「…………おお!目が覚めたか!」
「ここは……?」
「ここは城成湘南中の保健室だ。大丈夫か?どこか痛いところは無いか?」
「……うん、平気。あっ、試合は?」
「うむ、あの日と同様、見事なシュートだった。お陰で逆転の猶予もなく我が立海の勝利が決まった。実に立派だったぞ!」
良かった。試合には勝てたんだ。じゃあ、どうしてわたしはここに?真田くんはすぐに察してくれて、状況を簡潔に説明してくれた。例の城成湘南の10番の女の子が、ファウル覚悟でわたしに突進してきたらしい。相手はスポーツマンシップに則って、わたしにぶつかることは避けてくれたのだけれど、ジャンプシュートの着地時にわたしが相手の足を踏んで勝手にすっ転んで頭を打ってしまったらしいのだ。我ながらなんてカッコ悪い最後なんだろうか。
「芥子香、あの10番とは何か因縁があるのか?」
「……えっ?」
「い、いや、勘違いならすまない。ただ、やけにあの女子が芥子香につっかかっていたように見えたのでな……」
「…………」
真田くんにだったら、話してもいい気がする。きっと、真田くんなら、あの時どうすれば良かったのか、一緒に考えてくれるような気がする。わたしが間違ったことをしたのならば、海のように心の広い、優しくも厳しい彼なら決してわたしを甘やかさずに、ぴしゃりと叱ってくれるはずだ。
「真田くん。真田くんに、聞いてほしい。」
「うむ。俺で良ければ何でも聞こう。」
***
小学校6年生の頃、わたしは関東でかなり有名なミニバスのチームに所属していた。その中には莉絵ちゃんもいたし、あの10番の女の子もいた。10番の彼女は当時からかなり積極的で試合でもレギュラーとして活躍していたのだけれど、わたしはというと莉絵ちゃんに強く誘われてのらりくらりと付き合っていただけというのが正しかった。その上、あまり闘争心も強くなくレギュラー争いにも消極的で、かなり対照的だったと思う。
ある日、関東の強豪チームばかりが集められた女子バスケットボールの大会が開催された。毎年、この大会では全国の女子バスケットの強豪校の監督が見物に来て、上手い選手を見繕って中学へスカウトをするなんてことが行われていた。もちろんわたしは興味なし。自分には縁のない話だと思っていたのだけれど。
「……というわけで、5人目は芥子香!自覚は無いかもしれんがお前は全国からかなり注目されている、しっかり自分をアピールしてこい。」
「……えっ?」
「ほら!やっぱ蘭は監督から見ても上手いんだって!一緒に頑張ろ……」
「待ってください!!」
わたしがレギュラーに選ばれたことを嬉しそうに喜ぶ莉絵ちゃんの言葉を遮ったのが例の彼女だ。
「なんで……なんで芥子香なんですか!?試合経験もロクにないし、消極的だし、私の方がよっぽど……!」
彼女が涙目になりながらあまりにも叫くもんだから、わたしはなんだか責められているような気持ちになってしまった。そうだよね、わたしと違って彼女はこれまで真剣にやってきたんだよね。そう思ったわたしは、何の悪気もなしにこんなことを口にしてしまったのだ。
「わたし、代わろうか?」
「……は?」
「出たい人が出た方がいいよ……わたし、別にレギュラーに興味……きゃっ!!」
「お前……!私をナメるのも大概にしろ!!」
彼女の怒りを買ってしまったようで、わたしは思いっきり胸倉を掴まれてしまった。
「い、痛い!離して!」
「お、おい!お前!やめんか!」
「うるさいッ!見る目も無いクソジジィ!こんなチームこっちから願い下げだよ!」
「わぁっ!」
「ぐわっ!」
「蘭!監督!あっ、ちょ、ちょっとアンタ……」
「こんなチーム辞めてやるよ!」
彼女は私を監督の方へ乱暴に突き飛ばし、その場を去って行った。その時からだろうか、周りのわたしに対する扱いが冷たくなってしまったのだ。当時のわたしは自分の発言が彼女にとってどれほど屈辱的で、周りの人がなぜ不快に思ったのかを理解することができなかった。だけど、今ならわかる……
***
「…………そうか、そんなことがあったのか。」
「うん……だからね、あの人がわたしに怒るのは当然のことなの。」
「……確かに、けしからんな。不適切な発言だった。」
「うん……」
真田くんは厳しい面持ちだ。彼も過去のわたしの発言を不快だと感じたのだろう。真面目な彼のことだ。きっと、わたしに幻滅して…………
「だが、人間誰しも失敗はある。次に同じ失敗をしなければいい。それだけのことだ。」
「……えっ?」
「一度言ったことは取り消せん。だが、それだけ深く反省していれば同じ過ちは犯さない。悔やんでも仕方ない、前を向け。」
がつんと頭を殴られたような気分だ。彼の言葉が響いて驚きのあまりに声が出なかった。テニスはもちろん如何なることにおいても負けてはいけないを信条とする彼のことだから、失敗なんて許せないタイプの人だと思っていた。いや、この前も、嘘を許せないタイプではないかと思い込んでいたのを修正したばかりだ。真田くんは、海のように綺麗な心を持っている人なのだ。だから、だから、わたしはそんな彼を…………
彼を……何だろう……
「芥子香?大丈夫か?」
「……あっ、う、うん。ぼんやりしちゃってた……」
「先の件の影響か?心配だな……」
「あ、ううん、あの、いつもぼーっとしちゃうから……」
「む……ま、まぁ、否定はできんな。」
真田くんは気まずそうに目を逸らしながらぽつりと呟いた。なぜだろう、今までは真田くんと二人でいたら、大きなもやもやや不安感、緊張、それからちょっぴり怖いなんて気持ちでいっぱいだったのに。今は全然そんなことはない。慣れてしまったのかな、なんて思ったけれど、そういうわけでもない。これは、安心感だ。
「蘭!大丈夫!?」
「莉絵ちゃん!」
ガラッと大きな音を立てて保健室のドアが開いて、ぱっとそちらに顔を向けたら莉絵ちゃんが保健室に駆け込んできた。足は大丈夫?と聞けば、蘭のことが心配で自分の痛みなんか忘れてた!なんてへらへら笑っている。少し遅れて柳生くんと柳くんも入ってきた。二人はジュースやお菓子を買ってきてくれたみたいで、ありがたく受け取って早速ジュースを飲んだ。
「……美味しい……みんな、ありがとう!」
「蘭〜!私、超心配したんだから!自分の足の痛みも忘れるくらい!」
「本当だよ!莉絵ちゃんは大怪我してるのに……」
「いやぁ、ごめんごめん!だって真田が蘭を抱えて疾きこと風の如しで去って行ったからさぁ……」
「頭を打ったんだぞ!?急ぐのは当然のことだ!」
「弦一郎、普通は二階から飛び降りたりしない。」
「むっ……」
なんと、倒れたわたしを運んでくれたのは真田くんだったらしい。しかし柳くんの冷静なツッコミにこの場にいたみんながクスリと笑った。真田くんは恥ずかしそうにしているけれど。さっきまでの落ち込んだ雰囲気が嘘みたいに柔らかく温かくなった。ああ、友達っていいなぁ。こういうの、好きだなぁ。
「蘭、私これから先生の車で病院に寄るんだけど、一緒に行く?一応検査とか受けときなよ。ねっ?」
「あ……う、うん、そ、そうだね。そうする。」
大丈夫だよ、と言おうとしたのだけれど、莉絵ちゃんの後ろで柳くんがうんうんと首を縦に振っていた。行け、ということなのだろうと解釈して、素直に彼女の提案に乗ることにした。
検査の結果は無事何ともなかったけれど、数日様子を見て、少しでも気分が悪いと感じたらすぐに病院に来ていいとのことだった。今は先生に送ってもらって、莉絵ちゃんと二人で自分の部屋にいる。彼女は先程柳くんからもらったジュースをぐびぐび飲んで、一息ついてから話を始めた。
「あの10番、久々に見たねー……」
「あ、う、うん……」
「相変わらず態度デカいし超ムカついたわ!今日勝って良かった〜、蘭のおかげ!」
「そんなこと……みんなが最後まで諦めなかったからだよ。」
「蘭だってそうでしょ?でも最後のアレ本当すごかった!ぼーっとしてたのにさ、ボールもらった途端突然スイッチ入ったみたいに……しかもあの綺麗なシュートフォーム!最高だったよ!」
「あ、ありがとう……」
しばらく先程の試合のことや、例の10番の女の子の話をした。真田くんに3年前の例の件について話したことを告げたら、怒られなかった!?大丈夫!?なんて本気で心配された。真田くんはとても前向きで素敵な人だということを伝えたら、莉絵ちゃんは難しそうな顔をしたかと思うと突然にやっと笑みを浮かべた。
「蘭、あんた最近真田の話する時、笑うようになったね。」
「えっ?」
「……単刀直入に聞くけどさ、真田のこと、好き?」
「……!!」
真田くんはとても真っ直ぐな人。わたしがおどおどしてても呆れずに最後までちゃんと話を聞いてくれる。帰りが遅くなる日は必ず家まで送ってくれる。殺人級に不味いクッキーも全部食べてくれた。男子に絡まれた時は助けてくれた。デートの時はとても気を遣ってくれた。うさいぬが好きなんてカワイイ一面もある。真田くんと手を繋いだ時、とてもどきどきした。また、手を繋ぎたい。今日も、心が折れそうな時、彼の声を聞いて立ち直ることができた。今もまた、彼の声が頭に響いた。
自分に嘘をつくな
前を向け
そう、響いたのだった。
響く言葉
「えっ!?蘭!?どうしたの!?」
「ううん……ぐすっ……なんでも、ないの……」
「ご、ごめん!私何か余計なこと言った!?」
「ううん……大丈夫……」
今やっとわかった。自分の本当の気持ち。わたしは、真田くんのことが…………