初めての憤怒


結局あの後はソラと委員長君と花を見て歩き回った。花なんて全然興味を持ったことはなかったけど、それでも色とりどりの可愛い花を見て回るのはとても楽しかった。閉園時間になって外に出たらそこにはもう天くんはいなかった。胸が痛んだけれど、自分の言動に後悔はない。私と委員長君はまた明日ね、と挨拶を交わしてお互い家に帰ることにした。


家に帰ってからはいつもの日曜日と同じでベッドに横になってスマホをいじってだらだらと過ごしていた。そしていつも通り、頭の中はやっぱり天くんでいっぱいだ。受験を盾にしたのは自分で、明日からは彼に近寄らないよう距離を取って過ごさなければならない。正直気が重いし、我慢できる自信もない。あの副委員長という強力なライバルはこの隙に着実に天くんと距離を縮めるだろう。受験まではあと3ヶ月を切っているけれど、日数にすれば80日近いわけで。こんなに長い期間私に我慢ができるのだろうかとベッドをぼすぼす叩いたらお母さんからうるさいと叱られてしまった。


翌朝は普段の自分の生活スタンスに合わせて起きて、のらりくらりと準備をして登校した。天くんには会っていないし三年の教室にも行かない。はぁっと溜息を吐いたらソラに頬をげしっと蹴られた。


『ことり、あからさますぎ。委員長君、こっち見てるよ。』

『仕方ないじゃん……自分から言い出したとはいえ、天くんに関わらないなんて無理だよ……』

『……押してダメなら?』

『……引いてみろ。』

『どうすんの?』

『……我慢する。』

『偉い。』


ぴーちくぱーちく話していたら、いつの間にか先生が教室に来ていて、今日も退屈な一日が始まった。月曜日の日課は音楽の授業があることと放課後は委員会がある天くんを待つことが楽しみだったけれど、後者はもう控えなければならないので、大好きな音楽の授業もどんよりとした気持ちで受けることになった。いつもなら歌が上手いと褒めてくれるソラから今日は音痴だったねと言われた時はますます落ち込んでしまった。


退屈といっても時間の流れは日々平等で、放課後はあっという間にやってきた。今日の委員会は隣の席の委員長君と剣道部の副委員長君も出席するらしい。議題は新しい学級委員会長と生徒会長を決めるとか。いずれも公平を期すために全校生徒から候補者を募って、その中から一人を総選挙で決定するのが聡明中の伝統的な各会長決定方式だ。ちなみに昨年は私が推薦者になって天くんを生徒会長に推薦した。推薦文は何度も何度も天晴さんに相談して確認してもらって、天くんの素敵なところを全校生徒の前で大きな声で読み上げたあの日を今でも鮮明に覚えている。


今日は部活もないし特にすることもないと思った私は早く家に帰って宿題でもすることにした。教室に残っている友達にまた明日ねと挨拶をして、ソラを左肩に乗せて昇降口へ向かった。


『本当に今日天哉と会ってないね。』

『今日から、だよ……はぁ、天くんから会いに来てくれないかなぁ……』

『受験勉強もあるし、それは厳しいんじゃない?』

『ソラが冷たい。』

『ことりが甘い。』

『……わかってるけどさぁ。』


なんてぴーちくぱーちく話しながらのろのろと家まで帰った。帰ってからすぐ宿題に取り掛かったけれど、どうしてもわからない問題が一つだけ出てきた。天くんに聞きたい、だが受験勉強の邪魔をしてはいけない。何より、昨日あんなことを言っといてのこのこ聞きに行くなんてバカなことはしたくない。後でクラスのみどりグループで聞けばいいやと教科書を閉じたその時、部屋のドアがコンコンと二回叩かれた。


「お母さん?入っていいよー。」

「僕だ。失礼する。」


ノックの主はお母さんではなく天くんだった。ガチャッとドアを開けて、バタンッと閉めて、きゅっとこっちを向いた彼は制服姿で、ぴしっと綺麗な姿勢で立っている。私はびっくりして口を開けたまま彼に見惚れて何も言えなかったのだけれど、左頬をソラにげしっと蹴られてハッとした。


「ど、どうしたの?」

「……今日は月曜だろう?」

「え?」

「察しが悪いな……なぜ先に帰ったのかと聞いているんだ。」


察しが悪いのは天くんの方じゃないか。私は昨日きっちり告げたはずだ。受験が終わるまで付き纏わない、と。私は昨日と同様の発言をもう一度彼にぶつけたけれど、彼は眼鏡を抑えてこちらへやってきて、椅子に座っている私と目線が合うように屈んだ。


「僕は別にことりがいると気が散るなんてことを言った覚えはないし思ってもいない。」

「言われた覚えもないよ。」

「ならば付き纏わないなんて発言をした理由はなんだ?誰かに指示されたのか?」

「は?指示って?誰に?」

「ほら、昨日の。君のクラスの委員長とか。」


なぜ彼が出てくるんだろうか。そもそも指示とはなんだろうか、それこそなんの意味があるのだろうか。わからない、彼の考えていることが全く読めない。


「……天くん、私、察し悪いからさ、ちゃんと言って欲しい。」

「む……昨日は、その、デ、デート、だったのだろう?彼は君に告白すると言っていた。そして君はそれを受諾したから、あんなことを言ったのでは?ほら、彼氏がいるのに他の男に付き纏うなどとふしだらな行為は……」


彼の言葉に自分の中で何かが切れる音がした。人生で初めて、天くんを、飯田天哉のことをバカだと思ってしまった。そして人生で初めて彼に向かって大声で怒鳴りつけてしまった。


「はぁ!?バカ言わないでよ!私そんな尻軽じゃないし!天くんがダメなら委員長君って何それ!そこまでバカにしないでよ!天くん、私のことそんな風に思ってたの!?」

「い、いや、違……」

「帰って!!もう顔も見たくない!!天くんなんか……」


これまで天くんに一度も言ったことのない言葉。言う必要のない言葉。生真面目な彼に冗談なんて通じなくて、これまで言葉の選び方には気を配っていたつもりだった。だから決して言ったことのなかった言葉だったのに。私は憤怒のあまりに考える力も抑制する余裕もなくて、言葉を止めることができなかった。


「天くんなんか大嫌い!」

「……すまなかった。」


天くんは悲しそうな顔で一言だけ呟いて、ふらふらと私の部屋を出て行ってしまった。いつも凛として胸を張って前を向いて歩く彼の姿はそこにはなかった。


普通、思ってもいないことを言ってしまった後は罪悪感や後悔でいっぱいになってしまうものなのだろう。けれども私はそうではなかった。心のどこかで、今まで天くんに対して我慢している部分があったのだろう。それ故、これまで喧嘩らしい喧嘩はしたことがなくて。彼を怒らせることはあっても私が謝れば必ず彼は許してくれていた。けれど今回は違う。怒ったのは私の方だ。大嫌い、なんて言葉を使ったのはマイナスだったけれど、それでもあの一瞬は本当に彼の発言に対して嫌悪の気持ちを持ってしまったから決して嘘偽りではなかった。


これから受験までの80日あまり、家族同士の付き合いを除いて私が天くんと関わることはないだろうと高を括って、私は先ほどの宿題を写真に撮ってクラスのみどりグループに誰か教えてくれないかと書き込んだ。すぐに2,3人から解説と答えが送られてきてホッとしたのも束の間、委員長君からのみどりの個人チャットの通知が入った。今はなんとなく確認する気にならなくて、私はスマホの画面を暗くしてそっと机の上に置いた。





初めての憤怒




『……引いてみるどころか突き飛ばしてどうすんのさ。』

『初めてあんなにキレ散らかしたかも……でも、少しスッキリした自分がいる。』

『そうなの?』

『うん、今まで嫌われたくないって気持ちですごく気を遣ってた部分があって……なんか、本音を我慢せずぶつけたのは初めてかもしれない。』

『……これでいいの?』

『大嫌い、はまずかったからそれは謝ろうとは思うよ。けど受験が終わるまで距離を置くのはできる気がする。』

『ことりがいいならそれでいいよ。ボクはことりが大好きだから。』

『ソラ、いつもありがとう。私も大好きよ。』


ソラが目を細めたのがまるで笑顔のように見えた。ソラが散歩に行ってくると言ったので、私は部屋の窓を開けた。2時間くらいで帰ってくるから、と言われたので彼が飛び立った後に窓を閉めて、2時間後にまた開けてあげることにした。





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