修羅場

いつも通り、授業が終わって真っ先に部活へ向かったら既に莉絵ちゃんが体育館に到着していたようだった。まだ足は完治していないはずなのに一番乗りとは、と思わず舌を巻いてしまう。彼女はきょろきょろとあたりを見回して誰もいないのを確認すると、ちょいちょいと手招きしてきた。駆け寄るとやたらニヤニヤしながら話しかけてきた。


「蘭、あんた真田の誕生日には何あげたの?」

「えっと、先月末ね、うさいぬのスポーツタオルあげたよ。すっごく喜んでた。」

「やっぱり蘭からのプレゼントか……いや、真田がさっき大事そうに使ってたの見かけてさ……」

「そっかあ、大事にしてくれてるなら良かった……」

「…………」

「莉絵ちゃん?」


どうしたのだろう。わたしの顔を覗き込むようにじぃっと見つめて微動だにしない。なんだかちょっぴり恥ずかしい……と舌を向いたら、莉絵ちゃんがわたしの肩にぽんっと手を置いてきた。


「……蘭、もしかして……」

「うん?」

「……真田のこと、好き?」

「……!えっ!?えっ、え、えっ、と……」

「……前はすぐ違うって言ってたよね。」

「う、うん……うん、そう、そうなの。わたし、真田くんのこと、好きに、なった、の。」


そう、わたしは真田くんが好きなのだ。好きになってしまったのだ。早く言わなきゃ早く別れなきゃと思っていたはずなのに、一緒にいるうちに、彼のことを知っていくうちに、どんどん彼への気持ちが膨らんで、それはついに恋心になってしまったのだ。ちらりと莉絵ちゃんの顔を見上げると、目をまん丸にして驚いているようだった。


「へぇー!柳の言う通りになったね……」

「やっ、柳くん?」

「うん、『芥子香が真田に惚れる確率……100%だ。』って前に言ってたよ。」

「……いっ、いい、い、いつ!?」

「前に生徒会室で初めて柳に相談した次の日だよ。朝練の前に下駄箱で会ってさー、なんかデータがどうのこうの言ってたけど、最後には理屈じゃないって言い出して、100パーセントだ、ってきっぱり。」

「や、柳くん……す、すごいね、恋愛も達人マスターなのかな……」

「ぶっ!それはウケる!」


莉絵ちゃんはわははと大声で笑っていた。それからすぐにみんなが来て、急いで部活を始めた。莉絵ちゃんはまだ足が本調子ではなさそうだったからわたしと一緒に飲み物を用意したり、筋トレメニューを考えたりしていたのだけれど、顧問の先生が席を外した途端、わたしの隣にピッタリとくっついてきた。


「莉絵ちゃん?」

「蘭、日曜の花火大会なんだけどさ……」


彼女が言う花火大会とは、毎年7月上旬に行われる地域の花火大会のことだ。学校のすぐ近くにお祭りの屋台がたくさん並んでいつも大賑わいで、この辺では知らない人はいない一大イベントだ。一昨年も昨年もバスケ部のみんなでお祭りと花火を楽しんだし、今年もみんなと一緒に……


「……おーい、聞いてる?」

「……あっ、ご、ごめんね、ぼんやりしてた……」

「いつも通りで何よりだよ!いやー、さっき休憩の時にみんなと話してたんだけどさ、今年はみんな夏期講習だのなんだので都合が合わなくてさ、各々自由にってことになったんだよね。」

「あっ、そうなんだ……」

「うん、だからさ、蘭は真田と行ったらどう?」

「……えっ!?さささっ、さ、真田くんっ!?」

「柳生の時の反応じゃん……本当に好きなんだ……」


真田くんと花火大会……甚平姿とっても似合いそう……い、いや、まだ一緒に行くと決まったわけじゃないし……そもそもわたしの方からお出かけに誘ったことないし……来てくれるのかな、断られちゃったらどうしよう……い、いや、でも、真田くん、優しいし、大丈夫……うん……


「おーい!蘭!」

「……あっ!ご、ごめんね!えっと、真田くんと、行きたい、なぁ……」

「うんうん、じゃあさ、真田に声かけてみようよ!」

「うん……でも、わたしからお誘いの声かけたことないし……断られたりしたら……」

「いやいや、真田があんたからのお誘い断るとか有り得ないっしょ!」

「でも……」

「ほら、もうすぐ部活終わるし!テニス部の部室まで一緒に行くから!ねっ?」

「う、うん、ありがとう……」


部活が終わると、わたしと莉絵ちゃんはすぐにテニス部の部室へ向かった。丁度部室が見えた時、切原くん、らしき男の子が立っているのが見えた。切原くんはわたしの顔を見るなり、あっ!と叫ぶとダッシュでこちらへ駆け寄ってきて、単語帳あざっす!と大きな声で叫ばれて思わず莉絵ちゃんの後ろに隠れてしまった。


「あっ、え、っと、切原、くん?」

「はい!2年の切原っス!あの、アンタ、真田副部長のカノジョさんでしょ?」

「あ、う、あ、か、彼女、です。はい。」

「英単語帳、もらいましたよ!いやー、あの単語帳最高っスね!特にカツラの例文が……」

「赤也!お前は鍵当番ではないのか!?」

「ぎゃあっ!さ、真田副部長っ!す、すんませんっ、俺はこれで!」


真田くんの声が聞こえると切原くんは倉庫の方へ走って行ってしまった。莉絵ちゃんがぐいっとわたしを前に出したけれど、緊張して全然声が出ない。柳生くんの時だってここまで緊張しなかった。心臓が大きく速くどくどくと動いている。身体の中から飛び出してしまいそうだ。


「芥子香、どうした?息苦しそうだが……」

「あっ……うっ……え、っと……」

「蘭、自分で言わなきゃダメだかんね。」

「う、うん。えっと、真田くん、日曜の夕方から夜って、何か用事、ある?」

「む……いや、これといって変わった予定はない。」

「本当?じゃあ、え、っと、あの、は、花……花……」

「花か?」

「はっ、花火っ!」


わたしが緊張してしどろもどろになっているのが面白いのか、莉絵ちゃんはクスクス笑っている。恥ずかしいけど、もう花火までは言えたんだ。頑張れ、わたし。


「花火大会、あるの。日曜。お祭りも、あるの。」

「そうか……もうそんな時期か……うむ、実に風流だな。」

「う、うん、風流、なの。だからね、あの、い、一緒に、行かない?」


やった!言えた!偉い!頑張った!わたし!真田くんは珍しく呆気に取られたような顔をしている。しかしすぐにハッとすると、いつもの凛々しい態度に戻った。


「俺でいいのか?その、芥子香は毎年、部活動の仲間達と……」

「真田くんがいいのっ!」

「……!そ、そうか……た、たまらんな……」

「うん?」

「いや、わかった。花火は19時からだったな……祭りも回るならば……17時頃はどうだろうか。」

「うん、そうしよう!それじゃあまた日曜日にっ!」

「あっ!ちょっと!蘭!もうっ……真田、じゃ、日曜頼んだよ!」


日曜日は真田くんと花火大会。その時に、言おう。この恋がわたしの過ちから始まったことを。そして、わたしが本当に好きな人が真田くんだと。





あっという間に日曜日はやってきた。お母さんに頼んで髪の毛を結ってもらって、浴衣を着て、この前買った真田くんとお揃いのキャプテンうさいぬを巾着につけて……よし、準備万端だ!


16時50分。待ち合わせ場所に到着したら、甚平を着ている真田くんが腕組みをして仁王立ちしていた。ゆっくり歩いて近づいたら、わたしを見た彼は目をまん丸にして驚いていた。


「さっ、真田くん?」

「……か、可憐だ……たまらん……」

「や、やだなぁ……大袈裟だよ……」

「い、いや、実に奥ゆかし……い、いや、その、う、うつ、く、しい、な、実に、良い。」

「……えっ?」

「……う、美しいと言ったのだ。その、雰囲気が、やや大人っぽいというか……」


真田くんは大きな手で口元を隠してぼそぼそと話しているけれどばっちりはっきり聞こえた。可憐だ、奥ゆかしい、美しい、大人っぽい……全部全部わたしに向けた褒め言葉……真田くんはいつだって思ったことを真っ直ぐそのまま伝えてくれるからお世辞じゃなくて本当にそう思っているのだ。わたしなんかには勿体無い言葉だけど、嬉しくて嬉しくて仕方ない。


「芥子香?どうした?」

「……はっ!ま、またぼんやりしてました……」

「む……構わん、慣れた。」

「ご、ごめんなさい……」

「謝られるようなことはされていない。そろそろ行くか。」

「あっ、う、うん!」


真田くんがそっとわたしの手を握ってお祭り会場の方へ歩き出した。お互い慣れない履き物を吐いているからか足取りはとてもゆっくりだった。会場ではヨーヨー釣りや射的などの遊びを楽しんだり、出店の唐揚げやポテト、焼きそば、チョコバナナにベビーカステラを食べたりして、あっという間に18時半を過ぎてしまった。花火まではあと30分ほどだ。座れるスペースを見つけて場所取りをしたら真田くんはお手洗いに行ってしまった。例の話をするのは花火が終わってから、かな……


もう花火が始まる5分前だというのに真田くんが戻ってこない。一体どうしたのだろう。きょろきょろと辺りを見回したら、同じく辺りを見回している女の子とパチリと目があって、わたし達は同時に声を漏らした。


「あれ?蘭?」

「あっ!来てたんだ!」


その女の子は昨年まで同じクラスだった子で、ショートカットの似合う、明るくハキハキしたとても気持ちの良い性格の子だ。


「うん!ほら、うちのパパの手伝いでさ!」

「あっ、そっか、町内会の役員だもんね!」

「蘭は?誰と来たの?」

「わたし?わたしは真田くんと……」

「……真田?なんで?蘭の好きな人って柳生でしょ?」

「あ……う、うん、そうだったんだけど……」


この子とはかなり仲が良かったもので、わたしが柳生くんのことを好きだったのはよく知っていたわけで、わたしが真田くんと花火大会に来たのを不自然に思うのは当然だ。理由を説明しようとした時、その子の視線がわたしを捉えていなかったもので、視線の先を追うように首を回したら、呆然とした様子の真田くんが立ち尽くしていた。これが、修羅場、というやつだろうか……





修羅場




「さっ、真田くんっ!?あ、あの……」

「……急用ができた。失礼する。」

「あ、ま、待って!真田くんっ!」


真田くんはあっという間に目の前から消えてしまった。女の子はとても気まずそうに頭を下げて謝ってきたのだけれど、わたしの耳には花火の弾ける音しか届いていなかった。








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