「あっ、お、おは、よう。」
「おはよう。どうした?何か用か?」
「う、うん、あ、あの、これ……」
「む……」
掌に乗せた花柄の小さな紙の袋を真田くんに差し出すと、彼はすぐに受け取ってくれた。その時、ちょんっと手と手が触れ合ってしまったのだけれど、彼はぱっとその手を引いてしまった。嫌、だったのかな……
「す、すまない!そ、その、軽率だった!」
「うん……?」
「い、いや、て、ててて、手が、だな……」
なるほど……嫌なんじゃなくて、恥ずかしかっただけのようでほっとした。
「ごほん!これは何だろうか?」
「あ、昨日のお礼だよ。ジャム、ありがとう。朝、パンにつけて食べたんだけど、すっごく美味しかった!」
「……!か、構わん、し、しかし、悪いな、気を遣わせてしまって……開けても良いだろうか?」
「うん、気に入ってくれるといいんだけど……」
「ぐおおおおおおっ!?こ、ここっ、これはぁーーーっ!?」
「わあっ!」
真田くんは袋を開けて中身を取り出すと物凄い大声で叫び出した。A組どころかB組やC組の人達も驚いてこちらを見ている。注目の的だ、少し、恥ずかしい……
「こっ、こここ、こんな物を……う、受け取って良いのか!?」
「この前、うさいぬを可愛いって言ってたから……」
「かたじけない……この恩は忘れん……」
わたしがプレゼントしたのは京都宇治限定抹茶バージョンうさいぬマスコットと、福岡限定あまおう苺バージョンうさいぬマスコットだ。前者は以前あげると話していたけれど、後者はわたしの一番のお気に入りのうさいぬマスコットだ。失くした時の予備用に2個持っていたから、その内の1個を真田くんに、というわけで。
「あ、あの真田が笑ってる……」
「ほぉ……アレが……」
B組の丸井くんと仁王くんの声が聞こえてハッとした真田くんは、ごほんと大きく咳払いをするとうさいぬをふたたび紙袋に戻していた。家宝にする、と呟いていたけれど、そんな大袈裟な……と思わず笑ってしまったら、彼はプイッとそっぽを向いてしまった。真田くんのこういうところ、可愛いなぁ……
「おはようございます、芥子香さん。真田くん、部室の鍵です。」
「うむ、確かに。」
「……やっ、ややや、柳生くんっ!お、お、おはよう!」
わたしは真田くんの彼女なのに、やっぱり柳生くんの姿を見ると心臓の鼓動が100倍も200倍も早くなったように感じる。どきどきどきどきと高鳴る鼓動。胸が熱くてたまらない。ああ、やっぱりわたし、柳生くんが、好き、なんだ……なんだか急に汗がブワッと出てきたような気がする。どうしてだろう、今までこんなこと、なかったのに。
「…………おい、芥子香!大丈夫か?聞こえているか?」
「……あっ!う、うん、大丈夫!えっと、そ、それじゃあね!」
真田くんの呼びかけに全然気づかなかったわたしは誤魔化すように慌ててこの場を去ってしまった。というのも頭の中が柳生くんと真田くんのことでいっぱいだったから。F組に帰ってからもさっきのことで頭がいっぱいだった。真田くんとのデート楽しかったな、うさいぬ、喜んでくれて良かったな、柳生くんはわたしと真田くんのこと、どう思ったのかな……なんてことをずっと考えていたわたしの様子がおかしかったのだろうか、昼休みになった途端、莉絵ちゃんと柳くんからお呼び出しを受けてしまった。生徒会室でお昼ご飯を食べながら三人で話し合うことに。
「なるほど……弦一郎と柳生が同時に……」
「そうなの、わたし、わーって困っちゃって……」
「柳生にどう思われているのかが気になるのも、弦一郎との時間が楽しかったのも事実だが……今すぐ何か答えを出さないといけないわけでもない。ゆっくり考えればいい。」
「で、でも……うぅん……莉絵ちゃんは、どう、かな……?」
一通り、先日のデートのことから今朝のことまでを二人に話してみた。柳くんはゆっくり考えろと諭してくれたのだけれど、莉絵ちゃんはうーんと唸ったまま何も言ってくれなくて。
結局昼休みは終わってしまって、そのまま5限目の授業が始まった。社会の授業のペアワークで、わたしは莉絵ちゃんとペアを組んだ。調べ学習をすぐに終わらせたわたし達は、時間が来るまで部活の予定を話し合っていたのだけれど、突然莉絵ちゃんからこんなことを聞かれた。
「……蘭は真田のことどう思ってるの?」
「……えっ?さっ、真田くん?」
「うん、真田。柳生じゃなくて、真田。」
……自分でも、疑問に思った。わたしは、真田くんのことをどう思っているのだろう。柳生くんがわたしと彼のことをどう思っているか、それよりも難しい問題だ。
「別れたい?」
「えっ、と……わ、わかん、ない。」
「ふーん……真田、なかなかやるね。」
「えっ?」
「いや、何でもないよ。ま、私はいつでも蘭の味方だからさ、安心してよね!」
莉絵ちゃんはニッと笑うとわたしの背中をぽんっと叩いてくれた。ほんの数日前まではどうにかして早く真田くんと別れなくちゃと思っていた。でも、今、莉絵ちゃんの質問に頷くことができなかった。柳生くんのことは好きだ。確かに、好きだ。じゃあ、真田くんは?
……わからない。真田くんのことを考えると、どうしてももやもやしてしまう。決して、嫌いではない。数日前までは苦手だとばかり思っていたけれど、今はそうではない、むしろ、少し興味を持っているというか、気になっているというか……
考えても考えてもやっぱり答えは出なくって。結局、放課後になってもずっとこのことで頭の中を支配されてしまっていた。
部活動の終わり頃、突然先生から練習試合のお知らせが。今週の日曜日、男子バスケ部が城成湘南学園中学校と練習試合をするらしいのだけれど、どうやら互いの女子バスケ部も都合が空いているからとのことで滑り込みで練習試合を申し込んだのだとか。地区大会も近づいているからと莉絵ちゃんをはじめとした女子部員はとても意気込んでいた。
片付けや週末に向けて道具の確認等の雑用をこなしていたら、いつの間にかわたしは一人になってしまっていた。莉絵ちゃんも今日は塾って言ってたっけ。着替えが終わって部室を出ると、真田くんが仁王立ちで待ち構えていた。
「真田くん……?」
「お、驚かせてすまない。その、芥子香がまだ一人で残っていると、佐藤から聞いてな。」
「あ……お、送って、くれるの?」
「迷惑じゃなければ……」
「全然!そんなことないよ!えっと、じゃあ、帰ろう!」
「うむ、行こう。」
今日は随分と遅くまで残ってしまって正直一人で帰るのは怖いなと思っていたから、真田くんの心遣いがとても嬉しかった。
「芥子香、具合はどうだ?」
「えっ?」
「いや、今朝の様子が気になっていてな……体調が優れないのかと……」
「あ、だ、大丈夫だよ!大丈夫!ちょっと、考えごとしてただけ……」
「そうか……」
シーンとした空気が地味に痛い。何か、何か言わなきゃ。
「…………さ、さな……」
「危ない!!」
「きゃあっ!!」
ちりんちりんとベルがなっていることに気がつかなくて、真田くんがわたしの手をぐいっと掴んで引っ張ってくれていなければ、危うく自転車に轢かれてしまうところだった。
「ご、ごめんなさい……」
「全く……ぼんやりもほどほどにしろ!」
「うっ……ご、ごめんなさ……ぐすっ……」
「す、すまない!泣かせるつもりはなかったのだ!た、ただ、もう少し注意をだな……」
「うっうっ……ぐすっ……」
突然涙があふれてきた。自分の気持ちがわからない。どうしたらいいのかわからない不安な気持ち。今叱られたのは自分のせい。みっともない、恥ずかしいという気持ち。自転車が真横を通ったのが怖かった気持ち。色んな気持ちが混ざり合っている。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙。目を開けると、真田くんがしゃがんでいた。
「動くな。」
「んっ……」
真田くんはわたしの目にとんとんとハンカチを当ててくれて、真っ直ぐわたしを見つめたまま話し始めた。
「大声を出したのは悪かった……だが、俺はお前が心配だっただけで決して怒っているわけではないのだ……」
「…………ありがとう、真田くん……」
「いや……こちらこそ……その、泣かせてすまなかった。このまま歩けるか?」
「うん……」
真田くんに手を引かれて、ゆっくりと歩いて家まで送り届けてもらった。彼と繋いだ手からは、彼の気持ちが痛いほど伝わってきた。すごく優しく、だけどしっかりと握ってくれているその手の温かさや大きさにひどく安心して、家に帰り着いた頃にはすっかり涙は止まっていたのだった。
触れ合う手と手
「真田くんの手……ちょっと硬くて、大きくて、温かかったな……それに、真田くん、とっても優しかったな……」
***
「よ、よよよ、嫁入り前の女子の手を……お、俺はなんという事を……し、しかしあの場合は仕方がなかった……ぐっ……お、俺はどうすれば……」