庭園に着いて早速お花のコーナーへ足を運んだのだけれど、わたしに語彙力が無さすぎて見事としか言いようがない。バラ、チューリップ、アネモネ、ネモフィラ、パンジー、ダリア、ゼラニウム……他にも様々な花がある。あの花の名前は知らないし、そこの花は見たことすらない。すごい、すごい、こんなに可愛い花がたくさんある。どこから回ろうかとキョロキョロしていると、パンフレットを取りに行ってくれた真田くんが戻ってきたのが窺えた。
「芥子香、行きたいところを選べ。」
「あ、えっと、こう、ぐるーっと回って、それからここ、あと、こことここと、ここにも行きたいな……」
「うむ、全て制覇しよう。時間は大いにある。行くぞ。」
「うん!」
真田くんとゆっくり歩いて、色とりどりの花々を見て回った。いろんなお花の前で真田くんからこれについては詳しいのかと聞かれて、知っているものに関してはこれは食べられるとか、薬になるとか、最近は人工的に青や黒の花も作られてるんだよと説明したのだけれど、彼はとても興味津々で聞いてくれて、とても誠実な人であることがひしひしと伝わった。あと、わたしが知らない花でも真田くんは知っているということもあって、彼から新しい知識を授かることもあった。真田くんは色んなことに関して海のように広い知識を持っているんだなぁと驚いた。
どの花も綺麗で、可愛くて、良い香りがして、真田くんとのお話もすごく面白くて、本当に楽しいひとときだったからか、あっという間にお昼の時間がやってきた。真田くんに連れられて園内の食堂でご飯を食べることになった。メニューがとても豊富でなかなか決めることができなくて、わたしはメニュー表とにらめっこをしている。
「俺は唐揚げ定食にしよう。芥子香は決まったか?好きだと言っていた和食か?」
「うーん……わたし、和食も好きだけど、フルーツとか甘いものも好きでね……これとこれで悩んでるの。」
「ほう、和風おろしハンバーグ定食とフルーツサンド……ふむ……」
「真田くん?」
「……気が変わった。俺は和風おろしハンバーグ定食にする。」
「えっ?じゃ、じゃあわたしも同じのにしようかな……」
そう思って、メニューを閉じた時だった。なんとランチタイムにフルーツサンドを注文した場合はデザートにチーズケーキがついてくるという記載があるのに気が付いてしまった。
「や、やっぱりフルーツサンドにする!チーズケーキ食べたい!」
「うむ、食べたいものを食べろ。」
ボタンを押して店員さんに伝えると10分もしないうちに作りたての料理がテーブルに運ばれた。真田くんと向かい合って、手を合わせていただきますをして食事に手をつけたのだけれど、このフルーツサンドは今まで食べたどのサンドイッチよりも美味しい。美味しすぎる。
「おっ……美味しい……!」
「むっ……これは美味い!たまらん……!」
「あっ、やっぱりハンバーグも美味しいんだ!こっちも絶品だよ!」
「良ければ一口食うか?」
「えっ?いいの?食べたい!」
「ああ、少し待ってくれ。」
「……ん?」
さっきまで食べるかどうか悩んでいたハンバーグを一口食べるかと聞かれて、咄嗟にお言葉に甘えてしまったけれど、すぐにハッと気がついた。つまり、真田くんにあーんして食べさせてもらうってこと……!?
「さっ、さささ、真田くん!あ、あっ、あの……」
「ん?どうした?」
「あ……」
箸で食べていたはずの真田くんは、新品のフォークでまだ箸をつけていない側を切り分けて、テーブルの隅にあった醤油皿のような小さなお皿に少し大きめに切り分けたハンバーグを載せて差し出してくれた。そ、そうだよね、真田くんだもん、あーん、なんてそんな恥ずかしいこと、あるわけないよね。
「あ、あ、ありがとう!」
「うむ、冷めないうちに食べるといい。」
「……真田くんはフルーツサンド食べる?」
「いや、気持ちだけで結構だ。クリームが多くて口に合わんかもしれん。」
「そっか、わかった。」
すぐにハンバーグを口に入れたら、天に登りそうな気持ちになるほど美味しいと感じた。柔らかくてふわふわで、噛めばじゅわっと肉汁が溢れて、少し強めの塩味を和風おろしソースがやわらげてくれて最高の味……まいった、確かにこれはたまらんの一言に尽きる。
しかしこちらのフルーツサンドも手が止まらないほど美味しい。言わずもがなチーズケーキもそうだった。
「ふあぁ……美味しかったぁ……」
「ああ。ほっぺが落ちる、とはよく言ったものだ……」
わたしがほっぺを抑えながら話したもんだからそんなことを言われてしまった。さて、食後のほうじ茶を飲み干して、ゆっくりとランチを楽しんだわたし達は再び屋外へ足を運んだ。バラ園では赤、白、オレンジ、黄色、ピンク、紫、そして青色のバラを見ることができた。ローズティーの試飲やジャムの試食もやっていて、足を止めてしばらくその場に佇んでしまった。落ちそうなほっぺを抑えながらお茶やジャムを味わっていると、真田くんがティッシュでわたしの鼻先を拭いてきた。
「んぶっ!」
「全く……どうすれば鼻先につくのだ……」
「ご、ごめんなさい!は、恥ずかしい……」
「謝ることはない。それだけ美味いのだろう?」
真田くんはとても穏やかな顔だ。少しだけ笑っているようにも見える。学校でよく見るあの厳しい真田くんはどこへやら。これが、真田くんの彼氏の顔、なのかな……もっと、笑ってくれないかな……どうしたら笑ってくれるかな……美味しいものを食べたら笑ってくれるかな……なんてぼんやり考えていたら、真田くんが少し心配そうにわたしの顔色を窺っていることに気がついた。
「……あっ、真田くんも、はい!これ、ちょっぴり林檎みたいな味がして美味しいよ!」
「い、いや、俺は……」
「はい!」
顔を背けて拒否する真田くん。ジャムを掬ったスプーンを差し出すわたし。先に折れたのは真田くんだ。彼はわたしの手からスプーンを受け取ってくれた。
「……し、仕方ない…………ほう、悪くないな。」
「……!ねっ、お、美味しいよね!それ、後で買おうかなって思ったの!」
「うむ、美味い。」
うんうんと頷く真田くんは、突然歩き出してしまった。もしかして、無理矢理食べさせたようになったことで不機嫌になってしまったのかな、と心配したのはほんの一瞬だった。彼はすぐにわたしのところへ戻って来てくれた。先ほどは持っていなかった謎の紙袋と共に。彼はその紙袋をずいっとわたしに差し出した。
「えっ?何?これ……」
「今食べたジャムだ。」
「……えっ!?あっ、お、お金……」
「要らん。俺から、その、お前に、お、贈らせてくれ。」
「……う、うん、わかった。ありがとう!」
「う、うむ、良かった……」
どうしようかと少し考えたけれど、ここで受け取らなかったら真田くんの男としてのプライドに傷がつくだろうと思ったわたしは紙袋を受け取った。真田くんは穏やかに笑ってくれた。今日一番の笑顔だなと思った。
それからまた色んなお花を見て回った。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、これから家に帰るところだ。真田くんはわたしを送ると言ってきかないから、大人しく彼に送ってもらうことにした。
「芥子香。」
「うん?」
「今日は楽しかったか?」
「うん!すごく楽しかった!」
「そうか……また、誘ってもいいだろうか……」
今日は本当に楽しかった。後輩思いで、ちょっぴり可愛らしいところがあって、優しくて紳士的で、頭が良くて、心が広くて……見た目も中身も、海のように広くて大きくて、真っ直ぐ澄んだ綺麗な心の……
「……駄目、か?」
「……あっ、う、ううん!えっと、わ、わたしでよければ、また、お出かけ、しよう?」
「……そ、そうか!良かった……ぼんやりとしていたので、何か嫌なことを思い出していたのかと……」
「い、嫌なことなんて何も……今日一日ずっと楽しかったよ!」
「そ、そうか!それなら良いのだ!」
フッと目を細めて笑った真田くんは今日一番の笑顔で、どくんと心臓が大きく跳ねたような気がした。なんて綺麗な顔で笑うんだろう。真田くんのこんな笑顔、初めて見た。こんな笑顔、わたしだけが、知っているのだろうか。
なんてまたしてもぼんやりしていたらお家の前に着いてしまっていた。真田くんは持ってくれていたジャムの紙袋をわたしに差し出して、また明日、と小さく呟くといつも通り疾きこと風の如しでこの場を去って行ったのだった。
花と海
「真田くん……海みたいな人だなぁ……笑顔、素敵だったなぁ……」
***
「芥子香……花のように可憐だ……たまらん……」