「お願い……真田くん……」
わたしはしたためた手紙を彼の靴の下に入れた。したためた、と言っても肝心の内容は書いていない。ただ、『もし、わたしのお話を聞いてもいいと思ってくれるなら、明日の朝、7時きっかりに自転車置き場近くのチューリップの花壇の所へ来てください。』とだけ記してある。手紙で伝えるなんて卑怯だと思ったからだ。まぁ、呼び出しを手紙で行うのも卑怯だと言われればそうなのだけれど……
結局ほとんど眠れないまま翌朝を迎えてしまった。朝の6時50分。あの角を曲がればチューリップの花壇がある。あと10分で、わたしの恋の行方が決まるのだ。この恋は終わりを迎えるのか、それとも本当の始まりを迎えるのか。わからない。それを決めるのはわたしじゃない。それは、真田くんが決めることだ……角を曲がる前に立ち止まって、すーはーすーはーと深呼吸。お願い……真田くん……
「うむ、相変わらず10分前行動か。感心だな。」
「真田くん……おはよう……」
「うむ、おはよう。」
いた。以前と同じように、腕組みをして仁王立ちで立つ真田くんがそこにいた。来てくれたことにほっとしたはずなのに、緊張で中々声を出すことができない。
「あ、あの……」
「どうした?話したいことがあるのだろう?」
「うん……」
そろりそろりと小さく歩み寄って、真田くんの顔を見るために視線を上げたのだけれど、真田くんは無表情だ。きっと、怒っているに、違いない。どうしよう……言葉が、出てこない……
「芥子香、すまなかった。」
「……えっ?」
これはどうしたことか。謝るべきはわたしなのに、なぜか真田くんが謝ってきたのだ。
「……薄々、勘付いてはいた。」
「……何に?」
「お前が……その、俺を、好いてはいまいのでは、ということにだ。」
「……えっ!?ど、どうしてそんなこと……」
「……俺は、お前の口から、『好きだ』と言われたことが無い、はずだ。」
「…………!!」
今までで一番の衝撃だった。わたしはバカだ。大バカ者だ。自分では言ったつもりだったけれど、彼には何一つ伝わっていなかったのだ。彼はずっと、もやもやと不安を抱えたまま、それでもわたしを困らせないように、ずっとずっと、我慢してくれていたのだろうか。わたし一人が困って悩んでいたわけではなかったのだ。真田くんは、わたしなんかより、もっともっと傷ついて…………
「うっうっ……ごめん、なさいっ……さな、だ……ぐすっ……真田くんっ……」
「……ば、場所を変えるぞ、着いて来い。」
「うん……」
真田くんは向きを変えて歩き始めたため、わたしは後ろをただただ着いて行った。校舎に入って、階段を登って……辿り着いた場所は生徒会室だった。昨日の放課後、わたしの手紙に気がついた真田くんが柳くんに頼んで生徒会室の鍵を借りてくれたらしいのだ。
「ここなら人も来ず、座ってゆっくり話せる。」
「ありがとう……」
真田くんはとっても切なそうにフッと笑った。違う、違う違う、わたしはあなたにそんな風に笑ってほしくなんてないの。もっと楽しそうに笑ってほしいの。一緒にタピオカを飲んだ時、ジャムを買ってくれた時、一緒にお魚を見た時……あの優しい穏やかな笑顔を……
「真田くん……わたし、お話したいことが、その、色々、あるの。」
「……まずは聞こう。」
「わたし……本当は、4月のクラス替えの時……ぐすっ……や、柳生くんの下駄箱に、手紙を入れたつもりだったの……」
「……ゆっくり話せ。全て聞こう。」
「うん……」
「す、少し落ち着け、これでよければ使うといい。」
「ありがとう……」
わたしがいつまでも涙をこぼしているからか、真田くんは少し上擦った声色を出しながらハンカチを差し出してくれた。それを受け取って、わたしはゆっくり本当のことを、今までのことを彼に伝えた。
間違いでした、と言えなくて申し訳なかったこと。嬉しそうにしている真田くんを見るとますます言えなくなったこと。真田くんからの本気の恋心を感じて、すごく嬉しかったこと。一緒にお出かけしたのがとても楽しくてドキドキしたこと。真田くんと手を繋いだのが忘れられないこと。試合の応援に来てくれて、最後まで頑張れたのは真田くんのおかげだということ。そして、今、ここにいるのも、真田くんのおかげだということ。
「……ごめんね、たくさん、嘘ついてて、たくさん、傷つけた……ごめんね、ごめんなさい、真田くん……」
ぼろぼろこぼれる大粒の涙とずるずる流れてくる鼻水でわたしの顔はぐちゃぐちゃだ。真田くんのハンカチもびっしょり濡れてしまった。痛痒い目をちらりと真田くんに向けたけれど、彼は嫌な顔をするどころか、とても優しい顔をしていた。
「そうか……よく、話してくれた。」
「怒って、ないの……?」
「確かに、嘘をつかれていたというのは……衝撃ではある。だが、俺の剣幕に押されたのが事実だろう。」
「真田くんのせいじゃないよっ!」
「いや……すまなかった。その、俺がお前に、話しづらい雰囲気を作ってしまっていたのも原因ではある。」
彼は……彼はどこまで心が広いのだろう。海のように綺麗で、どこまでも続く広い心……顔が熱い。心臓の鼓動がうるさい。ああ、やっぱり、やっぱりわたしの本当に好きな人は、この人なんだ。
「……芥子香、大丈夫か?まだ本調子ではないのか?」
「……あっ!ご、ごめんなさいっ、ぼ、ぼんやりしてて……」
「……やはりお前は花のように奥ゆかしい……きっと柳生とも上手くいくだろう。」
「…………えっ?」
もしかして、今までの話で、わたしの真田くんへの気持ちは全く伝わっていないのだろうか。
「好いてもいない男にもあんなに優しくできるお前なら……」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で何かが弾けてしまった。
「ち、違うっ!違うのっ!」
「ん……?」
「わたし、わたしっ……ぐすっ……わたし、好きなのっ!真田くんっ、真田くんがっ!真田くんが、す、好きっ!好きなのっ!」
「芥子香、こんな時まで気を遣わなくとも……」
「わたしは、真田弦一郎くんが好きなのっ!!」
「…………!!」
中々信じてくれなかった真田くんは、ついにわたしの言葉が事実だと理解してくれたようだ。目を見開いて、いつものようにほんのり頬を赤く染めて大きな手で口元を隠してしまった。
「たくさん、傷つけて、ごめんなさい。もう、もう、二度と、嘘は、つかない!」
「…………」
「わたし、わたしね、ぐすっ……柳生くんのこと、大好きだったよ……ひっく……でも、でもね、真田くんへの、好きとは違うの。」
「それは一体……」
「こんなにっ……こんなに、大切にしたいって……一緒に、うっうっ……いたいって、笑って……ぐすっ……ほしいって、思うの、真田くん、だけなの!」
「……自惚れていいのか?」
「うん……」
真田くんは口元から手を退けると、真っ直ぐにわたしを見つめてきた。わたしも涙がこぼれ落ちるのもそのままに、視界がぼんやりしたままの目でしっかり彼を見つめた。
「自分自身に嘘をついていないか?」
「うん……!」
「……俺で、いいのか?」
「真田くんが!いいのっ!」
「そうか……」
真田くんは立ち上がるとわたしの前へ歩いてきた。すぐ目の前に真田くんがいる、と認識した途端、彼は身を屈めてわたしの身体をぎゅうっと抱きしめ……だっ!?だ、だ、抱きしめられてる!?
「さ、ささささっ、さな、真田くんっ!?」
「突然すまない……」
「あ、あ、あのっ……」
「……初恋など……よもや実るまいと思っていた。」
「…………!!」
この台詞……覚えていないはずがない……それは、真田くんが、あの日も言っていた言葉なのだから。
わたしは真田くんの広い背中に手のひらを置いて、ぎゅっと制服を掴んだ。しわくちゃになってしまうかもしれないけれど、きっと怒られないはずだ。
「真田くん……」
「うむ……」
「好き……」
「ああ……」
「間違いじゃ、ないです……」
「ああ……」
「うっうっ……真田くん……」
「俺もお前を好いている……」
真田くんはよしよしと頭を撫でてくれた。小さな子をあやすような感覚なのだろうが、わたしにとってはとても心地の良いものだ。
「真田くん……」
「芥子香……」
「「あ……さ、先に……い、いや、あの……」」
同時にお互いを呼び合って、全く同じように言葉に詰まってしまった。わたしの方から話そうとしたのだけれど、顔面を真田くんの胸に押しつけられてしまって、発言権を彼に奪われてしまった。
「こ……交際を申し込んでも良いだろうか……」
「うん……」
「……芥子香、好きだ……」
「真田くんが、好きです……」
今度は間違いなんかじゃない。無事、誤解を解くことができて、わたしと真田くんのとびきり甘くて切ない恋物語が幕を閉じて、今度はとびきり甘くて優しい恋物語が幕を開けたのだった。
終わりと始まり
なんだかとっても照れくさくて、しばらく無言でぎゅっと強く抱きしめあっていたのだけれど、離れるタイミングがわからなくなってしまった。どうしよう……と目を泳がせたら時計は既に8時20分……!?
「さっ、さささっ、真田くんっ!と、とと、時計っ!」
「ん?……ぐおおおっ!し、しまった!朝の挨拶運動が……!俺としたことが……芥子香!俺を殴れ!」
「なっ、殴らないよ!?」
「くっ……し、仕方ない、5分だけでも……!!」
「あっ!さ、真田くんっ!?」
真田くんは慌てて生徒会室を出て行ってしまった。入り口からひょこっと顔を覗かせたら、さすが風紀委員長、走らずに競歩で昇降口の方へ向かって行っている彼の大きな背中がどんどん小さくなっていくのが見えた。