勇気

夜空に大輪の花が咲く中、わたしは一人寂しく家に帰った。すぐにお風呂に入って泣きながら寝て、起きたら目が大変なことになっていた。まるでフルラウンド殴られっぱなしになったボクサーみたいな目だ。今日は学校を休みたい、なんて甘えた考えを持った矢先に莉絵ちゃんからのメールが届いた。内容は朝練に来なかったから心配しているというもの。しまった、朝練のことすらすっかり忘れていた。引退までもうわずかしかないというのに。体調が悪かったとだけ返事をして、重い足取りで家を出て、気がつけば学校についていた。下駄箱に朝練を終えた真田くんがいるのが見えた。隠れてしまおうかと思ったけど、やっぱり、謝りたい。わたしは彼に声をかけようとしたのだけれど……


「あ、あのっ、さなっ……あ……」


そんな勇気があるわけもなく、呼びかけることはままならなかった。そして、真田くんはわたしの方を見ることなく早足で歩いて行ってしまった。それはそう。仕方ない。もしかして気づいてないだけかも……なんて気にもなりゃしない。これは当然のこと。わたしは真田くんを騙していたのだから。


俯いてとぼとぼと教室まで歩いて行ったら、莉絵ちゃんがスタスタと歩いて近寄ってきた。もう怪我の具合の心配はなさそうだ。


「蘭、おはよう!体調はどう?」

「あ、うん、大丈夫……」

「本当?顔色悪いし辛そうだけど……」

「ううん……何でもないよ。」

「そう?うーん……何かあるなら聞くからさ、無理はしないでよ!」

「大丈夫……ありがとう。」


なんて話していたら丁度先生がやってきて、わたし達は慌てて自分の席に着いた。それからホームルームで今日の日課の変更が伝えられた。


午前中の授業の記憶は全くなく、あっという間に昼休みも終わって、今は6限目の体育だ。なぜ今だけ意識がはっきりしているのかというと、体育館にはわたし達F組女子だけでなく、A組男子も集まっていたからだ。なんでもA組男子の体育教師が急な用事で授業に参加できなくなり、F組女子の体育教師に面倒を見てくれるよう頼んだらしいのだ。最悪だ。よりによって、A組男子なんて。ちらりと真田くんの方を見たけれど、相変わらず凛々しく険しい表情だ。ちっともこちらを見やしない。不意に隣にいる柳生くんと目があって、彼はにこりと微笑んで小さく手をあげてくれた。前はあんなにどきどきしたのに、今は胸の中がずきんと痛むだけだ。


「蘭!危ない!」

「えっ……んぶっ!!」





ぱちっと目を覚ましたら白い天井が見えた。わたしの身体は柔らかなベッドの上。ここは、保健室……?


「……気分はどうだ?」

「……さっ、さささっ、真田くんっ!?あっ、痛っ……」


大声を出したからか、ずきんっと頭が痛んだ。そういえば、顔面にバレーボールが当たったんだっけ。


「バレーボールの最中に余所見とは……けしからんな。」

「う……ごめんなさい……」

「すまない、責めたつもりはない。」

「う、ううん、大丈夫……あ、せ、先生、は?」

「今はいない。」

「そ、そっか……」


意外にも普通に会話が進んでいる。もしかして、今がチャンスかもしれない。保健室にはわたしの真田くんの二人きりらしいし、本当のことを話すなら今だ。今しか、ない。


「さっ……」

「芥子香、すまない。」

「えっ?」

「今朝は悪態をついてすまなかった。話は蓮二から聞いた。」

「えっ?えっ?」

「……フッ、俺はとんだ道化だったというわけだな……」


まだ頭がぼんやりしているからか、全く理解が追いつかない。柳くんは一体どこからどこまでを話したんだろう。


「あ、あの、さ……」

「すまない……芥子香、さらばだ。」

「ま、待って、わたしの話……」

「……お前は花のように美しい心を持っている。だから、俺を傷つけまいとずっと我慢していたのだろう……しかし、もうその必要はない。」

「ち、違うよ!わたし、そんな……」

「これからは……せめて、良き友人として……」

「…………!!」


鈍器で頭を殴られたように頭がガンガン痛んで、胸が苦しくて上手く息ができない。真田くんが続けた言葉は全く耳に入ってこなくて、止める間も無く彼は保健室を出て行ってしまった。一つだけわかったのは、ああ、これで全て終わってしまったんだ、ということ。





「…………!ちょっと!蘭!大丈夫!?」

「……あ……莉絵ちゃん……」

「あ、じゃないよ!もう大丈夫?どっか痛くない?」

「う、うん、大丈夫……」


あれからずっと保健室で眠っていたようで、時計は既に16時半を過ぎていた。今日は顧問の先生の都合で部活が中止になったらしい。莉絵ちゃんはわたしの荷物を保健室に持ってきてくれたみたい。


「……芥子香、大丈夫か?」

「あ……柳、くん……」

「……芥子香、大事な話がある。佐藤も聞いてくれないか?」

「蘭が構わないなら私はいいけど……」

「き、聞きたい!莉絵ちゃんも、一緒がいい……」


柳くんの話は真田くんの話に決まっている。わたしは勢い良く起き上がって、柳くんの薄く開いた目をじっと見つめた。


「……弦一郎は、まだ何も知らない。」

「……えっ?で、でも、真田くんは、柳くんから聞いたって……」

「詳細は伝えていない。俺の口から伝えるべきではないからだ。」

「柳と真田、何か話したの?」

「ああ、一言だけだがな。」


その一言が何なのかがとても気になる。聞いてもいいのだろうか。聞かないほうがいいのだろうか。


「……弦一郎は……いつも通り、弦一郎の思うがままに行動するだろう。」

「えっ?え、えっと……」

「芥子香、お前にとって弦一郎は何だ?」


わたしにとっての真田くん……真面目で、努力家で、優しくて、いつもわたしのことを大切にしてくれて、守ってくれて、心配してくれて……すごく、尊敬できる、すごく、大切で…………


「大好きな、ひと…………」

「……ならばわかるだろう。お前自身がどうすべきなのか。」

「わたしが、どう、すべきか……」


そんなの、決まってる。決まってるじゃないか。いつだってどこだって、真剣にわたしを見てくれて、真正面から来てくれた真田くん。彼の自信に満ち溢れている姿に憧れて、好きになって……いつしか自然にそう思うようになっていた。わたしも、彼みたいになりたい、って。


「……わたし、頑張り、たい……でも、そんな勇気、ある、かなぁ……」


ぽつりと不安を漏らしたら、莉絵ちゃんがぽんっと肩に手を乗せてきた。


「……蘭はさ、自分じゃ気付いてないかもだけど、根性も度胸も人一倍だよ。だからもっと自信持ちなよ。」

「莉絵ちゃん……」

「弦一郎を見ていた芥子香にはわかるはずだ。奴がどういう人間なのかが……」

「柳くん……」


ごめんなさい、間違えました。そう告げる勇気が私になかったために、結局誤解を解くことはできないまま、わたしと真田くんのとびきり甘くて切ない恋物語がここで終わってしまうなんて……そんなの、そんなの、絶対だめに決まってる。こんな終わり方、納得できない。


「……わたし、行ってくる!」


わたしは荷物を持って、ベッドを降りてすぐに保健室を飛び出した。そして家まで一直線。全てはわたしの勇気にかかっている。真田くん……大好きな真田くん……ほんの少しだけ、わたしに勇気を貸してください……





勇気




「行ってしまったな。」

「あんな蘭、初めて見たよ……あ、柳、聞きたいんだけど真田に何て言ってやったの?」

「……諦めるのか、と。それだけだ。」

「……真田、どうすんだろうね?」

「……このままでは終わらない確率、100パーセントだ。」








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