優しさに囲まれて

莉絵ちゃんと生徒会室に入ると、柳くんが出入口や窓の鍵とカーテンを素早く閉めてくれた。これで誰かに盗み聞きされることはない。何でも気兼ねなく話してくれと優しく声をかけられて、わたしはちらりと莉絵ちゃんを見た。こくんと頷いてくれて、勇気をもらったわたしは柳くんの方を向いた。


「わたし……わたし、柳生くんが好きなの。」

「ああ、知っている。」

「それで、クラス替えの日にね、柳生くんにラブレターを渡そうとしたの。でも、どうしても直接渡す勇気が出なくて……下駄箱で、柳生くんの靴の下にラブレターを置いたつもりだったんだけど……」

「間違えて弦一郎の靴の下に置いたのか。」

「うん……」

「私が下駄箱に入れろ、なんて言ったもんだから……ごめんね、蘭……」

「莉絵ちゃんのせいじゃないよ!わたしがちゃんと確認しなかったから……」


柳くんは、ふむ……と呟くと顎に手を当てて、何やら深く考え始めてしまった。彼ならきっと何かいいアドバイスをくれるだろうと期待を込めて待っていると、彼は顎から手を外してゆっくりと目を開けた。柳くんが目を開けることは中々ないからとても貴重なシーンだ。


「……芥子香、弦一郎のことは嫌いか?」

「えっ?嫌いじゃないよ?」

「そうか……何故、別れを告げないんだ?」

「そ、それは…………」

「蘭は優しいから、真田の気持ちを……」

「佐藤、俺は芥子香に聞いている。」


答えあぐねているわたしを想って莉絵ちゃんが代わりに答えようとしたのだけれど、柳くんにぴしゃりと言われて彼女は大人しく黙ってしまった。どうして別れを告げないのか。それは、真田くんが傷つくから。真田くんが傷つくのを見たくないからだ。あんなに真剣に想ってくれる真田くんの純粋な、青く澄んだ海のように綺麗な真田くんの想いを踏み躙るようなことはしたくないからだ。そう、言えればいいのに、言えない。言えるわけがない。だって、今わたしは彼を騙しているのだから。既に踏み躙っているのだから。


「…………っ……」

「すまない、泣かせるつもりはなかった。」

「蘭……!」


わたしがぽろぽろと涙をこぼしたもんだから、莉絵ちゃんは慌ててハンカチをわたしに差し出してきた。わかっている、わかっているのだ。中途半端な優しさが真田くんを、自分自身をも傷つけるということはとっくにわかっているのだ。じゃあどうしてすぐに別れを告げないのか。それは、それは…………


「……ここ数日で、芥子香は弦一郎に対する見方が以前と変化したのでは、と俺は思う。」

「見方、って?」

「以前は恐れていた……が、今は、少なくとも恐れてはいないように感じる……」

「そりゃ一応付き合ってんだし、真田も彼女のことは大切にするじゃん?だから蘭だって悪い気はしないでしょ……」

「弦一郎のことを、もっと知りたいと思ってはいないか?」

「…………!」


見抜かれていた。莉絵ちゃんですら気づいていなかった、わたしの小さな小さな想い。わたしの好きな人は柳生くんだ。それは変わらない事実。1年生のときからずっとずっと柳生くんのことが好きで、今も変わらない。なのに、どうして、真田くんのことをもっと知りたいと思ってしまうのだろう。自分にだってわからなくて、考えないようにしていたのに。中途半端な優しさが真田くんを、自分自身をも傷つけることは百も承知なのに、柳生くんのことが好きなのに、真田くんのことを知りたいと思ってしまう狡い自分がいるのだ。


「芥子香、これは弦一郎の友である俺からの頼みなんだが……」

「うん……」

「ごく僅かでも構わない。弦一郎のことを、知ってみてはくれまいだろうか。」

「真田くんを、知って、みる……」

「お前が柳生を想っているのと同じように、弦一郎も……いや、それ以上にお前のことを想っているはずだ。何故なら弦一郎は……いや、これは俺が言うべきではないな。」

「……気になるよ。」

「余計なことを言って悪かった。だが、それは弦一郎の口から聞いてほしい。」

「……わかった。」

「……で、結局どうする?聞いてた感じ、蘭は真田と別れないっぽいけど……」


莉絵ちゃんの言葉にこくんと頷いて、わたしはハンカチで涙を拭いてから再び柳くんの方を向いた。


「わたし、ずるいよね。ひどいよね。わかってるの。柳生くんのこと、好きなのに、なのに、真田くんのことを傷つけたくないの。やっぱり、好きって言われると嬉しいし、その、真田くんのこと、もう少し知りたいって思ったのも事実で……」

「それはごく普通のことだろう。少なからず自分に好意的な人間を邪険にする理由もない。」

「私はずっと蘭の味方だし!蘭がしたいことを応援するよ!」

「柳くん……莉絵ちゃん……ありがとう……」


ラブレターの件は、時が来たら必ず真田くんにも事実を伝えようと思う。やっぱりお別れすることになったとしても、万が一、わたしが柳生くんではなく真田くんを選んだとしても、必ず。それがわたしの精一杯の誠意だから。そして、お付き合いしていくことを選んだ以上、ここ数日のおかしな態度は改めなければなるまい。わざと嫌われるようなことをしてしまった自分に嫌気がさす。


「芥子香、あまり思い詰めるな。お前は自然にいた方がいい。ああ見えて弦一郎は他人の変化に気づきやすい。」

「そ、そうなんだ。うん、わかった……でも、柳生くんとは普通に話してもいいのかな……」

「ああ。お前達はただの友人だからな。」

「柳!あんたそんなはっきり言わなくても……」

「莉絵ちゃん!大丈夫だよ!事実だし……それに、お友達だと思ってもらえてるだけでわたしは嬉しいから……」


柳くんは、何か困ったことがあればいつでも相談に乗るからと言ってくれた。莉絵ちゃんも柳くんなら信用できると言っていたのがよくわかった。彼はとても優しい人だ。今後この件に関して悩んだら彼に相談しようと思う。


生徒会室を出て、柳くんは部活動へと向かった。わたしと莉絵ちゃんは一緒に帰ったのだけれど、道中の会話は全て授業のことやバスケのことばかりで真田くんや柳生くんの話には触れてこなかった。彼女の優しさだろう。





翌朝、いつも通り朝練に来るとやはりわたしが一番乗りだった。先日同様、一人でボールを触ってシュートを打っていると、後ろから拍手の音が聞こえた。振り向くと男子バスケ部の男の子が立っていた。この人はちょっと乱暴っていうか、強引っていうか、少し苦手なタイプの人だ……


「芥子香!お前スリーポイントシュート打てるのかよ!すっげーなぁ!」

「あ……た、たまたまだよ、たまたま……」

「いやいや!どこから打っても綺麗に入ってんじゃん!芥子香、バスケの才能あるのになんでマネなんかやってんの?」

「あ、わ、わたし、見てる方が……」

「勿体無ェって!あ、暇なら1on1付き合ってくんね?今日男バスの朝練ねーの忘れててさぁ。」

「あ、い、いや、えっと……」

「いいじゃん、な!ほらほら!」

「あっ、土足……ちょ、ちょっと……」


どうしよう、全然話を聞いてくれない。ぐいぐいと会話を進められるし、彼はどんどん近寄ってきて物理的にも心理的にも距離を詰めてくる。少し怖くて後退りをした丁度その時、すぐ横の扉がガゴンッと大きな音を立てて勢いよく開いた。そこにはとても怖い顔の真田くんが立っていた。


「さっ、さ、真田くん……!?」

「貴様ァ!怯える女子に何をしとるかァ!」

「はぁ!?い、いや、俺は別に……」

「芥子香が怯えているだろう!?芥子香!来い!」

「う、うん!」


靴を脱いだ真田くんはずいっと大股で体育館に押し入ってきて、わたしはそんな彼の後ろにさっと隠れた。片手を斜め下に広げてくれているところに逞しさや優しさを感じた。


「はぁ!?被害妄想だろ!つーか芥子香も満更でもなかったじゃん!」

「たわけが!どう見ても怯えているだろう!」

「意味わかんねーわ……バスケ上手いからって調子のんなよ!」


彼は吐き捨てるように怒鳴って体育館を出て行った。安心してほっと一息ついたら真田くんが腰を折ってとても心配そうにわたしを見つめてきた。


「芥子香!怪我はないか!?顔色が優れんようだが……」

「だ、大丈夫……真田くん、ありがとう……」

「当然のことをしたまでだ。しかし、何だあの粗暴な男は!」

「男子バスケ部の人だよ。乱暴だし素行が悪いしで苦手なんだけど、バスケは上手いから男子はみんなペコペコしてるの……」

「何だと?くだらん!男児たる者、対等に堂々と……」


真田くんは怒っているような、とても難しい顔でぶつぶつと不満を漏らしていた。しかしすぐにハッと我に返ったようで、帽子を深く被りなおすとぴんと背筋を伸ばしてくるりと背中を向けて慌てて体育館を出ようとしていた。


「いかん、蓮二を待たせているのだった!すぐに戻らねば!」

「あっ、あ、あの、本当にありがとう!」


軽く手を挙げた真田くんは疾きこと風の如しと言わんばかりに颯爽と立ち去って行った。何故だかわたしは彼の広い背中が見えなくなるまでずっと目を離すことができなかったのだった。





優しさに囲まれて




「すまない!蓮二、待たせたな!」

「いや、構わない……どうした?」

「な、何がだ?」

「あれっ?副部長、息切れっスか?人にたるんどるなんて言えないっスね……あ!わかった!例の彼女とイチャついてたんじゃ……!」

「け、けしからん!破廉恥な!断じてそんなことはない!あり得んのだ!赤也!貴様はグラウンド20周だ!」

「そっ、そんなァ!?あんまりっスよ!」








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