笑ってほしくて
「はぁ……」
「おい、芥子香、どうしたー?これ食うか?」
「ブンちゃんみたいになりたくないからいらない。」
「はぁ!?お前それどういう意味だよ!」
うるさいなぁ。甘い物なんか食べられるわけないじゃないか。ここ2週間で私の体重は2キロも増加してしまったのだから。春休みは確かに楽しかった。友達とスイーツパラダイスに行ったり、ジャッカルの家にラーメンを食べに行ったり……それから、彼氏の家族と一緒に焼肉を食べに行ったり……
「はぁ……痩せなきゃ……」
「見た目はそんな変わってないぞ?なぁ仁王。」
「プリッ。」
仁王は我関せず、といった態度で、飴の包み紙を開けて口に放り込んだ。いいなぁ、私も飴食べたい……
「……はぁ〜、私も飴食べたい……チョコ食べたいよ〜!プリン食べたい、ドーナツ食べたい!はぁ……」
じとーっと仁王を睨むと、食うか?と袋から一つ飴を取り出して私の机に置いてくれた。折角だけどいいや、と彼の机に置き返すと、俺の時と随分違うじゃねーかとブンちゃんが騒ぎ立てた。ああもううるさい。
「もう!少しは静かにできないの!?このデブン太!」
「デブ……!?お前こそ!2キロも太ったなら十分デブじゃねーか!」
「……!!ひ、ひどい……!!」
自分で自分を太っていると言うのは平気でも、他人に言われると流石に傷つくわけで。私はめそめそと泣き出してしまった。
「ブンちゃん、女子にデブは流石に禁句ぜよ。」
「わ、悪かったって!泣くなよ……ほら、これ食うか?」
「いらない!!バカ!!」
「ブンちゃん、体重を気にしてる相手にそれはないぜよ……」
デリカシーのないブンちゃんを仁王が嗜めていると、突然B組の教室の入り口から大きな声が聞こえた。声の主は私の彼氏だ。
「蘭!すまないが、数学の教科書を……!?蘭!どうした!?」
私が泣いていることに気が付いたであろう弦一郎はまるで雷霆の如くシャッとこちらに近づいてきた。こんなところで無闇に必殺技を使わないでほしい。
「げ、弦一郎!?い、いや、別に……」
「何故泣いている!?誰だ!誰が蘭を……!許さんぞ!」
「お、落ち着いて弦一郎!私は大丈……」
「ええい!貴様か!丸井!そこに直れ!」
そう、私の彼氏は立海大附属中3年A組10番、真田弦一郎だ。まるで試合に負けた選手に制裁を加える時のような厳しい顔つきでブンちゃんを怒鳴っている。流石にちょっと可哀想だ。
「弦一郎、違うよ。ブンちゃんは何もしてないよ。」
「む?そうか?ならば良いのだが……しかし、なぜ泣いているんだ。」
「そ、それは……」
弦一郎は腰を折ってとても心配そうに私の顔を覗き込んできた。整った綺麗な顔にドキドキして顔に熱が集まってしまう。彼は中3とは思えない大人の色気があるから、こんな風に顔を近づけられるととてもとても平常心でいられなくなってしまう。
「だ、大丈夫だから!ほら、数学の教科書でしょ!はい!」
「む、そうか?かたじけない。」
弦一郎は教科書を受け取ると颯爽と去って行った。ブンちゃんは死ぬかと思った!なんて言いながらメロンパンを貪り始めた。いいなぁ、私もメロンパン食べたい……
放課後になるとすぐに外からパカンパカンとリズム良くボールを叩く音が聞こえた。窓から外を見ると、テニスコートがよく見えた。弦一郎はどこかな、と目を凝らすと、柳くんと真剣な顔で何かを話しているのが見えた。背後では切原くんが仁王とジャッカルに揶揄われていて、ブンちゃんは柳生くんに叱られているみたいで。まーた甘い物の食べ過ぎで怒られているのかな、と思っていると、今度は弦一郎がブンちゃんの元へ。まさか弦一郎からも叱られるのかとソワソワしながら見ていたら、何故か弦一郎がブンちゃんに頭を下げているのが見えた。もしかして、昼休みのことを謝っているのだろうか……
この後、私は真っ直ぐ帰ってすぐに宿題と向き合った。2時間ほど経って、お母さんから夕飯だと呼ばれて席を立ったけど、脳内でブンちゃんから言われた言葉が鳴り響いた。
デブ
そうだ、食べるわけにはいかない……痩せるまでは……我慢、しなきゃ……
私はお腹が痛いことにして夕飯を抜くことにした。お母さんにそう告げて、部屋に戻ろうとしたところでピンポーンとチャイムが鳴った。家族が食卓につくだろうから、私が出るよと言って玄関のドアを開けたら、部活帰りの弦一郎が立っていた。
「げ、弦一郎!?ど、どうしたの?」
「突然すまない。少し、話せるだろうか。」
「えっ……う、うん、いいよ。」
「うむ、失礼する。」
弦一郎を連れて部屋に行くと、彼はずいっと白い箱を差し出してきた。箱の形状を見ただけで何が入っているかなんてすぐわかる。これは、ケーキの箱だ。
「蘭、お前はこれが好きだと蓮二と丸井から教わった。」
「うん……?」
「お前の涙が頭から離れなくてな……」
弦一郎はケーキの箱を机にそっと置いて、帽子を取ってそのまま口元に押し当てながらもごもごと話し始めた。
「俺はその……恋愛のことも女子のこともよくわからん……だが、お前には笑っていてほしいのだ……」
「……!げ、弦一郎……!」
「……チーズケーキにティラミス、プリンにドーナツ、丸井から勧められた店で、蓮二から聞いた蘭の好物をとにかく片っ端から買ってきた。好きなものを食え。全部でも構わん。」
弦一郎はほんのり頬を赤くしながらケーキの箱を指差した。こんなに気を遣ってくれているのに、泣いた理由がただ太っただけだから、というのが情けないけれど、私は正直に彼にそのことを打ち明けた。
「そ、そうだったのか。女子はそんなことを気にするのだな……すまない、甘味を持って来るなど以ての外だったな……」
「ううん、その、気を遣ってくれてありがとう。」
「いや……俺は、たとえお前が太っていようが痩せていようが、お前が健やかでいてくれればそれでいい。だから、あまり気にするな……と言っても無駄かもしれんが。」
「ううん、弦一郎の気持ち、すごく嬉しい。ね、これ、一緒に食べてくれる?」
「ああ、俺は構わん。」
「ありがとう……でも、また太っちゃうなぁ……」
「……蘭、今週末は空いているか?」
「えっ?う、うん……」
「痩せるには運動に限る。今週末はテニスをしよう。」
弦一郎の突然の提案に驚いて無言になってしまったからか、彼は、嫌か!?とか、女心がわかっていなくてすまない!とか、わたわたと慌て出して。それが面白くて、私がクスクス笑いながら、ぜひ一緒にテニスをしようと返事をしたら、彼は満足そうにニヤリと微笑んだ。
笑ってほしくて
「やはりお前は笑っている方が、その、可愛らしくて、良い、な……」
「えっ!?そ、そう、かな……へへ、弦一郎のおかげだよ。」
「そうか?ならば、もっとお前を笑顔にできるよう努めていく所存だ。」
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