「ごほっ!げほっ!」

「蘭、大丈夫?」

「あー……うん、へーき……」


昨日、買い物の帰り道で急な大雨にうたれてしまったせいだろうか。風邪をひいてしまったようで、昨日の晩からずっと寒気を感じている。幸い咳や鼻水は薬で抑えられているから通学はできたものの、やはり身体は少々キツいものがあるみたいだ。


「学校休めばよかったのに。」

「いや、ここまで皆勤だから休みたくない……こんなことで休むのは精神がたるんどる証拠だよ……」

「さすが真田くんの彼女だね……真面目すぎ……」


そんなわけで、1限から最後まできっちり授業を受けきった。雨でグラウンドがぬかるんでいるお陰で体育は保健の授業に変更になってくれて助かった。


「あれ、今日は部活ないの……?」


ブンちゃんが同じクラスの男子達と一緒に帰ろうとしていたのを見かけて咄嗟に口をついて出た。くるりと振り向いた彼はいつものようにぱちんとウインクをしながら親指を立てたピースを見せてきた。



「おう!昨日、高等部と練習試合したから今日はオフなんだよ。つーか芥子香、お前大丈夫か?顔赤いぞ?」

「あー……うん、ちょっと風邪気味で……」

「おいおい大丈夫か?あ、クッキーでも食う?」

「いや、いい、食欲ない……」

「んじゃ、コレやるよ。ま、お大事にしろよな。」

「ん、ありがとう。」


ブンちゃんは私にフルーツのど飴を渡してスタスタと去って行った。今日は部活が無いのなら弦一郎は一緒に帰ってくれるだろうか……私はフラフラとA組の教室へ歩いて行った。


A組の教室では柳生くんと社会の教科書を指差しながら授業のことを話し合っている弦一郎がいた。私の存在に気づいた彼はガタッと立ち上がってこちらへ駆け寄って来て、私の両肩を掴んでくわっと目を見開いた。


「蘭!熱があるのではないか!?」

「えっ?あ、ちょっと熱い、かも……?」

「いかん!すぐに病院へ……少し待っていろ!」


弦一郎は自分の席へ戻って、帽子を深く被り鞄を肩にかけると再び私の元へ駆け寄って来た。そして私に背を向けて深くしゃがみ込んだ。


「さぁ、俺の背に乗れ!」

「えっ、自分で歩……」

「そんな顔をしているお前を歩かせるわけにはいかん!!早くしろ!!」

「芥子香さん、ここは真田くんに従うべきかと……」

「わ、わかったよ……弦一郎、ありがとう……」


柳生くんの後押しもあって私は大人しく弦一郎に従うことにした。広い背中にぎゅっと抱きついたら、ぐんっと目線が高くなった。弦一郎はまだ中学生なのに、先生よりも背が高い。かっこいいなぁ、と思いながらぎゅうっと抱きつく力を強くしたら、走るからもっと力を込めても構わん、なんて言われてしまった。


お母さんにはメールを送って、私は弦一郎に背負われながら学校の近くの小児科へ入った。一番近い病院が小児科だったもので、中には小さな子どもとそのお母さんばかりで、私は少し気恥ずかしくなってしまったのだけれど、彼はそんなことは全く気にしていない様子だった。


「芥子香さん、どうぞ。」

「あ、はい……」


立ち上がったら少しよろけてしまったけれど、すぐに弦一郎が支えてくれて、そのまま二人でゆっくり診察室へ入り、医者の前に腰かけた。そしてぱぱっと診察をしてもらい、ただの風邪だろうという説明を受けたのだけれど。


「……というわけで、診察は終わりです。症状が治ってもお薬は全て飲み終えるようにしてくださいね。」

「えぇ……やだなぁ。」

「それから、お父様でございますか?くれぐれもお子さんがお薬を飲み忘れないよう注意してくださいね。」

「む?自分は父親ではありませんが……」

「えっ!?あ、ああ、お兄様でしたか、これは失礼……」

「いや、同級生だが。」

「えっ!?こ、これはこれは……!!失礼しました!」

「あ、ああ、大丈夫です……」


真横でこんな会話をされて笑うのを堪えられるわけもなく、私は声を漏らしながら笑ってしまった。こんなに笑える元気があるのだから、少し休めば良くなるだろう、と弦一郎もほっとしていたようだった。




翌日、すっかり元気になった私は、改めて昨日のお礼を伝えるために弦一郎の元へ足を運んだ。いつも通り、真面目で厳格で凛々しい佇まいの彼がいたけれど、心なしか顔色がおかしい気がする。


「弦一郎、昨日はありがとう。すっかり良くなったよ。」

「ああ、そうか……それならば良いのだ……」

「ねぇ、弦一郎、顔赤いよ……?」

「む……実は今朝から妙に寒気がしてな……」

「えっ!?私がうつしちゃったのかな……ごめん弦一郎!今日、病院に行こ?私も付き添うから……」

「くっ、すまん……体調を崩すとは精神がたるんどる証拠……俺もまだまだ未熟者のようだ……」


言葉とは裏腹に、その背筋はしっかり伸びていてシャキッとしているから流石としか言いようがない。とりあえず、放課後までなんとか無事に過ごすことのできた弦一郎と一緒に近くの病院に行くことにした。彼はこのくらいのことで受診など、と渋っていたけれど、早く部活に参加したくないの?と聞いたら早く病院へ行かなければ!なんて。意外と単純だったりする。ちなみに今日の部活はきちんと柳生くんに任せてきたみたい。


「小児科、今日は閉まってるんだよね。少し歩くけど内科にしようか。」

「俺を子ども扱いするな……」

「わ、私昨日小児科にかかったんだけど……」

「ぐっ、す、すまない……」

「それにしても、昨日の弦一郎……お父様でございますか、だって……ふふっ!」

「む……お、落ち着いているという証拠だ……」


やはり昨日のことは流石の弦一郎も少し恥ずかしかったみたいだ。帽子を深く被り直していたけれど、口をへの字にしているのがはっきり見えてしまった。


病院へ着いて、問診票を書こうとしたのだけれど、思ったより弦一郎の体調は良くないみたいで、ペンを握る手にあまり力が入らないんだとか。仕方がないから私が代筆をしてあげて、問診票を受付へと持って行った。


「すまない、お前がいてくれて助かった。」

「このくらい何でもないよ、私の方こそうつしちゃってごめんね。」

「そうとは限らん。それに、俺の精神がたるんどる証拠だ、蘭は何も悪くない。」

「……精神がたるんでると風邪を引くんだ……じゃあ切原くんは?」

「……!!それは、難しい問題だ……」


よく切原くんに、たるんどる!と怒鳴りつけているけれど、バカは風邪ひかないなんて言葉があって、彼はよく俺は風邪ひかねー!なんて豪語している。この理論だと彼の精神がたるんでいないことに……と弦一郎が真面目に悩んでいるのがとても面白くて、私は一人でクスクスと笑っていた。


「真田さーん。」

「はい。」

「……あ、お子さんは……?」

「自分が真田です。」

「いえ…そうではなくて……」

「む?」


これはもしや……


「すみません、あの、この人が真田本人です!真田弦一郎です!」

「そっ、そうでしたか!てっきりお父様かと……」

「弦一郎、看護師さん困っちゃうから、ちゃんと伝えないとダメだよ?」

「む……以後気をつける。お前がいてくれて助かった……」


弦一郎はフッと笑うと私の頭を軽くぽんぽんと撫でてから一人で診察室へと入っていった。その後、私は待合室で彼が出てくるのを待っていたのだけれど、近くで家族の診察が終わるのを待っていた小学生の男の子から話しかけられた言葉に私は大笑いしそうになってしまったのだった。





お父様でございますか?




「ねぇ、お姉さん!」

「うん?」

「お姉さんのパパ、大きくてかっこいいね!」

「……えっ?」

「僕のパパはあんなに大きくないからなぁ……頭なでなでされてて羨ましかった!」

「……ね、あの人、何歳だと思う?」

「うーん……35歳!」

「ぶっ!!そ、そっか……ぶふっ……!」



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