といった具合で莉絵ちゃんに事情を説明したところ、彼女は餌をねだる金魚のように口をぱくぱくさせたかと思えば、はっと我に返って身を乗り出しながら機関銃のように喋り出した。
「さっ……さ、ささ、真田とお付き合い!?真田!?皇帝!?あの泣く子も黙る真田弦一郎と!?いや、なんで!?なんで断らないの!?って言うか、あんたなんで柳生へって書いてなかったの!?あの真田が読み間違えるはずないし……どういうことよ!?」
「う……その……柳生くんの名前を書くのも、あの、手が震えて、書けなくて……」
「じゃ、じゃあ!!なんで間違えたって言わなかったのよ!!」
「だ、だって、彼、すっごく嬉しそうだったんだもん……もし、わたしだって、柳生くんに同じことされたら……」
「いやいやいや!それあんたの悪いとこだって!昔っからそうだよ!優しすぎるんだって!こればっかりは良くないよそれ!」
「ごもっともです……」
「今からでも断りに行こう!傷は浅い方がいいよ!」
「うっ……い、一緒に来てくれる?」
「もちろん!でも、蘭が自分でちゃんと話すんだよ?」
「う、うん、ありがとう……」
テニス部も朝練があるだろうからと、とりあえずお昼休みに真田くんの元へ向かうことにした。午前中の授業は柳生くんと真田くんのことで頭がいっぱいだった。今、わたしは憧れの柳生くんではなく、泣く子も黙る真田くんとお付き合いをしている状態なのだ。午後には解消されるのだけれど。
さて、お昼休み。莉絵ちゃんと一緒にA組へ向かったら、真田くんは柳生くんと一緒にお弁当を食べていたようで、丁度食べ終えたところのようだった。近くにいた昨年同じクラスだった友達に頼んで真田くんを呼び出してもらったのだけれど、教室から出てきた彼はわたしの顔を見るなりカッと目を見開いた。
「芥子香……どうした?わざわざ会いに来てくれたのか?」
「あっ、さ、さ、真田、くん、あの……その……」
「…………?」
真田くんの目を見ると、何も言えなくなってしまった。なんて、なんて優しい目をしている人なんだろう。わたしは噂の厳しい彼しか知らない。こんなに優しい目で人を見る人だなんて知らなかった。後ろめたさから下を見つめてぼんやりしていると、横から莉絵ちゃんに腕を引っ張られた。さっさと言え!と小声で言っている。わたしは下を向いたままぼそぼそと話し始めたのだけれど。
「あ、あ、あの、真田、くん……」
「……そんなに緊張しなくていい。」
「えっ?」
真田くんの顔を見上げたら、彼はふいっと横を向いた。そして大きな左手で口元や少し赤くなった頬を隠していた。
「……小っ恥ずかしいのはお前だけではない。俺とてそうだ。」
「あ、あ、う、うん……」
「……こんな気持ちは初めてだ。その……すまない……気の利いたことが言えん。」
「あ、い、いいえ、そ、そんなことは……」
「お前は……まるで花のようだ……可憐で、非常に奥ゆかしい……」
「……は、は、花!?可憐!?お、お、奥ゆか……!?そ、そ、そんな……」
「先程は緊張のあまりに言えなかったのが……俺は、生涯かけてお前を幸せにしたいと思う。」
「しょっ……!?」
真田くんの言葉は一つ一つとても重みがあった。この人はいつだってどこだって真剣で、決して逃げない真っ直ぐな人だって誰も彼も言っているのがよくわかる。彼は本気だ。本気で、わたしのことが好きなんだ。
わたしは、わたしはなんて酷いことをしてしまったんだろう。せめて、せめて彼がわたしなんかのことを知らず、誰がお前なんかと付き合うか、と一喝してくれた方がよっぽど良かった。でも、だけど、一体なぜ、どうして彼のような堂々とした真っ直ぐな人が、正反対とも言える、地味で特に秀でたところもない、むしろおどおどしたところが目立つわたしなんかを好きになってくれたのだろうか……なんてまたしてもぼんやりしていた。蘭!と呼びかけてくれる莉絵ちゃんの声ではっと我に返ったのだけれど既に真田くんの話は終わっていたようだ。
「……芥子香、俺の話は聞いていたか?」
「……あっ!ご、ごめんなさい、その、ぼんやりしてて……ごめんなさい……直します……」
「いや、構わん。そのままでいろ。」
「あ、う、は、はい、わかり、ました。」
「……その敬語もいらん。普通に話せ。」
「あ、う、うん、わ、わかった。」
結局、話したいことを話せないまま、お昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ってしまった。真田くんは、次は移動教室だからと颯爽と教室へ戻ってしまった。わたしも莉絵ちゃんと一緒に急いでF組の教室へ帰って次の授業の準備をした。それからあっという間に放課後になって、わたしは莉絵ちゃんとバスケ部の練習へと向かった。
「いやー、びっくりだね。あの真田弦一郎があんなこと言うとは……ありゃ本気だね。」
「う……やっぱり、そう、だよね。」
「でも断らないとね。蘭は柳生が好きなんでしょ?」
「うん……はぁ……柳生くんに知られる前になんとかしなきゃ……」
「ごめんね、私が下駄箱にラブレター入れればなんて言ったから……」
「莉絵ちゃんのせいじゃないよ!決めたのはわたしだから!」
そうは言ったものの、本当にどうしよう。自分で蒔いた種は自分で刈り取らなくてはならない。でも、真田くんを前にすると、彼の真っ直ぐな目を見ると何も言えなくなってしまったのだ。柳生くんと真田くんはそんなに身長は変わらないはずなのに、威圧感というかなんというか、とにかく圧がすごい。同じクラスの柳くんも同じく長身だし、男子バスケ部にも大きな人はたくさんいる。でも、とにかく真田くんは3年生全体の中でも群を抜いて大きく見えてしまう。そんなくだらない理由でわたしは彼に対して苦手意識を持ってしまっていたのだけれど、今日、何も言えなかったのはそのせいではない。彼のあの優しい眼差しによって、わたしは口を噤んでしまったのだ。まさかあんな目をされるなんて微塵も思わなかったから。
「どうしよう……」
「……柳とか桑原とかに今回のことを言って協力してもらうとか……でもそれってなんか真田が恥かくよね……」
「うん……それに、まどろっこしい!って怒られちゃうかも。」
「あ、言いそう。困ったな……私が代わりに言いに行ってもいいけど、それは蘭が嫌でしょ?」
さすが親友だ。わたしのことを誰よりもわかってくれている。
「うん、大切なことは自分でちゃんと言いたい……それに、真田くんの気持ち、無下にしたくない……」
そう返して、この話はもう終わり、と告げようとした時だった。
「じゃあさ、ちょっと様子見てみない?」
「えっ?」
「真田と付き合ってみて、やっぱり合わなかったってことにして別れたらいいんじゃない?そしたら誰も傷つかないし。」
「そ、そっか……そうだね、うん、それなら真田くんも傷つかない、かな?」
「うんうん!後のことはその時考えよう!それがいいよ!」
「うん……そう、かなあ……そう、してみようかなあ……」
素晴らしい提案だとは思う。真田くんを傷つけずにこの関係を解消する方法はきっとそれしかないだろう。要は恋人のフリをするということだ。しかし、昼休みにも考えたけれど、気になるのは一体なぜ彼がわたしなんかを好きになってしまったのか。いや、そもそも本当に本当にほんっっっとうにわたしのことが好きなのだろうか。彼の態度からして冗談というのはあり得ないけれど、真田くんも14,5歳の男の子だ。女の子から告白されて少なからず浮かれて思わずあんな返事をしてしまったのではないだろうか、と雀の涙ほどだけれど疑ってしまう。これを口にしてみたところで、莉絵ちゃんはあの真田に限ってそれはないんじゃないかとバッサリ斬ってきたけれども。
さて、部活を終えて、帰ろうとしていたところで後輩の女の子がわたしを呼びに来た。お連れさんが部室の外で待っているとのことで。莉絵ちゃんは塾があるからと急いで帰っちゃったし、一体誰だろうと部室の外に出たら、真田くんが腕を組んで待ち構えていたのだった。
花から落ちた種
「芥子香、帰るぞ。」
「さっ、真田くん!?」
「まだ春先で暗くなるのが早いからな。家まで送らせてくれ。」
「えっ、えっと……」
「……嫌、か?」
「う、ううん!えっと、じゃあ、一緒に帰ろう……」
「ああ、荷物を貸せ。俺が持つ。」
「あ、ありがとう……」