電車を降りると同時に身体に違和感が生じてきた。魔法が解けたのだ。途端に胸のあたりがぐちゃぐちゃにかき乱されたような気持ち悪さに襲われて蹲み込んでしまった。吐き気を催す気持ち悪さのあまりに涙が出てきた。本当にそれだけが原因というわけではないけれど。下を向いていると、ふっと地面に影がさす。顔を上げると、汗だくのてっちゃんが立っていた。
「見つけたぞ……!!」
「て、てっちゃん……?何で……?」
「そりゃあんな連絡もらったら誰だって心配すんだろーが!すぐお前の家に行ったのにいねェって言われるしよ、木椰子区まで行こうとしてたんだぞ!」
「ご、ごめん……うう……」
「な、泣くなよ!あー、そうだ!ほら、お前これ好きだろ!舐めとけ!」
「……ありがとう。」
てっちゃんは持っていた買い物袋から棒付きの飴を出して外袋を開けてくれた。そのまま口に入れると苺の優しい甘さが口一杯に広がった。何とも心地良くて安心する。飴を口に入れたまま、彼と一緒に歩いて帰路に就いた。帰り道では今日の出来事、主に爆豪くんとの話を延々と語り続けたのだけれど、彼は相槌を入れることもせず、腕組みをしながらただただ真剣に聞き入ってくれた。
このまま帰らせるのは失礼だと思った私はてっちゃんを自分の部屋に招き入れた。冷たいコーラを出すと、彼は勢いよくゴクゴクと飲んでぷはーっと一息付くとニカッと爽やかな笑顔を見せてくれた。私の胸を高鳴らせる鋭ちゃんのそれに反して、私のざわつく胸を落ち着かせてくれる笑顔。兄という存在がいればきっとこんな感じなのだろう、まるで家族のような安心感を覚える。ふと、小さくため息を吐いたらてっちゃんは何かに気がついたように口を開いた。
「あのよ、俺と切島って似てんだろ?」
「え?う、うん。」
「多分、なんだけどよ、お前の個性、知っても今までと変わんねーと思うぞ。俺もそうだろ?」
「そ、そうかもしれないけど、爆豪くんの言った通り、騙してたのは事実だよ……」
「自分を守るためなんだからよ、いーだろ別に。それに、切島を傷つけねーためだろ?」
「ても、嘘は嘘だよ。嘘をつくって相手のことを信用してないみたいじゃない?」
「お前はあんな目に遭っちまってんだから、多少仕方なくねーか?つーかアイツはそれに目を瞑れねェような心の狭ェ男だとは思わねェぞ俺は。」
私はハッとした。そもそも私の過去を鋭ちゃんに話したのは彼が信用に足る人間だと判断したからだ。てっちゃんと同様に、鋭ちゃんも器の大きくて心の広い人間であると認めたからだ。私は、何を迷っているんだろうか。一体何が不安で何に悩んでいるのだろうか。
「お前さ、怖ェんだろ。多分。」
「何が?」
「切島のこと、男として好きだって認めちまうこと。」
「それは……私より強いと思えないし……」
「そりゃ言い訳だろーよ。仮にアイツの方が強かったら素直に好きって言えんのか?」
「……ぐっ。」
「あ、お前んちの飴は口に入れんなよ。俺は今つかさと話してんだからな。」
落ち着かなくて口に飴を入れようとしたらてっちゃんに静止されてしまった。彼は私に買い物袋を手渡してきて、食うならこっちにしろ!と笑顔で言った。袋にはいろんな種類の飴が入っていた。彼の優しさと、話したい相手が私なのだという真摯な想いが伝わってくる。私は袋の中から飴を取り出して封を開けて口に入れた。甘酸っぱいマスカットの味が口一杯に広がってとても落ち着く。
「……てっちゃんはさ、私の個性、どう思う?」
「ん?そーだな……正直、よくわかんねェ。」
「そ、そう。まぁ、うん、私もそうだもん。」
そりゃそうだ。自分だって自分の個性に対して、せいぜい戦闘力が上がることがありがたいとか、身を隠して動くときに便利だとかそのくらいにしか思っていない。昔は嫌いで仕方なかったけれど、今となっては上手く付き合えている方だとは思う。向き合えているかと言われればそうではないのだけれども。
「俺からもひとついいか?」
「え?う、うん、何?」
「女のつかさと男のツカサってよ、俺は同じヤツだと思ってんだけど、別人なのか?」
「……?いや、同じに決まってるでしょ。私の身体だもん。」
「いや、そういうことじゃなくてよ……なんつーか……それは女のつかさの考えだろ?」
「うん?」
「女のつかさの考えと男のツカサの考えって全部同じなのか?俺、頭良くねェから上手く言えねーけどよ……」
考えたこともなかった。私とツカサが別人だなんて。そもそもツカサとは私の個性による変身した姿なのだ。その本質は私、飴宮つかさという人間に過ぎないのだ。つまり、ツカサという別の人間は存在しない。彼は、ううん、私は私で、私は僕、そして僕は私。そのはずだ。
「私は私、私は僕、僕は私。意識だって記憶だって共有してるよ。だから別人なんてことはないと思うけど……」
「……つかさ、頼みがある。」
「何?」
「個性、使ってくれ。」
「……え?わかった。」
てっちゃんの鋭い眼光は私の目を真っ直ぐ射抜いていて、今は従うべきだと本能的に判断した私はポケットから飴を取り出して口に入れた。蜜柑の甘酸っぱさが口一杯に広がる。魔法の時間の始まりだ。
「テツ……」
「お前、気付いてんだろ?」
「……テツはいつから?」
「この前三人で話しただろ?あん時、切島のこと好きになれそうかっつー話して、まだ男が怖いかって聞いた時、何か変な感じがした。」
「どの辺が?」
「僕はそうでもないよ、っつー答えが……なんか、お前とつかさは同じじゃねェって感じがした。」
そう、彼の想像はおそらく正しい。僕とつかさは同じ身体で、意識も記憶も共有している。ただひとつ、思考だけは同じではないのだ。正確には思考の過程となる認知的枠組み、いわゆるスキーマというやつだけが共有されていない。そのため、僕にはつかさがどんな物事に対して何を思うのかがわからないし、つかさにも僕がどんな物事に対して何を思うのかがわからない。意識を共有していても、自分の外的世界への捉え方、その過程や要因、何もかもが根本的に異なるから、それだけは記憶とは異なって、つかさには残らないのだ。
「僕は……僕は、僕がわからないんだ。」
「どーいうことだ?」
「……テストで自分の名前を書けって言われたら飴宮つかさって書くよ。けど、それって本当に僕なの?」
「……そりゃまた難しい悩みだな。」
「ん……悪いね、迷惑ばっかかけて。」
「迷惑なんざ思ったことねーよ。むしろもっと頼れ。俺ァヒーロー目指してんだ。」
「キミはそうだったね、昔から。」
僕がへらっと力無く笑ったら、テツは存外素敵な笑顔を見せてきた。
「……難しいこと考えなくてもいーと思うぜ。」
「え?」
「お前はお前、つかさはつかさ!そんで、お前はつかさでつかさもお前!何も悩むこたァねーよ。どっちも俺の大事な幼馴染で親友で、それでいーじゃねーか。」
「テツ……」
彼なりの優しさというか気遣いというか、とにかく彼の気持ちが身に沁みる。テツの言う通りなのはわかっている。わかっているんだ。僕は確かに存在しているのだから。僕は僕、つかさはつかさ、そして僕はつかさでつかさは僕。テツと同様、僕にとってもつかさは大切な存在に変わりはない。僕という存在の片割れとして。僕の目の前にあるもの全て、過去も現在も、その意味も。ひとつと欠けるとつかさとツカサという存在は生まれなかったのだ。僕は僕という存在で……飴宮つかさという人間でいたい……それが答えじゃないか。
「僕は……僕は、僕だ。飴宮つかさ……僕もそうだ。」
「おう。」
「僕は僕として、僕自身を守りたい。僕は僕でいたい。」
「……難しいことはわかんねェ。」
「要するに、僕等は同じ人間だけど別の存在ってこと。それと……女の僕の、つかさの悩みは、切島がなんとかしてくれるよ。」
「……そうなのか?」
「うん、僕のヒーローが僕を救けてくれたから、きっと、私を救けるのは私のヒーローだよ。」
「……おう!なんか落ち着いたんなら良かったぜ!」
「……ありがとう。」
僕のヒーロー
そもそも僕が強い男に憧れたのも、強くなりたいと思ったのも、全部全部始まりはキミだった。鉄哲徹鐵、キミこそ僕のヒーローだ。
だから、あとは頼むよ。私のヒーロー。