことありません」
留三郎さんの言葉を必死に否定する。嫌な訳がない。わたしが寂しいと言ったのだ。
「じゃあ、会いに行く。色々なところに出かけて、お前の笑った顔を見ていたい。これからも共にいてくれるな?」
「は、はい!」
なんて遠まわしで、それでいてまっすぐなお言葉なのだろう。
直接好いている、なんて言葉がなくてもわたしには十分すぎる。
気が付けば互いに同じくらい顔を赤らめていた。じゃあ、送っていく、と留三郎さんがおっしゃってわたしは静かに頷く。
女将さまにお礼を言って、囃されながら茶屋を出たのだった。
帰りはどちらからともなく手を取って歩いた。言葉少なに街を抜ける。狩り時の過ぎた田んぼの脇道をゆっくりと歩いている時だった。
「留三郎さん」
わたしは隣に声を掛ける。
「なんだ」
「今度また、化粧をしてくださいますか?」
「まあいいが。……気に入ったか?」
「はい。留三郎さんは男らしく格好いいので、隣に立つときは少しでも綺麗にしていたいのです」
目鼻立ちのいいあなたの隣に並ぶときは一寸ばかし背伸びをして、少しでも愛されたい。そんな想いを言葉に乗せた。
「化粧っ気のなく無邪気に笑うお前も愛らしいと思うがなあ。……まあいい。近くでそよに触れられるしな」
何気なく言う留三郎さんにわたしの心は掴まれるばかりだった。
家の前にはたまたま畑仕事を終えた両親がいて、わたしを見て驚いて見ている。いきなり娘が化粧をして、男の人と帰ってきたのだ。無理もないだろう。
なんて言ったらよいのかと迷っていると、留三郎さんが一歩前へ出た。
「初めまして。私の名は留三郎、姓は食満です。そよさんと一緒にいさせていただくことになりました。彼女をどんなことからも護るつもりです。……若輩者ですが何卒」
両親の前で頭を下げる。想いを伝える時は直接的な言葉はなかったのに、こんな風に言われたら心臓がどうにかなってしまいそうだ。
「留三郎さん! そんな、いきなり……!」
小声で言えば振り返った彼は得意げな笑顔で言ったのだ。
「何故だ? 俺はお前を絶対に離してやれない。ならばご両親に頭を下げねばいけないだろう」
わたしは顔を紅葉に染まった山のようにさせて、後ろではいい人を連れて来たと涙ぐむ両親がいて、目の前には笑顔で首を傾げている留三郎さんがいる。
どこの城か分からないお姫様の恋物語はこんなところに飛び火して、新しい話を作っていくのだった。
飛び火
お前を護る為に奔走していたことを
いつかたっぷり聞いてくれ
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