必ず勝て

柳生くんだ。あれは誰がどこからどう見ても柳生くん。莉絵ちゃんも驚いてぽかんと口を開けている。なぜここに柳生くんがいるのだろう。まだ先生は来ていないし、時間もある。わたしは体育館の二階へと走った。


「や、柳生くんっ!」

「芥子香さん、おはようございます。今日は出場されるらしいですね。頑張ってください!」

「あ、う、うん!ありがとう!あ、あの、今日はどうしてここに……?」

「応援は多い方が良いと真田くんから誘われたのですよ。今、真田くんは柳くんとお手洗いに行ってますよ。」

「そ、そうなんだ……」


柳くんも来てくれていることにほっと安心感を覚えた。恋文事件の秘密の共有者だからだ。わたしが何かドジを踏んだ時はきっと彼が助けてくれるはずだ。


「芥子香!」

「あっ、真田くん、柳くん、おはよう!」

「うむ、おはよう。芥子香、ブランクがあろうがお前なら大丈夫だ!全力で、そして勝て!」

「弦一郎、あまりプレッシャーをかけるな……」

「す、すまん!そんなつもりは……」

「ふふっ……わかってるよ。真田くん、ありがとう!」


柳くんに窘められる真田くんがわたわたと慌てているのがなんだか可愛らしくて、クスッと笑みがこぼれてしまった。一瞬、笑ったことが不愉快じゃなかっただろうかとちらりと様子を伺ったけど、柳くんがこちらを見て少し口角を上げていたからきっと大丈夫。





一階のみんなの元に集合したら、部員のみんながニヤニヤとしていた。彼氏と何話してたの?だって。真田くんがわたしの彼氏だってみんな知っていたのか。


「な、なんで知ってるの?」

「えっ?いつも蘭ちゃんが出てくるの待ってたり、話しかける前に精神統一みたいなことしてるじゃん。」

「彼、カバンに芥子香ちゃんと莉絵とお揃いの緑色のうさいぬ付けてるよね。」


みんなうんうんと頷いている。莉絵ちゃんは、あちゃー……といった様子。まぁ、バレるよね。真田くんはあれだけわたしのことを大切にしてくれているのだから。隠すつもりはないけれど、胸はちくんと痛んでしまう。真田くんに本当のことを言えていないままだからだ。こうして周りの人に知られていく度に胸が痛むのだろう。早く、早く本当のことを言わなきゃ……でも、本当のことを言ったら…………


「…………蘭!蘭、聞いてる?」

「……あっ、ご、ごめんね、何?」

「しっかりしてよね……いい?蘭は足も速いしドリブルも上手だから、今日は積極的にボール運びしてよね!」

「ボール運び……うん!頑張る!」


ここからはしばらく作戦会議をして、あっという間に試合の時間はやってきた。バッシュの紐をぎゅうっと結んでコートへ走った。試合中にぼんやりするのは命取りだ。全員に迷惑がかかってしまう。整列、礼をしてすうっと一度深呼吸をした。さぁ、試合開始だ!






あっという間に第2クォーターを終え、15分のハーフタイムを迎えた。みんなすごい疲れ様だ。ゴクゴクと喉を鳴らしてドリンクを飲んでいる。莉絵ちゃんが作ってくれたドリンクはちょっぴり味が薄いけれど、飲みやすくて丁度良いと感じる。


「蘭!すごいじゃん!めっちゃ良かったよ!」

「あ、ありがとう……でも、コートの外から見てるのと全然違ってびっくりしたよ……」

「そりゃそーよね……でも、蘭ちゃんすごいね。戻りも速いし、プレイしやすいよ。」

「莉絵はパスが上手いけど、蘭はドリブルが上手いねー!二人ともいたらもっと強くなれそう!」

「でしょー!?だから蘭はマネージャーじゃなくてプレイヤーになるべきだって私はずーっと言ってて……」


なぜか莉絵ちゃんの方が鼻高々と話し始めた。良かった、みんなに迷惑をかけずにプレイできてるみたいだ。何度かミスをしても、チームのみんなが上手くカバーしてくれたから助かっただけなのだけれど。ちらっとスコアボードを見たら、点差は10点でなんと立海が勝っている。城成湘南はかなりの強豪校として有名だ。そんな彼女らにリードをとれているのは日頃の練習の賜物だろう。せっかく勝っているのだ。絶対に遅れを取るわけにはいかない。さて、あと20分、全力で頑張ろう。もう一度バッシュの紐をぎゅうっと結び直してコートへと走った。





「ど、どうなってんの、コレ……」

「なんか……後半、急に相手が強くなった気がする……」

「蘭、ごめんね、ボール取れなくて……」

「あ、う、ううん、全然……」


監督のおかげで見事なタイミングでタイムアウトをとれたけれど、戦況はかなりまずい。第3クォーターから相手チームの動きがガラリと変わって中々ボールが取れなくなってしまった。というのも、相手の7番が10番と交代したのがきっかけだろう。あの10番、動きも早いしシュートも正確だし、あんなプレイヤーがいたら噂になっているはずなのに……どうして誰も知らないんだろう。


「……あっ!」

「莉絵、何か気づいたの?」

「あ、いや……ちょっと、知ってる人だったから、さ。」

「えっ、誰?」

「……蘭、ちょっといい?」


みんなが莉絵ちゃんを囲っているのに、彼女は輪の外にいたわたしをご指名で。スペースを空けてもらった箇所に歩み寄ると、莉絵ちゃんは一枚の紙を差し出してきた。城成湘南のバスケ部メンバー表……マーカーを引いた箇所には相手の背番号が書かれている。10番。名前は……


「……っ……!?」

「やけに蘭に対するカットが多いわけだよ……」

「……全然、気づかなかった……」

「何?芥子香ちゃんも知り合い?」


10番の正体は、小学生時代に同じミニバスに通っていた女の子だった。当時とは髪型や背丈が変わりすぎていて全然わからなかった。正直、会いたくはなかったのが本音だ。ちらりと相手ベンチへ目をやると彼女がわたしを睨みつけていることに気がついてしまった。ああ、やはり彼女だ。見た目は大きく変われど中身はそのままだ。


「蘭、大丈夫?交代する?」

「……ううん、頑張る。」


ここで逃げてしまっては何も変わらない、変われない。わたしはこの試合に出ると決めたのだから、最後までやりきりたい。自分に嘘をつきたくない。意気込んで返事をすると、莉絵ちゃんは一瞬驚いたような表情を見せたけれど、すぐに満面の笑みを浮かべて、頑張れ!と背中を叩いてくれた。それと同時に試合再開を知らせるブザーが鳴り響いた。





あっという間に第3クォーターが終わり、最後のインターバルを迎えた。とうとう同点まで縮められてしまった。わたし達は防戦一方で全然攻撃に転じることができない。あと10分で同点の状態を守りきる体力はない。普段スタメンのみんなでさえあの状態だもの。あれこれ考えてはみたけれど、なんの改善策もなく無情にも最後のクォーターが始まってしまった。





最後のクォーターは全員が守りに心血を注いだため、ラスト2分までゴールを守りきることができた。あと2分、あと2分、なんとかシュートを決めたい。わたしは思い切って攻めに転じることにした。


「はぁっ……はぁっ……」

「芥子香 蘭!お前さえ、お前さえいなければ……!」

「……!!」


城成湘南の10番がぴったりとくっついてマークしに来たためにドリブルを止めてしまった。彼女がわたしを憎むのも無理はない。わたしだって、あの日のことは一日たりとも忘れたことはないのだから。わたしがコートに立てなくなった日。今思えば大したことじゃないのかもしれないけれど、当時小学生だったわたし達にとっては大きな事件だったっけ……


「この3年間、ボールにも触れずに遊んでたくせに……!!」

「あっ!」


彼女はわたしの持っていたボールを下からぴしっとはじいて、いとも簡単に奪い去って行き、そのまま華麗にレイアップシュートを決めてしまった。2点、とられた。わたしのせいで。


「蘭!蘭!早く!」

「……あっ!ご、ごめんなさい!」


しまった。またぼんやりしていた。時計は既に進んでいる。どうしよう。どうしよう。2点負けている。攻める?どうやって?みんな後ろにいるのに?わたしがボールを運ぶ?わたしがマークされたら終わりだよ。どうする?どうする?


「……ええい!芥子香!何をしている!」

「……!」


突然、真田くんの大きな声が聞こえた。二階に目をやると、彼はいつもの仁王立ちスタイルで佇んでいた。


「負けてはならんのだ!!必ず勝て!お前は今日、勝つために来たのだろう!テニスでなかろうと立海の敗北は断じてこの俺が許さん!行け!芥子香!周りを見ろ!」


彼の言う通りに周りを見たら、誰一人として勝利を諦めていないようで、防御を捨ててボールに喰らいついている姿が目に入った。わたしも、わたしだって、負けたくない。必ず、勝つ!!


「蘭!」


審判が笛を口に加えたその瞬間、立海の11番の女の子が相手チームからボールを奪って、ゴールから最も遠く誰からもマークされていなかったわたしに豪速球パスを送ってきた。ほぼ同時に例の10番もこちらへ向かってきたけれど、ボールの方が先にわたしの元へやってきたのだった。





必ず勝て




「させるかァッ!!」


10番の女の子は手を伸ばしてきたけれど、彼女の手が届く前にわたしは先日のシュートで描いた美しい弧をイメージしながらボールを手から離したのだった。








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