融解

切島くんには、飴が個性発動のトリガーであることは伏せて、私の個性である身体的特徴の発現はにはある動作の介入が必要で、それを他者によって強制されることも可能である、といったような回りくどい説明をした。なんとなく理解してくれたところで、ある程度中身を掻い摘んで話を進めた。まぁ、その詳細についてはこうなるのだけれども。


***


てっちゃんはある程度人通りのある道で抱えていた私をおろして、手を引いて駅前のカラオケ店へ連れて行ってくれた。個室に入って、部屋のドアを閉めたらてっちゃんは私の対角線上の席にどかっと腰掛けた。離れた位置に座ったのは、きっと私が怯えていると思っての彼の気遣いだと思う。そしていつもの大きな声で話しかけて来た。


「おい!!怪我はねェか!?」

「う、うん……大丈夫……」

「クソッ!!アイツら!!懲りもしねェで……!!俺ァああいう男の風上にも置けねェ最低のクズ野郎がでーっ嫌ェなんだよ!」

「私は……自分が嫌いだ……」


私が自分の身体に爪を立ててギュッと抱き締めると、てっちゃんは鼻を啜り出した。パッと顔を上げると、彼が大粒の涙をぼろぼろとこぼしているのが目に入った。


「見るな!情けねェ……!」

「な、なんでてっちゃんが泣くの!?」

「お前が……自分が嫌ェだなんて、悲しいこと、言うからだろ……」

「ご、ごめん……」


てっちゃんを泣かせてしまった罪悪感で、私は再び自分の身体に爪を立てた。すると彼はゴシゴシと乱暴に涙を腕で拭うと、背負っていた鞄の中から取り出した大きな長袖のグレーのジッパーパーカーを投げて来た。


「んぶっ!!な、何するの!?」

「お前は俺みてーな個性じゃねーから、そんな爪立てたら傷が残んだろ。せめてそれ着てからやれ。」

「……ありがとう。」

「おう。」


てっちゃんは私が落ち着くまでずっと一緒にいてくれた。ちなみに今日はたまたま新しい靴を買いに都内まで出てきていたとか。空気がシーンとしたと思ったら、彼はカラオケの機械を使って明るい音楽をかけてくれて、この曲は幼稚園の時よく一緒に見たアニメのやつだよな!とか、小学校ん時つかさと仲の良かったあの女が最近この曲が好きっつってたぜ!とか、他愛もない話を沢山してくれた。


少し落ち着いてから、私は随分久々に人前で飴を口にした。目線が少し高くなり、胸は縮み、腕や脚がのびていく。肌質も髪質も硬くなり……ぱちっと目を開けると、心配そうに私を見つめる彼の姿があった。そして少し低くなった声で私……僕は声を出した。


「僕、中学に入ってから一度も人前で飴食べてないんだよ。」

「……まァ、あんなことがあっちゃそうだよな。俺はお前の個性好きだけどよ、自分を守るためだ、良いと思うぜ?」

「ありがとう。……あのさ、飴を持ってた彼、僕の、カレシ、ってやつ。」

「……ホモなのか?」

「女の僕のね!!」

「おお!わりーわりー!」


テツが相変わらずの単細胞であることにホッとして、思わず吹き出してしまった。彼は僕が少しでも笑えるくらいに落ち着いたなら良かったぜ、とギザギザの歯を見せてニカッと笑ってくれた。


長い時間かけて、これまでの事の顛末を話し終えて、てっちゃんと別れたその翌日。私は何事もなかったかのように学校へ行った。例の彼氏だった人とは一言も言葉を交わさなかった。いつも通り、授業を受けて帰路に就いたところでてっちゃんから一本の電話が。内容は昨日私を再び辱めようとしたあの悪魔達を一人残らず再度ブン殴って、二度と私に近付かないように土下座させてやったとか。本当なら私に直接詫びを入れさせようと思ったらしいけれど、私の視界に直接彼等を入れることは憚られると思った彼の気遣いで、悪魔達一人一人の謝罪の動画付きのメールが彼から次々に送られて来た。中にはベソをかいている人もいたので少しだけスカッとした気もした。





今日は土曜日。今週一週間私は彼氏だった人と言葉を交わしていない。このまま自然消滅が妥当だろうと思っていたら、携帯電話の着信が鳴り響いた。相手は言葉を交わしていないはずの彼で、どうしても話したいことがあるからと突然学校に呼び出された。制服を着て、呼び出された柔道用に使う畳の部屋へと足を運んだ。


私は浅はかだったのだ。心のどこかで彼からの謝罪を期待していたのだろう。待ち受けていたのは数人の男子生徒、否、先週とは別の個体の悪魔達。蘇る、忌々しい記憶。部屋を出ようと急いで振り向いたけれど、既に二人の男子生徒によって入り口塞がれていた。逃げ場など、ない。そして、あの日と、同様に。私は制服をひん剥かれて、飴を口に入れられた。悪魔達の好奇の目の中、みるみる自分の身体が男の子のそれに変化していく。辛かった。悔しかった。情けなかった。涙はもう流れない。僕の憧れのヒーローはここにはいない。僕が、僕を、つかさを守らなきゃ。僕はあの日と同様に、自己防衛という盾を振りかざして、怒りのまま荒れ狂う暴風のように怒涛の攻撃を繰り出した。そもそも僕は彼氏だったあの男より強いのだから、同級生の男になんか負けるはずがないのだ。最初から、こうすれば良かっただけなんだ。


それから、彼は二度と僕の前に姿を現すことはなかった。月曜日、担任の先生から家庭の事情で彼が突然転校したという報せを聞いた時は、呆気ないなと感じた。彼等と一緒にいた男達は昼休みに僕に土下座して謝って来て、ヘコヘコして、俺達はあいつに脅されてただけなんです!なんて言い訳をかましてきた上に、ツカサさん!なんて呼んできて。プライドっつーもんがないのか、コイツらには。


ちなみにこの日から僕は男の制服を着て、常に男の姿で登校するようになっていた。すると僕の想像とは裏腹に、男子からも女子からもおもしれー個性だな!とか、飴宮さんってクールな一匹狼みたいなイメージだったけど男になると別の意味で素敵!なんてチヤホヤされて、びくびくと怯えていた生活は一転して、ごく自然な理想の楽しい学校生活へと変わったのだ。それは男の姿ではあったけれど、掌を返されるようなこともなかった。中には陰口を言うような人もいたけれど、僕の腕っ節の強さが噂になってしまっていたからか、表立って僕に敵意を剥き出すような馬鹿は存在しなかった。そして、自分の個性が活かせる上に私服登校が認められ、文武両道、イジメなんて低俗な行為からはかけ離れた超名門私立の隣野高校スポーツ科を受験して、現在は大嫌いだった呪いのような個性を上手く使って、人生を楽しんでいるというわけだ。



***



というわけで随分過去へと想いを馳せたわけだが、私は自分の個性で性別が変わることだけは伏せて、必要なことだけを掻い摘んで彼に説明したのであった。


「だからね、私は私の個性を面白がる男の子が嫌いなの。女の子でも陰口を言う人はいたけれど、身包みを剥いで個性の発現を見ようとするような人は一人もいなかった。」

「……うっ、ぐすっ、わ、悪ィ、俺、何も、してやれること、なくて……けど、やっぱ鉄哲って漢だな……良いやつだ……!」

「な、泣かないで。聞いてくれただけで嬉しいよ、ありがとう。」

「俺、簡単に、好き、なんて言っちまって、メ、メーワク、だった、よな……」

「そ、そんなことないって!切島くんの気持ち、本当に嬉しいよ。迷惑だなんて全然思ってないよ。」

「そ、そうか……けど、本当に辛かったよな……俺も悲しいわ……」


予測通り、彼は燃える太陽のように真っ赤な顔になって怒り狂いだして、それから自分のことの様に苦しんでぼろぼろ涙をこぼしてくれた。鞄から出した青いハンカチを差し出すと、彼はお礼を言ってそれを目に当てて涙を吸わせていた。


少し無言の時間が生じて、萎びたポテトを口に運んで、氷が溶けて味の薄まったジュースのストローに口をつけてずずーっと啜った。全て平らげたところで彼は再び口を開いた。


「あの、さ、ツカサは……このこと、知ってんのか?」

「ああ……うん、ツカサくんはてっちゃんよりも詳しく知ってると思うよ。」

「そ、そうなのか!?……つ、付き合ってんのか?」

「……親戚って言ったの誰だよ。」

「……や、やっぱ親戚だよな!?今のちょっと小馬鹿にしてきたような言い方、めちゃくちゃ似てたぞ!?」


私はぷっと吹き出してケタケタと笑ってしまった。切島くんはあんな重い話をしておいてこんなに明るく笑う私を見て困惑していたようだったけれど、今の私が笑顔を見せてくれるなら俺も深くは追求しねェ!と、曇り空の中にある太陽のような、少し困ったような笑顔を見せてくれた。


小学生の頃は性別の変化を知られると、批判されるのはともかく、騙してたのか!と言われるのは結構心苦しいものがあって、特にてっちゃんや切島くんのような熱血漢タイプはかなり面倒だった。


けれど私が切島くんに個性のことを言えない理由はそうではない。彼に嫌われたくない、というより、彼には女の子だと思われていたいという一心なのだ。自分の過去の荷物を紐解いて、取り出した凍れる過去を融解したのは真っ赤なヒーローの太陽のような笑顔の暖かさに違いない。この感情は……恋と呼んでいいのだろう。だけど、自分だけ隠し事をしておいて彼の隣に立つなんてことはしたくなくて。私は自分が卑怯であることに少し心を痛めながら、今自分にできる精一杯の愛情を表出することにした。


「切島くん。」

「ん?」





融解




「キミのこと、ヒーローとしては好きだよ。」

「……マ、マジ!?えっ!?で、でも、俺何も……!?」

「まぁ、それはいいからさ。だから、キミの気持ち、真剣に考えるからさ、もう少し、仲良くしてみない?」

「お、お、お、おう!」

「じゃ、ものは試しに鋭ちゃん、って呼んでいい?てっちゃん、鋭ちゃん、コンビみたいで好きだな私。」

「い、いいけどよ、ちゃん付けなとこまでダダ被りかよ!」

「あはは!じゃあダダ被りついでに私のこともつかさって呼んでいいよ!」

「マ、マジ!?つかさ……うおお!な、なんつーか、恥ずかしいな……!」



いつもあんだけ大声で呼んでるくせに
全く、よく言うよね


来るべき日が来たら、勇気が出たら
その時は、僕の話も聞いてくれよな



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