梅雨の時期、床はとても滑りやすい。そのため極力動きたくない私は室内の物なら個性を使って手元へ引き寄せられるけれど、自分自身を運ぶことはできなくて。食堂が来い!なんてクラスの男子が喚いているけれどこの時期だけは同感だ、なんて思いながら転ばないようゆっくり一歩ずつ確実に足を踏み出して歩いていると、なんとまぁこんなツルツルな廊下を走る二人組の男の子が正面からやって来た。


「上鳴〜!約束したじゃねーか!ずりぃぞー!」

「しゃーねーだろ!?瀬呂が今日じゃなきゃ時間ねーっつーんだもんよ!」


彼等は確か体育祭の第一種目を切り抜けていた……そう、ヒーロー科だ。騒々しいなぁと思いながら彼等が近づく前に廊下の端にささっと避けたのだけれど、ちょこちょこ動いたせいか運悪くツルンと滑ってしまった。


「わっ!!」

「あ、危ねえ!」


どすん!と派手に尻もちをつくと思ったけれど、お尻には何かむにっとした感覚があって身体はどこも痛くない。どうしてだろうと思ってお尻を見てみると、紫色で丸い、弾力のある葡萄のような物が床とお尻の間にクッションの様に挟まっていた。転ぶ前に誰かが危ねえ、と叫んでいたけれど……と、ふと横を見ると、先の二人組のうち、追いかけていた方の小さい男の子がうつ伏せで倒れ込んでいた。この紫のクッションはどうやら彼のもののようで。まさか、転ぶ私を……


「いってェー!!」

「おい、峰田!それとあんた、大丈……」


紫髪の小さな彼は勢い良く起き上がった。どうやら怪我はないみたいだ。金髪の彼が紫髪の……峰田さん、と言ったか。峰田さんと私に心配の声をかけてくれた。やはり彼は……


「あ、あの!!」

「えっ?オイラ?てっ、手ェ!?えっ……」

「あなた、私の事救けてくれたんですね!?」

「……えっ?」


峰田さんはまるで何が起こったかわからないというような顔だ。まさか、考えるよりも身体が動いてしまったとかそんな感じなのだろうか。


「この紫の、柔らかいの!ほら、これのおかげで私、身体を痛めずに済んだんです!」

「は、はぁ……」

「あなたは親切な方です!えっと、峰田さん!素敵なヒーローですね!」

「……すっ!?素敵ィ!?オ、オイラが!?」

「はい!自分の身を投げ出してまで人救けをするなんて……あなたはヒーローの鑑です!」


峰田さんの両手を握ってブンブンと上下に振ったら、峰田さんは突然つーっと鼻血を流し始めた。まさか、私を庇ってくれて床に顔面を強打したのではないだろうか……


「み、峰田さん!鼻血が!あの、コレ、使ってください!」

「……えっ?」

「えっ、じゃないです!峰田さんの凛々しいお顔が!ほら、早く!」

「……りっ、凛々しい!?オ、オオ、オイラが!?」

「はい!とても!」


私が峰田さんの顔をハンカチで拭いてあげたら、金髪の男の子は目も口もおっこちそうなくらいくわっと開けて驚いていた。肝心の峰田さんはというとボー然として突っ立っている。


「……あっ!私、食堂に行かなきゃ!峰田さん、救けてくれて本当にありがとう!それじゃ!」

「……あっ、お、オイ!ちょっと……!」


峰田さんは私を呼び止めようとしていたけれど、昼休みが終わるまでにご飯を食べなければと急ぐ私は立ち止まることができなかった。





それから何度か廊下や食堂でばったり顔を合わせることがあって、私達は日を追う毎に仲良くなっていった。今では念力ちゃん、峰ちゃん、なんて呼び合う仲になってしまった。峰ちゃんはとても真面目で紳士的で、いったいどこのお坊ちゃんなんだろうかと思ってしまう。しかし、お友達であろう上鳴くんはいつも苦笑いをして峰ちゃんを肘でぐりぐり突いている。一体どうしてなのだろう。





そして今日も私は食堂へ向かっている。ただ、いつもと違うのは教室からではなく職員室から向かっているという点だ。少し距離があるから、自然と早足になってしまう。


ふと、自分がA組の前を通っていることに気がついた。折角だから峰ちゃんを誘って食堂に行こうと思ってA組のドアを勢いよく開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「ウオオオ!死ぬ前に八百万のヤオヨロッパイをだなァ!」

「サイッテーですわ!!」

「うわァ……まーた峰田がヤオモモにスケベやらかしてる……毎日懲りないよねー。」

「芦戸も気をつけろよ?腰つきがイイ!とか言われてんぜ?」

「何それやっば!本当、ドスケベヒーローがお似合いだよね!」


おっぱい?どすけべ?……えっ?峰ちゃんが……?嘘、いつも私の前ではすごく真面目で誠実で……なんてボーッとしていたら、ピンクの可愛い女の子と話している上鳴くんと目が合って。彼は私を見るなり大声をあげてバチバチと漏電し始めた。


「念力ちゃん!?お、おい峰田!黙れ今すぐ!」

「あぁ!?こんなハイパードスケベボディ目の前にして黙ってられっか!今、憧れのヤオヨロッパイが揺れ……て…………念力ちゃん!?な、なんで……!?」

「…………!?」


あぁ、そういうことだったのか。峰ちゃんは本当は年頃の男の子にありがちな、いわゆる、エッチなことで頭がいっぱいな男の子だったのだ。だから上鳴くんは私と峰ちゃんが話していると苦笑いだったのか。私は彼等を真っ直ぐ見つめた。


「念力ちゃん!こ、これは違うんだって!み、峰田は本当は真面目で……」

「やめろ上鳴!ここで嘘ついたら男が廃る!……今まで騙してて悪かった!見ての通り、オイラは……スケベ一直線なんだよ!」


なんと峰ちゃんは庇ってくれようとする上鳴くんを静止して、言い訳などせずむしろ堂々と自分がスケベ一直線だと断言した。普通の女子ならこの発言でドン引きするとか、騙してたのね!とか、とにかく彼への好感度は駄々下がりに違いないだろう。けれど、どうしてか、私には自分にも他人にも正直で堂々としている彼がとてもカッコよく見えてしまっているのだ。


「……そう、なんですね。」

「ああ!幻滅したろ!悪かったな……オイラは……念力ちゃんが思ってるような……」

「ううん、思ってる通りの人です。」

「……えっ?」


私はずかずかと前に出て、少し腰を折って小さな峰ちゃんと目線を合わせて彼の両手をあの雨の日と同じようにギュッと握った。


「あなたは、とても立派です。嘘をついて自分や他人を欺くことをしない誠実な人です。嘘を認めて謝ることができて、堂々としていて……あなたは立派なヒーローです!」

「な、何ィ!?ど、どこをどう解釈したらこうなるんだ……!?」

「お、俺にもわかんねェよ……」


上鳴くんと赤髪くんが何やらコソコソ言っているけれどそんなことは関係ない。峰ちゃんをじーっと真っ直ぐ見つめていたら、彼は小さく、だけど……と言ってフイッと私から目を逸らした。まるで先生に怒られている幼稚園児のようで微笑ましい。


「あの日、私を救けてくれたことに変わりはありません。それに、私を傷つけまいと自分を偽ってまで親切にしてくれてたんでしょう?やっぱりあなたは親切で素敵なヒーローです。」

「オ、オイラに、怒ってねーのか?嫌い、とか思わねーのか?」

「はい、全く。嘘をつかれてたら怒っていたかもしれませんが、あなたは正直な方ですから。あ、でもあまりその、破廉恥なことは表立って発言するのはよろしくないと思いますよ。中には苦手な方もいますから。」

「……念力ちゃんがそう言うなら、気をつける。」

「はい!イイ子です!」

「わぶっ!?」


唇を尖らせながら私の言うことに頷いてくれる峰ちゃんがとても可愛くて、私は思わず彼を思い切り抱きしめてしまった。彼は私の胸に顔が埋まってしまい、スケベ一直線、なんて公言していたから、触られたり頬擦りされたりするのでは、と思ったけれど、やはり内心は真面目で誠実な人のようで。一ミリたりとも微動だにせず、まるで赤ワインのように真っ赤な顔になりながらカチコチに固まった峰ちゃんがいたのだった。





偶然も嘘も捉え様



「峰ちゃん、これからもどうぞよろしくお願いします!」

「オ、オイラこそ、よろしく、お願い、します……」

「あ、私、先に食堂に行きますね。席がなくなってしまいますから。」

「お、おう……」



「……峰田、よかったな。彼女が変な勘違いしてくれて。」

「……オ、オイラ、女子に手握られたのも抱き締めてもらったのも初めてで……も、もう少し、誠実、目指してみよう、かな……」

「いいんじゃね?」

「……でも念力ちゃん、意外と胸あったなァ……ウオオオ!これがオッパイ……!!」

「……やっぱお前はそれが一番だわ。」



back
top