「芥子香、少し話せるか。」
「うん、大丈夫だよ。」
「……は……は……」
「は?」
「……は、はっ、花は、好きだろうか……」
真田くんはぷいっと横を向いて、口元を大きな左手で隠しながらぼそぼそと呟いた。だいぶ聞き取りづらいけれど、多分、お花が好きか、と聞かれたのだろう。お花なら大好きだ。実はわたしの密かな趣味はガーデニングだったりする。保健室の裏にある花壇はわたしが一年生の時にせっせと作り上げたもので、きちんと花ごとに区画を整理していて色々な種類の花が咲いている……とまたしてもぼんやりしていたからか、真田くんが少し落ち込んだような顔をしていた。
「き、嫌いだったか……?」
「あっ、ご、ごめんなさい!お花、好きだよ!」
「そ、そうか。ならば、今週の日曜日、庭園を散歩しないか?入場券を持っているのだ。」
「えっ!?その庭園、珍しいお花もたくさんあるところだ!い、行きたい!あっ、券のお金払うよ!」
「いや、要らん。これは兄の会社から支給された物を俺が貰っただけだ。」
「そ、そうなんだ……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。」
「ああ、では日曜日の午前10時、最寄り駅付近の噴水前にて待つ!」
「あっ!い、行っちゃった……」
まるで決闘の約束をしたかのように待ち合わせ時間と場所を宣言した彼は、いつも通り疾きこと風の如しで立ち去って行った。柳くんが小さな声で、風林火山をこんなことに使うんじゃない、と頭を抱えていた。風林火山って何だろう……武田信玄……?
さて、あっという間に日曜日はやってきた。庭園を散歩しよう、とのことだったから動きやすい服装をチョイスした。さて、そろそろ待ち合わせの噴水前に到着する。真田くんは……まだ来ていないようだ。時刻は9時45分、少し早かったようだ。噴水横のベンチに腰掛けて、買ってもらったばかりのスマホを触っていたら、真田くんが走ってやってくるのが見えた。5分前行動、流石だ。
「芥子香!すまない!待たせてしまった!」
「大丈夫、わたしも今来たところだよ!」
「そ、そうなのか、ならば良かった……」
あんなに走っていたのに息一つ切らせていない真田くんはほんのり赤くなった頬をかきながら目線をキョロキョロと泳がせている。こんな可愛い一面もあるのかと驚いてしまったのはちょっぴり失礼だろうか。
「芥子香、早速だが目的地へ向かおう。」
「うん、早く行こう!楽しみだなぁ……」
「よし、行くぞ。」
真田くんはゆっくりと歩き出した。少し後ろを着いて行っていると、隣に来んか、と言われてしまった。大人しく彼の隣に行くと目線を逸らしながら左手で口元を隠してなにやらぼそぼそ呟いていた。
「やはり奥ゆかしいな……」
「うん?何?」
「い、いや、何でもない!そ、そういえば、芥子香、好きな食べ物は何だ?」
「えっ?えっと……和食かな……お野菜もお魚もお肉も何でも好きだけど、お米が一番かも……」
「おお!実に素晴らしい!やはり日本男児たるもの米を……す、すまん、お前は女子だったな。」
真田くんも和食が好きなのだろうか、目をキラキラと輝かせていた。好きな食べ物を尋ねると、なめこのお味噌汁とお肉が好きだとか。そういえば付き合っているのにお互いのことをあまり知らないな、と真田くんが言ってくれたのをきっかけに、庭園に行くまでの道中はお互いのことについて質問し合うことになった。彼の誕生日は5月21日、血液型はA型、テニスの他に居合いや剣道が得意、時代劇や歴史小説、浮世絵等、和風なものを好んでいる……うん、そのままだ。じゃあきっと得意科目も……
「真田くん、得意な科目は?」
「体育と歴史だ。」
「やっぱり……いいなぁ、わたしは歴史苦手だよ……」
「そうか、だが、芥子香は英語が得意だろう。柳生から聞いたことがある。」
「……えっ!?や、柳生くんが!?そ、そっか、う、うん、そう、わたし、英語が得意なの。」
彼の口から突然柳生くんの名前が出てきてびっくりしたあまりに一瞬足を止めてしまった。真田くんが柳生くんにわたしのことを聞いたのか、それとも柳生くんが真田くんにわたしのことを話したのか、どういう経緯でわたしの話題が出たのだろう、気になる、すごく気になる。だけど、それは聞いてはいけない。真田くんを傷つけてしまうかもしれないから……なんてぼんやりしていたら、質問がある、と言われてハッとしたわたしは何でしょう!と少し大きめに返事をした。
「あ、あぁ、いや、後輩に英語が不得意な者がいるのだが……どう指導してやれば良いだろうか。」
「うーん……文法、以前に単語とかもままならない感じ?」
「おそらく……物覚えは良い方だと思うのだが……」
「そっかぁ……あ、じゃあわたしが2年生の時に使ってた面白い単語帳、その子にあげる?」
「良いのか?」
「うん、あの単語帳の単語はほとんど覚えちゃったし……今度学校に持って行くね!」
「かたじけない、きっと赤也も喜ぶ。」
後輩の名前はアカヤくんというのか。アカヤくんのことを本気で心配している真田くんはまるでお父さんのようだ。お兄ちゃんと言うべきなのだろうけど、彼の貫禄がどうもお父さんと言うに相応しくて仕方ない。失礼かなと思いつつも笑いが堪えられなくて少しだけ声を出して笑ってしまったら、真田くんが小さく、うっ、と声を漏らした。
「うん?何?」
「い、いや、な、何でもない。」
「うそ、何か小さい声で言ってたの聞こえたよ?」
「うっ……」
「ほらまた。」
「は…………」
「は?」
またタピオカのように何かを思い出したのだろうか。彼はふざけるような人じゃないからと続く言葉を待っていたら、くるりと背中を向けてきてぼそぼそと何かを呟いた。
「は、は、花のような……たまらん笑顔だ……」
「何?聞こえないよ?」
「は、花のようだと言ったのだ!芥子香の笑顔が、花のようだと!」
「……なっ、何言ってるの!?」
あの真田くんがそんなメルヘンチックなことを言うだなんて天地がひっくりかえってもありえない。柳くんや莉絵ちゃんに話しても絶対に信じてもらえない自信がある。たたっと小走りで真田くんの前に回り込んでみたら、汗をいっぱいかいて顔を赤くしながら左手で口元を覆い隠している真田くんがいた。本気で、言ってるんだ。
「み、見るんじゃない!」
「さ、真田くんってそんな顔するんだ……」
「わ、悪いか!?」
「う、ううん、すごくいいと思う……なんて言うか、すごく、カワイイ……」
「かっ……!?ぬかせ!かっ、か、かかっ、可愛いのはお前だ!」
「かっ……!?」
お互い顔を見合わせて、彼は口元を隠したまま、わたしは呆然としたまま口をぱくぱく動かしていた。喋りたくても恥ずかしくて声が出ないのだ。あの真田くんから、可愛い、なんて言われてしまっては驚きが隠せたもんじゃない。これがただのお世辞ならどれだけ良かっただろう、彼に限ってはお世辞ではないのだ。全てが本気の言葉なのだから。
「な、何を唖然としておるのだ!お前が先に言ったのだろう!くっ……大声をだしてすまない、い、行くぞ!」
「あ、う、う、うん!」
真田くんがのしのしと歩き始めたもんだからわたしも小走りで追いかけたのだけれど、歩く速さが速すぎることに気がついてくれた彼は立ち止まってくれて、左右の位置を入れ替わると再びわたしの歩幅に合わせてゆっくりと歩き始めてくれたのだった。
カワイイカワイイ
「真田くん、そっち側の道歩きたいの?」
「ああ。風通しが良いからな。」
「あ……車道側、歩いてくれるんだ……優しいね、真田くん。」
「そ、そういうことは気付いても言わんでいいのだ!全く……!」
「カワイイ……」
「かっ……!?ええい!男に可愛いなどと言うものではない!」