月曜日が始まった。みんなの足取りはとても重そうだけれど、私はそうじゃない。今日も今日とて2年B組の教室へ向かって一目散。その理由は、好きな人に、大好きな樺地崇弘くんに1秒でも早く会いたいから。教室に入ると、朝練を終えて制服をビシッと着こなして、綺麗な姿勢で座って読書をする樺地くんがいた。


「樺地くん!おはよう!」

「おはよう……ございます……」


ちらりと私の顔を見て、またすぐに本に顔を戻してしまった。短いけれど、必ず目を合わせてくれるところが優しいと思う。


「ねえねえ、樺地くん、今日も跡部さんと帰るの?」

「ウス。」

「そっかあ……明日も?」

「……ウス。」


むむ。手強い。


「そっかあ……明後日は?」

「いえ……」

「……!えっ!?ほ、本当!?部活は!?」

「明後日は……オフ、です……」

「えっ、あ、あの、よ、よよ、良かったら一緒に帰らない!?」

「……ウス。」

「やったあ!楽しみにしてるね!」


上機嫌で自分の席に着くと、前の席の親友がくるりとこちらを向いた。相変わらず朝に弱いのか、ぶすーっとした表情で今日も私の行動にいちゃもんをつけてきた。


「ねー、あのウスしか言わない怪物のどこがいいわけ?」

「樺地くんは怪物じゃないよ!」

「テニス部ならもっといいのいんじゃん、鳳とか日吉とか。」

「鳳くんと日吉くんは樺地くんじゃないもん。」

「珠羽は本当変わってるよねー……」


この会話ももはや日常茶飯事。私はただ、優しい樺地くんのことが大好きなだけなのに、と言っても、正直1年生の最初の頃は私も樺地くんのことを大きくて無口で怖いなぁと思っていた。けれど、全く怖いなんてことはなかった。体育の時間に飛んできたサッカーボールから私を守ってくれたり、消しゴムを忘れた時に黙って渡してくれたり、先生から授業の教材を運ぶのを頼まれた時に手伝ってくれたり。とても気の利く優しい男の子なのだ。


「はぁ〜……樺地くんって好きな人いるのかなぁ。」

「そんなもん跡部さんに決まってるでしょ。」

「そうだよねぇ……いいなぁ……私も跡部さんになりたいよぉ!」

「……この際告白しちゃえば?ウス、って二つ返事してくれるかもよ?」

「……いやいやいやいや!な、ないでしょ!」

「だって樺地だよ?ありそうじゃん。」


私が樺地くんに告白だなんておこがましいにも程がある。それに、跡部さんに睨まれてしまわないかと心配にもなる。ちょうど先生がやってきて私達の会話は終わってしまったけれど、私の頭の中はそのことでいっぱいだった。この後の授業も、お昼休みも、掃除の時間もずーっとそう。帰り道では親友から大丈夫かー?と肩をぺしぺしと叩かれた。





火曜日、今日も告白の件で頭がいっぱいだ。今日の私は日直で、しかも花壇の水やり当番も被ってしまったために誰よりも早く学校へ来て、花壇に水を撒いている。


「告白かぁ……でも、フラれちゃったらどうしよう……」


ぽつりと呟いた瞬間、背後の植え込みのあたりからガサッと音がした。びっくりして振り向くとキラキラとした汗をかいている樺地くんがしゃがみ込んでいて。


「か、樺地くん!?こんな所でどうしたの!?」

「……ボール……見てませんか。」

「えっ?……テニスボールが飛んでいっちゃったの?」

「ウス。」

「探すの手伝ってもいい?」

「……ウス。」


樺地くんがこくりと頷いたのを見て、二人でテニスボールを探して植え込みをかき分けた。すると、とても細いレンガの隙間にボールが引っかかっているのが見えた。樺地くんも見えたみたいで手をぐっと伸ばしたけれど、樺地くんの大きな手は入らないみたいだ。幸い私の体格は小さい方だから、樺地くんの前に出て、ぐっと手を伸ばしたら何とかボールを掴むことができた。その手を引っ張り出すと、レンガで擦れて手の皮が擦り剥けてしまっていた。でも、樺地くんの役に立てたならこんな怪我はなんてことない。


「樺地くん!はい!」

「ありがとう……ございます……」

「ううん、テニスの朝練頑張っ……か、か、樺地くん!?」


お礼を言ってペコリと頭を下げた樺地くんはそのまま私の手を取ってじいっと見つめている。そしていつものようにゆっくりと口を開いた。


「すみません……」

「えっ?」

「臼井さんの……綺麗な手に……傷を……」

「い、いい、いいよそんなの!大丈……かっ、樺地くん!?」


樺地くんは突然私をお姫様抱っこするとのしのし歩き始めた。どこに行くの?と聞くと部室です、と。どうするの?と聞くと、手当てします、と。ウス、以外の言葉をこんなに話すのは珍しい気がする。なんてぼんやりしているとあっという間にテニスコートに到着した。テニス部のみんながじいっと私と樺地くんを凝視している。


「アーン?樺地、何だその女は。」

「……臼井……珠羽……さん、です。」

「臼井……?コイツが……?」

「ウス……部室、使います……」


樺地くんは私をテニス部の部室にある丸椅子に座らせようとしたのだけれど、一度私を立たせて、椅子に自分のジャージを引いてくれた。汚い服ですみません、と言われたけれど、全然汚くないし樺地くんの心遣いが本当に嬉しい。お礼を言ってから椅子に座って樺地くんが言う前に自分の手を差し出した。


「全然傷になってないよ?このくらい平気だよ。」

「いえ……」


樺地くんはロッカーの上から救急箱を取って、私の隣の椅子に腰掛けた。


「……手当てしてくれるの?」

「ウス。」


樺地くんはコットンに消毒液を染み込ませながら私の言葉に相槌を打ってくれた。ありがとうと言ってもウス。痛くないよ?と言ってもウス。迷惑じゃない?と聞いてもウス。ウスしか言わない今なら、どさくさに紛れて告白できないだろうか、なんて思ってしまう私がいて。


「朝練、毎日やってるの?」

「ウス。」

「毎朝、跡部さんと一緒に来てるの?」

「ウス。」

「芥川さんは朝練には来るけどコートで寝てるって本当?」

「ウス。」

「私、樺地くん好きだなあ……」

「…………」

「……?あれ?ウスは?」


お互い下を向いて喋っていたからどさくさに紛れて言ったつもりだったのに、しっかり拾われてしまったようで。恥ずかしくて、ウスは?なんてバカなことを質問してしまった。けれどいくら待てども樺地くんは無言のまま、そして手も止まってしまっている。パッと顔を上げてみると、ほんのり頬を赤くした樺地くんがいた。


「樺地くん?」

「ウス。」

「……ご、ごめんね、変なこと言って。」

「ウス。」


樺地くんの手はちょうど私の手を自分の掌にちょんとのせたまま止まっている。もしかして、動揺しているのだろうか。ええい、こうなればヤケだ!もう一度ダメ押しの告白をしてみるしかない。


「変なこと、言っちゃったけど、今の、嘘じゃないんだよ。」

「ウス。」

「樺地くんのこと、好きなの。ずっと前から。」

「ウス。」

「ごめんね、こんな急に、迷惑だったよね。」

「いえ……」

「ありがとう、優しいね……」


フられるまでが長いよ、と思っているとぽろりと大粒の涙がこぼれてしまった。困らせてしまうと思って慌てて涙を拭こうとしたら、止まっていたはずの樺地くんの手がバッと動いて、側にあった樺地くんの鞄からサッとタオルを取り出して私の目元に当ててくれた。


「臼井さん。」

「はい?」

「……嬉しい、です。」

「えっ?えっと……」


樺地くんは頬を赤らめて少し下を向いている。これは、これは、期待しても、いいのだろうか。


「樺地くん。」

「ウス。」

「あ、あの、勘違いだったらごめんね。あの、樺地くん、わ、私のこと、す、す、す、好き、ですか?」

「ウス。」


やばい。ものすごく嬉しい。でも、昨日親友が言っていた通り、ウスしか言わないのではないだろうかという疑念もある。少し意地悪だとは思いつつもこの質問をしてみることに。


「あ、あの、私のこと、き、嫌い?」

「いえ……」

「じゃあ何?」

「好き……です……」

「……えっ!?ほ、ほんと!?」

「ウス。」

「あ、あ、あ、あの、か、樺地く……」

「……明日……楽しみ……です……」


樺地くんは私の手にサッと絆創膏を貼ると、ラケットを持ってバタバタと部室を出て行ってしまった。いつもゆっくりずっしり動く樺地くんがテニスの時以外であんなに早く動いているのを見たことがない。本当に楽しみにしてくれているとわかった私は堪らずスキップしながら教室へ向かったのだった。





ウスしか言わない?




「樺地くん!帰ろう!」

「ウス。」

「へへっ、あ、帰りにちょっとコンビニ寄ってもいい?」

「ウス。」

「アイス買うんだけど、樺地くんも食べる?」

「ウス。」

「ウスしか言わない?」

「ウス。」

「……て、て、手、つ、つつ、つないでも、いい?」

「……ウス。」




back
top