期末テストまであと一週間。いつも賑やかなA組も今日は特に騒がしい。中間テストの結果を踏まえて頭を抱えて騒ぐ上鳴と芦戸、八百万に勉強を教えてくれと頼む瀬呂や尾白、耳郎の姿もあり、A組は期末テストムード一色になっていた。凪は八百万程ではないものの成績はかなり良い方なので特に期末テストのことを意識していなかったが、たまたま耳に入った峰田の一言で意識せざるを得なくなってしまった。


「演習試験もあるのが辛えとこだよな。」


『演習試験』
その言葉を聞いて彼女はまるで石になったかの様にピシッと固まり、持っていた教科書をバサバサと落としてしまった。


「おっ、音無が音出して物落とすなんて珍しいな!」


凪の個性は「消音」で、自分の発する音や触れている人やモノの音を消すことができる。そんな彼女が珍しく音を立てて物を落としたことで切島が勢いよく振り向き、固まっている彼女に声をかけた。同時に、切島の隣でテスト範囲を確認していた爆豪は凪ではなく切島の方を見た。


「あっ、うるさかったね、ごめん。」

「お前、顔色悪ィぞ……どうしたんだ?」

「期末テストに演習試験があるの忘れてて……。どうしよう、私の壊滅的な運動神経じゃ補習決定だよ…。」

「そうか?でもよ、明日の午前は実技形式の特別演習だよな?そこで自分の長所とか弱点とか見つけて対策すればいーんじゃねーか?」


まるでこの世の終わりだという様子の凪に対し、明るく言葉を返す切島の認識する「壊滅的な運動神経」というのはあくまでも雄英高校ヒーロー科を基準としたものである。しかし凪の運動神経はまさに「壊滅的」と形容していい。入学直後の体力テストでは個性を利用する者が多い中、自分の個性を活かせる場が無かった上に生来から運動が苦手であるため全種目ほぼ最下位の成績だったのだ。特に50m走では転んでしまい記録を「圏外」にされてしまったほどだ。


「長所と短所かぁ、でも特別演習って何するんだろう?」

「確か先生が帰りのホームルームで説明するって言ってた……って、爆豪、お前までどうしたんだよ、怖ェ顔してんぞ。」


爆豪はまるで敵を見るような目つきで切島を睨みつけていた。そして一度小さく舌打ちをすると、視線を凪へ遣り少し穏やかに呟いた。


「運動神経なんざ気にすんなや。」

「えっ、でも、演習試験だし流石に気にしないわけにはいかないよ!」

「……テメェなら音消して動きゃ多少カバーできんだろ。まァ、」

「爆豪が他人にアドバイスをしただと!?どっか調子悪ィのか!?」

「クソ髪ィ!てめェ喧嘩売ってんのかァ!?」

「わりィわりィ!ジョーダンだって!」


自分の言葉を遮られた上に少々失礼な物言いをされた爆豪は切島に軽く掴みかかるが、それを笑顔で流す切島。確かに珍しい彼の助言をきっかけに凪は懐かしい思い出を想起した。





凪と爆豪はいわゆる幼馴染であり、幼い頃は毎日と言っていいほど一緒に遊んでいた。近所の大きな児童公園に集う子どもたちとよく鬼ごっこをしており、足の遅かった凪は鬼の標的にされやすく、足の速い爆豪に手を引かれていつも一緒に逃げていた。


「おまえ、音消して隠れりゃいいのに……。」

「えっ!えっと、それはかくれんぼだよ!今は鬼ごっこだもん!」


確かに、音を消して隠れれば鬼に追いかけられる心配はないだろう。しかし凪がそれをしなかったのは、大好きな爆豪と手をつないで一緒に逃げることが至福の時間だったからで。


「あっ、でも、いつも助けてもらってばっかりじゃめーわくだよね……」

「めーわくとか言ってねェだろ。……まァ足遅いンは仕方ねェ、いつでも俺が守ってやる。」

「ほんと?めーわくじゃないの?いつでも?約束?」

「ゴチャゴチャうるせェ!守るっつったら守ンだよ……約束でもなんでもしたるわ。」


幼い頃から彼は乱暴な口調ではあったものの、明らかな凪への好意は態度に滲み出てしまっていた。それは高校生になった今でも変わっていないのだが、凪にとってはこれが普通で、爆豪の自分に対する恋慕の気持ちには微塵も気づいていない。一方の爆豪も同様に幼い頃からの凪の一途な想いをつゆ知らず。



―きっと勝己くんは覚えてないんだろうなぁ…



凪が過去へ想いを馳せている間に休み時間は終わっていた。それからいつも通り授業を受け、切島の言った通り、帰りのホームルームで明日の特別演習について説明がされた。


明日の特別演習は全員二人組のペアになり、妨害組と逃走組にわかれて競う形で行われる。ペアと妨害・逃走の組分けは相澤先生によって割り振られており、それぞれどのペアと当たるのかは明日くじ引きで決めるようだ。凪のペアは飯田で、逃走組に割り振られていた。演習を速やかに始められるよう作戦は今日のうちから立てておくようにとのことで、各自作戦会議を始めた。


「音無くん、よろしく頼むよ。」

「こちらこそ!自信はないけど……精一杯頑張る!」

「その意気だ!早速作戦を立てよう、音を消してもらえるか?」

「あ、うん、わかった!」


飯田と凪は握手を交わし、早速作戦を立て始めた。凪の個性によって二人の会話は周囲には聞こえていない。それにもかかわらず鋭い目で二人を、というより飯田を睨むのは、言わずもがな、爆豪である。そんな爆豪の事などお構いなしに背後から声をかけたのは瀬呂だった。


「爆豪、頼りにしてるぜ!作戦どーするよ?」

「あ?追っかけて爆破するなり埋めるなりすりゃいいだろ。」

「適当すぎだろ……つーかせめてこっち見てくれよ…」


爆豪の視線は音もなく作戦を立てる凪と飯田の姿だけを捉えていた。会話内容がただの作戦会議であることは明白だが、自分の想い人が他の男と、しかも触れ合って内緒話をしているのが面白いわけがない。爆豪は大きく舌打ちを鳴らし、おもむろに瀬呂の方を向いた。


「……俺が爆破でテメェんとこに追い込むから捕獲しろ。それでいいンじゃねェのか。」

「じゃ、そんな感じで。誰が相手になるのかねぇ。できればあんま足の速くねぇヤツらだと助かるんだけどな〜。」

「ハッ!誰が相手でも逃がさねェよ!」

「おっ、飯田は音無とペアか。A組最速と最遅がペアだと中々厄介そうだな。」

「……チッ!あのクソ眼鏡だけは俺が捕まえ殺したるわ!!」

「は?……あー、そういうことね……飯田が不憫でならねーわ……」


爆豪と凪が幼馴染であることはA組全員が把握している。また、彼の凪に対する態度が庇護的であることも同様に。その想いを察した瀬呂は、せめて飯田・音無ペアとは当たりませんように、と心から祈ったのであった。


作戦会議を終えたペアから次々に教室を出て行った。飯田は職員室に用事があるとのことだったので、凪は一人で帰ることにした。電車に乗りながら作戦を反芻し、明日の演習へ成功のイメージを膨らませていると気持ちはだいぶ前向きになっていた。しかし足元への注意がお留守で、最寄り駅から出る際、段差でつんのめりになった。


「あっ!」


彼女は地面にぶつかると思い、ぎゅっと目を閉じたが想定した衝撃は来ず、身体は後ろに引っ張られた。


「何しとんだ。」

「勝己くん!あ、ありがとう!」

「……行くぞ。」


爆豪は掴んでいた凪の右腕を離すと、彼女の鞄をひょいと引っ手繰って歩き始めた。慌てて凪も歩き出したが、爆豪の歩くスピードはとても緩やかだった。期末試験の話をしながら歩いているうちに凪の家に到着した。彼女が爆豪から鞄を受け取り、また明日、と言おうとしたところで先に口を開いたのは爆豪だった。


「作戦はちゃんと立てたんか。」

「うん、飯田くんが色々提案してくれたよ。私が足を引っ張っちゃわないかちょっと不安だけど……。」


凪は鞄を持つ手をぎゅっと握った。


「……怪我、すんじゃねーぞ。」

「心配してくれてるの?」

「あ?しちゃ悪ィかよ。」

「んーん、ありがとう!勝己くんも明日頑張ってね!」

「……おう。じゃあな。」


爆豪は彼女の家からすぐ見える自宅へ歩いて行った。家に入る前に一瞥すると笑顔で手を振る彼女の姿があったので、軽く右手を挙げてから家に入ったのだった。

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