「うむ、おはよう。すまない、待たせてしまったか?」
「ううん、今丁度着いたの!」
「そうか、ならば良かった……」
午前8時55分にバス停に到着したら、反対側の歩道から真田くんが走ってやって来た。5分前行動は当たり前、ということだろう。流石だ。
「真田くん、うさいぬ楽しみだねぇ……」
「一応、今日は水族館が目的なのだが……」
「あっ!そ、そうだったね!ごめんね!」
「い、いや、構わん、その、よほどうさいぬが好きなのだな……」
「うん、わたし、うさいぬ発売当初からずーっと好きなの!」
「それはすごいな……む、バスが来たようだ。」
真田くんとうさいぬの話で盛り上がっていると例のバスが到着した。わたしと真田くんは乗車してすぐに運転手さんに声をかけて、例の限定うさいぬを無事に購入することができた。うさいぬはとても可愛くて嬉しいけれど、真田くんとおそろいということが何よりも嬉しい。わたし、本当に真田くんのことが好きなんだ……
「芥子香?どうした?」
「……えっ!?あっ、えっと……」
「うむ……このうさいぬ……ぼんやりしてしまうのも無理はないな、たまらん、その、奥ゆかしさだ。」
真田くんに見惚れてぼーっとしていたのだけれど、何かを勘違いされてしまったようで、真田くんはうんうんと頷きながらうさいぬを優しく撫でていた。真田くんの大きな手……わたしも、撫でてもらいたいなぁ、なんて変な妄想をしていたら、バスが出発したようだ。近くの席に座って、水族館のホームページを見ながら静かに時間を過ごした。
水族館に着いて入り口でリストバンドを巻いてもらい、早速順路に入った。下りの斜面を進んでいくとだんだん暗くなってきた。少し怖いな、と思っているとどんっと真田くんの背中にぶつかってしまった。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
「大丈夫か?俺は構わんが、他の客にぶつかってしまっては悪いからな。よし、では、その、手を……」
「あっ……うん!」
真田くんはそっぽを向きながら大きな右手を差し出してくれた。わたしと真田くんの手は大人と子どもと言えるほど大きさに差がある。ぎゅっと握ると手が覆い隠されるように握り返された。そして彼に手を引かれながらゆっくりと順路を進み始めた。
最初は海の中のトンネルだ。床も天井も壁も透明になっているから上下左右どこを見ても海の中の生き物が楽しそうに泳いでいたり休んでいる姿を見ることができるのだ。
「これは凄いな……」
「可愛い!クマノミだ!」
「む……ほう、鮮やかで美しいな。」
「わあ!びっくりした!」
「エイだ。随分と大きいな。」
「これ顔かな……なんかおじさんみたい……」
「ふっ……面白い例えだ。」
いろんな魚を見ながら話していると、真田くんは随分楽しそうな笑顔を見せてくれた。こんな笑顔、学校ではなかなか見ることができないからとても嬉しく感じてしまう。わたし、今、真田くんの笑顔を独り占めしてるんだ。なんて贅沢な時間なんだろう……とぼんやりしていたらあっという間にトンネルを進み終えてしまっていた。
「おお、もう終わりか。こんなに長いのに随分と早かったな……」
「楽しいから早く感じちゃうのかな……あれ、道が分かれてるね、どっちに行く?」
「ふむ……館内マップを見ると……左の方が良さそうだ。海月海……と書いてあるコーナーだ。」
「海月もいるんだ!あんまり見たことないから楽しみ!」
「うむ、では行こう。」
再び手を引かれて進んでいくと、海月海、という名前の大きなホールへ出た。青く優しいゆらゆらと揺れる光がさしている。天井は海月の体内を模した模様になっていて、青い光に照らされた模様は薄く輝いている。海の月、とはよく言ったものだ。なんて美しいんだろう……
「流石、海の月とはよく言ったものだな……」
真田くんも同じことを思ったようだ。青くぼんやりと光る水槽をまじまじと眺めている。落ち着いた深い青色は大人っぽい雰囲気の真田くんによく似合う。彼が目線をちらりとこちらへ向けた。どきりと心臓が跳ねて、思わず手にぎゅっと力を込めてしまった。彼はフッと笑みをこぼすと、次に行こう、とゆっくり歩み始めた。
次に向かったペンギンやアザラシのコーナーでは丁度ショーをやっていたので可愛い姿にとても癒された。真田くんは可愛いものが好きだからか、おおっ、とか、むむっ、とか、何度も何度も小さく唸っていた。けれども、恥ずかしかったのだろうか、唸る度に咳払いをして誤魔化そうとしているのがとても可愛かった。彼には言えないけれど。
さて、その次に向かったのは大水槽と海流マップのコーナーだ。大水槽は最初に歩いた海の中のトンネルを外側から眺めているようで、大きなエイやイワシの群れ、タイやハギ、サンゴにイソギンチャク、他にもたくさんの海の仲間たちを見ることができた。
「あ……もうこんな時間……」
「む……そろそろ昼食にするか。」
「うん!あ、館内のカフェに行ってもいい?わたし、食べたいものがあるんだけど……」
「構わん、早速向かおう。」
真田くんと一緒にカフェに入って、わたし達はこのカフェの名物であるシーフードパスタを食べることにした。水族館で魚介類を食べるなんて、と思われないかなとちょっぴり心配だったけれど、真田くんはあまり気にしていないようだった。
「芥子香は和食が好みだと聞いていたが……こういう物も好んで食べるのか?」
「パスタも好きだよ。ほら、ソースもたくさんあるし、色んな味が楽しめるのがいいよね。」
「ふむ……白米もふりかけによって味が変わるしな、楽しいというのもわかる。」
「あっ、わたし明太子ふりかけが好き!真田くんは?」
「俺は……ゆかり……いや、紅鮭も捨てがたい……むっ……選べんな……」
ふりかけのことを真剣に考える真田くんはとても可愛らしかった。クスクスと笑ってしまったら一瞬真顔になられてしまって、怒られるかな?と思ったけれど、会話が弾んだことが嬉しくて驚いてしまっただけのようだった。真田くんと過ごす時間はとても楽しい。
「わたし、好きだな……」
「ん?」
「……あっ、え、えっと、その……」
「……確かにぼんやりしてしまうほどの味ではあるな。美味い。」
幸せを噛み締めていたせいか、いつの間にかパスタを食べ進めてしまっていた。パスタは確かに美味しい。絶品だ。真田くんも美味しそうに食べている。ぼんやりしてしまっていたのが恥ずかしくて、わたしはパスタを食べることに集中した。うん、本当に美味しい……幸せ……
午後はイルカのショーを見たり、ウミガメやカピバラなどの水辺に住む生き物達の鑑賞コーナーや学習館を回ったりした。今はお土産コーナーで可愛いぬいぐるみやキーホルダーなんかを眺めたりしているわけだけれど……
「芥子香、何かめぼしい物はあったか?」
「うん、このイルカのぬいぐるみ、莉絵ちゃんとお揃いで買おうかなって。」
「ほう……奥ゆかしいな。」
「うん!目のところとか、口元がとっても可愛いよね!」
「ふむ……」
真田くんはイルカを手に取って何やら考え込んでしまっている。真田くんも誰かとお揃いでイルカを買おうと思っているのかな。そう思った時、突然チリンチリンとハンドベルが鳴る音が聞こえた。何事だろうと振り返ると、カートにはどっさりと海賊風の衣装を身に纏ったうさいぬマスコットが入っていた。
「本日より発売のうさいぬ新作がただいま入荷しました!」
「……さっ、真田くん、あれ!」
「うむ、早速見に行こう!」
真田くんの手を引いてカートに近づくと、バイキング帽を被って海賊風の衣装を纏った可愛いうさいぬ達が出迎えてくれた。どのコにしよう、と次々に手に取って眺めていたのだけれど、真田くんは早速決めていたようだった。
「俺はこれにする。」
「眼帯付き?……あ、キャプテンうさいぬだって。」
「うむ、気に入った。」
「……わたしもキャプテンうさいぬ買おうかな。」
バスに乗った時も真田くんとお揃いのうさいぬを買ったけれど、ここでもお揃いのうさいぬが欲しくなってしまった。莉絵ちゃんにはイルカキャップを被ったうさいぬを買うことにして、自分の分にイルカキャップのうさいぬとキャプテンうさいぬを買うことにした。
「今日はとっても楽しかった!真田くん、誘ってくれてありがとう!」
「うむ、そんなに喜んでくれれば誘った甲斐があったな。」
バスに乗って駅まで戻って、わたしは真田くんと帰路に就いている。もちろん手はしっかりと繋いでいる。こうしていると本当に本物のカップルみたいだ。いや、確かに本当にお付き合いはしているけれど、やっぱり気になってしまうのだ。本当のことを言わなきゃ、と。
「……芥子香?どうした?入らないのか?」
いつの間にかわたしの家の前に着いてしまっていた。真田くんが手を離そうとしたけれど、わたしはぎゅっと掴んでしまった。このまま真田くんと手を繋げなくなったら、なんてことを考えてしまったからだ。
「あ、あの、真田くん……」
「何だ?」
「……今日はありがとう。すごく楽しくて……とっても、好き、って思った……」
「そうか。俺もあの水族館は気に入った。また行こう。」
「……うん、それじゃ、おやすみなさい!」
水族館じゃなくて、真田くんが、なんだけどな、というのは言葉にできなくて。わたしはそのままおやすみを告げて家の中へと入ってしまった。
今日この日、真田くんが好き、と言っておかなかったことを、来週のわたしは死んでしまうほど後悔することになるのだった。
言葉にできない
「真田くん……真田くん……弦一郎、くん……好き、です……」