「えいっ!」
スパッと綺麗な音を立ててボールがゴールに突きささった。落ちたボールはだむだむと跳ねながら体育館の入り口の方へと向かっていく。慌てて取りに行こうとしたら、ボールは誰かに拾われてしまった。ぱっと顔を上げたら、柳生くんが立っていた。
「おはようございます。素晴らしいシュートでした。」
「やっ、や、柳生くん!?お、お、おはようっ!」
びっくりした。幻かと思ってごしごしと目を擦ったけれど、柳生くんの姿は確かにそこにあった。どうして柳生くんがここに?そう尋ねようとしたら、体育倉庫にある予備のラケットを取りに来たらしい。どうやら今年の新入部員はやたらと多くてラケットの数がやや不足してしまったとか。
「ところで、芥子香さんは1年生の頃から素晴らしい運動神経をお持ちなのに何故選手として参加しないのですか?」
「えっ?わたし、運動そんなに得意じゃ……」
「そうなのですか?一昨年も昨年も、体育祭ではリレーの選手に選ばれていたり、マラソン大会では10位以内に入っていたりされてますからてっきり……」
「あ……う、うん、は、走るのは、得意、かなぁ、うん。」
柳生くんがそんなことを知っていることにとても驚いた。わたしなんかのこと、知ってくれているんだ、と。確かに同じクラスだったし、知っていて当然のことかもしれないけれど、やっぱり嬉しいものは嬉しい。しかし、彼の次の言葉でわたしは喜びの頂点から突き落とされてしまった。
「芥子香さんは陸上競技の経験でもあるのですか?走るフォームがとても綺麗ですよね。真田くんも芥子香さんのことをいつも褒めていますよ。」
「……えっ、さ、さ、真田くん?」
「はい。確かお二人は先日交際し始めたそうですね。おめでとうございます、友人として喜ばしいことです。」
「……あ、ありが、とう。」
「おや、何やら不安そうですね……しかし、心配は要りません、真田君なら大丈夫ですよ。彼は本当に芥子香さんを大切に思っていますから……」
「柳生ー!!まだかー!?」
「おっと、丸井君ですね……では、失礼します。お互い頑張りましょう。」
柳生くんは爽やかな笑顔を見せて立ち去って行った。突然真田くんの名前が出てきたから嫌な予感はしていたけれど、まさか喜ばしいと言われるだなんて。これが本音だろうが社交辞令だろうが関係ない。好きな人からあんなことを言われて素直に嬉しいと思えるわけがない。お礼の言葉を述べただけでも偉い。偉すぎる。辛い。
「よっしゃ、いっちばんのり……って、蘭がいるし!負けた〜……って、蘭!?ど、どうしたの!?」
「莉絵ちゃあん……」
「と、とりあえずこっち行こう!座ろ!ね!」
「うん……」
莉絵ちゃんと一緒にステージに端に座って、タオルで涙を拭いながら今起こったことを説明した。柳生くんのことだから絶対に悪気はないのはわかりきっている。だからこそ、タチが悪いのだ。冗談では済まないのだ。彼にとってわたしは『友達』ではなく『友達の彼女』になってしまったのだ。
「だから早く真田と別れるべきだったのに……」
「うっ、うっ……こんなことになるなんて、思わなかったんだもん……」
「うーん……柳生は蘭を真田に取られたことでなんとも思わないのかねぇ。」
「思うわけないよ……だからあんなこと言われたんだよ……うっ、ぐすっ……」
辛い。本当に辛い。わたしと柳生くんはそこそこ仲も良くて、もしかしたら、万が一の可能性で、柳生くんもわたしのことを良いと思ってくれていないかな、なんて能天気なことを思っていたのだ。都合の良い妄想だけれど、そんな気が少しだけほんの少しだけあったからこそ、ラブレターを渡そうと思っていたのだ。我ながら狡い女だ。バチが当たったんだ。こんな、狡猾な女だから。こんな狡い女の子、紳士的な柳生くんに似合うはずがない。だから、だからバチが当たったんだ。
「……まぁ、私もそんなに柳生のこと知ってるわけじゃないしね……何にせよ真田と早く別れた方がいいんじゃない?」
「で、でも、次のお約束もしてるし……」
「……蘭から言えないなら、真田の方からフってもらえば?」
「……えっ!?」
そんなこと、思いつきもしなかった。やっぱり莉絵ちゃんはすごい。そうだ、結局わたしから彼にお別れを告げることはなかなか難しいのだ。それは間違えて告白した罪悪感もあるけれど、何より自分のことをあれほど真剣に好きだと言ってくれる男の子の気持ちを突っぱねる勇気がわたしにはないからだ。やはり、わたしは狡い女だ。真田くんにも柳生くんにも相応しくない、狡い女だ……
「……う、うん、そうする。」
「じゃあどうする?次のデートすっぽかす?」
「えっ!?い、いや、そんな、非人道的なことできないよ……」
「非人道的ってあんたねぇ……蘭っぽくないことをするなら……あっ!蘭、手作りのお菓子とか渡したら?」
「……えっ!?さ、真田くんが死んじゃうよ!?」
「ぶっ!あははっ!し、し、死にはしないでしょ!あはははっ!」
そう、わたしはお菓子作りの才能が壊滅的なのだ。以前、バレンタインデーの友チョコのお返しに莉絵ちゃんや他の女の子に手作りのクッキーを渡したらみんな一斉にトイレに駆け込んでしまったことがある。彼女達曰く、殺人級の不味さ、だとか。不名誉なことだけれど、確かにこれなら男の子からの好感度はマイナス一直線間違いなしだ。
「し、死なないかなぁ……」
「死なない死なない!真田だから大丈夫!」
「そう、かなぁ……うん、わかった、頑張る……」
今日は幸い真田くんと顔を合わせることなく1日を終えることができた。放課後の部活が終わってすぐ莉絵ちゃんと一緒にスーパーへ駆け込んで、製菓材料を買い込んで急いで帰宅した。そして昨年のバレンタインに見たレシピと睨めっこしながらクッキーのようなものを焼き上げた。試しにお父さんに味見をしてもらったのだけれど、やっぱりトイレに駆け込んでいた。よし、成功だ。我ながら悲しい……
翌日、バスケ部の朝練を終えてからすぐにテニス部の部室に走った。丁度真田くんが制服に着替えて出てきたところだった。
「さっ、真田くん!お、お、おはよう!あ、あ、あの……」
「芥子香、おはよう。どうした、そんなに顔を赤くして……熱でもあるのか!?」
「あっ、ち、違うの!えっと、こ、こ、これ、ささ、さ、真田くんに……」
「……菓子か?本来ならば学校に菓子を持ち込むことはご法度だが……始業前だ、今回は大目に見よう。」
そういえば真田くんは風紀委員長だ。一瞬怪訝な顔をされてしまったけれど、すぐに穏やかな顔つきになった。良かった、なんとか怒られずに済んだ。ここまでは。
「じゃ、じゃあ放課後にでも食べ……」
「いや、今食べる。」
「……いっ、今!?」
「ああ、丁度小腹が空いていてな。いただこう。」
真田くんがみんなやお父さんのように顔芸を披露するんじゃないかとハラハラしながら、彼がぽいぽいとクッキーのようなものを口に入れていくのを見守った。ああ、神様。わたしが彼に殴られたりしませんように……
「……ぐふっ、ごほっ!!」
「さっ、真田くん!?」
「ぐっ!!はぁっ、はぁっ……失礼、あまりの美味さに止まらなかった。急いで食ったために咽せてしまった。」
「……えっ!?お、美味しかった!?」
「あ、あぁ、た、たまらん美味さだった。礼を言う。またいつでも持って来い。」
「…………う、うん。」
「……さて、用事があるので先に失礼する。」
「あっ……いつも速いなぁ……」
またしても、疾きこと風の如しといったスピードでささっと校舎に向かって走って行ってしまった。しかしあのクッキーを美味しいと言って全て平らげてしまうのは想定外だった。もしかして、真田くんは味音痴、というやつなんだろうか。いや、やはり真田くんだから大丈夫、ということなんだろうか。何にせよ、やはり彼は不思議な人だ…………
真田だから大丈夫
「おや、真田君、調子が悪いのですか?」
「は、腹が……!!」
「お手洗いに行かれては?まだ時間はありますし……」
「ならん!それだけはならんのだ!芥子香の気持ちを無駄にはできん!」
「……芥子香さん、ですか?」
「か、菓子を持って来てくれたのだ。奥ゆかしいこと、この上なかった……し、しかし、これは、ぐおおぉっ……」
「ま、まぁ、真田君だから大丈夫でしょうが……無理は禁物ですよ……」