にいちゃん、だいすき
「にいちゃん、起きて!」
「……ティーポ……はよ……」
「おはよう!ほら、起きてってば!」
目を開けると視界は膨れっ面のティーポで一杯で。眠い目を擦りながら身体を起こすと、彼はベッドから飛び降りてシャッと勢いよくカーテンを開けた。外の眩しい光が部屋中に差し込んできたもんだから思わず目を細めてしまう。と、その隙に彼はぴょんとベッドに飛び乗って来て、胡座をかいているおれに跨って正面から思い切りぎゅっと抱きついて来た。
「にいちゃん、おはよう。ね、すき、だよ。」
「……おう。」
この言動、実は二人きりの時に限っての朝の習慣だったりする、というのもウチに新たな家族がやって来てからの話なのだが。新たな家族の名はリュウ。ティーポは彼が来てからというもののやけにべったりおれに甘えてくるようになったのだ。まぁ、ティーポ自身は自分をリュウの兄貴分だと思っている為、彼の前では決してこの様な態度は表出しないのだけれども。
「……ゃん、にいちゃん!」
「んっ?ああ、悪い、どうした?」
「もう!おれの話、聞いてなかっただろ!」
「悪かったって。で、何だ?」
「もう……リュウが、今日は釣りに行ってくるって朝早くから出て行ったって言ったんだよ……」
ティーポは更に力を込めてぎゅうっとおれにしがみついてきた。そういえばここの所、リュウに魚や獣の捌き方を教えたり、木の登り方や水場での泳ぎ方を教えたりするために常に三人で行動しており、中々二人きりの時間を作ってやれていない気もする。まだまだ甘えたい年頃だろうに、弟の前では必死に兄貴を演じようとする彼はなんともいじらしいものだ。
「ねぇ、にいちゃん……」
「ん?」
「だいすき……」
「…………おう。」
しかしまぁ、こうも甘くねっとりと好きだ好きだと言われると少しむず痒い気がするのが本音で。歯を見せてニッと笑いながら、にいちゃん大好き!なんて言っていたのが遠い昔のように感じられる。
おれだってティーポのことは好きだ。弟として、家族として。好きじゃないわけがない。けれども彼がおれを見つめるこの熱い眼差し……この揺れる瞳を見つめていると、なんだか心臓を掴まれた様な、ババデルのじいさんにおもっくそビンタされたかの様な、とにかく身体の芯にガツンと来ちまうわけで。だから自然と彼と目を合わせられず、フイッと目線を逸らしてしまうのだ。
しかしついにそれもままならず。ティーポはおれの背に回していた腕をパッと離すや否や、おれの顔をばちんと両手で挟んで来やがった!
「ッ痛ェ!!」
「にいちゃん!!またおれの話聞いてないじゃん!!いい加減にしてよ!!」
「ッ〜〜!!だ、だからって両頬を張るこたぁねぇだろ!?」
「……むっ!!悪いのはこの口だな!?えいっ!!」
「うわっ!?」
ちゅっ
………………!?
刹那、何が起こったのか理解できなかった。涼しげな群青を混ぜれば、彼の髪色である清淑なる紫と同化してしまうのではないかというくらいに紅く染まった頬を膨らませる弟の姿が目の前にある。では、今感じた唇への柔らかな温もりはまさか…………
「……ッ!?ティ、ティーポ!?お、お前、何して……!?」
「に、にいちゃんがおれの話、ちゃんと聞いてくんないからお仕置きだよ!オ・シ・オ・キ!」
「……お、お仕置きだぁ!?バカ言え!どこがお仕置きだ!こ、ここ、こんな、キ、キキ、キ…………!!」
「……も、もしかして、にいちゃん、キ、キ、キス、は、じめて?」
「ぐっ!!」
図星を突かれて思わず口籠ってしまった。そう。おれは女とキスをした覚えなどない、いや、女に限らず、誰ともキスなどしたことはない。もちろん、愛すべき家族である弟とも。そもそもティーポは男だ、まさか、そんな、キ、キキキ、キ、キス、なんて……
ちゅっ
………………!?
彼は再びおれの唇へのそっと自分のそれを重ねて離した。今度のそれはお仕置きなどの言い訳では済まされないはずだ。
「お、おい!な、何がお仕置きだ!お前やっぱり……!!」
「に、にいちゃんが、キ、キスは、初めて、とか、その……」
「……な、な、んでお前が、ど、動揺、し、てんだよ。」
「だ、だって……お、おれはにいちゃんのはじめての、キス…………へへっ……」
「な、なに笑ってんだよ!?」
と、叫んだその時。家の床がギィッと軋む音がした。リュウが、帰ってきたのだ。ただいまー!という彼の元気な声が聞こえる。おれとティーポはハッと顔を見合わせた。彼はもちろん、おれも顔が、とは言わず、全身がぼっと熱く火照っているのが自分でもわかる。こんな醜態を晒してしまっては良からぬ誤解を与えてしまうと思ったおれは、ひとまずこの話は後にしよう、と彼に告げようとしたのだけれど。
ちゅっ
………………!?
「続きはまた今度ね……にいちゃん、だいすきだよ!」
ティーポはもう一度おれに追い討ちのキスを贈ると、長い清淑なる髪をふわりと揺らしながら、ニヤリと口元を三日月形にして微笑んだ。その笑顔はまさに妖艶という言葉が相応しく、さながら美しい蝶のようで。
しかし、ゴシゴシと目を擦ってみると、やれやれといった様子で肩を竦めた弟が白い歯を見せてニッと微笑む姿があった。一体どちらが本当の彼なのだろうか。それを知るのはもう少し先の話になるだろう…………
にいちゃん、だいすき
「リュウ!おかえり!魚釣れたか?」
「うん!ティーポが教えてくれた通りにシメたからきっと身もしまってると思う!」
「お!よくやったな!じゃあおれが刺身のやり方教えてやるよ、ついて来い!」
「うん!ありがとう!……あれ?レイは?」
「あぁ、まだ起きたばっかで上でボーッとしてんじゃない?そんなことより魚、早く捌いちゃおうぜ!」
「うん!わかった!」
ごめんなリュウ。確かに『レイ』はおれ達の兄ちゃんだけど……『にいちゃん』はおれだけのものなんだ……リュウのことも大好きだけど……にいちゃんのことは『だいすき』だよ。
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lollipop