4日前のあの日からのわたしは少しおかしい気がする。真田くんと、手を繋いだ日。あの日からずっと、真田くんを見ると大きな手に目がいってしまうのだ。
「芥子香?」
「…………」
「芥子香、どうした?」
「……あっ、な、何でもないの!」
「そうか?穴があくほど俺の手を見ていたから何事かと……」
まずい。ご本人にもバレてしまうほど夢中になってしまっていたのか。何とかして誤魔化さなきゃ。
「さ、真田くんって、手が大きいから美術とか書写が上手そうだなぁって……」
「そうか?美術はよくわからんが……書道が上手そうだと言われるのは良い気分だ。」
「書道好きなの?」
「ああ、趣味と言っても過言ではない。よく学内の和室には書道の練習のために足を運んでいるしな。」
「そうなんだ!真田くんって和風な雰囲気が似合うもんねぇ……あ、剣道も好きって言ってたよね。」
「おお、覚えていてくれたのだな。うむ、剣道や居合いも俺の特技だ。」
何とか話を逸らせたようだ。真田くんは嬉しそうに剣道のことや好きな時代劇の話を始めてきた。真田くんは歴史が苦手なわたしでもわかるように話してくれるから、教科書を読むよりも断然ためになる。実は真田くんのおかげで昨日の社会の小テストは87点という好成績を修めることができたり。
「……そういえば、芥子香、お前はバスケットボールが得意なのか?」
「えっ?どうして?」
「先日、遠くからのシュートを成功させたことで男子生徒に絡まれていただろう。」
「あっ……そ、そうだった、ね。」
心臓がどきりと跳ねた。
「小学生の頃から足も速く運動神経も良かったはず……なのに、どうして選手ではなくマネージャーなのだ?」
「あ、え、えっと、運動、そんなに好きじゃなくて……」
「そうなのか?6年生の頃の運動会もマラソン大会もクラスマッチも、どれも楽しそうに笑っていただろう。」
「えっ……」
どうしてそんなことを知っているのだろうか。6年生の頃は同じクラスじゃなかったはずなのに。
「……まぁいい。だがこれだけは言わせてくれ。自分に嘘をつくな。」
「自分に、嘘を……」
「ああ。人間、誰しも嘘をついてしまうことはあるだろう。嘘を戦略にする者、嘘で誰かを守る者……理由は様々だ。だが、どんな理由であれ、自分自身に嘘をつくのは良くないと俺は思う。」
意外だった。彼はどんな小さな嘘も決して許さないような人だと思っていたから。勝手にそう思い込んでいたのだ。彼はこんなにも心が広く、そして、優しい。知識、心の広さ、包容力、まるで、海のような……
「芥子香……お前はまた……もう少し注意をだな……」
「……あっ、ご、ごめんなさい、気をつけるね。自転車に轢かれるの嫌だし。」
「うむ。それがいい。…………俺がいる限り、お前に怪我などさせんがな……」
「何?」
「い、いや、何でもない。」
ぼんやりしていたらまた真田くんから、もう少し注意をだな、と4日前よりだいぶ優しく叱られてしまった。先程の言葉は全然聞こえなかったけれど、この様子だとお怒りではなさそうだ。
さて、放課後の部活動では日曜日のスターティングメンバーが発表された。4人目まではいつものメンバー……ならば最後に呼ばれるのはいつも通りなら莉絵ちゃんだ。
「えー、6番、ポイントガードは佐藤 莉絵……と言いたいところだが、実はさっき連絡があってな、どうやら足を捻挫したらしい。幸い1,2週間様子を見れば治るが、明後日の試合は絶望的だ。」
先生の言葉にみんながざわざわと騒ぎ出した。あの城成湘南が相手なのだ、無理もない。それに莉絵ちゃんに代わるような選手は控えメンバーにもいないわけで。どうするんだろうとぼんやり考えていたら、先生からとても大きな声で名前を呼ばれた。
「……芥子香!芥子香 蘭!」
「……あっ!すみません!な、何でしょう?」
「全く……信じられんが、佐藤が自分の代理は芥子香が最適だと言っていた。そのため、明後日の試合は芥子香に出てもらう。」
「…………ええぇぇっ!?ど、どうして!?」
みんなもどうしてわたしがと騒いでいる。当たり前だ。わたしはマネージャーなのだから。
「俺にもわからんが、佐藤が言うなら間違いないだろう。芥子香、みんなのためにも頼めるか?」
「あ……えっと……」
「無理にとは言わん。控えメンバーの中からだと順当にいけば……」
先生の話はろくに耳に入っては来なくて、わたしの頭の中はお昼休みの真田くんの言葉でいっぱいになっていた。
自分に嘘をつくな。
わたしは本音をひた隠しにしてばかりだ。真田くんに対しても、自分自身に対しても。3年前と何も変わっていないのだ。ずっとこのままでいいはずがない。そんなことはとっくの昔から知っている。わたしは、甘えているだけなのだ。莉絵ちゃんにも、真田くんにも、そして、自分自身にも。今のままじゃ、何も変えられない。まずは自分が、変わらなきゃ。
「…………というわけで、日曜日のメンバーをもう一度……」
「先生!」
「ん?なんだ?」
「わたし、出ます。莉絵ちゃんの6番、わたしが……」
「いいのか?芥子香、経験は……」
「大丈夫です、小学校3年生からずっとミニバスをやっていました。中学からはたまに莉絵ちゃんの相手をしていたので、全くの未経験ではないです。」
「うむ、わかった。みんなも異論はないな?」
あの城成湘南が相手ということもあるし、部長の莉絵ちゃんの言葉なのだからと誰も反対する人はいなかった。やると決めたのはわたしだ。やるからには全力で。大丈夫、感覚は鈍っていない、はず。
部活が終わって、歩いて正門に向かっていると、大きな人影が見えた。あれは真田くんだ。近寄ると彼もこちらへゆっくり歩いてきた。
「芥子香、待っていたぞ。」
「真田くん……えっと、一緒に、帰ってくれるの?」
「ああ、そのつもりだ。いいか?」
「うん、ありがとう!」
「……!う、うむ、行こう。」
心なしか、真田くんの頬がほんのり赤くなったような気がする。こういうちょっぴり可愛らしいところに普段とのギャップを感じて少しだけどきっとしてしまう。
帰り道、わたしは日曜日の試合に出ることを真田くんに話した。真田くんのおかげで、自分に嘘をつくのをやめるための大きな一歩を踏み出したことを。
「そうか……素晴らしいことだ。」
「そんな……でも、ちゃんとした試合は久しぶりだから、ちょっと不安だなぁ……」
「……迷惑でなければ、応援に駆けつけても良いだろうか……」
「……えっ?」
ぱっと顔を上げると、大きな掌で口元を隠しながらそっぽを向いた真田くんが見えた。頬は赤い。なんだかわたしまで頬が熱くなったような気がする。真田くんが応援に来てくれるのはありがたいけど、緊張で余計に固くなってしまいそうだ。
「わたし、上手じゃないし、恥ずかしいなぁ……」
「あまり自分を卑下するな。部長の佐藤の指名もある。自信を持て。」
「あ……う、うん、そう、だね。莉絵ちゃんの期待を裏切りたくないもん……頑張る!」
「うむ、その意気だ。」
真田くんは自分にも他人にもとても厳しい人だけれど、その厳しさの中には思いやりや優しさが込められていることはこの2週間ちょっとでよくわかった。とても素敵な人だ。
無事に家まで送ってもらって、日曜日のことを少し話してからお別れした。試合のことを家族に伝えたらかなり心配されたけれど、やるからには全力で、と優しく応援してもらえた。
お風呂に入ろうかなというところでスマホが震えて、画面を確認すると莉絵ちゃんで。とても元気そうで安心したけれど、試合の件がとても気がかりだったようで。代わりに出場することを伝えた時の喜びはものすごくて、彼女が涙ながらに話しているのがよくわかる。
「蘭、ありがとう!でも、蘭と一緒に出たかったな……」
「また治ったら一緒にしようよ。」
「えっ、じゃあマネージャーやめるの?」
「ううん……でも、練習に参加しようかなって。先生やみんなに相談したんだけどね、そんなに人数が多くないから一人でもプレイヤーが増えるのは助かるって言ってもらえたの。」
「そうなんだ……うわぁ、楽しみ!あ、明後日はわたしも応援に行くからね!」
「うん!楽しみにしてる!あっ、応援といえば真田くんも…………」
莉絵ちゃんとの通話はとてもとても盛り上がってしまい2時間も話してしまった。明後日の試合は莉絵ちゃんはもちろん、真田くんも来てくれるらしい。今のうちからしっかり休んでおこうと思ったわたしは早めにベッドに潜ったのだった。
自分に嘘をつくな
「莉絵ちゃん、おはよう!」
「蘭!今日は頑張ってね!ほら、真田もあっちに…………」
「莉絵ちゃん?…………やっ、ややややや、やっ、柳生くん!?」